第115話 八重洲エンティホテル②
八重洲エンティホテル17階
流石は好立地にあるホテル。
廊下一つとて格式が高い。
日本人は金持ちが泊まり、外国人は金持ちでなくても泊まる。
(旅行って小都民の俺には理解できないんだよな〜。金払って出掛けて金払って飯食って金払って寝る。外に出ないのが1番だろうに。飯と移動はいいが金払って眠るってのがなー)
17階の非常階段とエレベーターの中間にいるこの男は江津町、戸瀬不動産の丸の内営業所に勤務しているサラリーマンだ。
支店長から突然の要請。どうやら社長の娘である奏音とその友人の平原暁美に危機が迫っているため会社全体でバックアップをすることになったようだ。
不動産会社と大地主。
紐付いているようで一度破綻してしまえば水と油になってしまう関係性だが、戸瀬不動産と平原家は関係が拗れたことのないくらい良好な関係だ。
それぞれの子供である奏音と暁美も幼稚園からの親友であり同じ大学に通って勉学に励んでいる。
……奏音は少々サボり気味というか勉強に身が入っていないようでTHE私大生と言ったところのようだ。
危機、と言っても何の危機なのかは一切知らされず、2人の護衛兼外敵の排除が主な任務だ。
正直に言ってただのサラリーマンには荷が重い仕事だ。
ムキムキマッチョマンが襲い掛かって来たとして、江津町に対抗する手段はない。せいぜいが大声を出して敵襲を知らせるくらいだろう。
(と言っても、超極秘任務って話だからヘルプミーも言えない。色々と装備品を支給されたが、…とてもとても不動産会社の人間が持つべきものじゃないな。警察とかのテリトリーだろうに。今日のために用意したものではなく元々の標準装備なんだろう。ギーエンスだけの話かと思ってたけどウチもそうなのかい…)
八重洲エンティホテルには一般客を装って何十人もの戸瀬不動産の人間が宿泊している。
戸瀬奏音、平原暁美が寝泊まりしている20階に関してはその全てが関係者という徹底ぶりだ。
(んで、その平原家のご令嬢が行方不明になったと。ホテル側もただの不動産会社にカメラの映像を見せるわけがないしこの出来事は公にしてはいけないから警察に頼ることも出来ない。今はホテルの内外で暁美さんの行方を追っている…ってな。誰に説明してんだか)
江津町は17階フロアで怪しい人間がいないかを監視することになった。
徐ろにギョロギョロ宿泊客を見続けると江津町自身が不審人物として通報されてしまい警察を関与させてしまうことになる。
怪しく見られず怪しい奴を探す。
繰り返すようだが江津町はただのサラリーマンであり昨日もお盆に休むために休日出勤するという休みたいのか休みたくないのかよく分からないムーブをしており、それが終わってようやく家に帰れると思った矢先にこの緊急事態だ。
面倒だし向いてないしで乗り気ではなかったのだが平原家のご令嬢を救出できなかった場合、戸瀬不動産と平原家の関係にヒビが入るかもしれない。
地主を敵に回すと不動産会社としては致命的だ。
末端構成員である江津町もそれが実際に起こった場合にどれだけのデメリットが生じるかは容易に想像できた。
他のフロアで仕事をしている社員も同じだろう。
今、会社の存亡に関わっている。
(昔の牛丼ネギだくだとかのまねこだとかで羨ましい感情があったが……、これが祭りの当事者になるってことなのか…)
ザザッ「こちら、17階江津町———」
♢♢♢
ホテルの宿泊の際にはチェックイン、チェックアウトを行う受付を通らなければならない。
基本受付はホテルに入ってすぐにあるため1階に作られることが多いが、八重洲エンティホテルでは4階に受付が存在している。
1〜3階はホテル宿泊者以外の一般の人も利用できるレストランやラウンジ、コワーキングスペースが用意されており、格式高いホテルであるが入りやすくするという戦略の元そのような作りになっている。
4階が死を連想させるため4階に宿泊部屋を作らないようにしていることもこの作りになった一端を担っている。
ホテルでは4や9には死や苦などの負を連想させる番号は使用を控えるようになっている。ルールとして決まっているわけではないジンクスのようなものだ。
そのため宿泊部屋には〇〇4号室などの部屋番号に4が含まれる部屋は作らないようになっている。
