恋ノ風
「この堅田薬局も安泰ね、孝希くんとさゆりちゃんがいるなら」
また、か。この話は何度聞いても飽きてくるし、そんな関係性ではない。……今は。
「関口さん、そんなことは――」
「小さい薬局でも長く続いてくれる方が、私たちも安心だわ~」
幼馴染の孝希――堅田孝希の否定の言葉をかぶせるように、関口さんは喋る。それに孝希が落ち着かないように、おろおろとしているのを見るのは楽しい気がする。まぁ、次が詰まっているわけだし急がないと、という気持ちは分かる。
「関口さん」
「あら、さゆりちゃん」
だから、私――早水さゆりは助け船を出すかのように関口さんに声をかける。
「私と孝希はそんな関係ではないです。あと、今日のお会計は……」
そこで孝希にバトンを渡す。
しかし自分で否定しておいて、正直辛い。何が嬉しくて自分で自分の首を絞めなくてはいけないのだろうか。
「さゆり、すまない……助かった」
悩みの元凶の一人である孝希から、先ほどのだろう謝罪の申し出があった。こういうところは律儀だなぁと毎度思う。仕事では持ちつ持たれつなので、気にしなくて良いと思うけれど。
「気にしないで、関口さんよく喋る人だから」
いつも来る常連さん、……いやでも薬局に常連なのは、いかがなものか。
この小さな薬局――孝希の家の薬局では、昔から続いているので長く来てくださる方が多い。たまにしか来ないのが一番だが、どうしても常連になってしまう方もいる。ここで私は事務をしていて、孝希は薬剤師だ。
物心ついた頃から孝希とは一緒にいる。唯一離れたのは、私が専門学校であいつが大学に進学した時だ。進路が異なるので当然ではあるが、家が隣なので週に一回は顔を合わせている。大学の話を聞くのも、楽しかった。その都度あいつは「さゆりがいたらよかった」とか言う。そんな関係ではない、きっとあいつも深く考えはしていない。今まで面倒みたり、さっきみたいにフォローしたり、そういうことが多々ある。その程度でしか認識してもらえていない。こっちは、何年片想いをしているか――……。
高校卒業の時に、一度告白しようと試みたことはある。あいつが私に『恋』なんていう感情の好きを持っていないことは分かっている。だから、意識してほしいがために告白をしようとした。だけど、万が一、距離が出来てしまうことを恐れた。今の関係の居心地の良さを、選んでしまった。今のまま、恋愛感情を抜きにして一番大事なのはお互いという関係を、壊したくなかった。
なんて、このままだったら孝希は相手をどこかで見つけるかもしれない……仕事熱心だが、隠れファンが多い。高校時代にファンクラブがあったらしい、友人曰く。それか「お互い相手いないし、さゆりのことはよく知っている。俺のことはさゆりがよく知っている。結婚するか」とか言いそうだ。違う、そうじゃない! 結婚したくないわけじゃないし、あわよくば……だが、よくあるデートとか甘い空気を堪能したい。お互いの部屋に行き来しているけれど、そういう甘い空気は当たり前だがない! 踏み出すしか、ないのかもしれない。でも、そういう目で見られないって言われるのは、避けたい。
「はぁ」
自然に零れるため息。我ながらワガママなこと。きっかけがあれば、恋バナとかできれば、踏み出せるのだろうなぁ……でも、しばらくはこの関係に甘えていたい。孝希以上に素敵な人が現れてくれれば……。
「お姉さん美人だね。ねぇ僕と付き合ってくれない?」
帰宅途中、と言っても徒歩五分ぐらいの距離を歩いているときだった。見たことのない人――仕事柄人の顔は極力覚えるようにしている――が声をかけた。私より少し高めの、見た感じ軽そうな人だ。そもそも声をかけてきた時点で、軽いのかもしれない。
「えっと……?」
言われた言葉の意味が理解できず困惑している。
「僕は斧田啓太。大学の帰り道に、僕好みの人がいて声をかけちゃいました」
笑顔が咲く、とはこういうのか……と考えてしまうほどの明るい笑顔だった。言っていることはさておき。
「ね、お姉さんの名前は?」
その笑顔のまま、問い掛けられる。だから、思わず何も考えずに
「早水、さゆり」
と答えてしまった。ナンパしてきた相手に、名前を教えてしまった。斧田啓太と名乗った青年は、更に笑顔を輝かせた。知りたかった情報が知れたのだろう。
