仙人VSボスコブリン、不思議な状態、勝利
マスターの奥さんが横たわる将人の手を取る。大粒の涙を浮かべながら将人の手を強く握る。次にくる言葉は責めか咎めか、戦々恐々としながら言葉を待った。
「………マサトちゃん、私を助けようと頑張ってくれてアリガトウ」
将人にかけられた言葉は感謝だった。
「そんな、感謝されるような事は………むしろ謝らないといけない!」
将人はボスコブリンのタワーシールドにマスターの奥さんが括り付けられたと分からなかったとはいえ、『崩拳』を打ち込んでしまったのだ。自分でも信じられないくらいレベルアップした状態での『崩拳』だったのだ。下手をしたら殺していたかもしれないと思うとぞっとする。
「謝る事なんてない! あれは事故の様なものだし。捕まっていた人の中には治癒魔法使える人がいたから治療もしてもらったし、ホラッ」
マスターの奥さんが布をずらして腹部を見せる。真っ白な痣一つないお腹を見せられホッとするが、さらにその下が見えてしまう。何も身に着けていないのだから………色々と見えてしまう。将人は慌てて顔を逸らす。
「マ~サ~ト~、お前、今何を見た!?」
マスターが鬼の形相で将人を睨む。
「ナ、ナニモミテイマセン」
動揺してカタコトになる。
「何か見たのなら今すぐ忘れろ。嫁ちゃんのアソコは俺だけの聖域なんだ。思い出してナニをするようだったら………もぐ!! その不浄のものをもぐ!!」
マスターが将人の目の前の空間を捩じって引きちぎるジェスチャーをする。将人は股間を押さえる。
「何も見ていません。忘れました、ハイッ!!」
「バカバカバカァァァ」
耳まで真っ赤にしてマスターの背中をペシペシ叩く奥さん。それを笑顔で甘んじて受けているマスター。その平和な光景を見て将人は頑張ってよかったと思う。
だが、その光景は獣のような雄叫びによって崩された。将人は上半身を起こし、声の聞こえた方向を見る。ボスコブリンを包囲した村人が宙に舞った。そんな事をやってのけるのはボスコブリンしかいない。ボスコブリンは雄叫びと共に二人の村人を両手でつかみ、包囲に向かって投げつける。村人達は慌てて避ける。包囲網が開き、そこからボスコブリンが逃げようとするが、その穴に村人が再度入り穴を塞ぐ。包囲網は破れなかった。
「アイツ、まだ生きてやがるのか!? もう一回食らわせてやろうか」
マスターが踵を返す。
「ちょっと待って下さい。マスター何をするつもりですか?」
「ああ、ちょっと酒場に戻って蜂蜜酒とってくる。蜂蜜酒ぶっかけて火をつけりゃ一発でオダブツだろうさ」
「コブリンの背中を燃やしたのって蜂蜜酒だったんですか?」
「そういう事だ、じゃあ行くぞ」
ダッシュ背負うとするマスターを将人が止める。
「待って下さい!!」
「何だよ、マサト? 喋ってる暇はないぞ」
「マスターのお酒は人を楽しませるものです。それを武器として使うなんて止めてください! 俺、何かイヤです」
将人の言葉にマスターは足を止め、将人の方に向き直る、
「そう言ってくれるのは嬉しいが………だったらどうする?」
「俺がやります」
将人はユラリと立ち上がる。体の各所が痛み、みふらつくが両足に力を籠め耐える。
「お前、ふらついてるじゃないか。無茶をするな」
マスターが将人に駆け寄り肩を支えてくれた。
「すみません、マスター………あいつは俺がやりたいんですよ」
将人の言葉にマスターが驚いたように将人を見た。
「卑怯な手で散々こっちを攪乱しやがって………そんな奴をこの手で倒せないというのは不満だったんですよ。あのヤロウは確実に倒しますんで任せてもらえませんか?」
