第110話 消えたヒロイン
広島に原子爆弾が落とされてから73年
今を生きる若者にとっては紙の上の出来事。
毎年15日まで戦争特番ばかりやっていることに飽き飽きしている人も一定数いる。
しかし、戦争は決して風化してはならない。
争いの先には何もない。
第二次世界大戦で日本が仮に勝っていたとしても、今日の世界は平和ではないだろう。
超大国がソ連、現在のロシアから日本またはドイツに置き換わるだけの話で、後は概ね史実のように平和とは縁遠い世界が紡がれていくのだ。
では真の平和を達成するためにはどうしたらいいのだろうか?
それは、もう一度………
8月6日
神原奈津緒は待っていた。
目の前の少女が目を覚ますまで、ただじっとしていた。
倫理的にマズそうな絵面だが生憎ロリコンの趣味はない。彼女一筋であり彼女のそばにいられないストレスと未だ目を覚ましてくれないストレスを掛け合わせてプラスにしようとしていたが、それも上手くいっていなかった。
(もう目覚めると思うんだけどなー。打ちどころが悪かったか?)
あの後、桝飛セキュリティサービスの社員が廃ビルに到着し、少女を輸送してくれた。
ここは豊橋刑事が懇意にしている個人経営のクリニックだ。個人のため大島総合病院よりは小さいが、病床はそれなりに用意されており最近話題のたらい回しをされることはなかった。
『何かあった時は君が桝飛の人間を呼ぶと良い。既に話は通してある。警察官が必要なら女島を呼ぶと良い。監視カメラを見続けるなんてあいつは飽きるだろうから君に呼び出された方がリフレッシュになることだろう』
とは言っていたが、流石に高校生の自分が大人にアレコレ指図するのは気が引ける。
思わず少女の監視も自分ですると言って断ってしまった。
母親には麦島の家に泊まると言ってありすんなりと了承してもらえた。
ガラガラガラ
「神原君、少し休んだらどうだね。ほとんど寝ていないだろう」
豊橋刑事と個人的に繋がりがありこのクリニックの院長である櫛灘は目にクマを付けた神原に話し掛けた。
「……いえ、大丈夫です。何だか落ち着かないので…」
昨日はひたすら動き続けていたから気にしていなかったが、この少女の到来によって祥菜に何か起こった場合を想像してしまって、落ち着かなくなっていた。
『自己暗示』で眠気を感じなくなっているので体は徹夜に耐えられていた。
「…医師としては止めざるを得ないんだがね。豊橋から極秘なんて言われたらねぇ…」
「…豊橋刑事とどういう関係なんですか?」
「高校からの同級生だよ。大学も同じだが学部は別でね。何十年もの腐れ縁さ。そのせいで面倒事に巻き込まれてね。全く、警察署のそばに病院を構えるんじゃなかったよ。ま、丁度タイミングも良いし本気で移転しようかなと思ってるよ」
「タイミング?」
「館舟の再開発だよ。この場所、立ち退き指定地区なんだ」
「あぁ、ここもか…」
館舟の再開発
再開発を望む若い世代と望まない高齢者達でバチバチに争っていると言われている問題だ。
高齢者の数が年々減っており人口的に見れば希望派が過半数を超えているが、選挙は高齢者の投票率の方が高いため、中立派、または反対派の議員が当選するというねじれ構造を産んでいる。
それでも国が主導で推し進めているため結局は再開発が行われているという反対派としては納得がいかない事態になっている。
そして噂程度だが、反対派が再開発の妨害のために何やら怪しい企みをしているとかしていないとか…
「ここにもね、反対派の人間が敢えて移住してきてね。徹底抗戦の構えなんだ。私のところにも押し掛けて「ここで経営しますよね!」って念押しが毎週のように来るよ。正直そういうのにウンザリしていてね。豊橋はそれの後押ししてくれた良いきっかけだよ」
「…再開発妨害の話も強ちない話ではないんですかね?」
「…そうだね。敢えて指定地区に引っ越すくらいだからね。引っ越す方も引っ越す方だが、立ち退き地区なのに部屋を貸してる大家にも問題があるね。彼らとしても家賃収入とかがなくなるわけだからね。君達未成年をスピーカーにして再開発反対を訴え掛けようとしているという話もある。そういう人達には充分気を付けるんだよ」
