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息子の旅立ち時によくある風景

「母を捨てて、ここを出て行くのね……」

 

 長く美しい黒髪をした美しい女性は青い瞳に涙を浮かべながら悲しげに呟く。


「……人聞きの悪い言い方は止めて貰えませんか……」


 ベルンハルトは母親譲りの青い目をジト目にする。


「僕は冒険者学校に入学するだけです。その話はもう十分したでしょう。いい加減諦めて下さい」


「逃げるんじゃないわよ」


 その女性はさっきまで悲しげにしていた姿が嘘のように、今度はベルンハルトを鋭く睨み付けるときつい口調でそう言う。


「それが旅立つ息子に対して母親が言う言葉ですか?」


「煩いわね。ハッキリ言って信用出来ないから。何せあんたは私の子供なんだから」


「大丈夫です。約束は必ず守ります。その代り母さんも必ず約束を守ってくださいよ」


「……ねぇ、何でそんなに嫌がるのよ? 領地経営よ? 貴族よ? 領主よ? ある意味好き放題してもいいのよ? 何ならあんた用に後宮とかハーレムとか作ってもいいのよ? そこで淫らで爛れた毎日を送ってもいいのよ? それの何が嫌なの?」


「最早人の親としてどうかと思う発言は止めて貰えませんか? 大体そんなに良い物だというのなら何故僕に家督を押し付けようとするんですか?」


「うっ……」


「残念な事に……、本当に残念な事に僕は貴方の血を引いているんです。なら母さんが嫌な事は僕も嫌なんですよ。この体に流れている一族の血はそう言う物なんでしょう?」


「わーん! 息子が苛めるよぉぉぉぉ!」


 母親は隣にいた同じく黒い髪をした中肉中背の男の腕に縋って泣きまねをする。


「諦めろ。大体お前が義兄にいさんを追い込み過ぎたからこういう事態になったんだろ? そう言うのを俺の生まれた国では自業自得と言うんだ」


「うっ……」


 母親の顔がゆがむ。


 そう、本来なら母親の兄、ベルンハルトにとっては叔父となる人が領主となるはずだったのだ。母親の一族に受け継がれる血はいくつかの厄介な問題を抱えている。その一つが生涯ただ一人しか愛する事が出来ないと言う物だ。過去には死にゆく者を愛した為に心を病んだ先祖も居たらしく、祖父は呪いと称していた。

 だが代わりに、愛した人と結ばれ生まれた子供は例外なく強大な力を持って生まれるという。

 当時、祖父が家督を押し付けて逃げた際、本来なら叔父がその家督を継ぐ予定だったのだが、兄妹の中で叔父だけパートナーが居なかった。そこで母が仕方なく叔父が嫁を見つけて戻るまで代理として家督を継いだのだ。

 だが、母はそれが不満だった。

 これも一族の問題の一つなのだが、皆が自由を好み領主等と言う本来なら多くの者が喜んで就くであろう職を嫌うのだ。

 ベルンハルトの一族は代々、兄妹や子に家督を押し付けて逃げ出す。

 その事を嫌と言うほど理解していた母は、嫁さがしの旅に出た叔父に対し様々な手を打った。


「だって、逃げ出すような気がしたんだもん。真面目に嫁さがしをするとも思えなかったし……。あ、あれよ! 妹として兄を手助けしたかったのよ! 金とか地位とか権力とかってこういう時に使う物でしょ? だからそう言うのを目一杯使って兄さんに協力しただけよ! 大量の綺麗所を宛がっとけば男はコロッと行くもんでしょ?」

 

 そしてその結果……。


「まさか男色に走るとは思わなかったわ……」


 叔父は女に嫌気がさして別の扉を開けてしまった。

 結局、跡継ぎを作れない者が領主となる事に問題があると周囲の反発もあり(ホモの領主は嫌と言うのが本音の所だろうが)母の肩書から代理が取れた。

 