建物によってはそもそも4階や9階というスペースを用意せずに作られるケースもあるようだ。
だが海外では13などの数字が不吉とされており国によって忌み嫌われている数字は異なる。
そのため八重洲エンティホテルでは4階は受付にすることで負を回避しているがそれだけであり部屋番号に4が含まれる部屋は存在しており、9階は普通に宿泊用として作られている。
八重洲エンティホテル4階
4階にはチェックイン、チェックアウト業務を行うデスクが置かれている。
無駄な機能を削ることで変に4階に人が来ないようにする宿泊客への配慮だ。
1〜3階に多目的の施設を展開しているので、この4階に足を運ぶのはホテルの宿泊客しかいない。
宿泊者用のエレベーターは1〜3階までには繋がっておらず必ず4階を経由する必要がある。
受付の他には1-4階をつなくエレベーターとチェックインした宿泊者のみが通過できるゲートがあり、ゲートを抜けると宿泊者用のエレベーターと非常階段、階段があるだけのただの通過点としての機能のみが4階に備わっている。
「……坂峰さん、ここにいるのは相当居心地悪いですよね。ホテル側も絶対に怪しみますよ」
「かと言って3階で確認したらより多くの目に止まって目立ってしまう。ここでやるしかない。幸い荷物の確認はホテル外の人員でやる手筈だから私達はこれをかざすだけで良い」
ジャケットに忍ばせたそれに上からタップする。
「………私達って不動産会社ですよね。何で小型サーモグラフィーなんてものがあるんですか?」
「………知るか、業界大手は後ろの繋がりもあるんだろ。政治家が夜な夜な怪しいパーティー開いてるようなもんだ」
「……セクハラですか?」
「おい待て湾平、俺はパーティーとしか言ってない。ただの酒宴かもしれないだろ。女優風俗とか如何にもな都市伝説を信じるんじゃあない」
「でもこの前の政治家主導のビル建築事業、不自然に浴室やベッドルームが多かったですよね。打ち合わせの時、あのキモ豚政治家に「完成したら遊びにおいで」って言われましたよ。絶対女の子とニャンニャンする用ですよね」
「……」
まさかそんなセクハラをする議員がいたとは、上司である自分が席を外していた間にそんな気持ち悪いやり取りがあったとは…
「まさかとは思うが、そこに行ってないよな?」
「行くわけないじゃないですか!行ってたらこんな話しないですよ」
「い、いや、だよな。そうだよな。うん、もうちょい声量落とそうね」
はっ、と湾平がフロントの方を確認すると受付嬢がこちらをじっと見ていた。
ゔうんっと、咳払いして軌道修正を図る。
「えっと、サーモグラフィーの話でしたね。これを荷物に当てて36度、つまり体温くらいの熱を観測できたら外の人員に報告して荷物を確認させる。ホテル内の人員の眼鏡に装着されている小型カメラを通した映像はリアルタイムで連携されているから漏れもない」
「…ここまでの徹底ぶりが逆に不安だな」
「と、言いますのは、ここまで徹底しないといけないくらいの相手だからこちらを上回ってくるかもしれない、ということですか?」
「こちらの想定を上回ることなんて珍しい話ではない、さっきの芸能人風俗の話もそうだ。向こうがサーモグラフィーを攻略してくるかもしれない。機器だけに頼らず私達の目利きも求められる…。かもだけどな」
「……なるほど、勉強になります」
慎重すぎないか、とはならない。それだけ今回が異常事態であるからだ。ここまでやるということはここまでやらないといけないということ。手品のようにホテルを抜け出すなんて芸当を向こうは仕掛けてくることを想定しなければならないのだ。
そういう意味では通路が4階のここ一本しかないというのは非常に助かる。
もっともそれを見越してこのホテルを選んだ社長は流石としか言えない。
ピポーン
エレベーターの到着を知らせる音。
誰かが受付まで降りて来た。
「坂峰さん」
「お喋りは終了、仕事の時間だ」
雑談の終盤も真面目な話だったがより纏う雰囲気が暗く重い。
いつも見ている坂峰の仕事モードの姿だ。
湾平のサーモグラフィーを握る力が強くなる。
(必ず平原家のご令嬢を救出する!それがひいては戸瀬不動産のため!)
