第38話 神坂雪華
「あなたが好き、だから私だけを見て。お願い」
「いいねぇ、こっちまでドキッと来たよ〜」
「ありがとうございます」
「じゃあ次のシーンも続けて録っちゃうか。少し休憩するかい滝波ちゃん」
「大丈夫です。いけます」
音の漏れない部屋
そこにはマイクがあり、ヘッドホンがあり、本がある。ガラスが一枚ありそっちには大人の人達がおり、何やら高そうな機械もチラホラとある。
ここはとあるスタジオの収録部屋。部屋の中には1人の女の子。
彼女の名前は滝波夏帆。高校1年生で数年前に抜群の演技力で声優界に突如現れた新星、と当時は謳われていたが今もその演技力は健在だ。近々準主演の映画が公開される。アニメーション映画なのにポスターはリアルの滝波夏帆という不思議な映画だ。製作はテレビ夕日だ。何でもテレビ夕日の社長が滝波にすっかりお熱なようで滝波をどんどん前に推し出してくる。
出し過ぎは視聴者に飽きを与えますよと忠告する企画担当室のエースもいるのだがどうもこの社長、莉掛と言うのだが感情のセーブが効かない。エース、小鉢と言うのだが彼の苦労には些かの同情を禁じ得ない。
♢♢♢
「ポスター見たよ。凄いじゃん」
「いやぁ、私はやめてくれって言ったんだけどねぇ。莉掛さんの鶴の一声?でああなっちゃった」
「莉掛?あぁ、ぶっ飛びのテレビ夕日の社長ね。でね、私パパに頼んで公開前試写会の招待券手に入れたから見に行くね」
「そっか、奈々のお父さんは西宝の社長だもんね」
杉森奈々は映画配給会社の令嬢。本人も映画は週に1本ペースで見る映画通だ。
「楽しみにしてるわよ」
「アニメーションだからね。私の姿は映らないからそこまでハードル上げないでねぇ」
離れていく友人に大きな声で伝える。
手をヒラヒラとさせていたので伝わってはいるようだ。変えそうにもないが。
ここは私立聖蓮学園
芸能人や金持ちのお坊ちゃんお嬢様が入るような超リッチ高校だ。
普通の家庭の生徒も入学は出来るがそちらは普通科になる。彼女達がいるのは特別教養科で個人個人でその人に適したカリキュラムが組まれるという学科だ。
滝波は声優特化。杉森は芸術や経営に特化したものなど本人の希望を100%叶えてくれる夢のような学校だ。
共学の学校ではあるが何かとスキャンダルが発覚すると困る者達が多いので男女の交流は推奨されていない。学園の生徒同士の恋愛禁止という独特な校則もある。外の学校の生徒との恋愛はOKなのだが学校の管轄外だからそっちの事情は知らないという風な中々に割り切った学校でもある。
だが独自のカリキュラムというのは魅力的なもので私もかなり助かっている。
学業と仕事が別々だと割ける時間も半分になってしまうから学業と仕事が直結していれば時間の負担も軽くなる。
だからなるべく早く家にも帰れるし休日は宿題などで声優活動の時間が奪われることもない。
本当に両親は良い高校を見つけてくれたものだ。
♢♢♢
「ただいまー」
「お帰り、晩御飯もう直ぐ出来るわよ」
「今日は何〜?」
「ふふーん。今日は映画公開記念で奮発してステーキでーす」
「嘘、やったー。ママってケチンボなのに」
「あー、そういうこと言っちゃうのね。せっかく頑張ったで賞で買ってきたのに。これはパパとママで食べるしかないわね」
「もぅ、ごめんごめん。ありがとね。ママ!」
滝波は自室へと戻る。
制服だとステーキの汁が付いたら面倒だから部屋着に着替える。
軽くメイクも落としてスマホをいじる。
滝波はTwitterアカウントを持っているためそちらの応対をしている。
リプを返したりフォローしている人達のタイムラインをスクロールして流し見したり。
もちろん同級生とのコミュニケーションは欠かさない。
小中は声優活動に集中するために学校こそ行っていたが放課後や休みの日に友達と遊ぶということが出来なかったので高校で出来た人間関係が滝波の唯一なのだ。だから連絡は欠かさない。
向こうも私が声優で忙しいということは分かっているので私が返信がなかったり遅くなったりしても大目に見てくれる。
これが普通の高校とかだったらいじめの原因になるとテレビで見たことがある。連絡しなかったぐらいでと私は思ったけど子供は集団で動くためそこから外れるものに対しては排除しようとする気持ちは理解できる。