「はい」
そういう輩には遭遇していないが、工事が本格化すると動き出すかもしれない。
(工事の骨組みを壊して安全性に問題があるとかネガティブキャンペーンをしたりとか、本当にくだらないな)
♢♢♢
8月6日 東京競馬場前
「あんた………、どこかで……?」
この男に見覚えがあった。
だが思い出せない。首まで出掛かっているのにパッと出て来ない。
「………………」
男は無言で無表情に神坂を見つめていた。
「…………あっ!」
思い出した。
昨日姉の所属している彩プロダクションに行った時に見た男だ。
1階で黒服相手に暴れた時に避難していた清掃員の男。
「何で清掃員がここにいる」
清掃員の男が口を開いた。
「……滝波夏帆の弟、なんだってな。がまさか『超能力者』だったとは、こうして『超能力』を受けることで確信した。気分転換でやってたバイトだが、大当たりを引けるとは思わなかった」
「『超能力』?『超能力者』?何のことだ?」
「……なるほど、俺目当てでもなさそうだな。業君に見つかったんじゃないかってビビってたが、ただの偶然か」
「業君……、ドクターのことか?」
どの言葉も神坂には覚えがない。ドクターかも勘で言っただけだ。
「ドクター?……あぁ、そういえば白衣を着ていたらしいが、全く接触していないわけではない訳か。業君も色々画策してんだな」
(そうか、こいつは、実録が言っていたドクターの敵側の人間か)
まさか姉の事務所で働いていたとは…
神坂雪兎の失策
それは敵の前で超能力を披露してしまったこと。
「『超能力者』、『超能力』ってのは何だ?」
「『超能力者』は超能力者、『超能力』は超能力のことさ。基本中の基本だぜ、テストに出るからしっかり押さえとけよ少年」
「そうかい、ならお前も『超能力者』で『超能力』を持っているわけだな。お前の『超能力』はなんだ?教えろ!」
「はっ、教えるわけがないだろう。俺の『超能力』は『不定期劇場』、俺の描いた脚本通りに人を操作する能力だ……ちょっと待て、なぜ俺はペラペラと喋っているんだ」
「なるほどね。月城の跳躍はお前の演出か。空飛んで空中回転踵落としなんて嘘だろと思ったが、タネはあったんだな」
(『強制平等』、聞かれたことに正直に答える状態を共有する)
この技は自分自身も聞かれたことに正直に話してしまうためリスクが非常に高いのだが、向こうから質問された時は『強制平等』を解除すれば問題ない。それでも切り替えをミスした場合の危険性は残っている。
「あんた、名前は?」
「…………」
(口開けば喋ってしまうから黙秘か…なら…呼吸を止めるだけだ)
予備動作で勘付かれないように空気を時間をかけて吸い込んで息を止めた。
(『強制平等』、呼吸していない状態を共有する)
「…………グゥッ!?」
男は呼吸をしようと吸い込もうとするが、何故か吸い込めない。体も動かせないため側から見たら苦しんでいるかも分からない状態だった。
「あっ……、あっ……ガァァァ!ゴホッゴホッ」
神坂がギリギリのところで解除したため呼吸が出来るようになった。
「名前は?」
「………長岡照臣だ」
黙秘すると呼吸を止められる、抵抗は無駄だと判断した。
(『どこまでもお供する』のように断れば、じゃないな。奴は遠くから俺の動きを拘束した。操作系能力か。動きを止めたり口を割らせたり呼吸を止めたり、何だこいつの『超能力』は……)
「何で俺を尾けたんだ?」
「昨日の一件でお前が『超能力者』と思ってその真偽を確かめるために尾行した。もしも『超能力者』だった場合は誘拐してこちらの手駒に加えるつもりだった。こっちはcomcomのせいで戦力ダウンしていたからな」
「comcom…、そうか、やっぱりcomcomもその『超能力者』って奴なんだな」
(姉ちゃんとcomcomを接触させるのは危険か?いや、確定したからこそ何とか近付きたいが…、ネット記事で俺が『超能力者』であることは鬼束の襲撃を受けたcomcomともう1人の誰かさんも察しているだろう。この場合はどうするのが正解なんだ……)
「半信半疑だったか。随分と孤軍奮闘してるんだな…。いや、そのためのあの2人のお友達か」
