最終話 物語の終焉に花を
白い花が、静かに咲いていた。
それは、氷の庭園に咲いていた 最後の雪の花 。
春を迎えるために散る運命にあった、白く儚い花。
アメリアは、その花をじっと見つめていた。
——ああ、私は、知っている。
この花が、何を意味するのか。
この花に触れれば、私はすべてを思い出してしまう。
冬の少女のことを。
桜の森の約束を。
燃え尽きた踊り子の姿を。
黄昏の館で待ち続けた詩人の旋律を。
そして、私自身が「忘れた者」だったことを。
アメリアは、ゆっくりと手を伸ばした。
指先が、そっと花びらに触れる。
その瞬間——
世界が、光に包まれた。
すべてが、音もなく崩れていく。
積み重なった記憶が、波のように押し寄せ、そして形を成していく。
——桜が舞う春の森。
——燃え尽きる夏の炎。
——黄昏に溶ける秋の湖。
——氷の庭園で消えた誰かの影。
記憶が、断片的に押し寄せる。
彼の声が、彼の手が、彼の瞳が、あまりにも懐かしい。
——私は、ずっと……あなたを……。
アメリアの瞳から、涙が零れた。
それは、数百年、数千年の間、決して流れることのなかった涙だった。
旅人は、優しくアメリアの手を取る。
「君が思い出してくれなかったら、どうしようかと思ったよ」
その言葉に、アメリアはさらに涙を溢れさせる。
彼は、ずっと待っていた。
春の幻が散り、夏の炎が燃え尽き、秋の影が遠ざかり、冬が訪れても——
それでも、彼は、アメリアが思い出すのを待っていたのだ。
——彼女は、彼を忘れたくなくて、彼を物語に閉じ込めた。
忘れなければ、失わない。
失わなければ、痛まない。
けれど、そんなことは、本当は最初から分かっていた。
「……終わりにしよう」
アメリアは、旅人の手を強く握りしめる。
——その瞬間、世界が 色を取り戻した。
空の青が、桜の桃色が、炎の赤が、湖の月の銀色が、雪の白が、すべてが一気にアメリアの世界へ流れ込む。
世界が、鮮やかに、温かく 生まれ変わる。
けれど、それらの色よりも——
旅人の瞳の色だけが、あまりにも鮮やかだった。
アメリアは、彼の顔をじっと見つめた。
「……あなたの瞳の色だけが、あまりにも鮮やかで」
彼女の世界に、最後の「色」が戻る。
旅人は微笑む。
「君は、僕を思い出してくれた?」
アメリアは、静かに頷いた。
もう、必要ない。
もう、物語の中に彼を閉じ込める必要はない。
彼は、物語の登場人物ではない。
彼は、ここにいる。
彼は、アメリアがずっと探していた存在だったのだから。
「さあ、僕たちの物語を始めようか」
旅人は手を差し伸べる。
アメリアは、それをしっかりと握り返した。
世界は、終焉を迎える。
そして——
新しい物語が始まる。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
次はサイバーパンクなホラー?に挑戦したいなぁと思う次第で。ある程度完成したら皆様とまた、お会いできるかもしれないです。それまでしばしの間、お待ちくださいませ。




