1話 氷の庭園の秘密
風が吹いていた。
白銀の地を撫でるように、静かに、ゆっくりと。
だが、それは決して春の訪れを予感させるものではない。むしろ、より深く、より冷たく、世界を凍らせる風だった。
ここは氷の庭園。
果ての地にぽつりと存在する、誰の足跡も残らない、ただ雪と氷だけが支配する場所。
世界のどこを探しても、これほど完璧な冬はないだろう。
白。白。白。
どこまでも果てしなく続く雪原。
薄く凍った湖の水面が、青白い空を映していた。
氷柱が並ぶアーチをくぐり、石畳の道を抜けると、その奥に広がるのは完全な静寂。
そして、その静寂の中心に騎士がいた。
名は、シオン。
彼は、庭園の入り口にある石造りの門の前に立っていた。
身にまとう白銀の鎧は、幾世代もの時を超えてもなお、曇ることがない。
手にする剣は、雪よりも冷たく、そして、誰よりも長い間抜かれることのなかった剣。
—— 何年、いや、何百年、ここにいるのだろう?
シオンは、ふと考える。
しかし、その答えを彼は持っていなかった。
ただ、「ここを守れ」と命じられたことだけを覚えている。誰に命じられたのか、それすらもう、思い出せない。
この庭園には、たったひとつの掟がある。
それは 「春を拒むこと」
雪と氷が続く限り、この世界の均衡は保たれる。
春が来れば、それは即ち、この庭園が終わることを意味していた。
シオンは、じっと空を見上げた。
雲ひとつない、透き通るような空。
そのはるか遠く、白い雪が降り続けている。
この庭園では、決して雪が止むことはない。
……それが、この世界の理だった。
シオンは足元の雪を踏みしめ、庭園の奥へと進んだ。そこには、唯一の異質な存在がある。
「雪の花」
凍りついた湖の中央に、たったひとつだけ咲く白い花。雪よりもなお白く、氷よりもなお儚く、その花は決して枯れることがない。
庭園に春が訪れない限り、この花は永遠にここに咲き続ける。
そして、春が訪れる時——この庭園は終わる。
シオンは、それがこの庭園の唯一の「春の兆し」 であることを知っていた。
しかし、それが何を意味するのかは、知らなかった。
彼は、ただ、剣の柄にそっと手を添える。
けれども、その剣を抜くことはない。
—— いつからか、彼は知っている。
この剣が抜かれる時、それは冬の終わりであり、同時に何かを失うことになるのだと。
だが、それが何なのか。
今はまだ、知る由もない——。




