仙人、『形意拳』VS『八卦掌』、試合一時中断、この世界に来て初めての情報
イズミが『避正斜撃』の構えから動く。『趟泥歩』と呼ばれるぬかるみの中を歩く様な、足をほぼ上げないすり足のような動きで将人の円周上を移動する。その動きは緩やかに流れる水のようだ。動きがかなり早く、目で追う事が困難だった。
「『八卦掌』の『走圏か」
『八卦掌』は技術動作を学ぶ前に時間をかけて円周上を歩行する練習を行う。これを『走圏」という。この『走圏』を学んでから技術動作を学ぶのだが、イズミはこの歩くという動作を決して軽んじておらす、恐ろしい程の修練を積んでいる事が見て取れた。将人は動揺を抑えながらも、四方を警戒する。不意にイズミが将人の正面で動きを止めた。イズミがこちらの攻撃を誘っているのは明白だが、将人はあえてそれに乗った。将人は『三体式』の構えから右縦拳、『崩拳』で突く。イズミは将人の拳を伸ばしていた右手で側面から巻き込むように受ける。手首を回転し転がすように逸らす。その時点で将人の拳から力が失われていた。更に掌で突かれる。ドンという衝撃が将人の右胸に走る。グウッという呻き声をあげながら将人は後ろに下がる。
(『崩拳』を無効化された!? 『太極拳』の『化勁』みたいなことをしやがる!?)
イズミは更に追撃する。『八卦掌』の流れるような動き、四方八方からの連続攻撃。『八卦掌』には一撃必殺の様な強力なほとんど無い。それ故に流れるような連続攻撃を得意とする。あっという間に間合いに入られ、顎を打たれる。それを防ぐと今度は股間。両足を挟んで防ぐと今度はクルリと後方に回り後頭部を打つ等ともかく激しい連続攻撃が続く。この状況を打破すべく攻撃に転ずるもこちらが一撃入れようとするのに対してイズミは三撃手を出してくる。にならざる負えなかった。
そして将人は決定的な隙を見せてしまう。防戦となり一歩下がった所に窪みがあったのだ。将人はそれに足を取られ仰向けに倒れてしまったのだ。ウェルがイズミの動きを封じるために作った窪みに将人が見事にはまってしまったのだ。起き上がろうとする将人の上半身に向かってイズミが蹴りを入れる。将人は両腕をクロスぢて蹴りを防ぐ。そしてまた、仰向けに倒れる。まったく力は入っていない蹴りだった。ダメージを与えるのではなく起き上がれない様にするのなら十分役目を果たしたと言える。
イズミは無慈悲、無表情に将人を見下ろしていた。
「死になさい」
その一言の後イズミの猛攻が始まった。イズミの掌底や貫き手が流星雨が如く打ち下ろされる。両腕で必死に捌くもののイズミの手数がともかく多い。こちらの防御を突破してくる打撃が徐々に増えてくる。
(ヤバい、このままじゃホントに………)
攻撃が頭部に入り、気を失いかける。もうだめだと諦めた時、突然イズミが後方に下がった。そして後方に下がった原因を睨みつけた。
「一体どういうつもりですか?」
「お主らこそ勝手に勝負を始めおってどういうつもりじゃ」
将人は自分の後方に首を傾け声の主を確認する。
「……マルテナ様?」
そこにいたのはレ・ウォール王国第二王女、『聖剣』の二つ名を持つ剣士マルテナ・ケヴィン・エアリアスだった。王女らしく純白のドレスを着ているのだがその手には長剣が握られていた。
「ウェルとの試合はまだ終わってはおらんじゃろうが。それなのに勝手に試合を始めおって。このままじゃとお主ら二人とも失格じゃぞ」
マルテナの言葉にウェルは怪訝な顔をする。
「でも、あのゴミムシは戦闘不能にしたと思いますが?」
「ゴミムシとはひどい事言うのう。あのバカ乳はあれでも女子じゃぞ。そんな言い方があるか!」
「バカ乳も十分ひどいと思いますが……」
