さいしょのむら
……なんだか疲れてきた。具体的に言うと、食事のパラメータが半分を下回っている気がする。地図上ではようやく三分の二を過ぎたあたりだ。
やっぱり食事は必要らしい。しかしここには何もない。だからといってその辺の野草を食べることなんてしたくない。腹を壊したらどうする。
「したくない」……?
ゲームキャラクターなのになぜ「自我」があるのだろう。そういえば今まで思考があったのも変だ。
もしかするとこれが「想定外」ってやつなのかもしれない。これも緻密なプログラムのうちだと言われたら諦めるより他にないが。
「したくないことは想定外?つまりしたいことだけをすれば良いってこと?」
これがプログラムの欠陥であればそういうことになるだろう。そこに思い当たったのは良いのだが、だからと言ってこの疲れが取れるわけではない。むしろ、余計な思考はエネルギーの浪費に繋がる。
足元が不明瞭になってくる。だんだんと日が暮れてきているのだ。
そんなはずはない。おかしい。なぜ日が暮れる。
———勇者をはじめとするゲームデータキャラクターが、ゲームの世界に降りたときのチュートリアルとして、あの支配人が授業をしていた。確かその中で「この世界ってやつは夜という概念がない、だから時には洞窟に入って寝ろよ〜まぁそこにゴーストがいたら戦うのはお前らの仕事だ!そんときゃ頑張れ!がっはっは」とか言っていた気がする。そのときは「ほ~ん」としか思わなかったが、今になって考えるとおかしな話である。だってそうじゃないんだもの。
俺のことをたぶらかそうとしたクソ支配人を信じるのであれば、今この世界は壊れかかっている。
つまりなんでもできるってことか!?
こりゃあよい。どんどんと道が開けている。こんな機会を逃してはならねぇ。歩調が速くなっていく。
そうして歩くこと3時間。とっぷりと日も暮れたころに見つけたのは、まばらに一軒家が立ち並ぶ住宅街だ。いうなれば「さいしょのむら」だろうか、いや始まりは正確には森だったのだが。
近くにNPCがいる気配はない。寝てしまっているのだろう。しかし不思議な村だ。なぜお店がないのだろうか。少なくともこのゲームには一つの村に一店は出ているはずなのである。暗いし自分の確認不足なのかもしれない。いや、そのはずだ。そして奥には赤い光が見える。なんだあれは……?
今自分はその村の入り口に立っている。そのように認識した刹那、彼は空腹と疲労に抗うことが出来ず、
———疲労困憊だった彼がとったその行動は紛れもなく、「プログラム」としてのそれだった。眼前の民家のドアを開け、靴も脱がずにずかずかと入っていく。近くにある部屋を勢いよく開けるとそこには男NPCがいる。だが今用があるのはその先にあるベッドだ。無視して先に進もうとする……。
男NPCが声を荒げる。
「な、なんだお前!?」
どうやら驚きすぎて腰が抜けてしまったらしい。床を這いつくばりながら廊下に出ていく。
どうやら勇者の顔を知らないようだ。まぁ仕方がない、自分たちを現実世界の住人だと勘違いしているのだから知識がないのだろう。知らせてやる良い機会だ。
てかそもそも勇者の顔を知らないってなんだよ。対象年齢に似合わず随分とハードなゲームじゃねぇか。顔を広めるところからやらにゃならんのか。
どかっとベッドに腰を下ろしながら彼はNPCの背中に声を掛ける。
「俺が勇者だよ。『さいごのまち』にいる魔王を倒しに行く勇者だ」
だがNPCは「こ、殺すのだけはやめてくれ……」と玄関側から言い残して、出て行ってしまった。
殺す?何のことだか知らないがそんなことはしない。俺は眠いのだ。
目を閉じたところではっと思い至る。
……もしやあいつは魔王の手下!だから勇者である俺に恐れをなして驚き出ていこうとしているのでは?なるほど、だとしたら全ての行動に合点がいく。流石に魔王とその手下はここがゲームだという認識があるだろう。だから勇者の顔をみてあんなに逃げたのだ。
この世界に混沌をもたらそうとしている存在を放っておくわけにはいかない!