「ね、さゆ。僕と付き合ってくれない?」
初対面相手に、そう軽く話せるものなのか……? と疑問を抱く。きっと斧田さんは、人との距離感を縮めるのが得意なのだろう。
「ごめんなさい。斧田さんとはお付き合できません」
――私には、好きな人がいます。
そう言いたかったが、一言も発していないが隣に孝希がいる。ちらりと視線を向けるも、興味ないように何の表情も出ていなかった。分かってはいたが、やはり胸が痛む。
「そっか。じゃ、またね」
そう言って、斧田さんは去っていった。……淡泊過ぎない?! ダメならダメで、次に行くという心の持ちようなのだろうか。初対面相手に、ここまで出来るわけはないけれど……気持ちを伝えて、ダメなら次、というのは……きっと私には持っていないもの。少し、いいな。
「さゆりは」
そこで、ようやく孝希が言葉を発した。私は視線を向ける。
「昔から憧れの的だったり、好意を寄せられやすかったりしていたが……誰とも付き合ったことないよな」
前半に気を取られた。憧れ? 好意? そんなことは一切ない。知らないところでそんなことに? いやそれはない。そんなことは、ないはずだ。
「知らなかったのか? クラスメイトから結構さゆりの話は訊かれたぞ」
「ちょっと待て」
思わず声に出してしまった。
つまり、昔から私のことを憧れ? とか好意? とか抱いてくれる人がいたわけで……それを孝希に相談していたという……? そんな話は一切聞いたことないし、そんな話をしたこともない。
同時に胸が痛んだ。そういう相談を受けていて、孝希はどう思ったのか。なんとも、思わなかった……から、そんな話が軽く出来るのではないか?
「……なんで、私が誰とも付き合わないとか、考えたことあるの?」
なんとなく、訊いてみた。自惚れるような人ではないが、少し期待をしていてほしい。
孝希は考えているように黙り込んだ。と言うか、お前も誰とも付き合ったことないだろう!
「お前に合う人がいなかった、からじゃないか?」
答えを見つけたように、私に問い掛ける。そうだよな、そうだったな。自分自身はさておき、周りに対しても恋愛感情に非常に疎い。遠回しのアプローチは気が付かないし、直接のアプローチは丁寧に断るような男だった。合う人がいない、か……好きな人の有無については触れないか。
「……どうだろうな」
自分から訊いておいて申し訳ないが、曖昧な返事をした。
そのあとにお互い無言のまま、家に入った。
部屋に入って、ベッドに腰かける。
先ほどの出来事を思い出す。最初から、孝希は何も言わなかった。合う人がいないから、付き合ってこなかったと思われていたことは……もしさっきの人と合うようなら止めはしない、ということか。考えが甘かったな……孝希も、自覚していないが同じ気持ちなのだろうと少し考えていた。あいつも付き合ったことはないし、隣にはずっと私がいた。幼馴染でしか、ないということだ。
「これから先、も」
この先も、幼馴染でしかない。自己満足で気持ちを伝えても、孝希は変わらないだろう。ただ、失恋したときに常連さんのような言葉があると痛いなんてものじゃない。きっと、この先違う人と付き合って冗談っぽく「昔はね、孝希が好きだったこと気付いていた?」と言うのが良いのだろう。
さっきの人ではないけれど、次の人を探すときかな。
「ん?」
不意に孝希の言葉を思い出す、憧れの的や好意を寄せられやすい、と言われたが……実際告白されたことは、専門学校進学するまで一切なかった。孝希の言うクラスメイトは高校とか中学だろうが、その時はなかった。一切なかった。もしかして私の気持ちが筒抜けだった……? 孝希に言いに行くのに、いやきっと同性で話しやすいと言うのか盛り上がるネタなのでそういう話になっただけかもしれない。それか孝希にどう思っているのか訊いて「大事な存在だ(幼馴染の意味として)」と答えたのを相手が真に受けたのかもしれない。ありえる、ありえる……! 結局のところ私を良いと思う人がいても真剣に向き合うというのか狙ってくる人はいなかったわけか、これも言葉足らずな孝希のせいだろう。八つ当たりぐらい、許してほしい。
「さゆ、おはよう!」
