第34話 悪ガキ共②
「雪兎君、今日は学校に来たんだね」
「テストが近いからな。範囲を知らないと勉強もやるにやれんだろ?」
嘘である。この男は既に教科書の全てを予習していて範囲を知る知らないに限らず今この瞬間にテストに提示されても慌てることなく解けるぐらいには修めている。
「ねぇ、私数学で分からないことがあるんだけど昼休みの時間教えてくれないかな?」
「…俺みたいな白髪の不良に教わることなんてないぞ?」
「何言ってんの?学年1位さん?」
ここは幌谷中学校の1年生の教室。
学校から自由を認められている神坂だがテストが近くなると必ず学校に行く。各教科担任から範囲を聞くためだ。
教師達も神坂が学校に来る日に合わせて告知をする
最早職員室を牛耳っていると言われても不思議ではない。
「いや、割とガチで。どうせ俺は周りに好奇な目で見られているから君自身の評判にも関わるぞ」
本当は周りに白い目で見られるから…と言おうと思ったが『白いのは雪兎君でしょ』とか茶々を入れられる気がしたので『好奇』という言葉を選んだ。
「…………」
クラスメイトの女子、成瀬舞は黙りこくる。
「どうした?」
「雪兎君、君は優秀だけど案外周りが見えてないんだね」
「な、なんだよ急に」
成瀬は顎を神坂の後ろにクンと軽く向ける。どうやら後ろを見てみろというジェスチャーだ。
その通りに神坂が後ろを向くと…
『『『『(ジィーーーー)』』』』
何人もの女子にじっと見つめられていた。
神坂が後ろを振り向くと途端に目線を外して『私別に君のことなんて見てませんけどー』的な表情でやり過ごそうとする。ピューピューと惚ける口笛を吹いてる者もいる。
「あぁ、あの子達か、やっぱ近寄り難いのかね?」
「かもね、私は学級委員長だからってのもあるけど。普通に雪兎君は優しいもんね?」
「ちげーよバーカ。俺は選り好みなんてしてねーよ。委員長が委員長でなくても普通に話すさ。後ろの子達も同様にな。俺の見た目で勝手に俺を測ってんじゃねーよ!」
「っ…、そ、そう/// 。そうなんだー。ごめんね」
「いや、いい。俺がこんな見た目じゃなきゃいい話だしな」
「そういえば雪兎君ってどうして白く染めてるの?」
成瀬は神坂の頭部を指差す。
「これか?これ地毛だぞ」
「???……、地毛ーーー!!!」
エェーーーー、と、周りで聞き耳を立てていたクラスメイトも同様の反応を見せる。
「それって、アルビノっていうやつかな?」
「違う。俺クォーターなんだよ。母親方の祖母が北欧出身なんだ。だから遺伝で全体的に白くなってる」
「わ、私てっきり染めてるのかと思ってたー」
「まぁそう思うよな。昔からそれで教師からもグチグチ言われてたからな。学力で一番取って黙らせてたけどな。同級生からもいじめまがいのことも結構されてたな」
「だからそうなっちゃったの?」
「悪い方向に捉えるなよw 。小学校の時に思い切ってサボってみたら思いのほか気持ちよかったからそれからサボるようになっただけだぞ」
キーンコーンカーンコーン
チャイムの音が鳴る。授業開始2分前の予鈴だ。
ガラガラガラとドアが開き、教科担任の先生が教室に入る。
「おーし、もうすぐ始まるぞー。準備出来てるかー」
教室を見渡す教師は白い物体を見つける。
「おぉー神坂、今日は来たんだな。てことは全員出席だな。じゃあ授業の後半はテスト対策をするぞ。テスト範囲は少ないがその分応用が沢山出るから気を付けろよー。いいなー」
「「「はーーい」」」
生徒達が授業の準備を整えて席に着く。先生にしても神坂が学校に来るのが嬉しいらしい。
それでも入学当初は神坂は警戒されたものだ。
♢♢♢
「白髪の男子がウチに来る?」
職員室
生徒指導の先生がキレ気味に答える。
「はい、クォーターなので地毛らしいですが、黒ではない生徒がいると他の生徒への示しがつきませんが如何しますか?」
幌谷中学校は生徒の染髪を禁止している。
生まれつき髪が茶色の生徒などは証明書を学校に届けなければならない。
「しかし、黒に染めろということ自体が染髪禁止の校則に触れるからなぁ」
