新聞に載った後よくある風景
「ちくしょーっ! ちくしょー、ちくしょー、ちくしょぉぉぉぉ!!」
ディルクは誰も居ない自分の部屋で一人叫んでいた。
ベルンハルトにアバラを折られてから数日が過ぎたが、悔しさは日ごとに大きくなっていた。特に先日大きく張り出された新聞の内容が更にその気持ちに拍車を掛ける。
今やベルンハルトとディルクの争いの事を知らない者は居ない程、学校内はその話に埋め尽くされている。
魔力を持ちながら魔力を持たない者に叩きのめされた男。
皆が自分の事をそう思っていると、ディルクは人が話している姿を見る度にそう思ってしまう。勿論ディルクの被害妄想が殆どなのだが、高すぎる自身のプライドがそう思わせてしまうのだ。
そして何より許せないのが、ベルンハルトから発せられる殺気に怯えて竦んだ事だった。
「僕が、この僕が、あんな平民風情に怯えさせられた等と……。認められるものかぁ!」
ディルクはこのドルギア帝国の貴族の三男に生まれた。
だが、貴族に生まれたといっても跡取りである長男以外は他家に養子に行くか、自身で生計を立てるしか道が無いのが殆どで、ディルク自身も持って生まれた魔法の才を使って生きようと冒険者を志したのだ。
幸いな事にディルクの家は金持ちであり、実家からの豊富な資金援助のお蔭で今日まで何不自由なく暮らしていた。
だが、生まれ、育ち、魔力の才、そして恵まれた生活環境。これらが自分を選ばれた人間だと思い込ませ、他者を蔑むようになる歪みの原因でもあった。
「彼奴を……、必ず僕の足元にひれ伏せさせてやる……。絶対に……、絶対にだっ!」
ディルクの目に暗く濁った炎が灯る……。
「おい、ベルンハルト。お客さんだよ」
放課後、ベルンハルトが帰る用意をしているとロイドが声を掛けてくる。ふと見ると教室の入り口に小柄で可愛らしい女生徒が立ってこちらを見ている。
「ああ、あれは客は客でも招かれざる客と言ってね、人に不幸か厄介事しか持ってこない悪魔みたいな奴なんだ」
「そ、そうか……」
女生徒に気が付かない振りで毒を吐くベルンハルト。日頃穏やかで丁寧なベルンハルトのこの態度はかなり珍しくロイドは若干戸惑いながら返事をする。
「酷い言い草ね」
何時の間に近づいたのか、その女生徒、シーリンはベルンハルトのすぐ傍までやってきていた。
「耳が良いですね」
「ええ、特に悪口には敏感なの。失礼な人にはそれなりに思い知らせる事にしてるから」
「そうなんですか。じゃあ、鏡を見るといいと思いますよ。そこに一番失礼な人が見えますから」
「あら、上手い事言うわね」
穏やかな笑顔で毒を吐き散らす二人の背中に犬と猫が喧嘩するオーラを感じるロイドは、冷や汗を掻きながら成り行きを見守っていた。
「……はぁ……。それで? 何か用ですか? シーリン先輩」
「貴方にお願いが……」
「お断りします」
「…………」
「…………」
「私まだ何も言って……」
「お断りします」
「…………」
「…………」
「随分冷たいのね」
「至極真っ当な対応だと僕は思っていますが」
「私、何か貴方を怒らせるような事をした?」
「寧ろ何で怒ってないと思えるんですか?」
「……、何の事か私にはさっぱり」
「とぼけないで下さい! 何なんですか、あの新聞は!」
ベルンハルトは声を荒げる。普段穏やかなベルンハルトの荒ぶりっぷりに周囲の者達までが事の成り行きを見守っていた。
「何って、貴方に取材した内容を書いた物じゃない?」
「僕が確認した内容と全然変わってるじゃないですか? 検閲した物を載せるって言ってたはずなのに!」
「あら? 私確認したわよね? 読者が読みやすいように修正を加えるって」
「文章を変えると思ったんですよ! なんで内容が変わってるんですか! 検閲した意味無いじゃないですか!」
「仕方が無かったのよ。だってあのままだと地味すぎて面白みが無かったから……。新聞って読者に読んで貰えないと価値が無いから。その為に読者が求める記事を載せる必要があるの。これは私達記事を書く者の義務とも言えるわ」
「だからってねつ造して如何するんです! 真実を伝えるのが新聞の本来の役割じゃないんですか!」
「ねつ造なんて相変わらず失礼ね。ほんの少しだけ記者の主観に基づいた考察を加えただけじゃない」
「だからそれをねつ造って言うんです!」
突っ込み疲れたベルンハルトは呼吸を整えるとゆっくり気持ちを落ち着ける。
「僕が何時、”魔力を持たない人たちの希望になる”なんて言いました?」