「それで、誘拐は難しそうだがこれからどうするつもりなんだ?」
「ははは、それはもちろん滝波夏帆を人質にお前に強制を……ガッ………」
「そうか、なら死ね。姉ちゃんに手を出す奴は俺が許さん」
(や、ヤバい。まだ呼吸が安定していない時にこれは……、き……つ……連……絡…を……)
「………」
死んだ。
まだ呼吸は止まったままだ。
この男の『不定期劇場』が作用しているか分からない。復活も脚本として入れているのかもしれない。あくまで演出家だから劇の中には入れないという制約があるのかもしれないが、既に神坂自身が『不定期劇場』の影響下にあることを考えて、限界まで呼吸を止めておく。
(殺した…それは良い。こいつが他に俺のことを喋っているのかもしれない。スマホとかを回収しておきたいが、俺の痕跡を残すのはまずい。こいつの仲間が近くにいるかもしれない。警察に通報されても俺が首を絞めたわけではないから自殺か他殺かも分からないはず。早くここを離れよう。comcomが『超能力者』と分かっただけでも大収穫だ)
神坂は周囲に監視カメラがないことを確認しながら人目のつかない道を進んでいった。
「………長岡からの定期連絡が途絶えました」
羽津は未だ応答がないことを不審に感じた。
「ったく長岡も抜けてるよなー」
雪走はあっけらかんと言っているが、この場にいた全員が『お前も人のこと言えないだろうが!』という気持ちを抑えた。長岡から連絡がないことの方が深刻だからだ。
「結局誰が『超能力者』だったんだよ?」
「いや、俺も聞いてないんです。『『超能力者』かもしれない奴を見つけた。ちょっくら調べてみる』としか聞かされていないです」
「もしかして、その『超能力者』に返り討ちにあったとかですかね?」
知覧が最悪の想定を口に出す。
「……かもな」
月董が単調に答えた。
「羽津、長岡のいる場所は分からないのか?」
「昨日の一件を踏まえて、心拍の停止と破損によってみんなにアラートを出すっていう装置ですが、長岡は貰わずに確認に行ってしまったので、こちらに…」
羽津は机の方を指差す。
そこには長岡用の装置が1つだけ置かれていた。
その他のメンバーには全員に行き届いている。
「あぁーーー、………他は?」
「他は……、長岡はポケモンGOをやってるのでGPSがオンになってるはずです。長岡のデバイスからスマホの位置情報を辿れれば良いんですけど…、…そういうの出来ますっけ?」
「………後で聞いておく。羽津は定期連絡の時間、内容から行き先の特定。知覧は場所が分かるまで待機、牧村と雪走は組み手でもしてろ」
「えぇー、月董、俺にも行かせろよー」
呑気なことを言う雪走をギロッと雪走を睨み付ける。
「また放置されたいのか?」
「いーえ、もう懲り懲りです!飢えはホントにきついから勘弁してくれ!」
「残機のない俺や雪走は行かないにしても、捕まえるのが目的ならお前の『超能力』の方が向いてるんじゃないのか?」
「そうだけども俺は動くなだとよ。お前らが好き勝手やってるせいでリーダーみたいなポジションやらされてるせいだぞこれは!。管理職なんざごめん被るね。お前らが仕事しないと俺はエアコンの効いた部屋でのんびりしてるだけだよホント」
「まあまあまあ」
「まあまあまあ」
「まあまあまあ」
「まあまあまあ」
管理職月董
今日も残業代なしで働くのであった。
♢♢♢
「う………」
ガタッ「先生!」
ナンダー
バダッ
ガラガラガラ
誰かが忙しなく出て行った。
「……ベッド。ホテルじゃない。あれ?私何してたんだっけ?」
萩原時雨は記憶がぼんやりしていた。
(ドクターに会って、神原に会えって言われて、前に飛んだ廃墟のビルに飛んで、そこから神原が…)
ガラガラガラ
「先生、見てください。女の子起きましたよ!」
「はぁ、そう引っ張らんでも患者は逃げないよ。頭を強打してるんだから」
(いや、転移系の能力だから逃げられるけど、それを説明できないしな…)
神原奈津緒と櫛灘が時雨のいる病室に入って来た。
「神原!」
(そうだ!神原!飛んだ先に神原がいて、…そこからの記憶がない。…白衣、ドクター……じゃない、本物のお医者さんか。てことは病院ね。どこのだろう?)