「そうなんですよねー。あと、その生徒についてあまり良くない話があるのですが…」
「まだ何かあるんですか?」
「どうやらその生徒は小学校の頃から学校をサボることが頻繁にあるらしくて」
「サボりか!小学校では指導は行われなかったのですか」
「小学校の教員の話では成績優秀なため怒るに怒れないと。あと行かない原因が白い髪による他の生徒からの嫌がらせもあるらしくて。彼を指導するなら彼に対してのいじめも露見するから何とも……」
なるほど、彼を指導すればいじめが露見して学校に非難が及ぶ。しかも彼は成績優秀だから叱るに叱れない。なら放置していた方が学校側にとっても彼にとってもwin-winなのか…
「嫌なもんですな全く」
「そうですね。何かしらの対策を施さないとですね」
「失礼しまーす。新入生の神坂です。根井先生はいらっしゃいますか」
「先生、先生を呼んでますよ」
「あぁ、そういえば新入生代表挨拶の打ち合わせをするんだったな」
生徒指導の根井は時計を見る。
14時から段取りと挨拶の内容の確認をする予定だ。現在13時55分。流石は代表に選ばれるほどの学生だ。5分前行動が体に染み付いているのだろう。
だがそんな感心は神坂を見た途端に崩れ去る。
「なっ!」
根井が思わず声を上げる。
声を上げてその場で固まる根井を見て女性教師の片平具も同様の反応をしてしまう。
まさに今話していた白髪の学生が目の前にいたからだ。
「根井先生ですか?」
根井達のところまで来た神坂が尋ねる。
「あ、あぁ、私が根井だ。君が新入生代表の神坂…でいいのか」
「はい、神坂雪兎です。今日はよろしくお願いします」
しっかりと頭を下げる神坂。
髪型にこそ問題はあれど礼儀はしっかりしているんだがな。イマイチサボりの常習犯と括れないな。
なんてことを思っていた根井だったがふと周りの雰囲気が変わっていたので職員室全体を見回す。
なるほど、どうやら神坂は相当警戒されているようだ。新入生代表が白髪男子とあっては外に顔向け出来ないとか学校のブランドイメージが悪くなるとか考えているのだろう。
だが新入生代表挨拶は毎年、6年生の最後に行われる東京都開催の実力テストで進学生徒成績1位を取った者が務めることになっている。見た目がアレだからと言ってルールを曲げるようなことは出来ない。それは差別と同義だ。
遠くから神坂を見ていた教師と目が合う。言わんとしていることは分かる。こちらから変えられないなら神坂に変わってもらうしかないということだろう。つまりは能動的な黒染めだ。
俺や片平先生が懸念したこと思っているのだろう。生徒指導の俺に投げる人任せだ。
だがルールを破っていいことにはならない。ルールに則った指導をする。
「よろしく、いきなりで悪いが君の話は君の小学校の先生達から聞いているよ。何でも学校をサボっているとか…、それはここに入った後も変わらないのかい?」
そう尋ねると神坂の雰囲気が少し変わった。模範的で綺麗な丸に棘が付いたような。
「それが何か?」
明らかに口調も変わった。警戒しているのだ。質問を質問で返してあくまで中学校側の考えを先に聞こうとしている。上手いやり方だ。とても数週間前までランドセルを背負っていたとは思えないしたたかさだ。
「髪色については特に言うつもりはない。それが地毛なのも分かっている。黒にすることはむしろ学校のイメージを悪くすることになる。だが学校を休むことについては言わせてもらおう。しっかりと学校に来い。小学校と中学校じゃ1回の授業の時間も変わるし覚える教科も量も分野も小学校の比ではない。今までのやり方で通用するとは思えないが」
髪色のことを言ったら少し目つきが和らいだ気がした。彼自身も白い髪のことは気にしていたのだろう。だが学校に来いと言ったらまた目つきが悪くなった。
「それはつまり成績がよければ休んでもいいってことですよね?」
「やれるものならな。というより君は学校に行かない時は何をしてるんだ?警察の面倒になったら学校側も君に処分を下さなくてはならない」