「そうね、記者としてそうなって欲しいという願望が混じってしまった事は否定しないわ」
「僕が何時、中指を立てて舌を出しながら、”魔力を持つ驕り高ぶった連中に捌きの鉄槌を下す”なんて言いました?」
「そうね、記者としてそうなって欲しいという願望が混じってしまった事は否定しないわ」
「どんな人物を求めてるんですか!」
「仕方が無かったのよ。だってそのままの貴方を載せると地味すぎて面白みが無かったら。大衆はね、自信を持った強気な人を好むの」
「だからってこれだと、驕り高ぶった危ない奴にしか見えないじゃないですか!」
「多少誇張した方が読者の反響がいいのよ」
「その分僕への反感が凄いんですが! 誤解を解くのにどれだけ苦労したと思ってるんですか!」
実際ベルンハルトの事を知るグインやロイド達ですら、この記事をみてドン引きしていたのだ。周囲の人間の誤解は解けたが、そうでない者達は未だベルンハルトの人物像を誤解している者が多数存在している事は間違いないだろう。
「でも多少危ない男の方が女の子にモテるって言うじゃない?」
「その危ないはこういう類の危ないじゃないです、絶対。大体シーリン先輩はこんな男が好みなんですか?」
「……私は遠慮するわ。でも私の趣味嗜好ってちょっと他の人とズレてるみたいだから」
「そんな人が自分の主観に基づいた考察を書かないで下さい!」
「……そうね。確かに私も少し興が乗ってやり過ぎたかも知れないわね」
シーリンはそう言って少し悲しげな表情をする。その顔を見てベルンハルトは少し言い過ぎたかな? と乱れた気持ちが治まってくる。
「久しぶりの大事件だったから、調子に乗った事は認めるわ。その事で貴方に不快な思いをさせてしまってごめんなさい」
そういって深々と頭を下げてくるシーリンを見てベルンハルトも素直に謝罪を受け取る。元々変な人に囲まれて育ったベルンハルトにとって、こういうタイプの人と付き合うのは慣れているという事もあり、素直に謝罪するシーリンを見て、心の中にあった蟠りがスッと消えて行った。
「……はぁ。まあもういいですよ。次からは気を付けて下さい。それで? 僕にお願いしたい事って何です?」
「聞いてくれるの?」
「取り敢えず聞くだけですが」
「有難う、ベルンハルト君。貴方っていい人ね」
「言っときますけど、取り敢えず聞くだけですよ」
面と向かっていい人と言われて頬が赤くなるベルンハルトは、ぶっきらぼうにそう言う。
「実は、貴方に講演会をお願いしたいの」
「講演会?」
「ええ。あの新聞を見た人達の多くが求めているの。気と言う物についてもっと詳しく知りたいと」
「あの時も言いましたけど、教えられる事なんて殆ど無いんですが」
「構わないわ。気と言う物を実際に見てみたいと言うのが殆どだから。簡単な説明と実演。それをお願いしたいの」
「お断りします」
「……講演料なら払うわよ?」
「お断りします」
「……おっぱい位なら揉ませてあげてもいいわよ?」
「お断りします!」
「何が不満なの? 金額? 大きさ? 大きいのが良いなら姉さんのでも……」
「報酬に不満がある訳じゃないです! 前にも言いましたよね、僕は静かに日々を過ごしたいんです。そういう面倒事は御免です。後、もう少し慎みって物を持って下さい! 何で金の次がそれなんですか!」
「……貴方位の年頃の男の子は、金かおっぱいでどんな事でも聞く物じゃないの? 副部長がそう言っていたけど。……はっ、もしかして……」
「もしかしてはありませんから! あとその副部長はヒラに降格させるべきです」
もしかしてこの人が残念なのは副部長にも原因があるんじゃないか? とベルンハルトはまだ見ぬ副部長に対して警戒を強めるのだった。
「とにかく、そう言った物はお断りします」
ベルンハルトはハッキリとした口調で断る。だが、
「断っちゃうの? ベルンハルト君。私楽しみにしてたのに……」
その声に振り向くと、ミリーシャが残念そうな顔で立っている。
「僕も残念だよ。簡単な説明は君から聞いていたけど、本格的な実演形式の説明は是非聞いて見たかったんだが」
傍にいたロイドも同じように残念そうな顔でそう言う。
とタイミングよく今まで教室の外に出ていたグインが教室に戻って来るなり。
「よう。ベル! そう言えばいよいよ明日だな。俺は気絶しててディルクとの一戦を見て無かったから楽しみだぜ」
笑顔でそう言ってくる。
「……どういう事ですか?」
ベルンハルトから視線を外して遠くを見ているシーリンに問う。
「……断られると思ってなかったから……」
「一体何時から……」
