5話 決着の夜、王の挑発
夜は熱を帯び、王の中で燃え上がるものがあった。
それは、苛立ちではない。
ましてや、征服の快楽でもない。
——これは、興奮だ。
何度手を伸ばしても、すり抜ける紅い影。
何度追いかけても、掴むことのできない陽炎の舞。
ならば、今度こそ捕らえてみせよう。
エドワルドは、桜の森の跡へと足を踏み入れた。
高く昇った月が、影を落とす。
風が吹く。
そして——
彼女はそこにいた。
燃えるような紅の衣を纏い、月の下で舞う女。
王は、もはや驚かない。
これが何度目の光景か、数えることすら無意味だった。
しかし、何度目にしても 彼女は新しい。
いや、違う。
変わったのは、俺の方か。
彼は、ゆっくりと歩を進める。
「……今夜も踊るのか?」
リュシアは、まるで待っていたかのように微笑む。
「ええ、もちろん」
「俺のためにか?」
「さあ?」
彼女は回転しながら、挑発的に王の前を横切る。
紅のヴェールがひらりと宙を舞い、王の肩をかすめた。
彼の手がわずかに動く。
だが、今夜は捕らえようとはしない。
それを見て、リュシアは面白そうに笑った。
「陛下。ずいぶんと余裕じゃなくて?」
「……どうかな?」
エドワルドは目を細めた。
彼は、もう狩人ではない。
今の彼にとって、彼女は獲物ではない。
今夜、俺はお前を踊らせる。
風が吹く。
リュシアの黒髪が揺れる。
彼女は、踊りながら王の目の前で足を止めた。
そして、わざとらしく王を見上げ、唇を弧に歪める。
「……私と踊れるかしら?」
——それは、まぎれもない挑発。
王は、一瞬だけ彼女を見つめた。
そして、静かに笑う。
「無論——タンゴでも?」
彼女の瞳が、一瞬だけ驚いたように揺れる。
だが、すぐにそれは愉悦へと変わる。
「ふふ……いいわ、殿下」
彼女の指先が、王の手に触れる。
その瞬間——
空気が変わる。
彼の手が彼女の腰を引き寄せ、彼女の足が彼のリズムに沿う。
紅の衣が舞い上がる。
——これは駆け引きではない。
——これは征服でもない。
——これは、踊りだ。
音のない世界で、二人のステップが夜を刻む。
風が舞い、熱が揺れる。
王と踊り子が、ついに踊る夜——。