第15話 魔法のピッチング
先日行われた合コンから数日明けて土曜日。
神岐はとある野球場に来ていた。
「…悪いな。いきなり機材の運搬を手伝ってもらって」
神岐はバンの運転手に声を掛けた。
「今更だな。土日は空いてるから平気だ。にしても外撮影なんて久しぶりだな。義晴最近ゲーム実況ばっかだったじゃん」
「思いついた企画が屋外でしか出来ない内容だからな」
運転手の名前は竹満宗麻。
神岐とは小学校からの付き合いの幼馴染である。
comcomが神岐であることを知っている唯一の人物であり、comcomの活動を裏から支えている大事な親友である。
神岐と違って大学進学せずに実家の仕事を手伝っているが、屋外や遠出が必要な撮影には運転手兼カメラマン兼荷物持ちとして同行している。
真面目な性格で神岐がお金を渡そうとしても必要最低限しか受け取らなかった。
動画で収益が得られるようになって、折半を申し入れた時にも一銭もいらないと言った。
大学生になって車の運転をお願いするようになってからようやく折れてお金を受け取るようになったが、東京都の(最低賃金×労働時間)+ガソリン代などの必要最低限しか受け取ろうとしない。
「にしてもよくこんな場所を借りられたな。最近じゃ迷惑系のせいで撮影とか場所借りとか禁止してるところも多いってのに」
整備の行き届いた野球場。プロで使われるものではないが、少年野球や社会人野球などで頻繁に使われているらしい。
「普通にちゃんとアポ取って身分を明かして企画の内容を伝えただけだ。手続き踏んで進めたら快く了承してくれたよ」
「昔からそこら辺丁寧にやるよな。ところで今日は何するんだよ?俺らしかいないぞ?野球の検証っていうくらいだからピッチングマシーンあるかと思ったのにそれもないし」
「企画は後だ。お前も初見感あった方がいいだろ。それよりバンの荷物全部運ぶぞ。俺は着替えも必要だし時間区切って借りてるからちゃっちゃと終わらせるぞ」
駐車場からグラウンドまでは少し距離がある。
時間が限られているのでテキパキと準備しなくてはならない。
竹満がバンのリアゲートを開けてカメラを取り出した。
神岐は横のスライドドアを開けて足元の窪みに入れておいたカメラ用三脚を取り出した。
この野球場は、神岐が見つけたわけではない。
借りる上で交渉をしたのは神岐で間違いないが、そこに至るまでには神岐や竹満以外の人物の助力があったのだ———
♢♢♢
comcomについてインターネットで調べると、とある噂に行き着く。
『comcomチャンネルには、本人公認の親衛隊がいる』
comcomの活動を裏で支える人達。一般人からその道の上級職に至るまで身分職種が多岐に渡ると…。
かつてcomcomの配信中にリスナーが「親衛隊は本当に存在するのか?」とコメントで問いただしたことがあるが、comcomは「そんな人達はいない」と断言した。
今まで噂レベルだったのがcomcomがはっきり言ったことにより、めっきりその話題が挙がることは一切なくなった。
問いただしたアカウントは配信の翌日にはアカウントが削除されており、誰もその件に触れなくなった。
comcomを知ってから浅いリスナーや、そもそもcomcomの動画は見ておらずその噂話だけは知っている層からは、『親衛隊に触れると親衛隊に消される』という話にまで飛躍しており、触れてはならない話題としてcomcomチャンネルの一つのスパイスとなっていた。
そんな謎に包まれた親衛隊なるもの。本当に存在しているのか?
はたまた点と点を強引に結びつけたこじつけが一人歩きして一種の都市伝説へと発展してしまったのか?