ベルンハルトは二の句を告げる事が出来ず呆気にとられていると、今度はアイーシャ教師が教室へとやって来る。
「ベルンハルト君、さっき知ったんだけど講演会をやるんだって? 先生凄く助かるわ。周りの先生や生徒から同じような事を頼まれてて困ってたんだ。君がこういうのを嫌がるのは解ってたし、教師として無理強いするような事はしたく無かったしね。でも驚いた……? どうした? 何かあったの?」
アイーシャ教師の問いにベルンハルトは溜息交じりに経緯を説明する。
「……シーリン……。あんたねぇ……」
「……だって……、反響が良いんだもの……」
「ごめんなさい、ベルンハルト君。この子も悪い子じゃ無いんだけど、どうにもこう突っ走る所があって……。いつも注意してるんだけど。でもそう言う事なら講演会は中止にしましょうか」
「そう出来るなら有難いですけど、大丈夫ですか?」
「まあ教師連中には私から事情を話すし、生徒達にも中止の張り紙をしておけばいいでしょう」
アイーシャ教師はそう言って中止に向かって話を進めるのだが、ベルンハルトはシーリンが未だ気まずそうに遠くを見ている事に気が付く。
「シーリン先輩。問題無いですよね?」
「……校内の方は問題ないと思う……」
「……まさか、校外にまで話を広めてるんですか?」
「……ワザとじゃ無いわ……。いつの間にか広まっていたの……」
「シーリン。どういった人たちが来る予定になっているのか、解る範囲で教えなさい」
アイーシャ教師の質問に答えるシーリン。その口から出て来る参加予定者を聞けば聞くほど、アイーシャ教師の顔色が悪くなってくる。
「冒険者ギルド長に警備隊隊長、魔法協会副理事……」
もしかしたら領主様も来るかも? と聞いた時、アイーシャ教師は頭を抱えて黙り込んでしまった。
「おかしいとは思っていたのよ。今まで再三君に会わせろって言ってきた人たちが急に何も言ってこなくなったから……」
「そんな事言われていたんですか?」
「ええ。でもそう言った人たちにはもう少し学内が落ち着くまで待って欲しいって言って押さえていたのよ。何れは貴方に無理をお願いするつもりだったけど、今はまだ学内が慌ただし過ぎて君も大変そうだったから……」
気という新たな力の出現は、思っていた以上に反響が大きかったようだ。だが、その反響をアイーシャ教師が出来るだけベルンハルトの負担にならない様気を配ってくれていた事に、ベルンハルトは改めてアイーシャ教師に感謝の念を持つ。
「……ごめんなさい、ベルンハルト君。ここまで話が大きくなっているともう中止にするのは難しいわ……」
「いえ、アイーシャ先生が謝る事じゃないですよ。それに、考えようによっては面倒事を一気に終わらせる良い機会かも知れませんし。どうやら新聞や口頭だけでは足りないようですから、この際まとめて説明してしまいます」
「有難う、ベルンハルト君」
「あと、シーリン先輩は反省して下さい。もう二度とこういう事が無いようにして下さいね!」
「ごめんなさい、ベルンハルト君」
ベルンハルトの言葉に素直に謝るシーリン。ベルンハルトはその一言で許すつもりだったのだが、そう考えない者がいた。
ガシッ!
アイーシャ教師の右手がシーリンの頭をガッチリホールドする。
「姉さん……、な、何を……」
「ベルンハルト君は甘いからあれで許してくれるかも知れないけど、姉としてはこのまま済ませる訳には行かないわね……」
「姉さん、頭、痛い、頭蓋がミシミシ言ってる……」
「ねえ、シーリン。先日ある男子生徒が、先生のおっぱいを揉ませて貰えるって本当ですか? って聞いて来たんだけど、心当たりある?」
「……し、知らない……」
「おかしいわね。その子はあんたに聞いたって言ってたのだけど」
「きっと何かの間違い……。可愛い妹が姉を売るはずが無い……」
「さっきシーリン先輩が報酬にアイーシャ先生のを揉ませてくれるって言ってました」
「な! ベルンハルト君!?」
「ふーん。そうなんだ。そんな事言ったんだ……」
「ま、まって。それは……、い、痛い。離して姉さん……」
「じゃあ、行きましょうかシーリン」
そう言うとアイーシャ教師は笑顔でそのままシーリンをズルズルと教室の外まで引き摺って行く。
「ま、待って姉さん。話を聞いて! ど、どうせ使う当ての無い物じゃない。なら妹が有効に活用しても……、い、痛い! 姉さん、力が……圧力が増して……」
そのまま二人は何処かへと去っていく。それを見送るベルンハルトは、何故か懐かしい気持ちになるのだった。