通勤途中で、またも彼と会う。少し警戒をしたけれど、挨拶だけして去っていった。もう会わないと思っていたけれど、まさか次の日に会うなんて……。
と、言う日が続いた。
毎日じゃないし、いつかなんて分からない。朝だったり夜だったり……数日会わないと思えば、連続で会ったり。でも挨拶だけ。それ以上はないし、近所付き合いのような挨拶だ。まぁ……たまにお世辞は言われるぐらい。孝希は隣にいても、何も言わない。口出しする権利はないとでも、思っているのだろう。
「さゆ、お仕事お疲れさま」
どうやら今日は待っていたらしく、笑顔で近付いてくる。
「今日で会って一ヶ月だけど、どう? 気持ち変わった?」
一瞬何を言われたのか分からなかったが、彼は引いたわけではなかったらしい。一ヶ月とか正直気にしていなかった、マメな人だな……外見はさておき。
今日は隣に孝希はいない。だから
「何度来ても、私の気持ちは変わりません。私、好きな人がいるので」
しっかりと彼の目を見て、言った。最初は正直怖かったが、マメでちゃんと挨拶してくれる彼は優しい人なのだろう。私に時間を使わないで、もっと合う人を選んだ方がいい。
「うん。そうだろうな~と思っていた。いつも隣にいるお兄さんでしょ?」
私が投げたボールを、見事に打ち返した。諦めるとかなく、しかも私の心が読まれているように……見事に当ててきた。
「好きな人はよく見るから、なんとなくわかっちゃう」
私が何も言えないでいると、止めを刺すように言葉を続けた。
それは、私も分かる。孝希のことを視線で追って、今何に興味があるのとか気付いてしまう。誰が好きなのか、気になってずっと見ていた。特定の人を見ることはなく、視線を向けていると思った相手は困っていたり助けを求めていたりする人だった。根っからのお人よし。
「わかっているのに、ずっと……」
挨拶をしていた。見ていた。口説いていた。どの言葉が正しいのか、分からなかった。 ただ、じっと彼を見てしまう。
「だって」
私が続きを口にしないと分かったからか、視線を合わせて彼が口を開く。
「行動しないで、諦めたくないから」
普段の笑顔はなく、真剣な表情だった。その言葉は、私に突き刺さる。
叶う可能性が低いと分かっていても、真っ直ぐに自分の感情と向き合って行動をする。それは辛いだろうけれど、私が欲していたものだった。私は、幼馴染という立場に甘えて、行動をしていない。
「だから」
――どうしてこういう展開になった?
正直自分に問いたい。彼の言葉で、自分の心を突き刺されてから曖昧になっていたのが悪い。いやでも、正論だったし……私に向けた言葉ではない。それを私が勝手に突き刺されただけだ。
あの後、一回でいいから一緒に出掛けたいと言われた。その真っ直ぐな行動に、言葉に、頷いてしまった。つまり、今度の休み、よりによって日程が合ってしまい彼と一日出掛けることになった。これは、その……デート!? いや、ちょっとした買い物かもしれない。昼ごはん食べてきてから十三時待ち合わせと言われた。それでも、服装はどうするべきか。普段のようなオフィスカジュアルか、デートのような……そもそもデートらしい格好とは? 誰とも付き合ったことないし、もちろん異性と二人出掛けるなんて孝希を除けばない。孝希だと服装を気にしたことはない、昔から一緒だから服の好みも何もかも知られている。もちろん可愛く見られたいが、何を着ても「似合っている」と言う人だ。
彼は、どうだろうか。可愛めの、普段の服装で良いだろうか。ワンポイントのついたブラウスにシフォンスカート……こういうので良いか。張り切るのも失礼だし、告白断ったわけだから。しかし言って手を抜くのも失礼。友達と遊びに行くような服で、いいか……。
約束の当日、少し早めに着いた……待たせるよりか良い。と思って待ち合わせ場所に向かったのに、すでに彼はいた。
「えっと……斧田さん、すみません。待たせました?」
待たせたくなかったのに、待たせてしまった。なんとなく、ギリギリに来るだろうと思っていたのに予想外だった。やはり根は良い人だ、見た目で損しているタイプ。
「僕も今着いたところだから気にしないで」
こういう人ほど早く待っているだろう。だが、喰いかかるのも失礼。