調和が取れなくなるから。それでもいじめは絶対にあってはならないと思う。本当に…
『ガチャッ』
あっ、誰か帰ってきた。
「………」
帰ってきた人はただいまと言わない。
「………」
ママも『おかえり』とは言わない。
パパだったら絶対に『ただいま』って言うしママだって『おかえり』って言うはずだ。
ということは帰ってきた人物は1人しかいない。
その人は真っ直ぐ階段を登る。階段とトントンと登っていく。
滝波もひと通り部屋でやることは終わって着替えも済んだので自分の部屋を出る。
そして帰ってきた人物に話しかける。
「おかえり、ふゆ君」
「…ただいま。いつも言ってるけどふゆ君はやめろよ。俺もう中2なんだから。その呼び方月城にからかわれてるんだからな」
「あの金髪の子だよね。ずっと一人だったふゆ君に友達がいてお姉ちゃんは嬉しいよ」
「うるせぇ、早く下行けよ。良い匂いがしたからもう晩飯出来てんだろ」
「今日はステーキだってさ。映画が今週末に公開されるからお祝いにだって。というかふゆ君!帰ったらちゃんとただいまって言わなきゃダメでしょ!」
「……どうせ言ったところであの人達は返事しねーよ」
「そんなことないよ。大事な息子だよパパ達にとっても」
「へん、あの人達にとって子供はねぇちゃんだけだよ」
「そ、そんなこと…」
「もういいだろ、俺も着替えたら下りるから先に食べればいいよ」
そう言って帰ってきた男、神坂雪兎は2階に上がり自分の部屋に入っていった。
そう、滝波夏帆と神坂雪兎は兄弟である。
滝波夏帆、本名神坂雪華は弟の部屋をしばらく見つめた後諦めたようにリビングに下りていった。
しかし雪華は見逃さなかった。雪兎の顔が少し腫れていることに。
(また誰かと喧嘩をしたのかな…)
これは飛魚から殴られたものだが雪華はそんな事情があるとは知るはずがない。
あの後すぐに雪兎も降りてきたので晩御飯を食べることになった。
父親はまだ仕事から帰ってこない。
役職持ちは部下の監督もあるため早く帰れる時もあるが帰れないときは日を跨いで帰ってくることが多い。その代わり完全週休二日制など福利厚生の面では優れているため父親も転職などは考えていない。
「雪華、学校はどう?もう慣れた?」
母親の神坂雪奈が問いかける。
雪奈は日本人とフィンランド人とのハーフで母方がフィンランド人の家系だ。
父親が日本人だったため名前は最初から日本語の名前だった。ミドルネームはない。
金髪のロングヘアーでスタイルも流石は異国の血が入っているから抜群だ。今でこそそうなのだから20代の時はどれほどのものだったのかは計り知れない。
それなのに顔立ちは日本人だから酷くモテたようだ。外人の容姿なのに顔が日本人だからハーフという気負いがなかったのだろう。若い頃は激烈にアプローチを受けていたらしい。そんなモテ子を射止めた、というより最初から貫かれていたのだろう。雪奈と結婚したのは幼馴染だった雪兎達の父親、神坂虎樹だ
虎樹は襲いかかる(これは物理的ではなく恋のアプローチという意味)男どもから雪奈を守りきった男だ。
彼自身も雪奈の幼馴染でモテていたということで雪兎とは逆の意味で嫌がらせを受けていたがそれでも耐え続け外見で優れている雪奈の隣に立てる男になるために自分を磨いてきた過去がある。雪奈はそこに惚れたのだが馬鹿な男共はただ家が近いからだと勘違いして神坂家にまで嫌がらせをしたようだ。そんなことをしたら雪奈に嫌われるとも気付かずに…
そんな美貌を持ち合わせた雪奈の遺伝子を2人は色濃く受け継いでいる。
雪華は白みがかった水色の髪にパッチリとしたグレー色の目。口元のホクロがまた色っぽさを出している。
そして雪兎は雪華以上に遺伝されている。
真っ白な髪と肌。目は茶色がかった色で中性的な顔立ち。
姉の雪華から見てもドキッとしてしまうような顔立ちだ。だがそれも素行が全てを台無しにしてしまっているが…
姉弟の仲は良好とは言えないが険悪というわけでもない。
仲が良くないのは雪兎と雪奈、虎樹であり両親が雪華を溺愛するので雪華も両親側に着いているように見えるためか雪兎も雪華には拒むことはなくても積極的に絡むことはしない。
雪華は弟がこうなってしまったのは自分のせいだと気付いている。