♢♢♢
エレベーターから降りて来たのは1人の男性だった。
「江津町が見た人物と特徴が一致してるな」
見た目からしてアジア人。日本人だと思われる。
スーツケースは持っておらず手ぶらで降りて来たようだ。
何も持っていないが、念のためにサーモグラフィーでその男の熱を測る。
「……何もない。不自然に温かったり冷たかったりはない」
その男は受付でもゲートでもないところにいる男女を不審に思いながらもそのまま受付を通り抜けてエスカレーターで3階へと降りて行った。
「…お昼でああやって外に出るということは、連泊でしょうか」
「……かもな。ルームサービスだと高いからコンビニで買い物する奮発しきれない大学生ってところか…」
「随分解像度が高いですね。経験がおありで?」
「……若いってのは突発性でな。ま、それも今では立派な思い出だ。それより、彼が戻って来たら買い物袋はチェックしろ」
「念には念を、ですね。分かりました」
大学生がルームサービスを使わない気持ちはよく分かる。
しかし現在の時刻は12時を過ぎている。
こんな時間までホテルに居て、なおかつ手ぶらで外出というところに坂峰は違和感のようなものを感じていた。
そんなもんだろうと言われたらそうだなと納得するしかない程度のこと。
しかしその小さな違和感は本能的な警戒心によるものかもしれない。
さらに時刻は昼を過ぎており宿泊客の大半は午前中にチェックアウトしている。チェックインも15時からでありこの2時間ほどはゲートでの人の動きは全くないのだ。
ならば捨て置くわけにはいかない。
彼がシロならそれで良い。クロであった場合の漏らしという切腹でも足りない失態を防ぐことが出来るのならば―――
八重洲エンティホテル1階
ダリエスコーヒー店内
このコーヒー店は店内からホテルの1階の様子を見ることが出来た。
ずっと突っ立っていると不審に思われるが店内でコーヒーを飲んでいればただの客にしか見えないはずだ。
しかもスーツを着用しているのも、時間と合わさってブレイクタイムを挟んでいるサラリーマンにしか見えない。
コーヒーで一息ついているが目線は一切休まることなく、ホテル内に入る人達を余すことなく監視している。
お店の中なのでサーモグラフィーは使えないがパソコンのカメラは入り口の様子をリアルタイムで戸瀬不動産の緊急対策本部へと流している。
(江津町が見た男はそのまま外に出て行ったな。キョロキョロと辺りを警戒しているわけではなく見た目は至って普通。普通にホテルに出入りする人となんら変わった点はない)
数時間ぶりの外出者。まだ平原暁美がホテル内にいるとして、今外に出た彼は容疑者の1人になる。
ザザッ
右耳に装着しているのは無線通信のイヤホンだ。
襟についたマイクを通して会話をすることが出来る。
「こちら大牟田、宿泊客がホテルの外に出ました」
ザザッ「了解。外にいる人員の中で誰か対象を尾行しろ。交通機関で外に出る場合は追わなくていい」
ザザッ「那波、了解」
どうやら那波が追いかけるようだ。
(あの格好なら遠出はしなさそうだ。にしても、こんなに人を出して仕事は大丈夫なのか?終わった後に遅れた分を取り返してくれとか言われたら流石に抗議するぞ俺は!)
ズズっとコーヒーを口に含む。
苦味の中に仄かな甘さがあり、飲んだ時に気持ちがどこかほっこりしてしまう。
流石高級コーヒー。こんな事態ではおちおちレビューすることも難しいが―――
(……中々に警戒されている)
ホテルの外に出た竹満は大きく息を吐く。
ずっと緊張の中にいて普段通りの行動をするのに精一杯だった。
言葉を出したくてウズウズしていたがようやく解放された。
八重洲エンティホテルは東京駅の近くにあるため車通りも多く周囲はオフィスビルばかりでとてもリラックス出来そうにない環境だがあの重苦しい空気に比べたらここはマイナスイオンに溢れていた。
(危ないな。事前に外を見といて良かった。あの4階のカップル?は間違いなくゲートの出入りを監視してるな。そして外に出るまでのあの緊張感。これは俺が容疑者側だから感じるやつか?)