「それはさておき、戦闘不能というがお主、ウェルの意識を奪っておらぬし、ウェルは負けを宣言しておらぬだろう。ならば、ウェルはまだ戦闘可能という事じゃ。まだウェルとの試合が終わっておらぬのにお主らは勝手に戦い始めた。ここでどちらかが勝ったとしてもお主ら二人とも失格になるぞ」
イズミがウウッと呻いたかともうとウェルの方に向き直った。ウェルはまだ動く事が出来ず、地面に座り込んでいる。イズミがこちらに来ることを確認したウェルは慌てて「負けたっす!ウェルはここに負けを宣言するっす!」と負けを宣言した。
「……さて、これでいいですか?」
イズミがマルテナの方を向き直り、マルテナに確認する。
「ウム、この件はこれでよいのじゃが……試合は一時中断とする」
「何故ですか!?」
「この現状で試合を続けるのは無理じゃろう」
闘技場の地面はウェルが暴れたせいでそこかしこに穴が開いてしまっている、この状態では普通戦う事は出来ないのだが……
「私なら出来ますよ」
「お主はそうじゃろうが……」
マルテナは倒れている将人を見る。
「こっちは無理のようじゃ。ともかく試合は一時中断し闘技場の修繕を行う。そうじゃのう……一時間後に二人の試合を再開する、よいな」
イズミは更に訝しげな顔でマルテナを見る。
「彼を優遇し過ぎてはいませんか?」
「そ…そんな事はないぞ。ともかくじゃ、これが飲めないというなら二人は失格、しかも闘技場で人が見ている前で堂々と私闘をしたのじゃから罪に問う事が出来るがどうする?」
これにはイズミも倒れていたまま聞いていた将人も顔色を変える。
「しょうがありませんね、了承します」
「俺も」
「ならば、これにて一件落着じゃ」
カッカッカッと笑うマルテナ。溜め息をついてイズミは上半身を越した将人を見る。
「マサトさん、あなたには一つ賭けをしてもらいます……私が勝ったら彼女の身柄をこちらに渡しなさい。彼女はこの世界に害なすものだ、抹殺しなければならない」
断らせまいと睨むイズミ。これが彼女にとっての折衷案なのだろう。これを断れば罪に問われようが何をしようが手を出すだろう。
「分かった……だが賭けをするというならこちらも一つ、いや二つ条件を出させてもらおう」
「二つですか。欲張りですね」
「そんな難しい事じゃない、二つほど聞かせて欲しい事があるだけだから。何を聞きたいかを今言っておく。一つ、俺の事をマサト・クサカベではなくクサカベ・マサトと言った。この国の人なら名前の方を先に言うのに何で姓を先に行った。イズミさん、アンタ―――日本人を知っているのか? そしてもう一つ、アンタ―――鏡翠明を知っているか?」
イズミはその名に明らかな反応を示した。あまり表情を変えないイズミ珍しくが大きく目を見開く。
「あなたが何故、彼の名前を!?」
「アンタの『八卦掌』、やはり奴から教えられたものか……今はこれで十分。俺が勝ったらこの二つの事を話してもらう」
イズミは目を閉じ呼気を吐く。再び目を開くとイズミの動揺は収まっていた。
「あなたが私に勝てる事はないでしょう。ですから私から何も聞く事は出来ません……それから彼女と別れを済ませておきなさい。一時間もあればそれぐらいは出来るでしょう」
「そうはならないしさせない」
一瞬視線が絡み合うが、イズミから視線を逸らす。これ以上は聞く耳持たぬとイズミは闘技場を出て行った。
「マサトさん、大丈夫っすか?」
イズミが退場した事を確認してからウェルが頼りない足取りで将人に向かって歩いてきた。
「俺は大丈夫、それよりウェルさん、アンタ、『滅び』の眷属だったのか?」
ウェルは顔色を変え逃げようとするが、まだ足に力が入らず走る事が出来ない。将人はウェルの首根っこを掴む。そしてニッコリといい笑顔で笑う。
「年頃の女性が尻丸出しでウロウロするな!! 観念してよ、ウェルさん。色々お話ししようよ?」
将人のえも知れない迫力にウェルは声にならない悲鳴を上げた。