声優の仕事が忙しくて弟が両親から放置されていることに気付けなかったから弟はグレたのだと思っている。
だから雪兎が初めて学校をサボって遠くに行った時も弟を庇い、両親の今までの行いを責めた。
弟がファッションで困っていた時と外に連れ出して洋服を見繕った。
雪兎と両親の仲は完全に直らないだろう。直るとすれば両親に『ふゆ君をこれ以上見捨てるなら声優なんか辞める。声優やってるからふゆ君がこうなったんだから、兄弟を苦しめてまでやりたくない!』と言えば両親は考えを改めるだろう。行動原理は私一辺倒なのは変わらないけど。
以前弟にそれを言ってみたらまさか反対されてしまった。
「今更あの人達と仲良く家族をするつもりはない。参観日だって運動会だって来ないような人達とは。お金を出してるのは親としての当然の義務だからだ。家族サービス的なのを今頃やられたって気分が悪い。あの人達はねぇちゃんしか見えてないんだから。ねぇちゃんは何もしなくていいよ」
「でも私のせいでふゆ君はっ!」
「そうだね。ねぇちゃんのせいなのは間違いないね。でもねぇちゃんが主導してやったわけじゃないんだし。俺が弱かっただけだよ。けどね、今は強くなった。力じゃなく心がね。学校だって両親だって黙らせた。中学に進学したらどうなるか分からないけどそこでも俺は俺でいるよ」
と言われ雪華は声優活動を続け、雪兎は中学でもサボり特権をもぎ取り、自由な生活を送っている。
「うん。周りはお金持ちとかだから馴染めるか不安だったけどみんな良い人達だよ」
「そう、良かったわ。ごめんね、学費の件。私達の収入じゃとても通わせられなかったわ」
「いいんだよ。自分のことは自分でできるようにならなきゃ。今のうちからお金を管理するのも大事でしょ?」
聖蓮学園はリッチ高なので入学金に始まり授業料も普通の高校の何倍も高い。それはカリキュラム故に仕方のないことだろう。普通科は一般の高校相当の学費である。
神坂家ではとてもじゃないが虎樹の給料だけでは聖蓮学園を通わせることは出来なかった。そこで雪華は自分で学費を払うことに決めた。
両親は子供なんだから親に任せないと言っていたがずっと専業だった母親が今から働き出してもストレスで逆に体調面が不安だしただでさえリズムの悪い生活を送っている父親にこれ以上の苦労はかけたくなかった。それでも雪奈は雪華の進学と同時にパートを始めた。
雪華が声優として稼いだお金は将来のためにとほぼ貯金されている。既に数千万ある。
子供だから散財して金に物を言わせないような性格になりそうなものだがそれは雪奈と虎樹の教育の賜物だろう。
なので雪華が自分のポケットマネーから出しても問題ないくらいにはお金があるので自分で学費を払うことにした。両親も納得した。
雪華と雪奈が談笑しながら食事するのに対して雪兎は黙々と食べていた。会話に入る気もなかったし雪奈が食事で雪兎に話しかけることもないので複数いる空間ながら雪兎は孤食をしていたのだ。なら別々に食べればいいと雪兎は考えているが両親はそこが最低限の親として出来ることと捉えているようだ。食事を別にしたらいよいよ差別していることが如実に出てしまうからだ。雪華はそんな状態をどうにかしたくて何度か食事中に雪兎に話しかけようと試みるのだが雪兎に目で制された。
雪兎は元々食事は喋らずに食べる方なのでこの空間は特に居心地が悪いわけではない。会話には交じらないが姉と両親の話は聞いてても不快にはならない。自分が最初からいないので聞く話聞く話が知らないことばかりで新鮮なのだ。
「ごちそうさま」
黙って食べていたので2人より早く食べ終わった雪兎は皿を片付けてそのまま自室へと帰って行った。
♢♢♢
雪華は悶々としていた。
家族仲の改善は心のどこかで諦めている。
今のままでも関係が成り立っている以上、無理に変えようとすればこの状態が崩れ去るかもしれないからだ。
けれど弟の貧しい状況はどうにかしたい。けどどうすればいいのかが分からず雪華はベッドで足をバタバタさせていた。
(ふゆ君は趣味ってものもないし、前にこっそり部屋の中を覗いた時は勉強関連のものとファッション雑誌がいくつかある程度だもんな。お小遣いは貰ってるはずなのに何に使ってるんだろう?)