宝くじに当選するとすれ違う人全てがお金を狙う悪に見えて人間不信に陥るような。外へ過敏になる様。
この下見役は竹満にしか出来ない役割だった。
戸瀬奏音がどこにいるのかが分からない。戸瀬奏音は設楽柚乃の姿を見ている。
もしも設楽が下に降りて戸瀬奏音に見つかった場合、捕縛されるだろう。
ホテルの異常な警戒態勢。戸瀬奏音はまだ平原暁美がホテル内にいる可能性に気付いたのだろう。
そう考えるとさっき17階のエレベーターの近くにいたあの男性は、17階の監視人ということになる。
その男性はただ突っ立っていた。
自室があるのならそこにいれば良いのに外にいた。外にい続ける理由となれば人を見ているからに他ならない。
17階と当たりをつけたわけではないのだろう。おそらく全てのフロアに彼のような人間が配置されている。
スーツケースの中身を確認するのは各フロアにいる人員かホテルの外にいる人だろう。
4階ではホテル側の人間の目があって中を見ることは出来ないし警察を呼ばれかねない。
竹満側も警察が絡むと厄介だが、向こうからしたらこっちはシロの可能性もあるのだ。いらぬトラブルは回避したいに違いない。
(スーツケースを確認されないためには17階の男性を抑えとかないとな。それとホテルの外の人員。人の出入りが激しく誰が戸瀬不動産側の人間かはパッと見じゃ分からなかった。……義晴め、中々ヘビーな試練を与えてくれるな。とりあえず必要な物を買っておくか)
にしても……
(もうちょっと気配を抑えてくれねーかなー。あんなん見てますと言ってるようなもんだろう。急造の人員にそれを求めるのは酷だな)
八重洲エンティホテル外
(………目立った点はなし。ホテルの外に出て開放感に浸る大学生。違和感はないな)
男は3回ほど大きく深呼吸をすると東京駅の方に向かって歩き出した。
向かう先は八重洲口の地下通路のようだ。
ザザッ「こちら那波、対象は東京駅の方へ向かってます。追跡します」
ザザッ「了解。気取られないように注意しろ」
「了解」
那波はホテルを出た男に気付かれないように尾行しているが少し違和感を覚えた。
(八重洲エンティホテルは地下に駅まで直通の通路があるはずなのに地上から駅に行くのか…)
外の空気を吸うために一旦外に出た。という理由は不思議ではないが、そこまでして外に出る必要があるのかと言われると那波的には疑問を覚えた。
泊まっていないから分からないが庶民にとっては窮屈というか肩肘張るようなものなのだろうか。
(それにしても、監視されていることに一切気付きもしないとは、抜けている男だな。監視される経験なんてそうそうないから感覚として身に付かないんだろうが……っと、この男、歩く速度が速いな。見失ってしまう)
思いのほかズンズンと歩く男だ。
どうやら外の空気を吸うのは寄り道感覚だったのだろう。本来はこのぐらいの速度で歩く男のようだ。
(彼がクロとは断定されてない。無関係の彼に目が向けられている隙に連れ出そうとするかもしれないわ。深追いは人員の分散になって抜け道が増えてしまう。宿泊客は必ず4階を通らなきゃならないってレイアウトさまさまね)
♢♢♢
八重洲エンティホテル2007号室
戸瀬奏音、平原暁美の宿泊部屋。
戸瀬奏音は部屋で待機を余儀なくされているが戸瀬不動産の通信は聞ける状態だった。
1706号室から男性が1人外に出たことも知っているし、大牟田が撮影した顔写真も確認した。
「神岐でも、設楽でもないわね。でも、大学生くらいよね?友人?」
ただの観光客である可能性が高い。
戸瀬と平原が八重洲エンティホテルに向かうと決まってからチェックインした人物は全員顔を控えているがその中にはあの男性は入っていなかった。
つまり平原達が決めるより前にチェックインしていることになる。
完全なシロ。しかし油断は出来ない。
考えたくない話だが情報漏洩もあるかもしれない。
人為的に隕石を落とす力だ。情報を抜き取る超能力があるかもしれない。
既に超能力を駆使してホテルの外まで連れ去られていたとして、戸瀬を操らないのはまだホテル内で平原に対して能力を使っているからとミスリードさせるためとも考えられる。
考え出したらキリがない。
平原がいなくなってからホテルの外に出た人は手ぶらの大学生だけだ。
(四次元ポケットのように無制限にモノを入れられる空間とかがあったりするのかしら?……欲しいわね)
人を操る、隕石を落とす。物騒な能力しか見えていないが、そういった日常の生活を豊かにする能力だってあるのかもしれない。
……ちょっとだけ、ちょっとだけ欲しいと思ってしまった。
浅い興味ではなく超能力があれば超能力に対抗できるかも知れないという真面目な理由も8:2くらいは頭の中にあった。
「……仮に神岐だとして、目的は何かしら?敵に懐柔された?超能力に負けて屈した?」
神岐がどんな超能力を持っているかは知らないが、隕石を落とす能力者や仮面を付けた変人がいるのに街に残るという選択が取れるだけの力を持っていると思われる。
負けて従っているとは思えない。むしろ相手を従えてそうなイメージがある。
「あの設楽ってのも、超能力者なのかしら?あいつも残るってことはそういうことなんでしょうけど」
もしかすると超能力ってのは案外身近にあるのではないか?