「わぁ、すごく似合っているし可愛い。うーん、綺麗のほうがしっくり来るかな」
人の服装をまじまじと見て、素直な感想を……前言撤回、やっぱり彼は軽い。でも嬉しいし、こんな風に面と向かって言われるのは初めてで……思わず顔を逸らす。
「あ、もし待たせて悪いと考えているなら今日は啓太って呼んで。あと敬語もなし」
もしかして待たせたことに対して顔を逸らしたと思われたのだろうか……そういう気遣いが出来るのはすごい。だけど、決して顔を見られたくなくて逸らしただなんて言えない。
「啓太、くん?」
本当は彼の名前を忘れていた。辛うじて苗字を覚えていたぐらいだから、名前で呼んでと言われなくてよかった。
「うん。デートだから楽しもう」
そう言って、左手を差し出された。
……これは、どういう意味だろう。荷物を持つと言うのだろうか、だが重いわけでもないし貴重品を預けるには、そこまで信頼していない。差し出された手を眺めていたら、啓太くんが私の右手を掴む。そういうことか! 人と手を繋ぐなんて、久しぶりで非常に恥ずかしい。
そのまま引っ張るように先に歩き出す。どこに行くのかも言わず、歩き出す。でも決して早くではなく、歩くスピードは遅め。それが、どこかもどかしい。相手に合わせて歩いていたから、相手が私に合わせてくれるのが違和感。歩きやすくて、焦る必要がない。でも、嬉しくて思わず繋がれた手に力を入れた。
「映画館?」
着いた先は、映画館だった。
「どうしても観たい映画があって……アレだけど、いい?」
啓太くんは、今話題のアクション映画を指していた。恋愛物でもなく、感動物でもなく、今話題のアクション物。驚いたけれど、私も観たかったからよかった。
「もちろん。私も観たかったから、嬉しい」
そう言いながらチケット売り場に並ぼうとしたとき、繋がれた手が引っ張られた。啓太くんに視線を動かすと、二枚のチケットを見せていた。
「貰い物だけど、チケットあるから大丈夫」
そう言い、館内の売店へと腕を引っ張られた。
結論から言って、楽しかった。映画だけじゃなく、一緒に出掛けたのが。
時刻は十八時。この後は、と言いたいが私は自宅にいる。啓太くんを呼んだわけでもない。あの後、映画を観て、有名チェーン店でお茶をして、解散となった。とても健全なデートであった。
啓太くんは、すごく私のことを考えてくれていた。会って間もないけれど、私が楽しめるようにしてくれていた。でも無理に合わせている感じは一切なくて、きっと私が好きそうなことを一緒に楽しんでくれていた。
まだ出会って少ししか経っていないから、啓太くんのことを全然知らない。それでも……行動できず、何年も待つだけの恋をするぐらいなら流されてしまった方が良いのだろうか。この先も同じように私のことを想ってくれる人が現れるか限らない。
「あー、もうっ!」
悩んでも今すぐ答えの出ることではない。散歩がてらコンビニに行こう。楽しかった気分が台無しになる。
帰ってきてから着替えていなかったので、財布と携帯だけ手にして家を出る。
ひんやりした風が、どこか気持ち良い。
「さゆり?」
コンビニへとあと数歩のところで、会いたくない人がいた。孝希もコンビニに行っていたらしい。
「その格好……」
そういえば孝希とも最近出かけていない。友達と出かける時はパンツスタイルが多い。こいつの前でスカートなのは、本当に久しぶりだった。ことを今思い出す。
「何? 今日出かけていたの」
冷たい言い方をしてしまった。八つ当たりだ、完全な。でも出た言葉は取り消せない。
「あいつと、か?」
普段詮索など一切してこない孝希の言葉に、目を見開いてしまった。あいつが誰を差すのか、分かってしまう。でも、それ以上に詮索されたことに意識が向く。
「……そうか」
私が何も言わないため肯定と思ったらしい。孝希はそう言い残して、私の横を通って行った。
呼び止めようと、した。だけど、呼び止める意味がない。そんな関係じゃない。ただ誘われて行っただけ。それを言ってどうなる? どうもならない。ふと、頬に何かが伝う。水――涙だ。涙が無意識に溢れていた。
何を言ってほしかったの? 何て言ってもらえれば良かったの? 私は、孝希に何を期待していたの?