雪兎は最低限のお小遣いは貰っている。
月に3000円。ただこれは両親の分であり雪兎には実は1万円が渡っている。ではこの7000円はどこから来ているのか?
雪華である。3000円では電車社会の東京ではどこにも行けないと思った雪華はこっそりお金を入れて雪兎に渡しているのだ。雪兎にお小遣いを渡すのは雪華の役目なので雪兎も両親もその事実には気づいていない。
(小学校の頃は休日によく出掛けてたけど中学校入ってからはその頻度も減ったしなぁ。お友達が出来たみたいだけど基本北千住で遠出もたまにしかしてないっぽいしなぁ)
中学に入って出かけなくなったのは名彫が寮の学校に進学したからである。
(じゃあ私の趣味を教える?私の趣味って…、アニメ?でも一緒に見てくれなさそうだなぁ。私が声を当ててるアニメとか見てくれてるのかなぁ?一応この番組に出てるってのは伝えるけど…)
雪華は雪兎は自分が出てないアニメは見てないと思っているがそれは違う。雪兎はパッチリ視聴している。姉が活躍しているのは弟からしてもちょっぴり嬉しいものであり応援もしているのだ。雪華が出る映画も月城と臼木の3人で見ようという予定も既に立っているほどである。
(他には…、私が声優ってことぐらいかな。でもふゆ君も声優になるとは思えないし……、そうだ!!!)
コンコンッ
雪兎はユーツーブで動画を見ていたのだが扉を叩く音で動画を一時停止する。
「はい」
そう言うとガチャっとドアが開き、雪華が部屋に入ってきた。
「あのね、ふゆ君。夏休みって暇?」
「夏休み?まぁ、部活もやってないし暇だけど」
何故1ヶ月も先のことを話すのかと雪兎は疑問に思う。
「じゃあさ、私が入ってる事務所に遊びに行ってみない?」
「事務所?事務所ってねえちゃんの入ってる『彩プロダクション』のこと?えっ、何で?」
「ふゆ君ってこれといった趣味ないでしょう?だから何か新しいものを見つけるきっかけになればって、別に声優を勧めてるわけじゃないよ。うちは声優部門以外にも色んな業種があるから。社会見学の一環としてもどうかな?」
「うーん…」
(正直見てみたいな。声優って具体的にどんなことをするのか知らないしな。両親は保護者だからプロダクションにも行く機会は多いけど俺は一回も連れて行ってもらったことがないからな。見聞を深めるという意味でもめっちゃ面白そう。『彩プロダクション』ってことはもしかしたらあの人に会えるかもしれないしな)
「分かった。どうせ夏休みは宿題するか遊ぶかだしな。そういう場所に行くのも悪くないな」
「本当に!やったぁ、じゃあ夏休み空けといてね。たぶん8月の序盤が事務所も忙しくないと思うから」
「分かった」
じゃあねーと言って雪華は自室へと戻っていった。
(やったー、ふゆ君からのOK貰っちゃった!)
さっきとは逆のテンションで足をバタバタさせる雪華。軽度のブラコンが入っているのはもう隠しきれてない。
雪兎を彩プロダクションに連れて行ってそこでお偉いさんに酷く気に入られてスカウトをされるのだがそれはまた先の話。
雪兎の姉が滝波夏帆だと知っている同級生は月城と臼木だけです
小学校時代は上手く情報封鎖していたのでバレることはありませんでした
中学も同様に隠していて月城達が知っているのは午前授業で昼から誰もいない神坂家で遊んでいたら雪華も早上がりで帰ってきて鉢合わせてしまったからです
その時のエピソードも需要があれば描きますよ
どうですかね?




