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恋を知らぬ魔女は、物語を紡ぐ  作者: かに玉
恋を知った魔女は、物語を解く
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2話 冬の記憶 - 最後の雪の花

世界は、ただ静寂だけを残していた。


雪は音もなく降り積もり、氷の庭園を覆い隠していく。

降り積もるほどに、世界は白く、透明になっていくようだった。


冷たい風が木々の間をすり抜け、微かな囁きを運ぶ。

それはまるで、ここに刻まれたはずの記憶が、ひとひらずつ剥がれ落ちる音のようだった。


魔女アメリアは、旅人とともにそこに立っていた。

まるで夢の中に迷い込んだように、冷たく静かな世界のただ中に。


氷の庭園。


それは永遠に春を迎えることのない場所。

この庭の片隅にだけ咲くという、ひとつの花。

 

雪よりも白く、霜よりも儚い 「最後の雪の花」 。


アメリアは、どこか遠いものを見るように、その庭園を見つめた。

足元の雪が、ひどく柔らかい。


まるで、長い時間をかけて降り積もった言葉たちの残骸のようだった。

それなのに、踏みしめるたび、白い靄のようなものが足跡を隠していく。

ここに刻まれるものは、何ひとつとして長くは留まらない。


彼女はゆっくりと目を閉じる。

そして、雪の降る音に耳を澄ませる。


かすかに、微かな、誰かの気配がする。

それは、まるで過去の囁きのような、あるいは夢の中で誰かが呼ぶ声のような。

ひどく懐かしく、それでいて、ひどく遠い。


「——ここは、何も変わらないのね」


その声に、アメリアはゆっくりと振り返る。

そこにいたのは、白いドレスを纏った少女だった。


いや、少女というよりも 「冬」 そのもののようだった。

風に溶け込むような、淡く儚い存在。

瞳には、春を知らない雪の冷たさがあった。


「あなたは……?」


「私は、この庭園の最後の冬」


彼女は淡々と告げる。

それは事実の羅列に過ぎないようでいて、どこかひどく寂しげな響きを持っていた。


「この庭園は、春を迎えることができないの」


その言葉は、氷の刃のようにアメリアの胸に降り積もる。


何も変わらない。

何も訪れない。

ただ、繰り返し、繰り返し、この冬が続いていく。


「でも——」


少女の指先が、ひとひらの雪を受け止める。

指の上で、ふわりと、それは溶けた。


「いつかは、終わるの」


アメリアは、かすかな息を呑む。


終わる。


それは、雪が溶けることなのか、あるいは、彼女がここからいなくなることなのか。


「この庭に春をもたらすものは、ただひとつ」


少女は、庭の奥を指さした。

そこには、たったひとつだけ咲く白い花があった。

凍てついた空気の中で、それは揺らぎもせず、静かに咲いている。


「この花を手折れば、春が来る」


彼女は淡々と言う。

まるで、それが何の感情も伴わぬ決まりごとのように。


「でも、それは、あなたが消えるということ?」


アメリアは、自分でも驚くほど静かに問いかけた。

少女は微笑む。

その微笑みは、ひどくあたたかくて、ひどく冷たいものだった。


「それが、私の役目だから」


風が吹いた。

氷の庭園に、ひとすじの風が流れた。

それはまるで、止まっていた時間が、かすかに動き出すような、そんな風だった。


アメリアの指先が、かすかに震えた。

この選択は、何を意味するのだろう。

彼女は、この花を手折るべきなのか。


それとも——


しかし、その答えを出すよりも早く。

旅人がそっと、アメリアの肩に手を置いた。


「君は、この庭園を知っているんじゃないか?」


その言葉に、アメリアはハッとする。

知らない。

知らないはずだ。

それなのに。

この場所の冷たさも、降り積もる雪のやわらかさも。

ここにいる「冬」そのもののような少女の声さえも。


——どこかで知っている。


アメリアは、ゆっくりと少女を見つめた。

彼女はただ、静かに微笑んでいる。

この庭園の、最後の冬として。


「——春は、必ず来るわ」


彼女はそう言った。

まるで、それが決められた運命であるかのように。


その瞬間、アメリアの胸の奥で、

何かが、微かに軋む音を立てた。


彼女は、何を忘れている?