自分への問いかけは、答えを導いてくれなかった。
あの日から、孝希との距離が開いた気がする。普段と変わらないけれど、どこか違う。きっと私と孝希しか気が付かないほど、小さな変化。どうすれば良かったのか、分からない。今までを望んでいたのに、どうしてこうなってしまったのだろう。
そんな時、携帯が振動した。啓太くんからのメールだった。内容を読んで、携帯をポケットへ戻す。
いい加減どっちつかずの甘えたままは、どちらにも失礼だ。孝希とも、せめてもとに戻りたい。我が儘かもしれないけれど、ちゃんとしないとダメだ。
前回から時間が空いて、啓太くんと二回目のお出かけ。少し暖かくなってきたので、ワンピースにカーディガンを羽織って出かける。このお出かけが楽しかったら、啓太くんと向き合おう。それが私の出した答え。
「さゆ、もう着ていたの!?」
今日はかなり早めに待っておいた。前回が悔しいとかではなく、待つのも出かける醍醐味だから。
「ううん、来たばっかり」
笑顔で伝える。そういや啓太くんに笑いかけたことは、ないはずだ。会話の流れで笑うことは多々あるけれど、面と向かって笑いかけたのは初めてだ。それは啓太くんも分かっていることで、驚いた表情をしながら私を見ていた。
「うん、笑顔が似合うね」
頬に手を添えられ、まじまじと見られる。さすがに、恥ずかしい。
「ね、今日はどこ行くの?」
拒むように顔を逸らした。本当に扱いに慣れている、誰にでもやるような感じで自然な動き。触れられたところが、熱を持っている。
「今日はショッピングモール!」
そう言いながら手を繋がられ、引っ張られる。
あまり男性は買い物を好まないイメージが強い。あれこれと悩むのは、どうしても女性のイメージ。ただショッピングモールをふらつく、気になるお店があると寄る。そんなことを、男性はあまり付き合いたくないと思い込んでいた。と言うか、友人がよく文句を言っていた。――偏見だったのだろう。啓太くんは楽しそうに付き合ってくれた。むしろ私が振り回された。
「さゆは、こういうデザインが似合いそう」
アクセサリー屋さんでは、イヤリングを耳に当てたり、髪飾りを髪に当てたりした。こういうの、付き合ってくれるのは嬉しい。男性の視点での意見も、くれる。孝希も、昔は付き合ってくれた。でも「似合う」しか言ってくれなかった。こういうのが似合うとか、意見がほしかった私には物足りなかった。……ダメだ、今は啓太くんといる。暗い気持ちになったら、いけない。
「ね、僕にこれはどう?」
ワンポイントのピアスを耳に当てながら啓太くんが問う。
「うん、似合う。あ、こっちも似合うかも」
啓太くんは自分の似合うものを把握しているみたいで、当てていたピアスはピッタリだった。だけど、別のピアスも似合いそうで、私はそれを手に取る。そして自然の流れで、啓太くんの耳に当てる。うん、やっぱり似合う。
「そ、そう?」
予想していたリアクションと異なり、驚く。ふと、ピアスに視線を戻すと、啓太くんの耳が赤い。その反応に、何故か私まで照れてしまう。
「さゆが、そういうなら、買っていこう」
私の手からピアスを取り、レジに向かって歩き出した。その場に残される私。
啓太くんは、本当に私のことを好きでいてくれると改めて思った。それが、胸に広がる。温かくて心地よい。でも、どこか違和感がある。もしも、孝希なら――そんなありもしないことを、考えてしまう。啓太くんを通して、孝希を見てしまっている……? それは、失礼だ。もう、決めたはずなのに。
会計が終わった啓太くんは、私の手を引っ張り外へ出る。このショッピングモールからは、海が近い。風が、気持ち良い。無言のまま、二人で海を見る。音が、波が、海鳥の声が、ただ聞こえる。
「さゆ」
真剣な声が、隣から聞こえた。私は視線を海から隣に向ける。