結論は———
〜〜〜
『今度野球の動画を撮りたいんだが、誰か良い場所を知らないか?可能なら都心部が良い』
とあるグループラインにメッセージが送られる。
『一般開放されてるグラウンドならこことかどうですか? https://〜〜〜』
『悪くないけど、動画で使うにはちょっと殺風景すぎるな』
『じゃあこことかどうですか? http://〜〜〜』
『わ、る、く、ないけど小田原か〜。運転手の負担がデカいな。他候補がなかったらそこにしようかな』
『あの〜comcomさん。僕の親族でグラウンドを運営してる人がいるんですけど…』
『場所とかグラウンドの情報は分かるか?』
『場所は町田です。写真は僕が前に行った時のものがあります。前にユーツーバーに貸したことがあるって言ってました』
写真が二点添付される。
写真を見ても、小田原のグラウンドよりは環境が整っているように見えた。
竹満の家からの移動時間を考えると、町田なら許容範囲のはずだ。
『町田なら遠くないから何とかなりそう。ここで撮影するよ。ありがとう千種』
『comcomさんのお役に立てるのなら何だってします。伯父さんには僕から話を通しておきますね』
『それは嬉しいが、礼儀として俺が直接交渉するよ。連絡先だけ教えてくれれば良い。以前貸したんなら申請フォームみたいなのがあるんだろう?』
『分かりました。URLとか確認して連携します』
『みんな探してくれてありがとう。今回の動画はおそらく"人助けシリーズ"とは比較にならないものになる。楽しみに待っててくれ』
『『『『『分かりました』』』』』
〜〜〜
———結論は、親衛隊は存在する。それも神岐とズブズブの関係だ。
彼らは神岐がcomcomとして活動を始めた初期の頃からのリスナー……ある種の共演者だ。
今のcomcomのブランドは彼らなしでは語れない。
親衛隊の数は20人程度の少数だ。しかし、内訳は学生、会社員、警察官、任侠者、資産家などバラバラである。
その全てが、comcomの活動初期に神岐に救われた者達だ。
故に彼らはcomcomを慕い、comcomのためなら如何なる協力も惜しまない。
神岐もcomcomとしての知名を上げてくれた彼らとの繋がりを大事にしている。
そんな親衛隊の中学生、千種の助力もあり無事に球場を借りることができたのだった。
♢♢♢
竹満がカメラのセッティングをしている間に、神岐は動きやすいジャージに着替えていた。
(ふぅ…梅雨だから雨を心配してたけど、恐ろしいほど晴れてるな)
合コンがあった日と同じく快晴である。
6月はずっと雨が降っていない。関東だけ全く降らないという異常気象により水不足の恐れがあるとニュースで報道されていた。
雨が降らないまま梅雨明けとなれば、いよいよ深刻な社会問題となってくるだろう。
「義晴、準備終わったぞ」
カメラのセットを終えた竹満が更衣室で着替え終わったばかりの神岐に声をかけた。
「あぁ、すぐ行く」
「マスクとサングラス忘れんなよ。昔着け忘れて動画1本お蔵入りにしたんだからな」
「分かってるよ。宗麻だって途中まで気付いてなかったじゃんか」
今となっては編集によって顔を隠して動画を作るのなんてわけないが、当時の無料のPC備え付けの編集ソフトでは顔をフレーム単位で隠し続けて動画を制作するのはとてつもない労力を必要とした。
当時高校生だった彼らにその根気に打ち勝てる気力はなかったため、やむなくお蔵入りにしたという裏事情があったりする。
更衣を済ませた神岐は更衣室を出てグラウンドに入った。そしてカメラが向いている先、最初の定位置に立って撮影開始を待つ。
神岐がポジションに着いたところで竹満は神岐を映す画角やピントを調整する。
三脚で設置した定点のカメラと、竹満の右手に固定されてあるビデオカメラの複数台体制なので調整には時間を要したが、全ての準備が整った。
「じゃあ行くぞ〜。3、2、1……」
〜〜〜
「………っはいどうもっ!comcomです。どうぞゆっくりしてってください。今回は久々の実写になりまーす。見てくださいこちら!」
神岐が広げた腕の先を映す竹満。
「こちら町田市にある野球場に来ております」