「別に、ただ街をブラブラしてる。電車で遠出も少々。けど警察のお世話になったことは一度もない。それについては小学校に問い合わせればいい。ってかあんたら聞いたんだろ?俺が行かなくなった理由。成績が云々言ってるがここでも俺が悪目立ちしてターゲットにされでもしたらどうするんだ。髪色はそのままでいいって言ったよな?どうなんすか?」
「それは….、ちゃんと君の髪のことも話して理解してもらうつもりだ」
「いーや無理だね。所詮はまだ子供だ。起きないわけがない。目に付く物はすぐにターゲットにされるよ。特に白髪okなんて特別待遇はな。嫉妬や妬みも貯まるだろうぜ」
根井は何も言えなかった。生徒指導という立場上学生間のイザコザに介入したことがあった。それこそいじめ問題もだ。その場合大抵被害に遭う生徒は暗かったり背が低かったり、女子に至っては目立つ容姿が被害に遭うこともあった。神坂の言う通りまず間違いなく神坂はいじめの標的にされるだろう。
「じゃあどうしろと。サボりを許容するほど中学を舐めるんじゃあないぞ!」
「なーに、簡単さ。俺の成績が優秀である限り、今までのスタンスでいることを許可しろ」
「な、許容しないと言ったはずだ」
「幌谷の生徒手帳を見たことがないから分からないが、3分の2以上の出席があれば問題ないはずだ。小学校がそうだった。3分の2以上は必ず学校に行くさ。成績も学年上位をキープする。警察とかの面倒事も起こさない。まだ足りないか?」
確かに決まりでは3分の2以上の出席は定められている。というより中学は義務教育だから例え学校に行ってなくても進級も卒業も出来る。ただそれを言うと学校に来ない生徒が増えるから校則としてルールを設けているのだ。だから神坂が学校に来ないことは悪いことだがダメなことではない。だが根井は生徒指導。はいそうですかと認める事は立場上できなかった。
「こ、子供が大人に偉そうにするな!何様のつもりだ。許可できるわけないだろう」
「じゃあどうするか言ってみてくださいよ。俺の案以外で最善の方法はあるんですか。そこのあなたも考えてくださいよ」
神坂は根井の隣にいた片平も巻き込む。
2人は何も言えない。これは教育者としては解決の見えない問題だ。文科省がいくら考えようともそれは頭の固いそこからしか見ていない官僚の考えであり現場の実情は見ていない。だから文科省の兆しの見えない解決策に教師は翻弄されるのだ。
結局2人は神坂が満足する解答を言えなかった。
その時の神坂の目は冷たかった。目は見るものなのに、何も見えていないような…
根井も諦める。だがただでは折れない。
「……テストや模試は必ず受けろ。始業式とかの行事も必ず出席しろ。教師陣にはそのまま説明する。どう思われるかは知らん。自分で信頼を得られるようにしろ。問題を起こした場合は即刻この取り決めは廃止にする。いいな!」
ここが落とし所だ。学力の面は放置するが学校の各イベントごとには出てもらう。最低限のラインを定めた。
「分かりました。ただし、巻き込まれに関しては不問にしてください。こちらから仕掛けたならいざ知らず、因縁つけられて対応した場合は正当防衛にしてください」
「いいだろう。あと、君は新一年生の顔だ。それを忘れないように」
「分かりました。それじゃあ失礼しま………、じゃなかった。元々新入生代表挨拶の推敲を頼みに来たんだ。お願いしていいですか?」
「あぁ、そうだったな。分かった、見せてくれ」
神坂から差し出された紙を受け取る。
そして修正点を伝え、神坂は職員室を去っていった。
「根井先生、どういうことですか!あんなの学校が認めちゃいけないでしょう!」
そう言うのは先程目があった教師だ。根井の特別措置のことが聞こえたようだ。
「そうですよ。あぁ…、他の保護者が黙ってないですよ。どうするんですか?他の生徒が真似したらどうするつもりですか?」
他の先生も同調する。
「彼はしっかりとルールに則っていました。出席日数も3分の2以上出席すると言っているようだし違反行為はしてないはずですが?成績に関しては実力テストで裏付けはされていますし、なんなら1学期の中間テストの結果を見てからでも遅くはないでしょう。彼を自由にすることの問題と、彼を縛っていじめが起きた時、どっちが大変かを天秤にかけたら一目瞭然でしょう?」