 それから十数年。母はベルンハルトが大きくなるのをずっと待っていた。成長したベルンハルトに家督を譲り渡し、父と冒険の旅に出る事が母の望みだったのだ。

 だがベルンハルトはそれを拒んだ。

 ベルンハルトもまた冒険者になる事を夢見ていたからだ。二人は互いに家督を押し付け合い、最終的にはベルンハルトが母から出された条件を守れている間は自由にして良いとの話に落ち着いた。


「まああれだ。こっちの事は気にせず楽しんでくるんだぞ。母さんだってお前に不自由させたい訳じゃない。ただ、まあ……、何せ子供がお前しかいないから……」


「もういっその事何もかも捨てたら良いじゃないですか?」


「……国王陛下から、それだけはマジで止めてくれって泣きながら頼まれてるのよ。もし逃げたら国を挙げて捜索するって脅しまで掛けられたわ」


「まあ家は国防の要だからな。誰か一人残っていれば一族との繋がりだけは維持できるって考え何だろうさ」


「ねぇ? 所で例の魔道具って完成したの? 私何も聞いてないんだけど」


「ん? ああ、玄関で待っててくれってさ。無理難題を吹っかけおってってアイツ怒ってたぞ」


「仕方ないじゃない。魔力を抑え込む魔道具なんて人間にはとても作れないし、特にベルンハルトの魔力となると」


「だから。何でそんな条件にしたんだよ」


「……そう言えば、何でだっけ?」


「……はぁ。母さんが「家督を継ぐのが一族の義務、母から受け継ぐのが息子の義務、その義務を果たさないなら一族の力を使うな」って言ったんじゃないですか」


「お前そんな事言ったのか……」


「あー、何か言った気がする。でも、あれよ、それ正論でしょ? 何よ二人してそんな目で私を見ないでよ。その目は母親や愛妻に向ける目じゃないわよ」


 母親が男二人にジト目を向けられ怯んでいると、屋敷の奥から誰かがこちらにやって来る気配がする。


「待たせたのぉ。やっと完成したぞ」


 母親と同じような長い黒髪に赤く光る瞳、父親と同じぐらい高い身長に、母親と真逆の大きな胸と尻をした美しい女性がこちらに向かって歩いてくる。


「済まないな。いつも無理ばかり言って」


「全くじゃ。確かに最近物作りに嵌っておるとは言っても趣味みたいな物なんじゃぞ。それをベル坊の強大な魔力を抑える魔道具を作れなんぞと無理を言いおって。しかもあれこれ細かな仕様まで注文つけおって」


「悪かったわよ。でも仕方ないじゃない、話の流れでそうなっちゃったんだし、そうなると魔人のあんた位しか頼れなかったし」


「話の流れがそうならんようにせい、お主ももういい歳なんじゃから」


「と、歳の事は言わないでよ! これでもまだ見た目二十代前半を維持してるんだから。大体あんた等魔人は狡いわよ! 何よ不老とか。人が必死に体形維持に苦心してる横でダラダラ不摂生な生活して、それでそのスタイルとか、今度そういう魔道具作ってよ!」


 魔人とはこの世界に数多いる種族の一つ。強大な魔力と強靱な肉体を持つ最強と言っても過言ではない種族なのだ。無論、力の強弱はあり魔人は高位、中位、低位の三段階に分けられ低位は知能も低く獣と同様な者が殆どで、中位になるとある程度の知能や力を持つ者が増える。そして高位となると最早神に等しいと思える程の力を持つ。

 彼女はその高位魔人の一人なのだ。


「くっくっく、済まぬ。これは失言じゃな。じゃが人は老いるからこそ価値があると我は思っておるんじゃがのぉ。我は主様と同じ時を歩む事が出来るお主が羨ましいと思うておるぞ」


 魔人の言葉を聞いて母親が少し大人しくなる。彼女が言う主様とはベルンハルトの父親の事だ。母親と違い父親は何の力も無い普通の人間の男だった。だが、ある事が切っ掛けでこの魔人と契約を結びその力を借りる事が出来るようになったのだ。

 

