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恋を知らぬ魔女は、物語を紡ぐ  作者: かに玉
恋を知った魔女は、物語を解く
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第5話 秋の記憶 - 黄昏の残響

世界は、静寂に包まれていた。


熱を孕んだ夏の大地は、すでに遠い記憶だった。燃え上がる炎も、踊る者の影も、いまはもう何もない。


代わりに、目の前に広がるのは 黄昏の館 。


湖のほとりにひっそりと佇む、その古びた建物。

月の光を受け、くすんだ白亜の壁がぼんやりと輝いていた。


窓のひとつひとつに揺れる燭台の灯りが、まるで誰かの記憶の残滓のように、今にも消え入りそうに揺らめいている。


「……ここは?」


アメリアは、旅人の隣で小さく呟いた。


「黄昏の館。過去に囚われた者たちが、ただ待ち続ける場所」


旅人の声は、どこか遠くから響くように感じた。


アメリアは、そっと足を踏み出した。

枯葉が、音もなく散る。

夏の熱はとうに去り、秋の風が冷たく肌を撫でた。


「……過去に囚われた者?」


アメリアは、館を見上げた。

その場所には、時間の流れがない ように思えた。 


夜のように深く、静かな場所。

けれど、決して眠ることのない空間。


まるで——


誰かを待ち続けるためだけに存在しているようだった。


湖の水面が揺れる。

そこに映る館の影もまた、静かに波打った。


そのとき——


「……ようこそ」


館の扉が音もなく開き、

そして、一人の 女性 が現れた。


彼女の姿を見た瞬間、アメリアの胸の奥が、わずかに軋む。


黒髪に、深い色のドレス。

どこか懐かしさを感じる瞳。

けれど、それが誰のものなのか、思い出せない。


「……あなたは?」


アメリアが尋ねると、女性は微笑んだ。

その微笑みは、どこまでも穏やかで、けれどどこか寂しげだった。


「私は、この館にいる者。ここで、ただ黄昏を見つめながら、時間が過ぎるのを待っているの」


「待っている?」


「ええ。誰かが帰ってくるのをね」


彼女はそう言って、ふと湖を見た。

そこに映るのは、揺れる館の影と、月の光。


「でも、その人はもう戻らないの」


「……戻らないのに、待ち続けているの?」


「ええ」


女性の声には、微かな笑みが滲んでいた。


「待つことしか、できないから」


その言葉が、秋の風に乗って、アメリアの胸の奥へと染み込んでいく。


「……それは、あなたの選択?」


「そうね」


彼女は、ふわりと微笑む。


「待つことは、選ぶことなのかもしれないわ」


それはまるで、誰かの声が重なったような気がした。


アメリアは、館の扉を見つめる。

その向こうには、まだ見ぬ 過去の残響 が眠っている気がした。


「……この館に、入るべきなの?」


旅人は、静かに頷いた。


「君が、思い出すべきことがあるのなら」


アメリアは、ふと息を呑む。

思い出すべきこと。


それは 過去に囚われることなのか、それとも手放すことなのか。


彼女は、そっと扉に手をかけた。

冷たい扉が、静かに開く。


そして、館の中へと足を踏み入れた——


館の中は、静寂に包まれていた。

けれど、それは決して 静かすぎる ということではなかった。


——ピアノの音が、微かに響いている。


黄昏の館の奥から、

遠く、遠く、

それはまるで 失われた記憶の残響 のように、ゆっくりと波紋を描きながら響いていた。


アメリアは、ゆっくりと歩を進める。


長い廊下。

揺らめく燭台の灯り。

壁に掛けられた古い肖像画。


まるで、この館が 時間の流れから切り離された場所 であるかのようだった。


「……この音は?」


アメリアは、耳を澄ませた。


それは、どこか懐かしい旋律。

どこで聴いたのかは分からない。

けれど、胸の奥が 微かに疼く。


「ノクターン だよ」


旅人が、静かに言った。


「夜の調べ。忘れられた想いの余韻」


「……忘れられた想い?」


「そう」


旅人は、遠くを見るような目をした。


「この館にいる者たちは、みな過去に囚われている。そして、この旋律は その記憶を繋ぎとめるために 奏でられている」


「繋ぎとめる……?」


「過ぎ去ってしまうものを、少しでも留めておきたいんだろう」


アメリアは、ふと足を止めた。

この音は、そういう音 なのだ。


——手放したくないもの。

——忘れたくないもの。

——それでも、いつかは遠ざかっていくもの。


館の奥の扉が、音もなく開いた。

そこにいたのは、一人の 詩人 だった。


彼はピアノの前に座り、静かに鍵盤に指を落とす。淡く、優しく、そしてひどく寂しげな音。


ノクターンは、館の中に響き続けていた。


「……あなたは?」


アメリアが問いかけると、彼はふっと微笑んだ。


「ここに住む者。かつて、誰かを待っていた者」


「待っていた……?」


詩人は頷いた。


「私は、誰かに詩を捧げるために、ここにいた」


鍵盤の上を指が滑る。


「でも、その人はもうここにはいない。私はそれでも、ここで詩を紡ぎ続けている。いつか、その人が戻ってきたときのために」


「……でも、戻らないのに?」


「戻らないと分かっていても、待つことをやめられない」


詩人の言葉は、あまりにも静かだった。

まるで、すべてを受け入れた者のように。


「君は、どう思う?」


ふと、旅人が問いかけた。


「過去に囚われることは、悪いことだと思うか?」


アメリアは、言葉に詰まった。


館の中の空気は、ひどく穏やかだった。

誰も ここから出ようとはしない。

けれど、それは ここにいることで、何かを守り続けている ということでもあった。


「私は……」


答えを出そうとしたそのとき——


ノクターンの旋律が、止まった。


館の中の空気が、変わる。

すべての時間が、一瞬、静止したかのように。


詩人は、ピアノから手を離した。


「黄昏が終わる 」


その言葉とともに、館の灯りが揺れた。


そして——


世界が、ゆっくりと消えていった。

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