第二章 第10話
作戦前夜、雅は夏輝と共に夏輝の部屋にいた。2人の間に会話はない。夏輝は黙々と銃の分解と結合、動作確認を、雅は枕を抱きしめて何か考えているようであった。
「何を悩んでる。明日のことか?」
「…………」
「まぁ、その気持ちはわかる。俺も毎回そうだからな……」
「……夏輝君も……不安とか緊張とかするんだね……」
「当然だろ……俺は無敵じゃないんだから。ボスに口酸っぱく言われるんだよ。"慢心は敵だ。勝てるのは執拗に準備した者だけだ"ってな」
「だからずっと銃を触ってるの……?」
「そうだ。何かあった時、頼れるのはコイツだ。いざという時に動かないってのは避けたいからな。毎度、コイツを連れて行く時は最低3回、分解と結合、動作確認をする」
「…………」
夏輝が7回目の結合と動作確認を終えた時に雅が話す。
「私……怖いの……明日、何か失敗をしたらどうしようって……私のせいで杏梨ちゃんに何かあったらどうしようってずっと考えちゃう……」
夏輝は何も言わない。
「もし私達が上手くいっても……夏輝君が帰ってこないんじゃないかって……死んじゃうんじゃないかって……ずっと考えちゃうの……!」
「そんな簡単に死ぬかよ……」
「そんなの口ではどうとでも言えるじゃない!」
「…………」
雅の悲痛な叫びに夏輝は何も言えない。
「お願いだから……約束して……!ちゃんと帰ってくるって……!」
震える雅の声に対する長い沈黙の後、夏輝が発した。
「……………善処する……」
「ッ…………!」
夏輝は時計を見ると雅に告げる。
「もう帰れ。明日も早いだろ……?」
「嫌……!今日は……帰らない……!一晩中、夏輝君の傍にいる……!」
雅は夏輝の背中に抱きつくと、顔を埋めた。小さな嗚咽と泣き声が嫌に響くように感じた。
「わかった……」
夏輝は部屋の電気を消すと雅とそのままベッドに寝る。彼女の体温と微かに濡れる感触を背中に感じながら夏輝は思う。
(俺の命は……どうやら俺の裁量でどうにかなるものじゃないらしい……こんなことボスは教えてくれなかったな……)
決戦前夜の夜は更けて行った。
翌日、雅が目を覚ますと既に夏輝の姿はなく、代わりにラッキーが隣に寄り添っていた。慌てて下の階に降りるが、そこにいたのは玲だけであった。
「夏輝ならもう行ったよ」
玲はコーヒーを一口飲むと続ける。
「今日なんでしょ?ストーカー捕まえるの。何かあったら言いな。使える力、全てを使って助けるから」
「はい……」
「はぁ……酷い顔……昨日の夜ずっと泣いてたんでしょ?全く……愚弟も大事にされてることに気づけないもんかねぇ……」
玲は素早く濡れタオルを雅の顔に当てる。
「目の腫れが引いたら一緒に学校行きましょう。それから夏輝から伝言があるの」
玲は机の上にある朝食と思しき手製のおにぎりと隣の小さな弁当箱を指差して言う。
「ちゃんと食べること……それから……」
「それから……?」
「帰ったらカレーが食べたいってさ」
「カレー……ですか?」
「うん。アイツらしいね」
「ふふっ……そうですね」
雅はおにぎりを手に取ると、一口齧る。夏輝が握る特有の少し濃い塩気も今ではありがたかった。
(作って待ってるから……ちゃんと帰ってきてね)
雅はそう決意すると玲と共に学校に向かうのだった。
時は流れ放課後。雅は杏梨と共に歩いていた。いつもならブラック・ベティーに乗っていたが今日は違う。ただ2人で歩く。後ろから感じる視線。一定距離を保ちつつ着いてくる。2人は気にしない素振りをしながらも早足で歩く。すると向こうも速度を上げる。
「もうじきね」
「うん……夏輝君が言ってたポイント」
夏輝が伝えたのは袋小路。相手に逃げ場は無いが、2人にも逃げ場がない。夏輝は最後まで悩んでいたが雅と杏梨に押し切られここで決着を付けろと言ったのだ。
「ここを右ね」
「真っ直ぐ行って……次を左……」
2人は焦っているように見せかけ、走って相手を誘導する。しばらくするとお目当ての袋小路に辿り着いた。2人は振り返り声をかける。
「誰!ずっと私達の後をつけてるのは!」