カメラを神岐の元へ戻す。その間神岐は無言だ。
竹満も編集でカットされる部分であることを分かっているので急いでカメラを戻そうとはしない。
神岐がどういう構成や編集をするのかはもう体が理解している。
「試合するのかな?って思うかもしれませんが、残念ながら友達がいないのでここには私と親友の2人しかいません」
「では何をするのか?今回は視聴者の皆さんにとあるレクチャーをしたいと思います」
竹満はやや左のアングルから撮影をしている。右側が見えなくなっている僅かな隙間時間でジャージのポケットに入れていた何かを取り出し、竹満の方に向き合いながら背中に隠す。
「使うのはーーーこちら!」
神岐が背中に回していた右腕をカメラに見せつける。
「今回使うのは普通の野球ボール。これを使って速球を投げるためのコツを教えたいと思います。野球未経験者のアドバイスですが、効果は折り紙付きですよー」
「……そのレベルなら公園で良かったんじゃないか?」
編集点として一度撮影を止めた2人。竹満としては野球場を使うほどの内容には感じなかった。
「見た目のインパクトだよ。設備が整ってる方が絵になる」
「生活余裕ないだろうによくやるよ……。さっき自分で言ってたけど、野球経験なんてないよな?」
「お前と一緒だ。学校の体育程度」
「…素人の発言なんて格好の餌食だぞ。上手く行っても絶対に賛否分かれる」
「それを弾き飛ばすもんになる予定だ。…まぁ、何とかなるよ」
竹満の懸念は当然あるが、それを見越してもやらなくてはならない。
むしろ賛否分かれるくらいになって貰わないと目的に繋がらないのだ———
「では早速、速球のレクチャーをしたいと思いますが、比較のためにまずは普通に投げてみたいと思います。キャッチャーはいないので壁当てになりますが、ホームベースのところにスピードメーターを置いているので測定は出来ます」
神岐がピッチャーマウンドに立ち、ホームベースの先を見据える。
カメラだったりスピードメーターだったりとノイズになるものが多いが、コントロールするために集中……研ぎ澄ましていく。自然とボールを握る力が強くなる。
「……いきます」
いつものcomcomのテンションではなく神岐義晴のガチだ。
両手を上げ、ワインドアップ投法に入る。
野球経験はないが、最低限ストライクゾーンに入るように練習は積んで来た。
モーションから練習したのだろう。動きにぎこちなさがない。
バンッ
神岐と竹満しかいないし2人とも顔出しをしていない。壁当てして転がるボールを映すという何とも映えのないシーンだがこればかりは仕方がない。
ホームベースを超えて、プロ野球では広告が載っている場所にある壁に衝突してボールは勢いを大幅に落として転がった。
コロコロとホームベースを少し超えたところで止まった。
竹満はボールの死に様を捉えていた。いくつも定点カメラがあるため竹満はこうした緩急つきそうな撮影も担っている。大人になって勢いだけの動画ではなくこうした静を盛り込むようになっていた。
止まったところですぐに神岐の方に向き直る。
向き直ったのと同時に神岐が口を開いた。
「それでは何キロだったか見てみましょう」
神岐はマウンドを降りてスピードメーターのところへ小走りで向かう。竹満もカメラを持って走る。
「えぇ……と球速は……130キロ!」
カメラに映るようにスピードメーターを見せる神岐。
「俺の歳の平均が分からんから妥当な速さなのか分からないなぁ。………編集で載ってると思うので参考までに」
未来の編集している自分へメッセージを届ける。当然そのメッセージは編集で削除する。
「……早い方だと思うか?」
「…分からん」
敬語で話しかける時は撮影モード。いつものタメな話し方は編集でカットする前提の裏の会話のため、竹満は口を開いた。竹満は裏方に徹し、2人必要とする撮影でカメラに映ることはあっても声や手すら隠すという徹底ぶりだ。
ちなみに、130キロは高校球児の投手の球速だ。普段運動していない神岐にしては出ている方だろう。
…というか、軽く準備運動しただけの神岐が出せている時点でおかしいのだが……。
