ナイトプールで過ごす夜
都内某所にて、タクマは鼻息も荒く、その時を待っていた。
今日こそはキメてやる、と決めていた。
開園時間はもう目前だ。
逸るタクマの興奮は下へと流れ、膝を震わせる。
――落ち着け、落ち着け俺。初めてだからって、ビビるこたないんだ。
心中でどんなに自分をいさめたとしても、高揚感は高まるばかりだ。
落ち着きを失ったタクマは、辺りをキョロキョロと見回した。
共に開場を待って並ぶ男女の群れは、一様に連れ立った者と歓談している。
派手な奴にキレイめな奴に、いくらなんでもチャラすぎる、そんな奴まで、千差万別。
やはり、友達と来るべきだったか。
いまさらな疑問が脳裏に浮かび、首を振ってそれを打ち消す。
もう並んでしまっているし、いまから呼んだところで、来てくれる奴はいないだろう。
なにより、上手くいけばいいが失敗なら。
呼んだことを後悔するはず。
ならばむしろ、人知れず参加し、誰にも分からないところで失敗したい。
参加を喧伝するのなら、楽しめたときだ。勝てば武勇伝にもなる。
ふいに肩を叩かれ、タクマは身を竦めた。
「ふぁいっ!?」
「えっ!?」
思わず頓狂な声を上げて振り向くと、女が一人、目を丸くしていた。
女は緩くまとめた長い髪を細い手で撫で、苦笑いをこちらに向けた。
「ごめんなさい。 驚かせちゃいました?」
「あ、いや、こっちこそ、すんません。なんか?」
「えっと、その、初めてかな? って……」
――キタ!
タクマは頭が茹るように熱くなるのを感じた。
ここでの回答如何によっては、折角のチャンスがふいになりかねない。
なんとしても逃さず、かといってこちらが下手に出ないように答えなくてはならない。
――正解は、正解はなんだ!?
「えっと? 大丈夫ですか?」
「ふわぁい!」
間の抜けた声を出していた。心の準備が終わる前に話しかけられた。
脊髄反射的に、彼の躰は直立不動の姿勢を取っていた。
女は、白いノースリーブから伸びる肩を震わせる。
「……! プッ、クッ」
女が吹き出し、笑いはじめる。
「アハハハ! ハハ!」
――やっちまった……!
タクマは顔を朱に染め、恥ずかしさに耐えつつ、言い訳を考えた。
初参加だ、とは知られたくない。小心者だとバレるなど、もってのほかだ。
必死に考える内に、目は下へと落ちていく。
女の青いプリーツスカートが揺れているだけで、他に救いになりそうなものはない。
「ごめんなさい。一人で来ちゃって、初めてだから、ちょっと不安だったんです」
一人。
その単語に、タクマは思わず顔をあげていた。
言われてみると、女はこんなことに参加するとは思えない。
本来なら、この手のイベントを楽しむようなタイプではないのだろう。
それなら、話は別だ。
彼女は、ある意味では仲間と言っていい。この後、突きあう可能性もある相手だが。
タクマは気を取り直し、咳ばらいをした。
「あ、え、ええと、俺も一人で来ちゃって」
声が上ずっている。しかも、単語の前に一拍の間が必要なほどに、固い。
女は気づいているのかいないのか、はにかんでいた。
「やっぱりですねー。折角だから一緒に行きましょうよー」
「そ、そっすね。てか、なんで一人で――」
降って湧いた好機は、動き出してしまった列に食いつぶされた。
苦笑いする女と顔を見合わせ、足を動かす。
ずらずらと並ぶ男女の列がナイトプールに吸い込まれていく。
入場ゲートにいた黒服の男が静かな笑みをたたえていた。
「パスはお持ちですか?」
「え!? い、いえ!」
パスが必要だなんて聞いていない。
思わず振り返ったタクマに、先ほどの女が微笑みかけていた。
笑われているような気がして、たまった唾を飲み込んだ。
黒っ服の男は笑みを浮かべたまま小首をかしげ、瞬く。
「失礼しました。初めてですね?」
男はカウンターから一枚の紙を取り出し、こちらに差し出した。
「こちらに必要事項を記入をして、お持ちください」
「は、はい」
「そう緊張しないでください。初めてなら、まずは楽しんで」
頷き返したタクマは、受け取った紙に目を落とす。
手のひら大の固い紙片には、ごく簡単な個人情報を記録する欄がある。
ペンを手に取ったところで、先ほどの女が傍らに寄ってきた。
