第8話
店は全然ダメだった。
妻はイタリアン的なメニュー構成に合わせてティラミスを作ってくれた。美味かった。自然食材や無添加無化調無糖に拘る僕と違い、インスタントコーヒーを使ったり、フレキシブルだった。たまに手伝いにも来てくれた。彼女のSNSは、この店の宣伝の為にあった事を後年知った。
看板や広告を否定し、見つけ出して欲しいとただ願い存在を保つ。せっかく作った彼女のティラミスは売れ残り、子供たちも飽きた。彼女のやる気は跡形も無く消え失せた。無理もない。
そんな事を10年間。無理くり続けた。僕ら夫婦の会話は業務連絡みたいなものに限定されて行った。あちこちへの不払い。妻は僕のもとの職場にパートに出た。世間からの白眼視。それでも妻だけは。しかし、彼女の瞳の色を探る事は、もう出来なかった。
僕には妻が最後の寄る辺だった。最初から。けれど僕からすれば、彼女の不機嫌さには取り付く島が無かった。彼女は良く「さきちゃんは良いよね、お客さんに尊敬されて。わたしはひとりだ」と言っていた。僕らにはどうにも出来ないズレが生じていた。いや、もっとずっと前から、ひょっとしたら出会った頃からかもしれない。
だから僕はセックスに拘った。末娘が保育所へ行き始めると、妻の仕事の都合次第で二人きりになれた。だからと言って金も無い。僕には身体と、心しかない。性欲を満たす為の都合良いこじつけみたいだけれども、僕は本気でそう考えた。だからそういう機会を逃さず尻を撫でた。だいたいは叱られた。けれども時々、受け入れられた時の彼女の反応は、頗る付きに良かった。だから僕は「これが今の僕に与えられる唯一にしてすべて」と勘違いしてしまった。
その時の彼女はいつも目を閉じていて瞳の色がわからなかったけれど、きっと肉体的な快楽に喘ぐ傍ら、精神的には僕を「やりたいだけでわたしを利用する男」と白眼視していたに違いないのである。