「隠れても無駄です!いるのはわかっています!」
「やっと気づいてくれたぁ……」
曲がり角から出てきたのは中肉中背の男。春だというのにロングコートを着ていた。
「私に何か用ですか!」
「何か用って……何を言っているんだい?僕は君を連れ戻しに来たんだ」
「連れ戻すって……どこに……」
「もちろん、僕達の家にだよ」
「家って……第一、私は貴方を知らないわ!」
「そんなはずはないよ。1ヶ月と1週間前、杏梨は僕に手を振ってくれただろう。アレは僕に対するメッセージだろう?言わなくてもわかってるさ」
支離滅裂な返答に杏梨の足は震えていた。自分も恐怖で竦んでしまいそうだった。だが雅は杏梨の手を握ると言う。
「それは貴方の勘違いです!独りよがりの好意なんて相手にとって迷惑でしかありません!」
「君は……?あぁ!最近できた杏梨の友人だね。友人なら彼女のことを説得してくれないかい?」
「お断りします!杏梨ちゃんには既に想い人がいるんです!杏梨ちゃんにとって貴方は恐怖でしかないんです!」
「そ……そんなはずはない!僕と彼女は相思相愛だ!そうだろう!?」
そんなことを宣う男に、杏梨恐怖に押しつぶされそうになりながらも雅の手を握るとキッパリと言った。
「私は!貴方の事なんて知らないし!興味もない!好きになる訳なんかない!もう消えて!」
「そ……そんな……」
雅は杏梨を抱きしめる。これで終わってくれれば……そう思うがそう簡単にいく訳がなかった。
「わかったぞ……杏梨は騙されているんだ……周りの人達にね……ならその人達を消してしまえば……全部解決だよね……!」
男は懐から大型のサバイバルナイフを取り出す。光る刃が向く先は……雅だ。
「まずはその女狐から消してあげるねぇぇぇ!」
男が動こうとした時、後ろから誰かが羽交締めにすると男の動きを封じる。
「やっと動いたな!このクズ野郎が!大人しくお縄につけ!」
その声の正体はなんと謙也であった。
「龍崎君!?」
「!?」
「夏輝から頼まれてね……まさかこんな形で再会する事になるとは思わなかったけど……」
謙也は、羽交締めにた男をそのまま持ち上げると壁に打ちつけ続ける。
「夏輝が"いい加減に応えてやれ"って言うから……それも伝えにきた」
謙也は男がナイフを落としたのを確認すると、壁に押し付けたまま両手を拘束する。男はもがくが中肉中背の男とラグビー高校日本代表の謙也では話にならなかった。
「お巡りさん!お願いします!」
その一言で私服警官が集まってくる。両手に手錠をかけられた男はなおも喚き散らす。
「これは何かの間違いだ!僕と彼女は相思相愛だ!そうだろう!?そうだと言ってくれよ!」
血走った男の目の先には蹲り、雅と女性警官に介抱されている杏梨の姿があった。謙也は杏梨と男の間に割って入ると、男の目を見て冷たい声で告げる。
「あの子の気持ちはアンタじゃなくて俺に向いてるんだ。とっとと諦めろ。それともなんだ?次はもっと惨めなのがご希望か?」
謙也に見下ろされた男は口をつぐんだまま連れて行かれた。謙也は杏梨達に近づくと言う。
「ごめんね。遅れちゃって……怖かったでしょ……ケガとかない?神崎さんも大丈夫?もし神崎さんに何かあったら俺、夏輝に殺されちゃうんだけど……」
「私は大丈夫……杏梨ちゃんの方が心配かな」
謙也はおずおずと手を出すと杏梨の頭を撫でる。その表情と声色は優しかった。
「よく頑張った。君は強いよ」
杏梨は謙也に抱きつくと顔を埋めながら言う。
「来るのが遅い……!怖かった……!殺されちゃうかと思った……!」
「そうだね。ごめんね……それから……如月さんの気持ちに応えるよ……」
「えっ……?」
「こちらこそよろしくお願いします」
それを聞いた杏梨はまたも泣き出す。オロオロする謙也を尻目に雅は夏輝にメッセージを飛ばす。
件名は"mission clear"すぐに既読が付き夏輝から"OK"のスタンプが返ってくる。続けて"行ってくる"の文字。雅はスマートフォンを額につけると祈るように呟のだった。
「どうか……皆さんご無事で……」