「だからそれは彼が黒染めを…」
「幌谷は染髪禁止なのをお忘れですか?生徒指導の名にかけて校則を破っての特別処置は認めません。真似と言いましたが果たして神坂と同じことが出来る者が新入生にいるとは思えませんが?」
「サボりを認めることで逆にいじめのターゲットになる可能性だってあります」
「それなら彼の通っていた小学校に聞いてみましょうか?片平先生。それについて何か言ってましたか」
「いえ、むしろ嫌がらせの類がなくなったと仰っていました。どう解決したのは分かりませんが神坂君自身で対処したようです」
ね?と目線を教師達に戻す根井。
歯ぎしりして何も言うことが出来ない教員達。
「もういいですか?入学式の準備があるんですが?」
そう言うと立ち上がり準備を始める。
教師達も何も言えなくなってしまい自分の席に戻っていった。
「いいんですかあんなこと言って」
周りには聞こえない声で片平が根井に尋ねる。
「いいんですよ。こう言っては何ですがこれは神坂自身の問題ですからね。まぁ生徒指導の私に対して堂々とした振る舞いを見れいればそれも杞憂でしょうな」
クスッと片平も笑い「そうですね」と同調する。
そして入学式の日が来た。
生徒達にも白髪の男子がいると2、3年の教室が特にザワザワしていた。
しかもその渦中の男が学年トップの学力を持っていて新入生代表挨拶をしたものだから神坂雪兎という名は全校に広まった。
皆が神坂に目を向けつつも白髪であることで不良というイメージも重なり神坂は陰で人気の男子というポジションに落ち着いた。
もっともこれは女子での評判である。男子の中には、特にワルの部類に入る者達は神坂を好ましく思っていなかったが勉学で神坂には勝つことなんてまず出来ず、しかもそれをひけらかさないと来たらもう何も出来なくなってしまった。
暴力という形で仕掛けた者もいたがどうやら神坂には勝てなかったらしい。
神坂と同じ小学校だった生徒が神坂の事情を説明したのも大きかったのだろう。
生徒間での問題は概ね沈静化した。教師達が心配するようなことは起こらなかった。
そして肝心の教師達だが、どうも中性的な顔立ちのせいで神坂はマスコットのようなキャラクターになってしまった。
最初こそ警戒はしていたが全日数の3分の1しか休まないので全く神坂を見ない日はなく、しかも課題もしっかりと提出してテストも優秀ときたら教師陣も何も言えなくなってしまった。
さらに周りからは白髪の不良を学年1位に押し上げたと誤解を招く噂が教育委員会の方でも届いており委員会の上層部からお褒めの言葉をいただいた(もちろん問題行為に対する釘刺しもあったが)。
こうして神坂は問題なく中学校に馴染むことが出来たのだった。
♢♢♢
キーンコーンカーンコーン
放課後のチャイム。
神坂は部活動には入っていない。誰も勧誘などはしなかった。とてもじゃないが白髪には声はかけられなかったようだ。
同じクラスの人は話してみると意外に良い人という認識はあるが接する機会が少ない他のクラスや学年は未だに神坂はやばい奴だという認識が抜けていない。
神坂自身も運動は面倒なので誘われないのはありがたかったが。
昼休みは学級委員長の成瀬と男女何人かに家庭教師、いや、学級教師をしており放課後は自分の勉強の時間だ。
家でも出来ないことはないが家はあまり居座りたくないのでなるべく外で勉強するようにしている。
学年1位といえど努力は怠れない。
むしろ1位というプレッシャーものしかかる。
自由に学生生活を送れているのは成績がいいからだ。それがない神坂はただの不真面目生徒だ。
故に神坂は努力を惜しまない。学校をサボるために。
ほーたーるのーひーかーり……
この曲が流れたということは最終下校時刻だ。
部活動に勤しむ学生達も帰路に着かなければならない。
それは自学をしている生徒も同様だ。
12月だから既に日も沈んで辺りは暗い。夏場は19時が最終下校時刻だが冬場は日没が早い関係で17時半で最終下校時刻となる。