「俺はやり方知ってるから比較が難しいと思います。なので今回はカメラマンにも協力してもらいましょう」
「!?」
突然自分に振られた竹満は首をブンブン横に振って全力でノーを出す。
危ないモンに手を出したくないからだ。一緒にゲームするのとは訳が違う。
「大丈夫、投げても死にはしないよ。検証のためだ」
(えぇ………内容伏せてたのはこのためか)
やりたくないが、動画の流れ的にやらないといけないのだろう。それに、義晴が危険なことをやらせるようなことをしないのは親友である自分が分かっている。
危険なことは昔やってた"人助けシリーズ"くらいだ。あれは高校生で善悪の判別が緩かったから出来たが、真っ当に働き出した今はとてもじゃないが出来ない。
竹満は渋々だが了承し、カメラを神岐に渡す。
元々裏方で作業しやすいように動きやすい格好をしていたのだが、奇しくもそれが着替えを必要としなかった。
(…久しぶりに野球ボールなんて握ったな)
学生時代の体育では、外野をやっていたのでボールに触る時間は極端に少なかった。
少し昔を懐かしみながら、マウンドに上がる。
足元がこんもりしていて平面ではないのが少し不安だ。ズルッと足を滑らせるなんてことは起こり得ないのだが、スポーツをしていないとその当たり前すら分からないのだ。
今はおそらく動画で使わないだろう。無茶振りをしておいていきなり投げさせるなんてことはしないはずだ。
比較するにも多少コンディションは上げておいた方がいい。そう思い、竹満は腕をグルグルさせてストレッチし、投球フォームを再現して投げ方を試す。
ワインドアップは不安定なので、塁に人がいるピッチャーのような、コンパクトな投げ方が収まりよく投げられると判断した。
神岐は少し離れている。合図として右腕を大きく挙げた。
「準備が整ったようなので、投げてもらいます。それではお願いします!」
(…ふぅ、編集でほぼ消えるとはいえ、撮られるってのは慣れないな)
普段撮る側の人間からしたら撮られるというのは妙にムズムズする。これが全世界に発信されるのだから、平気な方がおかしいくらいだ。
投球モーションに入る。
竹満も高校を卒業してからろくに運動していない。
大学には行っておらず、実家の工場の仕事でしか体を動かさない。
工場も十分肉体労働にはなるが、神岐は運動神経が良い。基礎スペックで竹満は神岐に劣っていた。
バンッ
「速度は……115キロ!……平均が分からんからコメントがむずい!俺より低いならむしろ検証にはちょうど良いかもですね」
15キロ差、勝負したわけではないが、この差にはちょっとばかりガックシ来るものがある。
「気を落とすなって。今から速度上がるようにレクチャーしますからね」
(ホントに上がるんだろうな?)
「そんじゃ、行ってみまーーしょう!」
♢♢♢
シーンチェンジ
竹満も実践する必要があるため、定点カメラに向かって喋るように場所と倍率を整える2人。
「…後で怪しげなサプリ紹介しないよな?」
「ゲーム案件以外はしねーって。そんだけ疑り深い方が跳ねそうで楽しみだ」
「…………」
「それじゃあザザッと説明しますねー。まずは———」
基本的に球威を上げるなら腕の回し方や回転軸に注意するといいらしい。
だがそれでも一朝一夕で結果が出るものではない。
神岐が説明している内容も腕の回し方や力任せに腕を振るわないなどのネットで調べれば簡単に出てくるような、言ってしまえば浅い知識だ。
浅いといえど意識して改善していけば球速は上がるだろう。
しかし、神岐の目的はその浅い知識をcomcomというブランドで肉付けすることではない。
本当の目的は、何気ないこの説明の中に能力の発動条件を満たすことである。
〜〜〜
超能力には能力ごとに発動条件がある。
神原奈津緒の『自己暗示』は頭で念じて自分に都合の悪い暗示をかける。
鬼束市丸の『色鬼』は物体に触れてその物体が過半数を占めている色を宣言する。この宣言は、口に出さずとも頭の中で思うだけで良い。
基本的には念じる、『能力発動』を頭で思うことで発動するのだ。
中には白衣の男のように『本人の意思に関係なく発動するもの』や『オンオフが効かず常時発動しているもの』もある。