そして——


なぜ、そのことを思い出してはいけないのか。


 風が、再び吹いた。


氷の庭園に積もる雪を撫でるように、静かに、けれど確かに。

その風に乗って、遠くから鈴の音のような響きが届く。


——違う。


これは風の音ではない。

これは、誰かが呼ぶ声だ。


アメリアはゆっくりと瞳を閉じる。

雪が降る。

それはまるで、彼女の記憶の欠片が、ひとつひとつ剥がれ落ちていくような感覚だった。


「……私は、この場所を知っているの?」


知らないはずの場所。

けれど、この白い世界の冷たさも、そこに立つ少女の気配も、なぜか懐かしく感じる。


旅人は黙ってアメリアを見つめていた。

彼の瞳には、何かを知っている者の光があった。


けれど、彼は何も言わない。


まるで、その答えは アメリア自身の中にしかない と言うように。


アメリアは少女のほうを見た。

彼女はただ、そこに立っている。

この庭園の 「最後の冬」 として。


「あなたは、ずっとここにいるの?」


アメリアが問いかけると、少女は微笑んだ。

それは、ひどく透明な微笑みだった。


「ええ。私はここにいるわ」


「春が来るまで?」


少女は首を横に振る。


「……違うの。私は、春が来たら消えるのよ」


アメリアは、ふと息を呑む。


「消える……?」


「だって、冬は春の中に生きられないもの」


その言葉は、雪のようにひどく静かで、残酷だった。

春が来れば、冬は消える。

それはあまりにも 当たり前のこと なのに、彼女はそれをどこか 遠い話のように感じていた。


少女は一歩、庭の奥へ進む。

彼女の足跡は、ほんの一瞬だけ雪の上に残る。


けれど、それもすぐに風にさらわれて消えていく。

まるで、彼女がこの場所にいたという証すら、この世界は留めておこうとはしないかのように。


「……私は、この庭園の最後の冬」


「あなたは……春が来るのを待っているの?」


少女はふっと笑う。


「春は、待つものじゃないわ」


「じゃあ……?」


少女は振り返り、そっと雪の花に触れる。

その白い花びらは、霜のように繊細で、指が触れた瞬間に消えてしまいそうだった。


「春は、選ぶものよ」


「選ぶ……?」


「ええ」


少女は指を離す。

花は、何事もなかったように、ただそこに咲いている。


「この花を手折れば、春は来るわ」


それが、この庭の 「法則」 。

アメリアは言葉を失った。

この氷の庭園に、たったひとつ咲く「最後の雪の花」。


それを手折れば、春が訪れる。

けれど、それは同時に——


「……あなたが、消えるということ?」


少女は、静かに頷いた。


「そうよ」


「あなたは、それでいいの?」


「それが私の役目だから」


迷いのない声。

ためらいのない言葉。

まるで、初めから決まっていたことを告げるかのように。


「私はずっと、この庭園を守ってきたの」


冬として。

春を拒みながら。


「でも、どこかで誰かが、この花を手折るのを知っているのよ」


それが、この庭園に課せられた運命 だから。


アメリアは、雪を踏みしめる。

一歩、また一歩と、花へと近づいていく。

そのたびに、靴の跡が雪の上に刻まれる。

けれど、それもすぐに風にさらわれ、なかったことにされる。


まるで、この庭に刻まれるものは、すべて 「忘れられる」 ためにあるかのように。


彼女は、花の前に立った。

その白い花は、微かな光を宿していた。

雪の冷たさを知りながら、それでも凛と咲いている。


春を迎えるために。

春が訪れることで、自らが消えてしまうと知りながら。


「……君は、何を選ぶ?」


旅人の声が、背後から聞こえた。

アメリアは、振り返らなかった。


彼女の指が、花の茎へと伸びる。


そして——


——その瞬間、世界が歪んだ。


音もなく、光が弾ける。

雪が、吹き上がる。


アメリアの視界が、白に染まる。


それは、彼女が忘れていた記憶の扉が開く瞬間だった。


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