生徒の安全を考えた上での設定だろう。
神坂も帰り支度を済ませる。校舎を出るまでに随分と多くの学生とすれ違った。同じクラスの生徒は気軽にじゃあねーと挨拶をしてくるがそれ以外は一旦目に留めるがすぐに視線を外して通り過ぎていく。
(まぁそんなもんだよな。特に俺もコミュニケーションを頑張ってるわけじゃねーし。こりゃ来年新一年生が入ってきたらまた変な注目をされるんかねぇ)
4月の入学当時は神坂は注目の的だった。
物珍しい容姿をしているのだ。仕方ない。同じクラスの連中が諜報とでも言うのだろうか、神坂のことを聞きに回っていた。
神坂も遠回しな行動に腹が立ち『知りたいことがあるなら直接聞きに来い。裏でコソコソしてんじゃねーぞ!』とクラスで叫んだことでそれは収まったが…
因縁も付けられたこともあった。神坂は容姿はモテる方だろう。すぐさま神坂を支持する層が現れた。と言っても水面下でのグループだが。
委員長と話していた時に神坂の話に聞き耳を立てていた連中がそのグループの一員だ。
それに嫉妬した男連中が神坂にシメる、と言うべきか、お灸をすえようとしてきた。
それも神坂の超能力でスカされてさらに成績が学年トップを取ったことでそれもなくなった。
しかし今でも裏では神坂に一杯食わせようと画策しようとしている連中がいることも知っている。
同じクラスにはいないようだが主に2年生の中でその動きは活発であり1年の他のクラスの男子も何人か影響されているらしい。神坂にしてみれば俺が何をしたってんだっていう状態だが思春期の馬鹿には何がトリガーになるか分かったもんじゃない。神坂にもそう思わせる要素がありそれを変える気がない以上避けられない宿命なわけだ。
暗く、しかし街灯なしでも歩けるほどの光量の中帰路に着く。家に帰りたくないと言っても所詮は子供、親を心配されてはならない。心配なんか全くしてないだろうが、それでもだ。
幌谷中学校から神坂の自宅までは歩いて30分ほどの距離にある。公立は付近にある中学校から学区内にあるところなら好きに選べるという選択制度があり神坂は徒歩5分にある樽床中学校ではなく少し離れた幌谷に進学した。理由は神坂にとっては思い出で、それかつ恥ずかしいものだ。
神坂が小学校5年生の時、初めて学校をサボった時。それまでは真面目な学生生活を送っていた神坂にはサボるという行為は革命であり心踊るものであった。しかしこれといった趣味も嗜好もない子供では学校というのは結局流れ着く場所でありそれから脱出してしまうとそこはもう未知の世界なのである。何がしたいでもなくただサボりたかった神坂にとっては学校に行かないという行為で神坂の願望は既に叶っておりそこから先のことは何も考えていなかった。だから神坂は家を出たはいいがどこに行けばいいのか分からなかった。
♢♢♢
3年前
神坂雪兎、小学5年生。
「とりあえずここまで来たけど〜、どこに行こう?」
神坂は人生初の試みに成功した喜びに浸りながらも冷静に状況を判断する力も持ち合わせていた。
神坂がいるのは北千住駅、足立区内でも有数の繁華街で百貨店を始め多数の路線も乗り入れている足立の最前線を走っている場所である。
神岐の住まいの最寄駅である梅島駅からは東武伊勢崎線で3駅進んだ先にあり神岐も何度か行ったことがあった。
しかし神岐の世界は足立区の内側だけでありそれより外側は未知なのである。
生まれてこのかた出たことがないわけではない。しかし出かける時は誰かが必ず付いており神坂自身もその人に頼りきっており自ら何かをしたことがなかった。故の鎖国である。
冷静とはいえ未開の地へ悠々と飛び出すほど神坂はアドベンチャー精神が豊富ではない。だからこそ北千住駅で足踏みをしているのである。
(ど、どうしよう。とりあえずリュックサックにお小遣いと家にあった食べ物を詰め込んできたけど行き先を決めてなかった。電車は乗れないことはないが切符の買い方が分からない。誰か買ってる人を見て真似たいけどみんな切符は買わずに直接改札に向かってピッてかざしている。学校の交通安全教室で言ってたっけ。確か交通ICっていうカードだったっけ?)