「俺の国の言葉で隣の芝生は青く見えるってのがあってな。誰しも誰かを羨ましいと思うものなんだよ」


 父親はそう言って二人の女性の頭をそっと撫でる。


「そうね。ごめんなさい。駄目ね、私って。ついカッとなって……」


「気にするな。我とて常々お主を羨ましいと思っておるんじゃ。それこそベル坊の事だってそうじゃ」


「ベルンハルトの?」


「そうじゃ。ベル坊は我にとっても可愛い息子の様な物。じゃがな、やはり我とて女。自分で子を成したいと思う気持ちもある」


 魔人の言葉に母親は共感したようにコクコクと頷いている。だが、次の言葉を聞いてその動きが止まる。


「じゃから、主様に協力してもらっておるんじゃが、これがなかなかのぉ。日に五回は頑張っておるんじゃが」


「…………」


「ちょっ、おま、な、なに言って……」


「……へぇー、五回も頑張ってるんだ……」


 絶対零度の声が周囲を凍りつかせる。


「い、いやまて、ち、違っぎゃぁぁっ、ず、頭蓋が、クローはやめ、痛い痛い痛い痛い痛い、マジやめて、おいお前どういうつもりだ。なんでそんな事を……」


「そう言えば最近、何だか私との回数とか扱いとか雑な気がするわね……」


「い、言いがかりだ! て、痛い、痛いって、なんでお前こんな小さい手なのにこんな強烈なクローが出来、ミシミシ、ミシミシ言ってるから、本来出るはず無い音が出ちゃってるから! 雑になんてしてないって、誤解しないでくれ、シェル! お前も誤解させるようないい加減な事を言うな!」


「ふむ。確かに今の言葉は正確では無かったかもしれんな」


 シェルと呼ばれた魔人は軽く頷きながらそう言う。


「恥ずかしい話なんじゃが、五回以降の事は記憶もあやふやでのぉ。五回では無いかも知れん」


 ほんのり赤く頬を染めながら恥ずかしそうにする魔人と絶望に身を震わせ出した父親、そして何故か微笑んでいる母親をベルンハルトは巻き込まれない様、ただ静かに黙って見守っていた。


「な、何をって、ぎゃぁぁぁぁぁ、さ、更に圧力が増したぁぁぁぁ! 誤解、ホントに誤解なんだから」


「ふぅぅぅん、五回なんだ、やっぱり」


「ねえ、何で? 何であんたら言葉は通じてるのに意図が通じないの? シェルお前本当にどういうつもりなんだ? 何が目的だ?」


「うふふふふっ、ごめんなさいね、ベルンハルト。お母さん、お父さんと大事なお話があるからもう行くわね。あんたの事だから大丈夫とは思うけど、体に気を付けるのよ。あと手紙もちゃんと書いて送るのよ」


 父親の額を片手でホールドしながら母親はベルンハルトに零れる様な笑顔を向けてそう言うと、そのままズリズリと父親を引き摺りながら屋敷の奥へと歩いて行く。


「ちょっ、ま、まて、ど、どこへ連れて行くつもりだ! ち、地下か? また地下のあの部屋か? あ、あそこは本来お前の親父専用のお仕置き部屋のはずだぞ! なんで俺を連れて行く! 最近メイド共があの部屋を俺の部屋とか言いだしているんだが、俺はそれを問題として提起するぞ! おい、そこのメイド共! 主の危機だぞ! 今こそ圧政に立ち向かう時だ! おいそこのお前! 何で当たり前のように地下への扉を開ける。た、助けて、だ、だれか、べ、弁護士を、弁護士を呼んでくれぇぇぇぇ……」