「おや、このお嬢さんは君の知り合いだったのかい?」
「……いえ、初対面です。初対面なのに私の名前を知っている子なんです。子供ですが以前私に危害を加えた青年の仲間だと思われます」
「……なるほど、豊橋の奴、やっぱきな臭い案件だったか。お嬢さん、体調は如何かな。特に頭に痛みはないかい?」
「は、はい、ジンジンとはしますけど大丈夫です」
「お名前は?あと今指は何本に見えるかい?」
櫛灘は人差し指、中指、薬指を立てた。
彼女は櫛灘の手ではなく神原の方を見ていた。
(名前……、いや、私が戦えるようになるためなら……)
「萩原時雨です。指は3本です」
「時雨ちゃんだね。意識もはっきりしている。お腹空いてるだろう。今食事を持って来させるよ」
「あ、ありがとうございます」
そう言って櫛灘は病室を後にした。
「………」
「………」
2人は口を開かなかった。
(き、気まずい…。神原、ずっと何か考えてるみたい)
神原はずっと思案していた。
ドクターの命は『神原奈津緒を敵に引き込まれる前にこちらに引き込むことと萩原自身のメンタルの回復』だ。
(神原奈津緒に神岐や神坂ほどの力があるようには思えないけど、その何かを見つけないと…)
「……ドクターから何を頼まれた?」
先手を打ったのは神原だった。
「!?……直球ね」
「あの場所にいるのは鬼束とドクターの関係者だけだからな。駄愚螺棄や虹色ネイルの女達があの場所を張るなんて不可能だ。ましてその2つは昨日の一件で俺の人となりを初めて知ったはずだ。何より、昨日の今日で仕掛けるのはバカのやることだ。よってお前はドクター側の人間だ」
「駄愚螺棄?虹色ネイル?…あんた何の話をしているの?」
「……そうか、知らないのか。ということは監視能力は使えないのか?」
「!なんでそのことを知ってるの!」
「市丸が兄貴が監視能力を持っていると言っていた。その2つを知らないのなら俺を最近見てないってことだ。……何か色々と認識合わせをした方が良さそうだな。時雨、君が俺の元に来た目的もあるんだろう。まずは話をしよう」
「……そうね、私達の知らないところで何かあったみたいだし、昨日の件も含めて話す必要がありそうね」
(神原の言った2つが、ドクターの言う引き込みかもしれない。ギリギリのタイミングだったのね…)
ガラガラガラ
「おぉーい、食事を持ってきたよー。果物もあるけど食べるかい?」
「あ、ありがとうございます。いただきます」
「神原君、君も食べなさい。起きっぱなしは体に毒だ。せめて食事だけはしっかり取りなさい」
「…ありがとうございます。配膳、手伝います」
♢♢♢
「ここは、判別式Dを使えば——」
「……あぁ!そういうことね。はいはいはい、ここからは自力で解くね」
「はーい〜」
警護と言っても病室の入り口は桝飛セキュリティサービス、窓は伊武議員の秘書である隠岐健太郎が見張っているため病室内は安全だった。
この病室は一本道の先にあるため侵入ルートは限られている。仮に襲われたとしても不意を突かれることはないのだ。
麦島は昨日から家庭教師ならぬ病室教師として伊武祥菜の夏休みの課題の消化を手伝っていた。
今は数学を教えている。
伊武は成績優秀であるため麦島の手を借りることは引っ掛けや応用問題くらいだ。
「!!!」
ピコーンと祥菜の背筋が伸びる。
「?どうしたの〜?」
「……今、奈津緒君が女の人と一緒にいる気がする」
「……気のせい〜、というか昨日の今日で乗り換える〜?」
(昨日なっちゃんが言ってた小学生の女の子のことかな〜?俺屋上で電話してたはずだけど聞かれてたかな〜)
「浮気はしないのは分かってるよ。ただ今奈津緒君は女の人といるんだなーって…モヤァってしただけ」
(愛されてるな〜。勘の良さが怖いけど)
「大丈夫だよ。なっちゃんは鈍感さんだから〜、仮にハニトラされても『暑苦しい。近付くな。汗くさいぞ』とか言っちゃう子だから〜」
「………何故だろう。否定出来ない。普通に言いそう」
(何だそれ、デリカシーなさすぎるだろ)
2人の会話が聞こえる隠岐には神原のノンデリ具合に軽く退いている。
(祥菜嬢も気にしていないのか。これが彼氏に染まる女性か…)
(私にも胸のこと言ってるしなぁ…。まぁ、そんな人なのは鯖東君の件や麦島君からも聞いてたから今更驚かないけどさ)
(うーん〜、なっちゃんが伊武さんにやらかしそうな未来が見えるな〜)
「そうだよね、杞憂だね杞憂。まあもしなんかあった時はまた足踏んづけてやるんだから!」
