#1: 婚約破棄
これは第1章なので、当然ながら長めです。次のものもそうなるだろう。
「ロゼリア・フォン・アルブレヒト。君との婚約を破棄する」
……は?
一瞬、何を言われたのか理解できなかった。
いや、言葉自体はちゃんと聞こえている。むしろ、はっきりと、やけに通る声で、周囲のざわめきすら押しのけるみたいに耳に届いた。
豪華なシャンデリアが輝く大広間。音楽はいつの間にか止まり、貴族たちの視線が一斉にこちらへ向けられている。
その中心に立っているのは―
金の髪に、冷たい青い瞳。
完璧に整った顔立ちの青年。
そして、私の目の前で、婚約破棄を宣言した張本人。
……え、ちょっと待って。
どこ、ここ?
というか今の何?
婚約破棄って言った?
誰が? 誰に?
ゆっくりと視線を落とす。
自分の手。白くて、細くて、指先まで手入れされた爪。身にまとっているのは、見覚えのないはずなのに、妙にしっくりくる豪奢なドレス。
……いや、見覚えがないわけじゃない。
むしろ、ありすぎる。
(え、ちょっと……これ……)
脳の奥に、嫌な記憶が浮かび上がる。
「王立学園と花の乙女たち」は、非常に人気を集めている乙女ゲームです。
数日前まで、寝る間も惜しんでプレイしていた、あのゲーム。
そして今、目の前で起きているこの状況。
(このシーン……まさか……)
背筋が、ぞわっと冷えた。
もう一度、目の前の青年を見る。
彼の名前は――確か。
(セドリック王子……)
間違いない。
攻略対象の一人であり、メインルートの中心人物。
そして...
(婚約破棄イベントの張本人……!)
ドクン、と心臓が大きく跳ねた。
やばい。
やばいやばいやばい。
ここ、ゲームの中だ。
それもただのイベントじゃない。
(よりにもよって、一番最悪なやつ……!)
視界の端に、淡い色のドレスを着た少女が映る。
栗色の髪に、守ってあげたくなるような雰囲気。
間違いない。
(ヒロイン……エリナ・フェアチャイルド)
そして、今の構図。
王子が私を断罪して、ヒロインを庇う。
完璧に、あのイベントと一致している。
つまり。
(私……ロゼリアになってる……!?)
頭が追いつかない。
いや、追いつきたくない。
けど現実は容赦なく目の前にある。
ロゼリア・フォン・アルブレヒト。
公爵令嬢で、王子の婚約者。
そして
(悪役令嬢……)
喉の奥がひゅっと鳴った。
このキャラの結末は、全部知ってる。
何度も見た。スキップできないイベントで、嫌でも目に焼き付いてる。
婚約破棄。
社交界からの追放。
家の没落。
ルートによっては
(処刑エンド……)
……いや無理。
無理無理無理。
そんな未来、絶対に嫌なんだけど。
「ロゼリア。これまでの君の行いは、すべて調べがついている」
冷たい声が降ってくる。
逃げ場なんてないみたいに、真っ直ぐに。
「エリナへの度重なる嫌がらせ。虚偽の噂の流布。そして本日の..」
ああ、来る。
知ってる。この流れ。
(ここで私が言い返して、さらに印象最悪になって――)
破滅一直線。
「……何か言い分はあるか?」
問われる。
静まり返った空間の中で。
全員が、私の答えを待っている。
「……何か言い分はあるか?」
全員の視線が突き刺さる。
逃げ場はない。沈黙も許されない空気。
……落ち着け、落ち着け私。
とりあえず、状況整理。
ゆっくりと顔を上げて、周囲を見る。
まずは目の前の王子:セドリック。
相変わらずの冷たい目。感情なんて一ミリも乗ってない声。ゲームのまんま。
……いや、ちょっと違う。
(こんなに圧あったっけ?)
画面越しじゃ分からなかった威圧感に、内心ちょっとビビる。
次に、その隣。
庇われるように立っている少女――エリナ。
……うん、ヒロイン。間違いない。
柔らかそうな雰囲気、守ってあげたくなる感じ。これも知ってる。
でも。
(……あれ?)
一瞬だけ、目が合った。
その瞬間。
ほんのわずかに、違和感。
怯えている、ように見える。でも、それだけじゃない。
何かを測るみたいな、そんな視線。
(気のせい……?)
いや、今はそれどころじゃない。
周囲の貴族たちもざわついている。
好奇の目、軽蔑、面白がってる顔。
……ああ、これこれ。この空気。
完全に「悪役令嬢ざまぁイベント」の現場。
(最悪すぎるんだけど)
頭の中で、これからの流れが再生される。
ここでロゼリアは感情的になって、ヒロインに食ってかかる。
王子の怒りを買って、完全にアウト。
そのまま破滅ルート一直線。
(いやいやいや、無理無理無理)
そんなテンプレ通りに動くわけないでしょ。
こっちは中身、現代人なんだけど。
深く息を吸う。
とにかく、ここが分岐点。
ここでの一言で、未来が決まる。
(……だったら)
ゲーム通りに動かなきゃいい。
それだけ。
簡単な話。
……いや、簡単じゃないけど。
でも、やるしかない。
ゆっくりと、背筋を伸ばす。
視線をまっすぐ王子へ向ける。
ざわめきが少し強くなった気がした。
たぶん、ロゼリアがこんな態度を取るのが意外なんだろう。
知らないけど。
「……そうですわね」
口を開く。
自分でも驚くくらい、声は落ち着いていた。
というか、これがロゼリアのデフォルトっぽい。便利。
拍、間を置く。
全員が固唾を飲んでいるのが分かる。
そして。
「殿下のお言葉、謹んでお受けいたしますわ」
言った。
言っちゃった。
一瞬、何も聞こえなくなる。
さっきまでざわついていた会場が、嘘みたいに静まり返った。
(……え、静かすぎない?)