 そのまま二人は地下へと消えていき、扉の傍に居たメイドが当たり前のように扉を閉めると辺りは元の静寂を取り戻す。

 そしてメイド達は何事も無かったかのように通常業務を再開し、玄関にいるのはベルンハルトと魔人の二人だけとなった。


「うむ。これで二人落ち着いて話が出来るのぉ」


「その為に父さんを嵌めたんですか……」


「くっくっく、嵌めたとは人聞きの悪い。大体ハメられたのは我なんじゃしのぉ」


「シェル母さん!」


 魔人の下品な冗談にベルンハルトは顔を真っ赤にする。


「かっかっか。全くベル坊は堅物じゃな。誰に似たんだか」


「誰にも似ない様にしたんですよ」


 魔人に頭をワシワシと撫でられながらベルンハルトは悪態をつく。


「冗談はさて置き、ベル坊と二人で話がしたかったのは本当じゃ」


「それなら別に父さんを嵌めなくても?」


「まあ手段に関していえば多少我の趣味が入った事は否定せん」


「父さんを嵌めるのが趣味?」


「いや、お主の母親が焼きもちを焼く姿が可愛くてのぉ。まあ結果として主様を嵌める事になるんじゃが」


「歪んでますね」


「くっくっく。まあそう言うな。それに、あれはあれで二人も楽しんでおるんじゃ。案外ベル坊が帰ってくる頃には弟か妹が出来ておるやもしれんぞ」


「シェル母さん、息子にそういう生々しい冗談はやめてくれませんか」


「全く堅すぎるぞベル坊。まあよい。では真面目な話をしよう」


 魔人はそう言うと真面目な表情を作る。


「ベル坊よ。我はな、正直に言うとあの二人から子は生まれぬ物と思うておった」


「え?」


 突然の告白にベルンハルトは思わず驚きの声を上げる。


「以前話した事があったと思うが、ドルギア帝国での戦いの話を憶えておるか?」


「その国の内乱に父さんと母さんが参加したって話ですよね?」


「うむ。実はその時にお主の父は一度死んで、いや正確には魂の大半を失ったのじゃ。我はそんな主様を救う為に自身の魂を主様と同化させた」


「魂を同化ですか?」


「そうじゃ。あの時、主様を救うにはそれ以外に方法が無かった。じゃがその際に我は主様の肉体も作り変えた。人の肉体では魔人の魂を受け入れる事が出来ぬからじゃ。主様の肉体は……、我の魔力で動いている人を模した人形のような物なんじゃ。人として生きる事は出来ても、子を成す事は出来ぬ」


「ちょっと待って下さい! だったら何故僕が……」


「これ、勘違いするな。お主の母親が浮気したとかでは無い。正真正銘お主はあの二人の子じゃ。それは我が保障しよう。大体お主はあの二人にそっくりではないか」


「それはそれであまり嬉しくないんですが……、でもそれだと話がおかしいじゃないですか?」


「確かにその通り。我も不思議に思って様々な文献や資料を調べてみたんじゃが、結論としては奇跡としか言えん。事実、お主以外に子が出来る気配は無いんじゃしのぉ」


「二人の間に偶々出来ないってだけじゃないんですか?」


「我を含めて六人位の女が試しておるが一向に子が出来ん事を考えると偶々とは考えにくいのぉ」


「息子に父親の女性関係を赤裸々に話すのは止めて貰えませんか……」


「くっくっく。これは思春期のお子様に聞かせる話では無かったな。すまぬ、すまぬ」


 まったく悪びれた様子も無く謝る魔人にベルンハルトは、ふぅ…とため息をつく。


「この事を、両親は知っているんですか?」


「知らせる訳にはいかんじゃろ。お主の母親の許容範囲は我までじゃ。他の女子に手を出しているなどとバレればお仕置きでは済まぬじゃろう。下手をすれば……」


「そっちじゃなくて! と言うか、そんなヤバい情報を僕に教えたんですか!」


「主様を生かすも殺すも自由自在じゃぞ、ベル坊。切り札として持っておけ。旅立つ可愛い子供への餞別じゃよ」


「そんな使い所を間違えたら僕も危ない物を餞別にしないで下さい!」


 思わず辺りを見回すベルンハルト。こんな話を他の人に聞かれたら自分の家がどうなるか……。


「うむ、うむ。相変わらず良い反応をするのぉ、ベル坊は。そういう所は我が主様にそっくりじゃ」


 そう言って魔人は愛おしげにベルンハルトを見つめる。


「解っておるよ、冗談じゃ。その事は我と主様以外は誰も知らん」


「父さんは知っているんですか……」


 ベルンハルトの夢は冒険者となり世界中を旅し、その旅の中で平凡だが心優しいお淑やかな女性と出会い、結婚して子を成し、小さな家を建て、愛する妻と子に囲まれながら穏やかな毎日を過ごす事だった。