「あはは〜、程々にね〜」
♢♢♢
「長岡さん、急に休みたいだなんて、珍しいこともあるんだねー」
「勤勉で休み時は前もって申請する人だから、体調不良か寝坊でしょ」
掃除のおばちゃん達がそんな談笑をしながら仕事をしている。
ここは渋谷にある彩プロダクション。
神坂雪兎の姉であり声優の神坂雪華、声優名義滝波夏帆が所属している事務所だ。
「にしてもあれね、昨日の一件からカッチリというかピリピリというか、張り詰めたような感じがあるわね」
「昨日のって実際に事務所が襲撃された場合のデモンストレーションだったんでしょ?あの3人組は中々の物だったわよね。あの角刈りの巨漢見た?凄い迫力だったわ」
「見たけど、私はあの白髪の子が可愛らしくて好みだったわ。結局あの子は動かず仲間2人を指揮して保谷さんにも勝ってるし」
「他の声優達が見たかったってボヤいてるみたいだけど、マネージャー達にとってしたら負け戦を見させられたわけだから、いなくて正解だったのかもね」
「滝波さんも仕掛け人役だったみたいね。また演技力上がったんじゃない?リアル過ぎて演習って言われても信じられなかったもん」
「いやぁ、あれは迫真だったわ。今は声優業中心だけど女優業でもいけるんじゃないのかねぇ」
ゴホン
「「!!!」」
「掃除の調子は如何ですか?」
「しゃ、社長。はい、問題ありません!皆さんが丁寧に事務所を使っているため目立った汚れなどはございません」
「そうですか…。お喋りも結構ですが、それは仕事が終わってからにしてください。あなた達のお喋りに生産性があるのなら、是非とも私に教えていただけないでしょうか?。ラジオやイベント番組の参考にさせていただきたいのですが」
「え、えぇと…、はい。すみませんでした」
「すみませんでした」
「えぇと…、謝罪ではなく教えていただきたいだけなのですが…。考えがまとまっていないようでしたら後で書面でも大丈夫ですよ。話は通しておくので上長に提出してください。では」
社長はスタスタと去って行った。
「「……………」」
やってしまった。
彩プロダクションの社長は合理性を追求した男だ。
女性の身を守るにはボディーガードを付けたいがマネージャー含めて2名付けると人件費が高くなってしまう。
それならば強い人物をマネージャーに付ければいいのではないかということで、元アスリート、元警察官などの肉体が逞しいかつインテリジェンスな人物をマネージャーに付けることになった。
そんな合理性の追求者にとって、清掃員の雑談など何の価値もないことだった。
井戸端会議が無価値とまでは思わないが、彼女らの雑談は何度か聞いているが、ゴシップな話題ばかりでとても有用的とは思えなかった。
(その点では、今日はいないあの人は勤勉で雑談にもほとんど入らず黙々と仕事をしていたな。とても清掃員に収まる器ではない。その危うさがあるから一定の距離を保っていたが、急な欠勤か。昨日神坂君達が来た次の日にってのは考え過ぎか?やはり警戒は続けておくべきだな……)
社長は長岡の存在を頭の片隅に置きながら、所属タレントを守る対策を練ることにした。
♢♢♢
「『超能力』に『超能力者』、そして『超常の扉』か……」
「そう。あなたとあなたの友達、麦島?が『超能力者』であり『超能力』を持っているわ」
「あのスタンガンみたいのが『超常の扉』か。……」
唐突の情報開示で処理が追いついていない。少しずつ咀嚼していく。
「用語は分かった。だがそんな授業のために俺のところに来たわけじゃないだろう?」
「……えぇ、ここからが本題。その前に昨日何が起こったのかを知ってもらう必要があるわね」
萩原時雨は8月5日の府中での出来事について神原に説明した。
神岐からの電話、府中での神岐の捜索、電車の衝突、そして隕石。
「待て待て待て、昨日の府中でそんなことが起こっててなぜニュースにならない。報道されたのなんて電車の衝突くらいじゃないか」
(というかcomcomって神岐って言うのか。『認識誘導』、やはり野球動画は『超能力』の力によるもので間違いなかったのか)
「分からない。けど、神岐の『認識誘導』なら出来るわ」
(野球動画の肉体強化でさえ世界中に影響を与えていた。仮に個人を好きに操作できるなら…、虹色ネイルの女なんざ下位互換も良いところだな。最も、女の『超能力』にも特有の効能があるんだろうけど。ちっ、『自己暗示』と『認識誘導』で能力の優劣激し過ぎないか?ドクターももっと平等に力を与えろよ!)