また、環境や状況を満たさないと発動できないものもある。
超能力は、発動条件を満たして初めて発動する。言い換えれば、発動条件を見つけられなければその能力者はただの一般人と同じということである。
超能力は、頭に特殊な電気を流し込まなければ発現しない。
現状これ以外の方法で超能力を得る手段はない。
話を戻そう。
神岐義晴の超能力の発動条件は、『彼の姿を見ている状態で彼の声を聞くこと』である。
神岐義晴の能力は、発動条件を満たした相手の認識を操作する。
リンゴをバナナだと見せたり、ピーマンが嫌いな人をピーマン大好き人間にしたり出来る。
可愛い説明だが、この能力は凶悪な性能を誇る。
神岐がこの能力を自覚したのは5年前。5年間自分の能力に気付かなかった。自分が超能力者であることに気付かなかった。
認識を変えようと思わなければ効果は出ない。かなりラッキーで5年間気付かずに生活できていた。
これをラッキーだったで片付けてはいけない。
神岐の能力の肝は発動の手軽さだろう。
色々とルールはあるが、体を見せながら声を聞かせる。これだけで簡単に相手を嵌められるのだ。
そしてこの条件、動画と非常に相性が良い。
動画なら声は普通に入るし、体もマスクサングラスで顔を隠していても"体を見せること"なので能力は発動できる。
ゲーム実況においても右下にワイプを入れておけばそれで十分なのである。
神岐は説明の中で能力を発動させた。
それは、『投球時に限り体のリミッターを外す』である。
長距離ランナーはずっと全力で走り続けることは出来ない。
最初から全速力を出せばすぐに体力切れとなり走り続けられなくなる。
それは体が「もう走れない」と危険信号を出しているからだ。
ではその危険信号が出なければ?
単純に考えれば速度を落とすことなく永遠に全力を出せるだろう。
しかし、危険信号は出なくても体に疲労は蓄積される。身体能力以上の活動をしたら、体にどんな悪影響が出るか分かったものではない。
肉離れ、疲労骨折、過呼吸、脱水症状。様々な症状を引き起こすだろう。
伊勢物語の中に『あづさ弓』という話がある。
貴族の娘が男を追いかけて全力疾走するが、人生で一度も走ったことのない娘は、走ってしまったせいで死んでしまうという話だ。
走ったことないのに全力を出す。無理をしたせいで体にガタが来てしまった。
限界を超えた娘。
神岐は能力によって『あづさ弓』の娘のようにリミッターを外そうとしている。
ボールを投げる瞬間という限りなく短い時間に作用するため、体への負担は最小限に抑えられる。
しかし、抑えられるといっても何十球も投げ続けたら体は簡単に限界を迎える。
だが神岐は限界を説明するつもりはない。試す者が出て被害が出れば、自然と上限数の認識は浸透していくだろう。
インターネットが盛んでない時代に謎の場所に行けるバグが全員の共通認識となったように、今の時代ならもっと簡単に伝播する。
そして、神岐のこの能力には決定的な欠点がある———
〜〜〜
———そうして認識操作…催眠を織り交ぜたレクチャーを終えたcomcomこと神岐。
「はい、今言ったことを意識して投げてみましょう」
レクチャーした内容を意識する。またも集中し研ぎ澄ましていく。
今回はコントロールする必要がない。
バンッ
「球速は………140キロ!」
スピードメーターは142を示していた。約10キロの速度アップだ。
「ねっ?こんな感じで球速が上がります。俺はやり方を知ってるから嘘っぽく見えるけど、野球未経験者が140出せる時点で普通でないことは理解されていることでしょう」
130が速いかは分からないが、速いと言われる150キロ台に片足突っ込み出した速度だ。一般人が出してこれを遅いと言う者はいないだろう。
———この能力の欠点、それは神岐自身に催眠が効かないことである。
神原奈津緒の『自己暗示』は自身にしか作用しないが、その逆である。
だが、神岐の球速は10キロも向上している。
自分に掛からないのなら速度は上がらないはずだ。
…理由は簡単だ。
最初の投球は手を抜いていたのである。