がばっと布団から跳ね起き、疲労困憊の身体に鞭打って戸口へと急ぐ。そして玄関扉に手をかけたその瞬間、外から勢いよく開かれた。勇者は「うわっ」とその場に尻餅をつく。
目の前にはさっきの男NPCと、水色の制服姿のNPCが一人。
男NPCが口を開く。
「こ、こいつです……なんかいきなり部屋に入って来て……」
制服NPCが勇者の腕をつかんで立ち上がらせて手錠をかけ、何かを言う。
今度は勇者の方が混乱する番だ。
「え、なに、なにこれ??これイベントなの??」
「イベント?訳の分からないことを言わずに、ほらご同行願います」
「『ご同行』って何だ??そんなの支配人は教えてくれなかったぞ??しかもなにこれ、外してくれない??」
有無を言わさず制服NPCが彼を連行する。がっしりと腕を掴まれているため逃げることが出来なさそうだ。
なんだこれ、この銀色の手首に巻き付けてあるやつは。こんなの支配人は教えてくれなかったぞ。どう抜け出すんだこれ、まさか強制イベントってやつか?
彼は脳内にインプットされているゲームスケジュールを思い返す。
序盤にこんなイベントはあったっけ……??ない、よなぁ?
相変わらず制服NPCは彼を引っ張ってゆく。どうやら行き先は近場らしい。
意味不明すぎるので尋ねてみることにする。
「お前分からないの?あいつは魔王の手下だと思うよ。だって……あぁそうか、こいつら現実世界の人間だと思っているから分からねぇのかよ」
「黙りなさい……まさかこの村で不法侵入とはな」
制服NPCは手のひらサイズの機械になにやら会話をしている。それにしても「ふほうしんにゅう」とは何のことだろうか?名目上どこにでも無断で入れる勇者の脳内にそんな言葉は存在していなかった。
「『ふほうしんにゅう』とやらは何のことだ」
制服NPCはそれを黙殺し歩き続ける。
「おい放せっての!!……ったく、俺は[プレイヤーネームを入力してください]だ。この辺を荒らしまくっている魔王を倒しに行くんだよ!ここは『さいごのまち』から離れているとはいえ、手下が来」
「着いたぞ。ほらそこ座れ」
彼の文句は切られた。
小さな建物に入らされ、そこにあるガタガタのパイプ椅子に座らされる。後ろにはまた別の制服NPCがいつの間にか立っており、石剣は没収されてしまった。勇者を連行してきたNPCは彼の対面に腰を据える。
「さて……と。身分など諸々は後回しにする。まず、何を目的としてあの家に入った?」
「いや、だって疲れていたら家に入れてもらって寝るのは常識では?勇者はそういうもんでしょ?」
「さっきから勇者だ魔王だ訳の分からないことばかり言って何がしたい?……小さな村だ、今のところ盗みとか殺しの被害とかねぇみたいだしな、正直に話したら見逃してやらんこともない。俺らも怪しい奴を一晩置いておきたくないしな」
「だーかーらー!!『ウィンドアンドバレーⅢ』の勇者ってのはそういうもんなの!!てか大体ゲームってそうでしょ?勇者には難しい法律とかなんとか適応されないの!!お前らは俺を見逃しておけばいいの!!そうすりゃエンドクレジットで『モブ-その他一般』として名前が出るかもしんねぇだろうがよ!!」
前後から失笑が聞こえ、後ろからバカにしたような声がする。
「『ウィンドアンドバレーⅢ』??どっかで聞いたことのあるゲームだな??そんでお前はそのキャラクターだぁ?こんな石剣まで持っちゃって。これだからゲームは駄目だ。現実との境が分からん人間を量産することになる。……なぁ斎藤、やっぱりこいつを町の奴らにしょっ引いてもらおうぜ。このままじゃ堂々巡りだ」
「そうだな、奴ら来るのおせぇし……とりあえず一晩ここに置いておくか」
「ゲームをバカにすんじゃねぇよ!そこで勇敢さを学んで成長するんだよ!」
文句を垂れる勇者を尻目に目の前のNPCはどこかに電話をかける。
「さいしょ村警察です。不審者一名保護につき対応お願いします……え?あと五時間も待ってられないっすよ、早めに頼んます~では」
「やっぱり『さいしょのむら』じゃねぇかよ」
「『さいしょのむら』じゃない。さいしょ村。聞いたことない?動物の犀に場所の所で『犀所』。とにかく朝が来るまではここにいてもらう。心配すんな、俺らは『田舎者』だからお前の言い分は分からねぇが、都会の奴らは聞いてくれると思うぞ」