「…ドクターや鬼束達は今どうしてるんだ?時雨の方から連絡は取れないのか?」
「………ここって携帯使っていいの?」
「……そん時は一緒に怒られよう」
(…意外、いいからやれとか言いそうな感じがあるのに、案外優しいのね)
スマホの電源を入れる。
「……ドクターからメッセージが来てる」
「…読み上げてくれ。おそらく俺宛だ」
「神原宛?……ホントだ、奈津緒君へって頭に書いてある」
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奈津緒君へ
これを君が見ているということは時雨君と合流出来たみたいだね。
府中で起こった騒動については時雨君から聞いていると思うが、本格的に『超常の扉』の争奪戦が始まろうとしている。
君達は否応無しに巻き込まれることになるだろう。
だがこれは想定の範囲内だ。
君達3人に『超能力』を与えたのは彼らと戦える人材を増やすためだ。
君が私を憎んでいることは承知しているが、その上で君の力を借りたい。
断ろうとも君は狙われ続けるだろう。君の友達や君の恋人が巻き込まれる。これは確実にだ。
私に協力したくなくても、共通の敵に共に立ち向かってくれないだろうか。
おそらくこれから私がやる行動は余計に君の憎しみを増長させることになるだろう。
だが誓って君達を守るための行動だと信じて欲しい。
全部が片付いた後で、その後で私に復讐するがいいさ。
良い返事を期待している。
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(想定の範囲内…か。10年前から争奪戦が行われることを想定していたのか。だったら作るんじゃねーよ。だが『超能力者』を増やさないと敵に勝てないってジレンマか。一昨日の一悶着、そして昨日の府中の騒動。ドクターの言っていることは真実で間違いないだろう。だが、だからと言ってそのまま味方するわけにはいかない。時雨にも話していないであろう10年前のあの日のことを聞かないとな)
「スマホを貸してくれ、今電話を掛ける」
「う、うん」
時雨も文面から直接やり取りしたほうが良いと考え、素直にスマホを渡すことにした。
ブーンブーンブーン
「…俺のか」
震えているのは受け取ろうとしている時雨のスマホではなく自分のスマホだった。
タッ
「もしも『なっちゃん、緊急事態!病院に群勢が来た!』!?祥菜は無事か?」
「伊武さんは—ガシャァァァァァァァァァン」
ガラスの割れる音。
祥菜の病室には窓が付いていた。
割れたのはそこだろう。ということは、外から窓を破壊したということだ。
ブッ
ツー、ツー、ツー
通話が切れた。
「か、神原…」
ガラスの割れる音は時雨にも聞こえた。
電話の向こうで異常事態が起こったのは間違いない。
「………く、そ、が!」
押さえつけるように潰したように、怒りの声を抑える。病院だと分かっている。
ここで感情のままに叫べば周囲への悪影響は計り知れない。
だが、それでも、耐えられるものではない。
また俺の大切な人達が狙われたのだ。抑えろというのが無理な話だ。
「クソがァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!!!!!!!!」
♢♢♢
「はい、もしもし」
「姉ちゃん、今どこ!」
「えっ?どうしたのふゆ君。今渋谷駅だけど」
「保谷さんは!」
「い、いないけど」
「すぐに安全な場所に逃げろ!ただし彩プロダクションはダメだ」
彩プロダクションの最寄駅は渋谷駅である。
渋谷駅も危険だと神坂は判断した。
「ちょ、ちょっと待って説明してよ!何があったの?」
「ホル……超能力者が接触して来た。姉ちゃんを人質にするって言ってた」
「超…!?………、分かった」
「目黒方面に臼木がいるはずだ。とりあえず臼木と合流しろ。保谷さんにもすぐ連絡してくれ。俺は臼木に話をつける」
「わ、分かった。ふゆ君も気を付けてね」