第一投でコントロールしていたのはストライクゾーンに入れることではなく、全力を出さずなおかつ動画の構成上遅すぎないように力加減を調整していたのだ。
つまり、神岐義晴は素の力で140キロの球を投げたのである。
練習を積んだとしても運動をしない人間がこれだけの力を出せるわけがない。
これには超能力者特有のモノがあるのだが、その事実を誰も知らない。ドクターさえも…。
最初にそれに気付いたのは神原奈津緒なのであるが、それはまだ先の話である———
「じゃあ次はカメラマンに投げてもらいましょうー」
ほらっ、とカメラを渡すように促す。竹満は神岐の説明を聞いていただけで実際に投球練習をしていない。
(いや、せめて練習されてくれよ…)
だがこうするということは、練習をさせるつもりはないのだろう。
さっきのだって全力で投げたつもりだ。レクチャーを意識したとしても2,3キロ速くなれば御の字というところだ。
(微妙な空気で終わらせて「個人差があるので皆さん試してみてね」って締めにするつもりか?義晴は適当なオチにしないと思うけど…)
投げるしかないのならそうする。
竹満はカメラを神岐に渡して、代わりにボールを受け取った。
再びマウンドに上がってホームベースを見据える。
「それでは投げてください」
神岐の言葉で竹満も構える。
(…なんら変わりはない。義晴はカメラを持ったままで俺の投球に細工をしてくる様子もない。…とりあえず全力で投げるか…)
神岐の説明通り、指、手首、腕の振り方、肩全てを意識しながら全力投球を行なった———
竹満はあくまで裏方。サポートこそすれどカメラにメインで映ったり声を出したりすることはない。
動画の構成上カメラに映ってしまうことはあっても編集などで徹底的に伏せてきた。
メインはcomcom。我は出さない。
そう徹底してきた竹満だったが———
「嘘……だろ…!」
徹底してきたのに、抑えられなかった。
思わず声に出してしまうくらいの異常が起こっていたからだ。
リリースした瞬間にも違和感を覚えたが、決定的なのは投げた球が壁に当たった時だ。
当たった時の音が明らかに最初のそれと乖離していたからだ。
「…これは…ヤバちゃンコスだね〜」
初実験だったが想像以上の結果を生み出した。カメラに映らないと分かっているせいか、ニヤニヤを抑えられない。
「皆さん分かりましたか?音がさっきまでとは段違いです。これは俺の142よりも出てるんじゃないかなー?確認しましょう」
カメラを持った神岐がスピードメーターまで向かう。竹満も気になるのか心なしか歩みが早い。
「……えぇ球速は……145キロ!俺超えだー!」
能力が効かない神岐と違い、竹満は能力によってリミッターが外されている。
神岐より速くなるのは当たり前の話だ。というか速くなってもらわなければ動画が成立しないところだった。
最初の球が115キロだったので神岐の能力によって30キロ速くなったということになる。
「というわけで皆さんどうだったでしょうか?ヤラセだと思う方もいるかもしれませんが、それは実際に試してみてからコメントしてください」
(そんな奴はいないだろうな…。これは本物だ)
実際に30キロ速くなった竹満としてはあり得ない話だ。
試せば分かる。リリースした瞬間から速い球が出るのを直感した。腕全体が速い球を投げるのに特化したかのような感覚だった。
ピクピクと腕の筋肉が微細に動いている。まさしく全身全霊で投げたのだ。
「ただし、これはあくまで方法論になります。自分の体に無理をさせないようにしてください。何か問題があっても私は責任を負いません自己責任です。そこはご了承ください。それでは皆さん、さよならバイバイ」
ピッ
竹満が録画ボタンを押して撮影を止めた。
「どや?凄いだろう?」
「いや…凄いというか、そんなもんじゃないぞこれ…」
「この動画は絶対に伸びるぞ」
「そりゃ伸びるだろプラス30キロ出せるレクチャー動画なんて……。いや、これむしろヤバいんじゃないのか?これが公開されてみんなが試してみたら野球の……いや、投げる球技全般の常識が塗り替えられるぞ!」
投げる球技…ハンドボールやドッジボール、水球にも転用できる技術だ。
