#13 王と姫の父、王と母の誓い
あれは、6歳の初夏、あと半年で姫が生まれるという頃だった。僕が母さんの中にいる胎児をお腹に触れ確かめていた時、突如として電話が鳴り響いた。訝りながらも母さんは出たが、彼女の表情は話が進むにつれどんどんと硬く、険しくなって行った。話が終わり受話器を置くと、母さんは「王、行くわよ」と言った。「え、どこに?」と思ったが、母さんのその剣幕に気圧され、言われるがまま出掛ける支度をした。
着いたのは警視庁だった。訳も分からぬまま警視庁と書かれた大きな建物に入る。警察官の人たちが、明らかに場違いな僕らをジロジロ見てくる。僕は、ずんずん進む母さんを小走りで追いかけながら、不安な気持ちを募らせていった。
やがて、母さんがある扉の前にぴたっと止まった。ガチャリとドアを開けると、そこには人の好さそうな笑みを浮かべた警察官がいた。彼は、その優しそうな笑みを絶やさず、目に鋭さを残した50代位の男性だった。
「僕、お名前は?」
「……のん。すめらぎ、のん」
「王君か。王君、ちょっとあそこのお姉さんと遊んで置いてくれないかな? お母さんとお話をしなきゃいけないから」
男性警察官が指さした方向を見ると、気の強そうな美人のお姉さんがニコリと微笑み手を振ってくれた。
しかし、それを遮るように、母さんが見たことがないような冷たい表情をして、
「それで? 光留さんが行方不明っていうのは?」
と問うた。
「……ゆくえ、ふめい?」
僕はそう、困惑気味に反復する。
「おかあさん、おとうさんどこかいっちゃったの?」
「……、王。こっち来なさい」
まだ硬い表情を浮かべながら、母さんはそう言って椅子を僕に差し出した。
僕が椅子に座ったのを確認し、警察官は口を開く。
「昨夜10時頃、会社の方から『皇光留さんが帰ってこない』という通報がありました。出張先で、トイレに行くと言って行ったきり、帰ってこない……と。今日も捜索しましたが、全く見つけられませんでした。これからも、全勢力を挙げ捜索して参ります」
父さんが、行方不明。消息不明。
僕は、ちらりと母さんを見た。相変わらず硬い表情を浮かべ、——拳をぎゅっと強く握り締めていた。そんな母さんを見、僕は彼女の拳の上に手の平を置く。母さんは一瞬目を見開き、ふっと困ったように微笑んだ。
「……何か進展があればご連絡させて頂きます。また何か御座いましたら、ご連絡下さい」
それだけ言うと、警察官は慌ただしく出て行った。
「おかあ、さん」
「……大丈夫よ、王。ふふ、息子に気を遣われるなんて、母親失格ね」
「……そんなこと、ないもん」
優しく微笑み、母さんがそう自嘲気味に言う。その優しげで穏やかな微笑みが、無理をしているように見えて。僕は、母さんを離すまいと、ぎゅっと母さんの手を握った。
それから四年後。姫もまだ物心はついていないものの、少し育児も落ち着いた頃。
僕は10歳に、姫は4歳になった、雪が歌い踊り狂う寒いある冬の日だった。
その二年前に、父の死体と、そして父が殺したと見られる名倉真樹さんの白骨死体が見つかった。父は自殺だったらしい。
不思議と涙はなかった。
あんなに大好きだった父が死んで、とても悲しくて悲しくて堪らなかったのに。もう、心の整理がついていたからだろうか。
だが、そこから僕たち家族は……主に母さんは大変だった。
家から犯罪者を出し、皆から忌避され、引っ越そうにもお金が足りず、それでも借金はしなかった。母さんは、全力で僕たちを守ってくれた。
だけど、父がいた時でも、まだ姫がいない時でもジリ貧状態だった家計は、姫が生まれ、父という大黒柱がいなくなり、街から味方がいなくなり——風前の灯火だった。それは、休みなく働き続けた母さんもだった。
あれは何時のことだったろう。母さんの負担を減らしたくて、家事を手伝っていた時のことだ。
キッチンから突如、
ガッシャァァァァンッ‼
という皿が割れる大音量の音がして、僕は一瞬びくっと硬直した。だが直ぐに我に返り、急いでキッチンに向かう。
「っ、母さん⁉」
キッチンで、母さんが——倒れていた。
ざっと血の気が引く。走馬灯のようにフラッシュバックする、硬く手を握り締め、力なく笑う母さんの姿。汗の粒を大量に流し、痛そうな、苦しそうな顔をしながら姫を産んだ母さん。氷のように冷たかった父さんの手。
「母さんっ、今救急車呼んだからっ、ちょっと頑張って!」
応答はない。
震える手を押さえながら、見様見真似で脈をとる。すると、まだ正常にあったのでとりあえずほっとして息を吐く。
「母さん、もうちょっとだから。もうちょっとだけ頑張って!」
僕には、聞こえていないであろう激励を母さんに掛けることしか出来なかった。
「、ん……あれ……私、」
「っ、母さん! 目覚めて良かった……丸一日眠ってたんだよ」
翌日、やっと母が目を覚ました。
しかし、心なしかぼーっとしている為、二日間入院することとなった。
「息子さん、えぇと……王君、だったわよね? が、貴女が眠っている間に付きっ切りで世話してくれてたのよ~」
ベテランそうな何処となく貫禄を漂わせる女性看護師が、言わなくてもいいことをわざわざ言った。その言葉に母さんはぱちぱちと数回目を瞬かせて、それからふっと何処か嬉しそうに笑った。
「有難ね、王」
「……。……どう、いたしまして」
僕は照れ臭くて、母からすっと目を逸らし返事をした。そして、
「母さん」
気を取り直し、次は少し小さく、細くなった母さんに向き直り、瞳を真っ直ぐ見た。
「一個だけ。これだけは、約束。破らないで」
僕の雰囲気に突き動かされたか、すっと背筋を伸ばした母さんが、怪訝そうに首を傾げる。
「これから、ぜっっったい無理しないで。……しんどいとか、無理だって思ったら、絶対僕に言って。僕だって、守られてばっかじゃないんだよ。あの時みたいに、母さんの横にいることしかできない歳じゃあない。……支えさせてくれると、頼ってくれると、嬉し、い……かな」
最後まで、母さんの瞳を見て言い切ると、僕はすっと小指を差し出した。えっ、と目を丸くする母さんに、「約束」とぼそっと呟く。
それだけで母さんは分かったようで、くすっと笑いながら前より幾分か小さく、細くなった小指を差し出し、
「ゆびきりげんまん うそついたらはりせんぼんのます ゆびきった」
と自分の指と僕の指を絡めうたった。
そして、母さんは花が綻ぶようにふわりと微笑った。
「おにーちゃん、おなかすいた」
「ん、分かった。じゃあ今から作るから待っててね、姫」
母さんが入院中、そして退院後は、母さんは僕に家事を任せてくれるようになった。とても申し訳なさそうだったが、まぁ任せてくれるようになったので良しとしよう。
ただ、彼女は家族内のスキンシップは欠かさなかった。母さん曰く、「王にも姫にも寂しい思いさせちゃってるから、なるべくしないと駄目なの」らしい。
そしてそれから六年、誰一人欠けることなく、今に至る。
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