どうやら本当に話の通じないNPCのようだ。ゲームデータの俺ですら乗り切り方が分からないんだ、こんなの子供が泣くぞ。
主張するのも疲れてしまったし、ここに座っているわけにはいかない。探せばどこかにヒーラーやら僧侶やらがいるはずだし、魔王の手下だっていつ襲ってくるか分からないのだ。
彼は後ろのNPCに言う。
「おいその剣返せよ。俺は発たなきゃならないの。お前らは俺にここにいてほしくないんだろ?だから勝手に出るから返せ」
「もう町の奴らに連絡入れちまったから無理。あと現在の法律ではこんな物騒なもの持って歩けないの。銃刀法違反だ」
「じゃあいらねぇからそこどけ!」
「もう不法侵入と銃刀法違反でしょっ引かねぇといけないから無理だって。あ、無理に逃げたら罪状かさむぞ。やめとけ」
「あ~~~!!!!もう!!!!こんな村のことなんて知らねぇ!さっさと滅びろ!」
途端に二人共露骨に嫌な顔をする。連行してきたNPCが口を開く。
「聞き捨てならんなぁ~?脅迫罪と受け取っても良いんだぞ?田舎だからってあんま舐めすぎんなよ?」
その時、建物の外から声がかかる。
「継町警察です。例の不審者を迎えに来ました」
後ろのNPCがドアを開ける。
「おん?早かったですね、五時間かかるって言われてどうしようかと」
「はははっ、すみませんね。一人で申し訳ないです。他の奴ら忙しいんですよ、俺だけ暇で」
制服に身を包んだ男が笑顔で入ってくる……がどう見ても顔が支配人のそれだ。
「お、こいつですね~、じゃあ厳しく取り調べとくんで」
勇者は彼に連れられ、傍らにある彼が乗ってきたであろう白黒の車に乗せられる。
「それではお疲れ様でした」
ぶるん、と気持ち良い音を立てて車が動き出す。
さて、と呟きながら支配人は勇者に話しかける。
「災難だったな~、警察なんかに捕まるなんて」
「え?あいつら警察だったの?こんな俺を捕まえるからてっきり警察を装った何かだと。じゃあこれパトカー?」
「そう、パトカーだ。最初に言ったろ?現実世界なんだって。不法侵入に刀所持……。そりゃあ捕まるなぁ!はっはっはっ!」
……やっぱり現実世界なのかもしれない。この支配人のことを信じたくなかったが、そうじゃなかったら説明がつかない。
「だったらどうしてもっと早く来てくれなかったんだよ」
「俺だって暇じゃないの。全世界で八万五千本売り上げたゲームだぞ?そんじょそこらに困っている勇者がいるんだよ。だけど俺はシステム上一人しかいない。お前だけ特別扱いはできないの。お助けキャラの悲しい運命だね」
「なんかあんま売れてなくね?……まぁいいや、でもこんな目に遭っているのは俺だけだろ?だったら俺を優先しろよ」
「だから全ての文句は開発者に言えよ。俺だってプログラムの範疇でしか動けねぇんだから。今は特別にデバッグモードを起動できているだけだし。疲れるんだなこれが。しかし緩い警察だったな~」
彼が車のラジオをつけるとニュースが流れ始める。
「今日二十一時頃、継町町役場前で爆発事件がありました。警察は事故の原因を調べていますが、何かしらの液体が原因になった可能性が……」
お、と支配人が嬉しそうに言う。
「ハッタリだったけど、奴らが忙しそうなのは本当だったな。いや~バレたらどうしようかとヒヤヒヤだったぜ」
まじかよこいつ。
「支配人って警察でもなんでもないですよね?ならどうしたんですかこの制服とパトカーは」
「ん?くすねてきた。やたらと騒がしかったからそれに乗じてな。あの騒ぎも事件のせいだったのかー。まぁ後で返すから大丈夫!そもそも俺ゲームデータだし罰せられても痛くないもんな」
どちらかというと捕まるのはお前の方だろ、と勇者は心中で独り言ちる。
「で、どこまで行くんですか?」
「ホテルでも良いか?金ならやる。一晩どうにかしてそこからなんとかしろ」
「何すりゃいいんだよ……」
「お前なら出来るって!あ、そうだった、ホテルはこの警察の管轄外だからここから歩いてってくれねぇ?ここまできたらあとは真っ直ぐ行くだけだから。ほら出た出た」
半ば強引に降ろされ、パトカーはサイレンも鳴らさずに夜の闇へと消えていった。
「結局何一つ解決せず、か……」
そういえば食料をもらうのを忘れていた。懇願したところで「そんなものはない」と突っぱねられるのがオチだっただろうが。
彼はホテルまで歩みを進めた。