自覚がないだけで暁美が超能力を持っているのかもしれない。
(自分が超能力を持っているって自覚出来るのかしら?アーティストも最初から歌の才能があったなんて分かるはずもなくて歌ってみたらめっちゃ上手いからその道を極めるから最初のきっかけがその超能力にもあれば…、きっかけがなければ永遠に自覚することはなく宝の持ち腐れになっちゃうのね)
何をどうすれば自分は隕石が落とせるんだと自覚出来るのか?
普段からテロリズムにも似た破壊衝動を持っていなければ到底自覚することは難しいだろう。
(私は、なんだろう……。どんな力を持てるんだろう。そもそも矢で射抜かれないと発現しないとかなのかしら?先天?後天?)
♢♢♢
30分後
八重洲エンティホテル前
ザザッ「那波です。先程の男がホテルに戻ります。レジ袋を持っていますが…、駅ナカで遠くから見ていたので中身は分からないです。地下を通っているので大牟田さんは撮れないですね」
「地下から直で4階か。坂峰、湾平、どうだ?」
「眼鏡に取り付けるカメラならパソコンほどクリアには撮れないでしょうね」
「那波ちゃん、どこに行ってたか分かる?」
「申し訳ありません。エレベーターで分断されて追跡が出来ませんでした。再度見つけた時には既に持っていました」
「30分ならそんな大層なものは買えないはずだ。江津町、お前の方でも確認出来るか?」
「分かりました。確認します」
「戻って来ましたね」
「お昼ご飯食べて買い物した…ってところでしょうか?」
「……彼がクロであって欲しいがな。俺達はこうして仕事をしてるのにどんどん仕事が溜まっていく。湾平、メールを見るなよ。死ぬぞ」
メールを見てしまったら、とんでもない量の通知が来ている。電話にも出れないからさらに催促のメールもあるだろう。
そういえば午後から打ち合わせがあったな。
参加できないメールも出せないまま駆り出された。
向こうからはこちらが無断キャンセルしたようなものだ。
ゾワッ
これが終わっても、終わらないことに気付いてしまった。
「ま、まずは目の前のタスクです。覚悟は出来ました。飛行機はキャンセルします」
今年実家に帰るのは諦めよう。惰性で帰っていたがむしろ帰らなくていい理由が出来て感謝だ。
毎年毎年帰るたびにやれ結婚はまだかと言われ続けるのはストレスがマッハになって辟易していたところだ。
隣の坂峰の男性視点での結婚生活を聞くと結婚は幸せの終着点ではないことがよーく分かる。
願望はあるが叶わなくても良いくらいの浅い目標に落ち着いてしまった。
「俺も嫁にお盆がなくなったことを言わないとな。嫁からも呆れられる……」
世帯を持つとそちらからも攻撃される。
これは湾平からすれば夫の実家に帰るということだ。自分の実家であれば、やれ孫はまだかと言われる。
性行為し足りないんじゃないかと暗喩するマイルドセクハラ。
坂峰には同情の念を禁じ得ない。
「ほら、坂峰さん、これが終わったら現実逃避で飲みに行きましょう。だから集中です。地下ってことはエレベーターで来ますよ。ちゃんと撮らないと」
「……そうだな。…そうだ!酒飲んで忘れよう」
『4階でございます』
4階の到着を知らせるエレベーター音声。
ガーー
エレベーターが開いた。
地下は装飾もない如何にもな通路の中にあるエレベーターだがホテルのエントランスは第一印象で格を見せつけなければならない。
むしろその差、ギャップで1階からエスカレーターで登って行くよりも荘厳な様相を出していた。
竹満も任務を忘れてまたここに来ようと考えてしまっていた。
(ヤベッ)
気を引き締める。
4階にはホテルの受付、そして奥の宿泊者用のゲートにはやはり男女2人組がいた。
(同じ人か…。時間はまあまあ経ってるんだから交代で業務したりしないのか?)