こちらを覗きこんでくる黒い瞳が、うるんで見える。
妙な気恥ずかしさに笑みがこぼれた。
タクマは、ふっと短く息を吐き、凝り固まっていた肩を揺らし解す。
考えてみれば、隣の女も初めてなんだ。同じように緊張していたはず。
――なにを恥ずかしがることがある。
先に書き終えたらしい女と視線を交わらせて再び笑い、欄を埋めていく。
タクマは女と共に、遠慮がちに、紙を黒服に差し出した。
「これでいいですか?」
黒服の男は、タクマが差し出した紙を指でなぞるようにして、小さくうなづいた。
「結構です」
黒服は厚紙に目打ちで穴をあけ、首紐を通し、ナンバリングマシンを取り出す。
ガシャリ、と音を立て、厚紙に数字が印字された。
「今日はこちらを首から下げてください。後ほど正式な物をお渡しします」
「分かりました」
厚紙を受け取ったときには、タクマの喉は落ち着きを取り戻していた。
―― 一四三七番って、多いな。
紙に印字された数字の意外な大きさに嘆息しつつ、傍らの女のもつカードを見る。
視線に気づいた女は笑って、紙をこちらに見せてきた。
一四三八。
タクマは、ただの連番が、特別な数字のようにも思えてきた。まだ名前も知らない女と連なる番号だ。
何やらこなれてきたような気分になり、口元が緩む。
初めて会ったはずの女との奇妙な連帯感に胸を躍らせ、タクマは会場に足を踏み入れた。
――すげぇ。
開いたばかりだというのに、会場はすでに熱気に満ちていた。
様々な色彩の光が満ちており、激しい音楽が大音量で響いている。
一段、二段と下がった中心には、先に入っていった男女が群れを形成し、思い思いに声を上げている。
それを上等な服の紳士淑女が、上階から舐めるように見下ろしている。
タクマは、その日常とは隔絶された光景に圧倒されていた。
ふいに右手に柔らかい感触がある。
驚き首を振ると、先ほどの女がしっかりとタクマの手を握り、伏し目がちに顔を赤らめていた。
促され、引かれるようにして中心に向かう。
二人をからかうような視線はない。
その場にいる全てのうら若き男女は、すでに熱狂の中に入り始めているようでもある。
見ず知らずの男女と話す、非日常的な興奮。
響く音楽に負けぬよう声を張り上げていると、タクマの躰も熱くなっていく。
会場に大きな声が響いた。
「ナイトのみなさん! エダーゼン国王主催、ナイトプールにようこそ!」
男女の大きな歓声に負けないように、タクマも声をあげる。傍らからは黄色い声が飛んでいた。
女と抱き合うようにして、跳ねるように躰を揺らす。
ライトアップされた黒服の男が、騒ぎ続ける若者を収めつつ、言葉を繋ぐ。
「新たな騎士が誕生するその瞬間、そこに立っているのは、あなたかもしれない!」
沸き起こる歓声の中、黒服の男が上段の人々を指さした。
ライトに照らされたのは、煌びやかなドレスを纏った一人の女。
エダーゼンの第二王女だ。
王女が口を開く。
「今日の勝者の中から一人、私の個人的な警護をおねがいしますわ」
男たちの怒号にもにた叫びが木霊する。
再び黒服の男が指をさす。
端正な顔立ちをした気品溢れる青年が浮かび上がる。隣国の第三王子だ。
王子は髪をかき上げた。
「僕は相手を探していてね。強くて、美しい人がいいんだ。まぁ、美しさに関しては心配いらなそうだね」
会場の女たちの悲鳴にも似た嬌声が、耳をつんざく。
会場の熱気が最高潮に達すると、黒服が再び口を開いた。
「では、前年度の覇者から、開始の言葉を頂きたいと思います」
現れたのは、銀色に輝く鎧を纏った王国の第三騎士団、副団長だ。
副団長は腰に差した剣を引き抜き、会場の男女を撫でるように切っ先を巡らせ、一点を指し示す。
そこには色とりどりの光にさらされ、様々な武器防具が並べられていた。
「諸君。武器、防具は早い者勝ちだ。開始――」
一気に色めき立つ会場をいさめるように、副団長が言葉をつづける。
「……の合図と共に、各自武器を取るように」
会場に失笑が漏れる。
副団長は咳ばらいを一つした。
「武器は早い者勝ちだが、対戦相手はそうはいかない。各自、自分の番号をよく確認してほしい。読み上げられた番号同士でチームを組み、総当たりのプール戦を行う。仲間を大事にしたまえよ、騎士のたしなみである!」