「改めて思った」
隣――啓太くんも視線を私へと向ける。
「最初は見た目で声をかけた。だけど、そのあとに一緒に出かけるようになって……それがすごく楽しかった」
見つめ合って、私は何も言えない。
「僕は、さゆ……君のことが好きだ。だから、付き合ってほしい」
最初に言ってくれた軽い感じではなく、真っ直ぐに真剣に、啓太くんは言った。私は、思わず顔を逸らした。
最初は軽いナンパ師と思った。だけど真っ直ぐで、真面目で、一緒に出かけるのは私も楽しかった。啓太くんと付き合うと、絶対に楽しいし幸せになれる。逸らした顔を戻し、啓太くんに視線を合わせる。
――なのに。
右肩に、啓太くんの左手が置かれた。右手は私の頬を滑らせて、顎に触れる。静かに、顔が近づく。
ソレが何を意味するのか、理解した。そして、ただ、本当に無意識に――
「やっ……! 孝希……!」
長年の、想い人の名を口にした。
と、同時だった。左肩を掴まれ、後ろに思い切り引っ張られる。もちろん、私はバランスを崩す。でも倒れずに、背中から温かさを感じた。左肩の手が、私の首回りを滑り右肩へ回される。――後ろから、抱きしめられている? 誰に?
「何の用? お兄さん」
啓太くんが私の後ろにいる人に向かって、声をかける。
「嫌がる相手に無理やり迫るのは、どうかと思うが」
私が決して聞き間違えるはずのない声が、頭上から聞こえる。どうしてここにいるの? そもそも何で抱きしめられているの? 頭の処理が、追い付かない。
「……あーあ、気が付いちゃったかぁ」
何かを悟ったかのように、啓太くんが視線を海へと向ける。そのまま、私に背を向け歩き出す。
言いたいことはたくさんあるけれど、私は言葉が出なかった。啓太くんに言わないとダメなこともだけど、今の状況も理解できなくて。
「さゆり?」
私が無言なのに気が付いたのか、巻かれていた腕が解け、私の前に姿を見せる。
長年の想い人――孝希がいた。
「……なんで、ここに?」
そんなことが言いたいわけじゃない。でも、いやどこに行くか告げていないのにいるのも謎ではある。それは今訊かないとダメなわけじゃない。それなのに、第一声がこれだった。
「あいつ……斧田くんが、ここに行くと言っていて……すまん、気になって後を付けた」
何で啓太くんがそんなことを言ったのだろう。何で孝希は気になって後を付けたのだろう。疑問は次から次へと、浮かぶ。
「大丈夫か、さゆり」
心配そうな表情で、顔を覗かれる。そのまま、目元を孝希の右手で擦られる。私、涙が溢れている?
「嫌がっていたから助けたが、嫌だったか?」
違う、そうじゃない。でも、涙が溢れる。
孝希の背中に腕を回した。孝希の体が強張ったが、ゆっくりと優しく私の背中に腕を回してくれた。落ち着かせるように、背中を優しく叩いてくれる。
私バカだ。何が流された方が良いと思った……そんなの、啓太くんに失礼だ。叶わなくても、報われなくても、好きな人は一人しかいないのに。行動しないで諦めるなら、きっぱりと未練もなく諦めてから次にいかないと失礼だ。啓太くんを利用して、孝希の気を引こうとして、なんて失礼なことをしたことか。
啓太くんといるときは楽しかった。でも頭の片隅に、ずっと孝希がいた。孝希と来たいとか、孝希なら、とか……そんなことばかり考えていた。私は、孝希しか見ていなかった。ああもう本当に最低だ。啓太くんに謝らないと。そして、今は勇気なくても、いつか勇気出たら……孝希に告げないと。
「孝希、ごめん。それと、ありがとう」
背中に回していた手を前に持ってきて、胸を押す。孝希は私の背中から腕を放し、肩に手を添えた。
って、我ながら無意識とは言え抱き着くなんて……!
「謝るのは俺のほうだ」
肩に置かれた手が、少し力入るのが分かった。孝希が、私に謝る?