現にホテルの受付は外に出る前と変わっていた。
シフト制だろうか1人ずつ昼休憩に入るのか3人いた受付嬢の1人は初めて見る顔だった。
(ここまでは設楽君との打ち合わせ通り、配置換えがないのと受付嬢の変更が想像外だがこれからやることに影響はない。索敵が俺しか出来ないせいでやれる幅が狭くなる。あと1人、義晴さえいればいいんだけどあいつはここにいないからな〜)
八重洲エンティホテル1706号室
設楽柚乃は1人で竹満を待っていた。
いや、1人は正しい数え方ではない。
この部屋の中には正確には2人いる。もっとも、その1人はスーツケースに詰め込まれるという中々なことになっているのだが…
「竹満さん、大丈夫かな?」
数分前に『買い物は全て終わった』とメッセージが来ていた。電話してこないということは監視されているということ。
買い物前からメッセージは来ていたが、17階、4階、1階、ホテルの外、いずれも監視の目があるようだ。
中々に厳しい状況だ。
竹満に買い物に行ってもらったが果たしてどこまで誤魔化せるか。
(頭を使ってどうこう出来るミッションなら俺は昨日の府中動乱で認められているはずだ。竹満さん1人だと無理ゲーだからなら今回ではなく別の機会にすれば良いし、俺は別の機会で話をして協力してもらえば良かったはずだ)
ということは、自分はまだクリアしていない。今やっていることは府中動乱と同じだ。頭を使って人を、今回であれば竹満を動かしている。
昨日の府中動乱は、最終的には神岐様自身で終わらせた。
―――自分達の手で終わらせることがクリア条件?
(けど俺達には『超能力』はない。味方もいない。そんな状態でどうしろと……)
comcomの信奉者といえど、この理不尽には盲目的にはなれなかった。
神岐と連絡は取れない。2人だけで全てをこなす。
難易度は桁違いに高い。
だが同時に納得したこともある。
この程度をこなさなければ、神岐と同じ土俵に立てない。
仮に神岐に『認識誘導』がなかったとしても、この状況もどうにかするのだろう。
その"どうにか"のための試練。
ピコン
『今エレベーターで17階に向かってる』
竹満からの連絡。もうすぐ戻って来る。
戻って来てからが、本番だ。
今ある作戦も想像以上の包囲網で使えない可能性が高い。
スペアのプランを10でも20でも出してあらゆる可能性に対処出来るようにしなければ!
「……昨日とは違う楽しみがあるな」
修羅場は人を成長させる。
昨日の自分であればどうにもならなかっただろう。
昨日の一件、そして今日の話を聞いて、人間の無限の可能性を学んだ。
無限の可能性は、何も超能力だけとは限らない……
頭で、行動で、常識外れを実行しなければならない。
設楽は足を踏み入れた。
竹満も、入りかけといったところか。
そして、もう1人の宿泊客も———
神岐のいない神岐サイド
超常の存在を知った3人が、超常なしで戦います。
戸瀬不動産の包囲網。
抗うは2人の男のみ。
17階の監視人
4階のサーモグラフィー
1階の監視人
ホテルの外の監視人
そして設楽の顔を知っている戸瀬奏音
これらを全て出し抜く奇策はあるのだろうか?
それとも諦めて神岐の力を求めるのだろうか?