「早くはじめろー!」
会場の中の誰かがそう叫んだ。
タクマは傍らの女を見た。笑いかけてくる彼女とチームになれるだろうか。
敵になったときには突く側に回りたい。
――突かれる側になるのは、まっぴらごめんだ。
タクマは乾いた唇を舌でなぞった。
小突いてきた女と笑い合う。
「では諸君!」
響いた副団長の声に、タクマは息を深く吸い込み、吐き出した。
たっぷりと間を取った副団長が儀礼剣を振り下ろす。
「開始!」
皆が奇声を発しながら武器防具に駆け、群がっていく。
大勢の男女ともみ合いへし合いながらタクマが手に取ったのは、一番使い慣れているエストックだった。
刃は潰されているが、それでも突き立てることさえできれば相手の戦意を奪える。
プール戦といえど、勝負自体は一対一。
重い武器は必要ない。ただ一瞬を制して、針孔の一点さえ通してしまえば勝ちだ。
そして勝てば、夢の騎士生活が始まるかもしれない。
タクマは生唾を飲み込み、軽鎧を身に着け、手近にあったサレットを被った。
防具がなければ、死もありうる。
敗北自体はともかく、ナイトプールで死んでしまったとあれば、葬式は爆笑の渦に飲まれてしまう。
それだけは避けたかった。
読み上げに従い、待機場所を見る。男一人に女が三人。彼女の姿はない。
自分の番号を聞き取るのに必死で気づいていなかった。
出そうになったため息を飲み込み、タクマはチームのところに走って行った。
女の一人が兜の面頬を跳ね上げ、彼が握る細剣を指さし笑った。
「なにその細いの? キミ、ヴァージン?」
「べ、別にいいだろ!?」
戦闘処女というフレーズに、タクマの声は躰と同じように震えていた。
並び立っていた槍を手にした女が、石突で突いてきた。
「照れてるー! ちょっとかわいいじゃん!」
「からかってやんなって! お前らだって初めてはあったんだからよ!」
肩にコカトリスの入れ墨を入れた男は庇うようなことを口にした。
しかし、その顔は新兵をバカにするときの兵長のそれだ。
――なめんなよ!
口にするのが怖かったタクマは心中で毒づき、メンバーと共に対戦場に向かう。
「先鋒はヴァージン君ねー?」
「いいかもーちょっとはポテンシャル見せてよー?」
からかうような女たちの声に、タクマはどぎまぎとしていた。
入れ墨の男がその肩を叩く。
「ビビんなって! 男を見せてやれ!」
「わ、分かってるっての!」
タクマの精いっぱいの抵抗は、上滑りしていく。
それでも、再びタクマは息を吸い込み、飲み込んだ。
「対戦者は前に!」
「おっしゃぁ!」
審判の声にタクマは気合いを飛ばし、高鳴る胸の鼓動を押さえつける
対戦相手は、ヘビーアーマーだった。
鎧には寸分の隙もなく、手には物騒なロングメイスを持っている。
「……あれ? ヤバくね?」
タクマの脳裏に敗北の二文字がよぎったとき、対戦相手がグレートヘルムのフェイスガードを開いた。
そこにあった目を見開く顔は、この会場で唯一と言っていい、見知った顔だ。
「あ」
「あ」
タクマの口からも、女の口からも、一音以外は発せられなかった。
初戦の相手が彼女で、しかも、ロングメイスを扱う重装歩兵だったとは。
タクマは右手の鉛筆のように細い剣と、彼女の全身を覆う鋼の装甲を見比べた。
――ないな。
「用意!」
審判の声に慌てて構える。どう攻めるのかも追い付かないまま。
彼女の方は自信満々に一歩踏み出し、フェイスガードを閉めた
「始め!」
「う、うぉぉ!」
タクマはただ彼女を突くことだけを考え、駆け出した。
そして彼は、ミニットマンの称号をメンバーから付けられることになった。
タクマの夏はこの日だけではない。
しかし、ナイトプールに通う彼の傍らに、重鎧を着こんだ清楚な女は、居なかった。
王都では、毎夜若き男女たちによるナイトプールが繰り返された。
それは平和な時代、周辺国で不足した実戦経験のある騎士たちを補うためにナイトを共有する、という名目で始められ、エダーゼン王国を強国へと押し上げていった。
ここまでお読みいただき、まことにありがとうございます。
ただのダジャレ(?)である。
でもなんかデスゲームもののネタとしてイケそうな気もする。
まぁ、私が書くかというと、ちょっとアレだけど。