「慢心していた。さゆりは、ずっと俺の隣にいてくれると」
何を言いだしているのだろうか。
「そんなことはなかった。今回、さゆりが俺の元からいなくなるのかと思ったら焦った」
何を焦ったのだろうか。
「やっと気が付いた。自分の気持ちに」
孝希の、気持ちに?
視線を孝希と合わせる。普段以上に、真剣な眼差しだ。でも、どこか優しさを感じる。こんな眼は、みたことない。誰かに見せているのも、ない。
「さゆり」
ゆっくりと、孝希の口が動く。
「俺はさゆりが好きだ。だから――」
同じような言葉を、ほんの少し前に言われた。でも、感じ方が違う。他のことを考える余裕など、一切ない。ただ、その言葉が私の胸で反芻する。
止まったはずの涙が、再び零れだした。
「先日は、本当にごめんなさい」
謝って許されることではないけれど、けじめとして謝罪をする。
「それは何に対する謝罪?」
相手の顔は見えない。というか私が頭を下げたままだからだ。声からして、怒りは感じない。だが意外にも表情を変えることを知っている。
「いろんなことに、おきまして」
どこから謝るべきか。まずは告白に対する謝罪。そして期待を持たせてしまったことへの謝罪。あとは利用したことへの謝罪……あとは……。
「んー、それなら僕も謝らないと」
意味が分からなくて、顔を上げる。相手は――啓太くんは笑顔だった。普段通りの笑顔だった。それが、どこか安心する。のは、さておき
「えっと啓太くんが謝る……?」
実は私への気持ちが嘘でしたー、とか? ありえる。
「僕ね、お兄さん……孝希さんが恋愛感情抱いているのは最初から知っていた、さゆに」
――は?
「でも自覚はなかったみたいだし、さゆが孝希さんに行動すると思っていなくて」
ナニヲイッテイルンダ?
「で、今ならさゆを狙うチャンスと思って近づいたの」
そういや、啓太くんはあの時孝希が来てすぐに離れていった。しかも「気が付いちゃった」と言ったことがすべて繋がった。最初から、全部読まれていたってことになる。年下に。私も、孝希も。
「まぁ、さゆが気にしているだろうなぁと思うところつけ込んだりしたからさ……それを謝りたくて」
とんでもない観察力の持ち主だ。
「だから、ごめん」
啓太くんは、頭を下げた。
「なんだ、まださゆりを狙っているのか?」
その言葉と同時に私と啓太くんの間に、人――孝希が入り込む。いつからいた、こいつ。最近気配を消しすぎだろう。それとも、それを知って啓太くんは頭を下げたのだろうか。
「まさか! 孝希さんが自分の気持ちに気付いたなら勝てるわけないし」
頭を上げて、降参を意味するかのように両手を上げる。
「でも」
そこで、啓太くんが孝希の横をすり抜けて私の右腕を掴む。
「もし孝希さんが泣かせたり、孝希さんのことが嫌になったりしたら相談……というか奪っちゃうかも」
啓太くんの目は、笑っていなかった。口角だけあげて、どことなく黒い雰囲気が漂っている。それに対抗するかのように、孝希も口角を上げる。
「そんなことさせない。だから、腕を放せ」
そう言いながら、私の左腕を掴み引っ張る。そのまま掴んだ手を腰へと回す。
両者睨み合う間に立たされる。
「てか、私の気持ちはどうなるのよ」
人の気持ちを無視して、勝手に話を進めないでほしい。
手を伸ばせばすぐに届く距離にあった幸せを掴むのに、時間がかかった。待つことが必要な時もあるけれど、行動を起こすことも大事だと知る。当たり前だけれど、それが出来なかった。
遠回りして他の人を巻き込んで、ようやく手に出来た。もしかしたら違う展開もあったかもしれないけれど、今が良いから、気にするとはないか、な。
想いに囚われていて、自由に動けなかった。
風みたいに、自由に動いて、行動すべきだった。
それが分かったから、成長したかな。
今度は、この幸せを手放さないように――。
孝希くんの「だから――」の後は、何パターンか考えたんですが、どれが良いか分からなくなって想像に任せる形にしました。
恋は双方待っていても進展は一切ないのが、面白くもあり悲しくもありますね。