体感したからこそ分かる。これは社会問題になる。
竹満は焦りを感じていた。
神岐も当然その問題については理解している。
しかし、たとえこの動画を公開することで球技の世界が変わってしまったとしても、自分にとっては残り2人の超能力者を探し出すことの方が重要なのである。
むしろこれくらいのインパクトがないと届かない。
もしも2人がこの動画に行き着いて、異常な速度上昇を目の当たりにしたら、必ず超能力を疑うに決まっている。超能力者だからこそ超能力に気付けるのだ。
(白衣の奴にも届いちまうかもしれないけどな)
リスクは承知だが、そのリスクを受け入れてなおやる価値がこの動画にはある。
comcomが超能力者だと気付いたのなら必ずアクションを起こしてくる。
普段からcomcomの正体を探れない催眠を全ての動画に仕込んでいるが、この動画にだけは"非能力者は探れない"というように少し条件を変えている。
能力の自覚がなければ意味のない条件付けだが、流石に10年も気付かない奴はいないだろう。
自分は5年気付かなかったのに随分と相手を過大評価している神岐であった。
「そうなったらその時考えよう。別にドーピングしてるわけじゃないんだ。内容も早く投げることだけだし自己責任と言ってある。訴えられることはないだろ」
「そうか…そうなのか?まあ、球が遅くて悩んでいる人には良い教育動画になるのかぁ?」
「ほら、まずは片付けだ。グラウンドの現状維持もしないといけないんだ。パッパと終わらせよう」
「あっ、あぁそうだな。貸してくれた千種さんにちゃんとお礼を言わないとな」
そうして機材の片付け。三脚を立てたことによって窪みができたグラウンドの整備、球場を貸してくれた千種の伯父へ感謝をして、2人は球場を後にした。
♢♢♢
「よーし、これで全部か?」
「オッケーありがとう」
ここは東京にある神岐の自宅マンションだ。
撮影機材を全て神岐の部屋に運び終わったところだ。
神岐の部屋は10階にあるため、エレベーターの待ち時間も相まって運搬にいつも時間がかかってしまう。
「はい、今日の分」
神岐は茶封筒を竹満に渡す。
中には東京都の最低賃金から算出した労働時間分のお金と、移動距離から算出したガソリン代が入っていた。
メモ用紙も入っていて、お金の内訳が丁寧に書かれていた。
「…別に最低賃金分もいらないんだけどな」
「時間を拘束してるんだから貰ってもらわんと俺の心象が良くない。車関連だってお前任せだからな」
「好きでやってるだけだから良いんだけどな…」
「親しき中にも礼儀ありだ。ここを雑にすると俺はとことん雑になるからな」
「…まぁ確かに昔から義晴は考えなしなところあるしな…分からんでもない」
だから丁寧にやろうとする節がある。
「そういうこと。……もうすぐ夜か…。宗麻、夕飯食うか?」
「…いいのか?義晴万年金欠だろ?」
「疲れてるだろ。飯食ってから帰った方がいい」
「あー確かに、全力投球したせいか体が怠い気がするなー」
「じゃあ決まりだな。簡単に作るからソファに座って待っててくれ。好きにテレビ見てていいぞ」
そう言ってキッチンへ向かう神岐。
料理は一人暮らしを2年以上続けたおかげかそこそこ出来るようになった。
(宗麻も疲れてるだろうし……肉だな)
神岐は冷蔵庫から豚肉を取り出した。
醤油と生姜も調味料スペースは取り出す。
どうやら生姜焼きを作るようだ。
タレ作りと並行して炊飯器でご飯を炊く。
主食と主菜は決定。付け合わせは市販のミックスサラダでいいとして、汁物が欲しい。
冷蔵庫を確認すると、丁度舞茸が目に入った。
汁物は舞茸の味噌汁に決まった。
(…投稿するのが楽しみだなー)
そこそこ面倒くさい編集という作業が残っているが、未来に想像を膨らませながら調理を進める神岐なのであった———
神岐義晴
能力名:不明
能力詳細:相手の認識を操作する能力
自身の姿を見せた状態で声を聞かせることで自由に催眠をかけることができる
竹満宗麻
能力なし
神原編でも話題に上がってた野球動画の制作話です
現に神原はcomcomが超能力者なのではないかと疑っているので、神岐の目論見は大成功になります