将人の体はボロボロで体力は尽きかけているのに、その眼光は衰えていない。それどころか燃えさかっていた。それを見ると誰も止めろとは言えなかった。マスターは溜め息をついて将人から体を離した。
「分かった、行ってこい」
「マスター?」
「そんな目をしてる奴を止めれる人間がいたら見てみたいよ、俺は………ただしやるなら絶対に勝てよ!」
「マサトちゃん、頑張ってね!」
「ハイッ!」
将人が力強く頷き村人達の元に向かう。殺気立つ村人達の後ろに立ち、声をかける。
「すみません、道を開けてもらえませんか?」
村人が振り向き将人の表情を見る。驚愕して将人に道を開ける。
「オイ、お前ら、道を開けろ!!」
村人が他の村人に大声で叫ぶ。後ろを向き将人を見て一人、また一人と道を開け、ボスコブリンまでの道が出来た。その道を将人は悠然と歩く。開いた道から逃走すればいいはずなのだがボスコブリンは動けなかった。将人は怒りの表情を浮かべているのではない、静かに見据えるその表情が本能的な恐怖を呼び覚ましボスコブリンの足を止めたのだ。
ボスコブリンまでの距離約二メートルほどの所で将人が立ち止まり、『三体式』の構えを取った。ボスコブリンは自分より小さい、指先でも倒せそうな者に何故か恐怖を感じ一歩後退る。
それを見ながら将人は自分の精神状態を不思議に思った。信じられないくらい心の中が静まっていた。さっきまでは怒りに燃えていた、ボスコブリンを殺してやろうとさえ思っていた。それなのにボスコブリンに近づくたびに燃え盛っていた怒りの炎が消えていき、湖の湖面のように静まっていったのだ。
(どうしたんだろう、俺? 戦えるのか?)
将人の精神は不安に慄きながらも体は非常にリラックスしていた。戦うには最高の状態だった。
ボスコブリンは非常に混乱していた。目の前の人間にどうして恐れを感じているのかと。
(自分に比べて全てが小さい人間、力を加えれば壊れそうな貧弱な肉体、人質を取られただけで右往左往する愚か者、そんな人間に何を恐れるのか? それに比べて自分の体は強い!! 包囲をした者たちの剣も槍も自分の体を貫けなかったではないか。そうだ、俺は強い!! 目の前の弱者を周りの者を殺して食ってやる!!)
ボスコブリンは己を鼓舞し、雄叫びを上げた。それが合図となって将人が動いた。将人の動きには力みが、淀みがなかった。するりと滑り込むようにボスコブリンの間合いに入った。ボスコブリンには突然将人が目の前に現れて様に見えた。
将人はボスコブリンの右膝に『崩拳』を打ち込む。膝の砕ける感触が拳に伝わる。続いて左膝を砕く。激痛に声をあげ、両膝、両手をつく。苦痛に呻きながら向けた目の先に将人がいた。感情を映さない静かな湖面のような目にボスコブリンは恐怖を感じた。死神というものを知っていれば目の前の者がそれだと感じた事だろう。
将人は『三体式』の構えから『崩拳』を繰り出した。狙いはボスコブリンの眉間、鼻と唇の間の二か所。ここを人間に打ち込めば絶命させる事が出来る急所であるがボスコブリンにも同様の効果があった。ボスコブリンは白目をむき、前のめりに倒れ、絶命した。
周りを囲んでいた村人がこの結果を理解するのに時間がかかったが、やがて誰からともなく歓声の声を上げた。
将人は倒れているボスコブリンを見据え、『三体式』の構えを解かなかった。勝った瞬間が一番危ない、これは武術の師匠であり養父である誠一郎にさんざん言われた言葉である。歓声が響く中、一分ぐらいしてようやく将人は『三体式』の構えを解き、息を吐いた。そうしてようやく、将人の心に感情が戻り恥ずかしそうに頭を掻いた。