プロローグ
世界の終わりには、書庫がある。
風も光も届かないその場所に、積み重なった本が無数に並んでいる。
棚はどこまでも続き、古びた紙の匂いが満ちている。
ここは、すべての物語が眠る場所。
生まれ、語られ、忘れられた数えきれない物語たちが、ただ静かに横たわっている。
——けれど、それらの物語のほとんどは、色を持たない。
かつて春に咲いたはずの桜は白く、
夏の炎は灰色にくすみ、
秋の黄昏は影となり、
冬の雪は、ただの静寂になった。
すべての色を失った物語たちは、モノクロの世界に取り込まれ、誰の目にも触れないまま、ただそこにある。
この場所には、一人の魔女がいる。
彼女の名は、アメリア 。
彼女は、「紡ぎ手」として、この書庫で物語を書き続けている。
——けれど、彼女は、時折ふと思うことがある。
「なぜ私は、こんなにも『恋』の物語を書いているのだろう?」
彼女の筆先から生まれるのは、決まって同じような話だ。
——冬、氷の庭園で、最後の雪の花を手向けて消えた二人の話。
——春、桜の森で出会い、ひとひらの花とともに別れた二人の話。
——夏、桜の森の跡で、陽炎のように揺れる踊り子と踊った二人の話。
——秋、湖に映る月の影となって、静かに遠ざかる恋の話。
彼女は、何度も何度も、それらの物語を記している。
それなのに、物語を紡ぎ終えた瞬間、いつも何かを忘れてしまう。
まるで、物語の先にある「本当の結末」を書いてはいけないとでもいうように——。
その日、彼女の前に「旅人」が現れた。
彼は、どこか懐かしい顔をしていた。
けれど、彼女は彼を知らない。
——知らないはずなのに、なぜか彼の瞳の色だけが鮮明だった。
「君が書いてきた物語、それはすべて『君が忘れたもの』ではないのか?」
彼の言葉とともに、魔女の世界がわずかに揺らぐ。
モノクロだったはずの書庫の空間が、どこか霞んで見える。
書庫の床に、一片の桜の花びらが舞い落ちた。
それは、かすかに淡い色を帯びているような気がした。
「……あなたは、誰?」
彼女の問いに、旅人は微笑む。
「君がずっと探していた人だよ」
彼がそう言った瞬間、書庫の空間が揺れる。
無数の本が静かに震え、ページがめくれる音が響く。
魔女の足元に、白い雪の欠片が舞い落ちた。
それは、どこか冷たく、儚く光を宿している。
「……これは?」
魔女が手を伸ばすと、指先がかすかに冷たい。
気づけば、書庫の棚の隙間から、淡く白い霧が広がっていた。
——春の記憶。
——夏の残響。
——秋の影。
——冬の終焉。
彼女が紡いできた物語は、いつも「喪失」で終わっていた。
けれど、その先には何があったのか。
旅人は優しく告げる。
「さあ、最初の物語を見に行こう」
彼の言葉とともに、世界が静かに溶けていく。
色のない書庫は、いつの間にか白銀の庭園へと姿を変えていた。
——こうして、彼女の「失われた物語」を巡る旅が始まる。