神坂は足立区生まれの足立区育ち、根っからの東京人であるのだが両親は姉の方に夢中になっており神坂のことは育てこそすれ愛情を向けられることはなかった。当の姉からは心配されていたが神坂自身からすれば張本人が無自覚というのがひどく滑稽だった。両親は決して神坂のことを大切に思っていないわけではないが姉の方が出来すぎているのでそちらにかまけてしまった結果である。姉と比較されることもなく姉ばかりが甘やかされる。姉が何も知らないことは分かっていたがそれでも神坂は自分の家族の全てが嫌だった。
だからなのか神坂は親が教えて当然という社会のベーシックなことを教えてもらえなかったせいで世間に疎いところが多かった。
箸の持ち方が微妙に違っていたり、小学校入学当初は『知らない人について行っちゃいけない』という当たり前のことさえも知らずあわや誘拐事件になりかけたこともある。そんな世間知らずの白髪の少年などいじめの対象にならないわけがない。神坂はいじめのターゲットになった。しかしそれは暴力などではなかった。神坂は成績が優秀で教師からの信頼も厚かった。神坂の体に殴り傷でも付けようものなら職員が、PTAが黙っていなかった。さらに2つ上に姉が同じ学校に通っていたのでそれが牽制力となっていじめは水面下の小さい波紋程度の、神坂自身もちょっかいをかけられるぐらいの感覚だった。
だが5年生になり姉が小学校を卒業し私立中学へと進学すると神坂を覆っていた壁が取り払われたことで守ってくれる人がいなくなった神坂は忽ち過激ないじめを受けるようになった。
教科書を隠される。自分の所持品がゴミ箱に入れられる。5年生にもなれば教養も備わってはいるがやはり親からのしつけで教わることは未だあやふやな状態だった。学校で教わるような当たり前のことが以前出来ていなかった。
エスカレートしていくいじめ、最初は苦悩したり先生にも相談したりしたが気のせいだろうと気に留める者はいなかった。教師達は学年が低いから助けたのであって高学年にもなればそんなことでいじめをする者がいるわけがないと思っており思い過ごしだと取り合うことはなかった。
ただでさえ家族になど頼れない神坂には完全に孤独になってしまった。
それが神坂のサボりを生んだ遠因でもある。
親に相談出来れば学校側に解決を求めたり、学校で辛い思いをさせてる分家では神坂の望むようにするなどの可能性はあったはずだ。しかし神坂にはそれもなかった。
駅での移動が叶わなかった神坂は仕方ないので歩いて移動することにした。
(あっちからここに来たからそのまま真っ直ぐ進んでいけばとりあえず行ったことのない場所に行けるだろう。よし!)
最寄りは梅島駅だが北千住駅までは歩いてきていた。千住新橋を渡って北千住まで来たのだ。そのまま南へ進んでいけば十分に家出になるだろう
小学校の地理の時間で地元、ひいては東京都についてはある程度学習しているので北千住を南に進めば足立区の外に出れることは知っていた。
そうして神坂は南へと足を運ぶのだった。
回想でさらに回想に入るというごちゃごちゃした展開にはなってますが大丈夫です
次回はちゃんと月城と神坂のシーンも載せますから