ピッ
「だから気を付けるのは姉ちゃんの方なんだよ…」
♢♢♢
ガチャ
「「「「「…………」」」」」
「……皆さんお元気そうですね」
「どこがよ!ずっと正座辛いんだけど、もう3時間経ったはずよね?」
「いや、まあ、お嬢様がいいと言うまでの辛抱です」
「千羽ちゃんいいなぁ、あなたもだけど裕太君」
都内某所
5人の女性と1人の男性がいた。
5人は一列になって正座をしていた。
彼女達は昨日府中に行って『超常の扉』の奪取に向かったメンバーだ。
しかし、神岐義晴が府中にいたことで計画は破綻。神岐に全員がやられるという大失態を犯した。
『超常の扉』は奪えず記憶は消され、スマホと情報を抜き取られ、代わりに得たのは神岐の『超能力』が『認識誘導』という名前であることぐらい。
明らかに釣り合っていない。
というわけで、今日の朝ボロボロになりながらなんとか帰還した5人に対してお嬢様が最初にかけた言葉は労いではなく怒りだった。
彼女らはこの部屋に押し込まれ、ずっと正座をし続ける罰を受ける羽目になった。
「他の人達がお嬢様のご機嫌を取っているのでそう遠くない未来で解放されますよ」
「…はぁ、あと6時間はこのままね」
お嬢様のことをよく分かっているのの。
「えぇ!もう足の感覚ないですよ私」
既に限界の那由多。
「最悪、これなら出向かなきゃ良かった」
自分の判断を後悔している八散。
「まあまあ八散、あと6時間ですから」
終わりが分かったことで少し安心する紗穂。
「あくまでののの予想だからそれ以上もあるからね」
紗穂の安心を打ち砕く真澄。
彼女らの懲役は残り6時間。
何とか足を組み替えたり雑談したりで耐え忍ぶしかない。
「裕太。あなたここに来た用件は何なのよ?」
「あぁそうでした。忘れてました。神岐の追撃を回避するため拠点を変えるとのことです。なので荷造りをしてくれとのことでした」
「…私達動けないんだけど」
「はい、なので他の人達で手分けして片っ端から段ボールに詰め込んでいきます。『座ってるだけで全部終わってるなんて大層偉くなったもんねぇ』と伝えろと白波さん達が…」
ピキッ
「腹立つこと言うわね。事実だから否定出来ないけど」
「絶対段ボールに適当に入れられてるわね」
「割れ物や精密機械は流石に雑には扱わないでしょうけど」
「服なんて作家の没みたいにクシャクシャね」
「そっちの方が罰ですね」
「あはは、私が手伝おうとしたんですけど、タンス指定だったので流石に遠慮しました。女性のタンスを漁るのは流石に辛いです」
「…懸命ね、触った瞬間『甘魅了』で廃人にしてたわ」
(だから触ってないですよ…)
命の危機を回避した染節裕太。
新参なのでこういう愚痴を聞くのも彼の役目だ。
さらに唯一の男なので引越しにかかる力仕事は全て彼が担うことになっている。
彼がここに来たのは少しでも仕事をしないためのサボりの口実でもあるのだ。
ピコン
「…呼び出しです。引越しの準備が終わるまでは正座ですので、頑張ってください」
それでは、と言って染節は去って行った。
「白波達が遅延行為したら…」
「この前のワールドカップみたいな?」
「……6時間は夢なのか…」
「1日と6時間かもよ?」
「……無…」
♢♢♢
目黒駅
鬼束を探していた臼木涼祢だったが、突然の神坂からの電話によって捜索を中断して雪華を待っていた。
(実録側の敵側の超能力者が雪兎君に近付いた。殺したと言っていたが、敵側に蘇生能力者がいれば無意味だ。裏を返せば蘇生能力の存在を確かめることが出来るわけだが、それよりも雪華さんを人質に取られている以上、雪兎君は鈍ってしまうだろう。ツンツンしてはいるがシスコンは否定しようのない事実だから)
「まさか彩プロダクションに超能力者がいたなんて…、偶然にしても最悪中の最悪だな。月城も雪兎君も目黒に向かってるしな」
「くそっ、不思議な力の存在を知ったのならより一層滝波さんへの警護を強化するべきだった」