 もし自分が子を成せないと言われた時、そのショックはどれだけの物だろうか……。

 

「父さん……」


「主様は「え? ゴム無しでやり放題って事?」と前向きに捉えておったよ」


「……前から聞きたかったんですが、二人ともあの人の何処が良かったんですか?」


「くっくっく。まあ主様の良い所はわかる者にしかわからんよ」


「「彼の良い所は私しかわからないの」って駄目な女がよく言う言葉だって師匠が前に言ってました」


「あれは……子供に何を教えておるんじゃ……」


 あんたがそれを言うな! と言いかけたが、これ以上脱線すると出発が遅くなってしまうと考えベルンハルトはグッとその言葉を飲み込む。


「それでシェル母さんが僕にその話をしたのは何故なんです?」


「ふむ、少し話がそれてしもうたな。よいかベル坊、恐らくこれがお主の持つ異質な力の原因じゃと我は思っておる」


 その声からは先ほどまでのおちゃらけた色は消え、代わりにベルンハルトを気遣う思いが溢れ出ていた。


「…………」


「ベル坊がその力を疎ましいと思っておる事は知っておる。すまぬな、ベル坊。恨むなら我を恨んでくれ」


「恨んだりしませんよ」


 ベルンハルトは笑顔で答える。確かにベルンハルトにとって自身の魔力は疎ましい物だった。強大で異質、しかも制御も難しいと来ては普通に平凡に生きて行きたいと願うベルンハルトにとっては邪魔以外の何物でもなかった。


「疎ましい力ですけど、それら全てをひっくるめて僕と言う人間ですから。それに、この魔力を封じる魔道具を作ってくれたんですよね? 実は母さんとの約束は僕にとっては好都合なんですよ。これからはこの力に振り回される事無く生きて行けるって事ですから」


「うーむ、やはりそう考えておったか……」


 ベルンハルトの答えを聞いて少し困ったような顔をする魔人。


「何か問題でもあるんですか? もしかして魔道具が作れなかったんですか?」


「いや、魔道具は完成しておる」


 そう言って魔人は懐から指輪を取り出す。これが魔力を封じる魔道具なのだろう。


「じゃあ何でそんな顔するんですか?」


「ベル坊。お主の力は、我にもどう言う物かよく解らぬ。じゃからこそ、お主にはもっとその力を使いこなして欲しいと思うておる。それにはもっと積極的に使うのが一番なのじゃ。なのにそれを封じると言うのは……」


「シェル母さん、僕はこんな力要らないんです。普通に、平凡に生きて行きたいだけなんです。それにこれは母さんとの約束でもあるし……」


「……くっ、まったくあの娘は要らん事を……」


 母親との賭けという大義名分がある以上、ベルンハルトは自身の我儘を押し通すだろう。魔人はこれ以上何を言っても無駄と諦めベルンハルトに指輪を渡す。


「ベル坊は何故そんなに普通に拘るんじゃ?」


「……何故……ですか……」


 ベルンハルトはそう言って何処か遠い目をする。


「何故なんでしょうね? 夫婦喧嘩で城壁が吹っ飛んだり、はぁはぁと荒い息をしながら貴方の血を見せてと迫られたり、やたらと筋肉をつけろと迫られたり、教祖にならないかと迫られたり……、そんな普通の毎日を送っているだけなのに、何故なんでしょうね? 不思議ですね?」


「あー、まあ、そのぉ……」


「物心付いて最初に覚えた事が自分の身を守る事だったんですが何故なんでしょうね?」


「落ち着けベル坊、解った、解ったから……。我が悪かった」


 徐々に虚ろになってゆくベルンハルトの目に焦りを覚えた魔人は早口にそう言って謝る。


「あ奴らも悪気がある訳では無いのじゃが、確かに若干常軌を逸しておるからのぉ……」


 魔人は溜息をつく。個性豊かな変人達は皆、かつてベルンハルトの父親と共に旅をし戦った仲間達の事だ。決して悪い人間ではないし、能力もトップクラスの実力者ばかりなのだが……。