恐る恐る周囲を見る。
全員、固まってる。
王子も。
エリナも。
え、そんなにおかしかった?
(いや、むしろ正解でしょこれ!?)
だって、反論したらアウトなんだし。
だったら大人しく受け入れた方が絶対いいじゃん。
……たぶん。
「……今、何と言った?」
低い声。
セドリックが、わずかに眉をひそめている。
あ、これ想定外って顔だ。
(だよねー)
内心で妙に納得しつつ、私は軽く首を傾げる。
「ですから、婚約破棄のお話、受け入れると申し上げましたの」
にこり、と。
できるだけ優雅に微笑む。
これが正解かは分からない。
でも少なくとも
ゲームのロゼリアは、こんなこと絶対言わない。
だから。
(フラグ、折れた……よね?)
たぶん。
いや、頼むから折れてて。ほんとに。
「……本気で言っているのか?」
ぽつりと、セドリックが呟く。
さっきまでの断罪の流れが、どこかで完全に止まってしまったみたいな空気。
まあ、止めたの私なんだけど。
「ええ。本気ですわ」
できるだけさらっと返す。
内心は全然さらっとしてないけど。
(頼むからこれで終わって……)
沈黙。
長い。やたら長い。
周囲の貴族たちも完全に困惑している。
ひそひそ声があちこちで広がり始めた。
「ロゼリア様が……受け入れた……?」
「嘘だろ……あの方が?」
「何か企んでいるのでは……」
いや、企んでないから。むしろ生き延びたいだけだから。
ちらっとエリナの方を見る。
彼女は――驚いていた。
大きく目を見開いて、完全に予想外って顔。
……それだけじゃない。
ほんの一瞬だけ。
本当に一瞬だけ、視線が鋭くなった気がした。
(……やっぱ気のせいじゃない?)
ぞくっと背中に嫌な感覚が走る。
その時。
「……随分と大人しくなったものだな、ロゼリア」
セドリックの声。
最初とは違う。少しだけ、探るような響き。
「いつもの君なら、ここで否定し、言い訳を並べ、エリナをさらに追い詰めていたはずだ」
……ですよねー。
(だってそれやったら詰みなんだもん)
心の中で全力でツッコミを入れつつ、表情は崩さない。
「そのような見苦しい真似、今更する意味がございませんもの」
軽く扇子を口元に当てて、視線を逸らす。
それっぽく見えてるといいんだけど。
「事実であれば受け入れる。それだけですわ」
―適当だけど。
でも、嘘でもない。
これ以上悪化させる理由なんてないし。
また、沈黙。
けど今度の沈黙は、さっきとは違う。
明らかに空気が変わってる。
断罪の場、だったはずなのに。
なぜか、全員が様子を見ている。
(……え、なにこれ)
私、もしかして変なことした?
いや、したけど。
でもこれ、ゲームと違う。
完全に流れがズレてる。
「……ロゼリア」
低く呼ばれる。
視線を戻すと、セドリックがじっとこちらを見ていた。
その目は
最初みたいな冷たさだけじゃない。
明らかに、何かを疑っている。
(うわ、面倒なフラグ立ってない?)
「本当に、それでいいのだな」
念押しみたいに言われる。
しつこいなこの王子。
でもここでブレたら終わり。
「ええ。問題ありませんわ」
きっぱりと答える。
すると、彼はわずかに目を細めた。
「……そうか」
それだけ言って、視線を外す。
……え、終わり?
ほんとに?
(……助かった?)
恐る恐る息を吐く。
その瞬間。
背後から、くすりと小さな笑い声が聞こえた気がした。
え?
反射的に振り返る。
けど、そこには人混みしかない。
誰が笑ったのか分からない。
ただ
妙に、嫌な感じだけが残る。
(……今の何?)
胸の奥がざわつく。
さっきまでとは違う、不安。
シナリオは変えたはず。
破滅フラグも、たぶん回避した。
なのに。
(なんでこんなに嫌な予感するのよ……)
視線を戻すと、セドリックがまだこちらを見ていた。
そして。
エリナも。
さっきとは違う、読めない表情で。
「……」
言葉はない。
でも、分かる。
何かが変わった。
確実に。
(……これ、大丈夫なやつ?)
分からない。
何もかも。
ただ一つだけ、はっきりしていることがある。
もう、この先はゲーム通りじゃない。
その時の私は、まだ知らなかった。
たった一つの選択が。
すべてのルートを、壊してしまったことを。
ああ、つまらない。
くそっ…『死亡遊戯で飯を食う。』の最終話(11話)は本当に良かった!素晴らしい結末だった。




