第三章 第16話
プールに落下した夏輝は徐々に沈んでいた。体は酸素を求めているがもう既に体を動かす気力も残っていない。夏輝は薄れゆく意識の中、思い出すのは昔のことであった。
雅との出会いは幼少期。親同士が友人だったのがきっかけであった。今でこそ雅は芯のある性格であるが昔は引っ込み思案で夏輝の後ろにいることも多く、その性格も相まってよく同級生からは揶揄われていた。そんな雅に夏輝が最初に抱いた感情は"怒り"であった。ある日、夏輝は雅に"どうして何もやり返さないのか"と聞いた。雅からの返答は"私は力じゃ敵わないから"と言った返答であった。夏輝はその返答に"なら言い返してやれ。雅は頭いいんだから。口喧嘩なら負けないだろ"と答えたのだった。翌日、またも同級生に揶揄われている雅がいた。夏輝はまたも動こうとしたがその日は違った。雅が相手に反抗したのだ。体は震えていたが声にはハッキリとした拒絶の意思があった。感心していた夏輝だったが事件はその後であった。激昂した男子が雅の髪を鋏で切ろうとしていたのだ。その後の夏輝の記憶はない。気付けば散らばった机に傷だらけの自分と複数の男子。そして背後から泣いて止める雅の姿があるだけであった。
次に浮かぶのは"師"である芽衣の事であった。
芽衣と出会ったのは中学生の時。父親から紹介されたのが始まりだった。芽衣が武術に精通していると知った夏輝は単刀直入、芽衣に聞いたのだ。
"俺はもっと強くなれますか"
と。芽衣の答えは"無論"の一言であった。中学生にもなると雅に対する揶揄いも鳴りを顰め、言いよる男達が増えた。よく夏輝は同級生から雅の関係を聞かれたが"ただの幼馴染"と言っていた。実際、夏輝としてはその関係性以上を求めなかった。なんならそれ以下でも良く、恋愛感情なんてもってのほか。
まして、方や家柄の良い美少女、方や偶然、親同士の繋がりがあった一般家庭生まれの庶民。あまりにも釣り合わない。それもそのはず。本来ならば交わることのない2人なのだから。
夏輝は常に雅が主役の物語における"モブ"に徹していた。ラブコメで言えば当て馬。そんな立ち回りを。表向きはいつものように振る舞い、知らぬ間に脅威を排除し、牽制していた。全ては雅が"自分"が原因で"あの時"のようにならない為に。高校生にもなれば雅も自主防衛するだろうと、フェードアウトを計ったが知らぬ間に同じ高校に進学することとなっていた。夏輝が芽衣の会社に本格的に雇われたのもその頃だった。芽衣は持ちうる技術と意思を教え、伝え、鍛えてくれた。まさに夏輝にとっては、人生における"師"であった。
そして最後に家族が思い浮かぶ。両親は忙しく不在がちであったが、愛情は感じていた。やりたいと思った事を否定せず挑戦させてくれた。父は任務で様々な国を飛び回り、帰ってくると必ずその話を聞かせてくれた。幼少期の夏輝にとって父親は追うべき背中であった。そんな父から口酸っぱく言われていることがあった
"いいか夏輝。強くなれ。誰が相手だろうとも、どんな状況であろうとも絶対に負けないと言い切れるくらいにな。大事な人を守るってのはそういうことなんだ"
昔はよくわからなかったが今ならわかる。父も同じ気持ちであるということが。その教えを元に芽衣と自分を引き合わせたということも。父が背負っている宿命を夏輝も同じく受け継いだのだ。夏輝はそれを重いと思ったことはなかった。なんなら背負うべきであるとすら考えていた。姉や妹を信頼していないわけではない。ただ、いざという時に家族を守るべきなのは自分であるとの自覚を持っただけである。もちろんその家族の中には雅も含まれていた。雅が神山家の敷居を跨いだ時から夏輝は
雅のことを家族だと思っていた。
(これが走馬灯ってヤツか……じゃあ……俺は負けたのか……)
だんだんと意識が遠のいていく。
(ボスには……悪いことしたな……変に責任感じないといいんだけど……累さんの忠告守るべきだったかな……無茶しても勝てなかったや……沙羅先輩……仇、討ってくださいね……後は皆が………やってくれる……)
そう思った矢先、ふと視界に揺蕩う何かが目につく。手に取って見れば、それは任務の際は必ず首から下げている"お守り"であった。雅から"私が夏輝君の幸運の女神になるから……必ず生きて帰ってきて"と渡されたものであった。夏輝の脳裏に銃を突きつけられた雅が自分に向けた顔を思い出した。恐怖に押しつぶされそうになりながらも夏輝を信じていたあの顔を。夏輝はお守りを握ると覚醒する。
(後は皆が……?違う!今、雅達を救えるのは俺だ。クッソ……情けねぇ……!俺がやらなきゃ誰がやる……!考える前に動け!満身創痍でも敵は待ってくれない!時間さえ敵であると思え!ボスの教えを忘れるな)
お守りを服の内側に入れるとポケットからボールペンサイズの装置を取り出す。それを口に咥えスイッチをオンにすると新鮮な空気が肺に送り込まれる。この装置は、芽衣のブーツや累のワイヤーなどを開発したメカニックが作ったもので、水から酸素を取り出し呼吸できるようにする代物であった。夏輝は海面を目指すと心の中で決意する。
(待ってろよ……!キラーホエール!雅に銃を突きつけた報い!必ず受けさせてやるからな……!)
夏輝の目は闘志を失っていなかった。
海面に静かに顔を出す夏輝。見ればキラーホエールは何やら言っているようであった。プールサイドの物陰に隠れるとキラーホエールを観察する。どうやらタワーを登るようだ。夏輝は考える。正直、今立ちはだかったところで体は限界。一方的に嬲り殺されるのがオチだろう。ならばどうするか、夏輝お得意の不意打ちである。使えるものは無いかと見回す夏輝の目に止まったのはロープと滑車タイプの昇降装置であった。登る先は先程ミサイルを撃ち込まれた飛び込み台のあたり。
(これは……使えるかもしねぇな……)
夏輝は昇降装置に向かって泳いでいくのだった。
「クックック………ハーッハッハッハ!俺の勝ちだぁぁぁぁぁぁぁ!」
プールにキラーホエールの声が響くが、返答はない。それもそのはずで先ほどの爆発にに巻き込まれたのは最後の部下である副官だったのだから。
「おい!誰か屋上に行って飛行機に合図を出せ!」
そう指示を飛ばすが辺りはまるで墓場のように静かであった。
「なんだ全員死んだのか。まぁいい。使えない奴らだ」
キラーホエールは2階に上がると夏輝達が落下した飛び込み台を覗き見る。落下したと思しき場所には残骸が浮かんでいた。
「この程度で死ぬとはな。あっけない奴らだ」
キラーホエールが背を向け、タワーの屋上に向かおうとすると後ろにある昇降用のロープ設備の滑車が音を立てて急速に回り始めていた。