「やはり子供の情操教育には向かぬ奴らじゃったか……。まあ元よりお主の人生じゃ、好きに生きるがよい」


「はい」


 ベルンハルトは元気よく返事をすると、渡された指輪を身に着ける。


「凄い……、何も見えないし、何も感じない」


「我もベル坊の魔力を感じる事が出来なくなった。どうやら上手く行ったようじゃな」


 魔力とは魔法を使う為の力の源である。魔法を使える者は必ず魔力を持っているし、見る事も感じる事も出来る。それらが無くなったという事は指輪の力が正常に作用したという事だった。


「こ、これで僕はもう普通の人間になったんですね。穏やかで平凡な毎日が送れるんですね?」


「う、うむ。そ、そうじゃといいな」


「有難う! シェル母さん。じゃあ僕はそろそろ行きますね。師匠にも顔を出すよう言われているので」


 そう言うとベルンハルトは傍に置いてあった荷物を担ぐと屋敷の外へと向かって歩き出す。


「まて、まだその指輪の説明が……」


「大丈夫ですよ。母さんからある程度聞いてますから」


「い、いや、要望された仕様と若干変わって……」


 魔人の声は残念ながら浮かれたベルンハルトには届かず、彼はそのまま玄関の扉を開け外へと出て行ってしまった。


「うーむ……、まあええか。そのうち気づくじゃろう。しかし……、魔力を封じたぐらいでベル坊が普通に生きられるのかのぉ?」


 トラブルを呼び込む両親から生まれた以上、力の有る無しに関係なくベルンハルトもまたトラブルを呼び寄せるのではないか? 魔人は心底気の毒そうにつぶやくのだった。




「確か中庭に居るって言ってたはずだけど……」


 ベルンハルトはそう呟きながら歩いていると、中庭の方から何やら騒がしい声が聞こえてきた。


「何故だ! 何故俺達はこんなにも弱いんだ!」


「ちくしょーーーー! だれか、だれかあのドヤ顔に一発ぶち込んでくれ!」


「殺せ―! いっそ殺してくれぇー!」


 ベルンハルトは中庭に近づくにつれ徐々に大きくなっていく怨嗟の声を聞き、回れ右をしたい気持ちをぐっと押さえた。出発前に顔を見せろと言われた以上、いう事を聞かないと後が怖いのだ。

 ベルンハルトの師匠はこの屋敷で一番敵に回してはいけない人なのだから。


 中庭に着くと広い訓練場の中央で剣を持って立っている長くサラサラとした金髪のスレンダーな女性とそれを囲むように鎧姿の男が五人いた。だが男達の内四人は大地に倒れており、立っている一人もフラフラの状態だった。


「先日、娘に言われたんですよ」


「ほう。何を言われたのですか?」


「「お父さん、よく傷だらけで帰って来るけど、もしかして弱っちいの?」 と……。可愛い娘がつぶらな瞳でジッと私の事を見ながら言ったんです。解りますか? その時の私の気持ちが!」


「残念ながら私は未婚で女性なのでお父さんの気持ちは解りませんね」


「今日こそは……、今日こそはせめて一太刀……」


「ええ、頑張って下さい。私も自分の部下たちが五人がかりで人一人に手も足も出ないというのでは、この領地の防衛体制が不安でしょうがありません。一太刀などとケチな事はいわず、二~三発ぶち込んで下さい」


「ちくしょぉぉぉぉぉぉっ!」


 男は弱い訳ではない。事実、今放たれている彼の斬撃は早く鋭い。だが……。


「脇が甘い! フェイントが甘い!」


 彼の攻撃は軽くいなされる。その後何合か打ち合った後、その男は剣を弾き飛ばされ、返す刀で後方に吹き飛ばされた。

 ドン! という音をたて男が大地に叩き付けられるが、実力者だけの事はありしっかり受け身を取っており大した怪我はしていなかったが、虚ろな目で「娘よ、弱い父さんを許してくれ」とボソボソ呟いている辺り、心のダメージは深刻のようだ。