雪華…滝波夏帆からの電話は自身が狙われていることを告げるものだった。
どうやら白ウサギの不思議な力を狙う勢力の1人が事務所内にいたらしい。
(犯人は昨日いて今日いない人間を調べればすぐ分かる話だ。問題は滝波さんを狙う輩がどこにいるかが分からないことだ。臼木が目黒にいるらしい。どこに敵がいるか分からないから下手に動いてほしくないが、事務所の目と鼻の先も危険過ぎる。何とか臼木と合流が出来ればだが…。道中が最も危ないな)
「臼木君!」
「!保谷さん、来てくれたんですね」
「担当声優の危機だからね。それで、滝波さんとは合流出来たのかい」
「…いえ、一番乗りは保谷さんです」
「何だって?私は麻布十番にいたんだ。渋谷の滝波さんが先に着くはずだが……」
ザワッ
保谷はすぐさま雪華と通話しようとするが……
「……ダメだ。繋がらない。電車の中だからか?ラインも既読にならない」
「まさか……」
「白ウサギに連絡してくれ!」
「…………………」
姉からの最後のメッセージは『たさけち』だった。
何の脈絡もなくこのメッセージが送られてきた。
電話する余裕もなく急いでフリックした結果単語にならない単語が送られてきた。
た、さ、け、ち
フリックした場所は合っているがフリックのスライドを誤っていたと仮定するなら、た行、さ行、か行、た行になる。
緊急時に入力したとすると、
「た、す、け、て。くっそが!!」
間に合わなかった。
これも全て自分が下手に超能力を見せてしまったからだ。
後悔と苛立ち。
超能力があっても家族1人守れやしない。
無力な自分と周りに迷惑をかける自分が恨めしい。
「必ず、必ず取り返してやるからな!!!」
♢♢♢
ブーンブーンブーン
ピッ
「もしもし」
「もしもし神岐!」
「…奏音か。無事に逃げれたみたいだな。すまない、連絡が出来なかった」
「そんなことは良いの!暁美がいなくなったの!」
「…は?どういうことだ」
「撹乱のためにホテルに泊まってたんだけど、私がトイレに行ってる間に部屋から出てったのよ。護衛が見張ってたんだけど見張ってなかった非常階段を通ったみたい。ど、どうしよう神岐ぃ…」
弱々しい戸瀬の声。
「落ち着け奏音。あまり大々的に探すとここにいますよって伝えることになる。奏音は電話やメッセージを送ってくれ。俺の方でも探すから、安心してくれ」
「うん、ありがとう神岐」
ピッ
「……始まったか。ドクター」
♢♢♢
この日、3人の女性が消えた。
そのいずれもが消息不明。
最近世間を賑わせている誘拐事件との関わりも示唆された。
議員の娘、大地主の令嬢、人気声優の失踪は徹底して情報封鎖された。
封鎖された背景には、裏側の事情を知る神原、神岐、神坂の嘆願とそれに同調した豊橋、戸瀬、保谷の力も大きい。
神原からすれば駄愚螺棄とのいざこざの後に、
神岐からすれば府中動乱の後に、
神坂からすれば事務所見学の後に、
事が起こった。
『超能力』と『超能力者』
この言葉を知ってしまったことが、スタートラインだ。
『超常の扉』を巡る争奪戦はいよいよ神原神岐神坂を呑み込んで苛烈さを増していく。
そして、彼らに引っ張られる形で続々とこの争奪戦の渦中に入っていく者達。
消えたヒロイン
退屈のない『夏休み』はまだまだ始まったばかりだ。
消えたヒロインと止められなかった超能力者達の運命や如何に。
8月6日はまだ終わらない。
第4章がようやく終わりました。
終盤は駆け足気味でしたし書きたかったことが展開の都合上書けずにモヤモヤしてしまいました。
3年以上続いた第4章も終わりです。
鬼束の捜索から始まり、デート、聞き込み、見学、そして府中動乱。
第4章長すぎ問題がありましたので、今後は1章20話程度でコンパクトに書いていこうと思います。
さあいよいよ第5章です。
恋人を、友達を、姉がいなくなった3人はどう動くのか?
そしてドクター、羽原達、牧村達の動向。
周知になった鬼束捜索による影響は?
第5章をお楽しみに。