「師匠」


 ともあれ、一段落した所でベルンハルトはその女性に声を掛ける。

 師匠と呼ばれた女性はベルンハルトの方へ振り向くと、その目が驚きに変わる。


「魔力が全く感じ取れなくなってますね。話には聞いていましたが、本当にその様な魔道具を作り出してしまうとは……、あの人も何でも有りになってきましたね。今度私も何か面白そうな魔道具の作成をお願いしてみましょうか」


「ははははっ」


 願わくは自身に被害が及ばない魔道具であってくれと強く願いながら、その言葉にベルンハルトは乾いた笑いで答えた。

 

「確か、ドルギア帝国の冒険者学校に入学するのでしたね?」


「はい。前衛剣士科に入ります」


「内乱が終結し十数年、その傷も大分癒えたとはいえ、あの国にはまだまだ冒険者を必要とする細かな問題が多数残っています。きっと冒険者を目指す者の多くがドルギア帝国に集まる事でしょう」


「はい」


「多くの人と出会い、多くの事を経験し、立派に成長してきなさい」


「はい。有難うございます、師匠」


「貴方の事情は聞いています。この世界で魔法が使えないという事がどういう事かは理解していますね?」


「はい」


「戦闘において、魔法を使えない者は魔法を使える者に対し無力です。魔法使いの使う防御障壁が物理的な攻撃を全て無効化してしまうからです」


「はい」


「ですが、貴方にはそれを覆す剣技を教えました。こうなる事を予想していた訳ではありませんが、今となってはこれ程今の貴方に適した技は無いでしょう」


「はい、有難うございます」


「趣味で適当に編み出した技でしたが、役に立って私も嬉しいです」


「は、はい……」


「ですが、それも所詮小手先の技に過ぎません。決して過信してはいけませんよ」


「はい!」


「まあ貴方なら大丈夫と信じていますが」


「安心して下さい。僕は英雄になろうなんてこれっぽっちも考えていません。目立たず、静かに、日々を穏やかに過ごすつもりですから」


「……それはそれで情けない……。貴方も男ならもう少し気概と言う物を持ちなさい。三日で学校をしめてやる位の事は言えないのですか?」


「生憎と趣味ではありません」


「はぁ……、まあ良いでしょう。その辺りはこちらで尻を蹴飛ばせば……」


 師匠は小さな声でボソりと呟く。


「……え? 今何か言いましたか?」


「いいえ、こちらの事ですから気にしないで下さい。それよりも、入学にあたって知り合いに貴方の推薦状を書いてもらいました」


「……お気持ちは嬉しいのですが、僕はそう言った物は」


「黙りなさい。冒険者を目指すと言うのならこう言ったコネを上手く使う術も覚えなさい」


「……了解しました」


「直接学園長に送って貰いましたので、有効に活用して学校生活のプラスになるようにしなさい」


「…………」


「そんな顔をしない。大丈夫、貴方の正体がばれる様な事は書いていません。ただの挨拶の様な物です」


「はい、解りました」


 ベルンハルトはしぶしぶ承諾する。彼は冒険者学校入学にあたり、家や周りの人達の力を極力借りたくは無かったのだ。それどころか、彼は身元も偽り、唯の平民として入学するのだ。それは彼が自身の力だけで生きて行きたいという思いと、そう言った物を使うのは狡いのでは? という気持ちからだった。だが師匠の言うようにコネとは冒険者にとって重要な物だ。ならば冒険者を目指す者として精々有効に活用させてもらおうとベルンハルトは割り切る事にした。


「師匠、それでは行ってまいります」


「いってらっしゃい、ベルンハルト。よい冒険が出来る様祈ってますよ」


 こうして少年ベルンハルトの冒険譚が今、幕を開ける。


 


 


 
















 


 


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