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星の戯れ 竹取物語変化  作者: 龍月小夜
竹の章 其の一・・・日出る処
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第5話 いのち留めて

 「えらい湿ってしもうて。何で、大人の小袖なんか着せとるんかのう」

 赤ん坊を託された家では、女房の朱野(あけの)が二つの燈台のそばで早速赤子の着ているものを脱がせ、手足をひとしきり優しくさすると、赤子用の肌着でくるみました。顔と手足はむくんだように膨れていますが、胴体は痩せこけています。

 「かわいそうにのう、えらい目に遭うたのう。もう大丈夫ぞ」

 ぐったりしてわずかな息をするばかりの赤子をしっかり抱きかかえると、朱野は祈るような気持ちで自分の胸をはだけてその口元に乳首を触れさせました。赤子は口元に感触を得たのか、無意識のように口を開け、探るように吸いつきました。ゆっくり、少しずつ、体の奥底へとほとばしる生命(いのち)の白い糸にすがりつくかのように、赤子は弱々しくも片手を持ち上げて乳房を押さえました。誰にも奪われたくないとでも言うかのように。

 飲むほどに、次第にごくごくと力がこもっていきます。

 そばで見守る亭主の与助(よすけ)と朱野はにっこりと顔を見合わせました。

 「間に合うたようじゃな」 与助が言います。


 ・・・間に合った・・・これで、いいの・・・

 (生きよ)とこだまのように繰り返されていた言葉も今は響いてきません。

 そして、

 誰にも気づかれず、自分で竹を割いて出てこなければならなかったことも、

 そのあともすぐには見つけてもらえなかったことも、

 乳をなかなか得られず打ちひしがれたことも、

 再び遺棄されようとしたことも・・・

 全ての体験は遠く乳白色の霧の彼方へと溶け込んでいきました。


 朱野の腕の中で赤子は満足して乳首を放し、待ち焦がれた本当の眠りに初めてつこうとしていました。

 朱野は赤子を肩に抱き上げると背中をポンポンと叩きました。

 ケポッ・・・

 朱野は再び腕に抱くと、不思議そうに燈火のゆらめきの中でまどろむ赤子を見つめました。

 「なんか、ザルから抱き上げたときより小っさくなったような」

 確かに乳をやりながら、少しずつ赤子が軽く小さくなっていくような感覚があったのです。顔の腫れも引いていき、乳房に添えられた手も異様に丸々としたものからまさにもみじのような手に変わっていきました。

 「死にそうじゃったのが生き返ったからか?」

 与助が冗談のように言います。確かに見ている間にもむくんだ赤子の顔はすっきりと小さくなっていき、今は生まれて幾日かを安らかに過ごしたような顔をしています。影の濃い、暗がりの中でも赤子の顔は今まで見たことがないほど美しげに見えました。

 「とにかくひと安心じゃね。にしても、タケルの夜泣きが今日は早うおさまったと思うたら」

 「この子が来るのがわかったんかのう」

 「やっぱり寂しかったんじゃろうなあ。双子の片割れが生まれたとたんにのうなってしもうたんは」

 ふたりはそんなことを話し合いつつ、新しい赤子を『タケル』と呼んだ赤子の隣に寝かせました。近頃、タケルが決まって夜泣きするようになって困っていたので、夜も燈台の火を絶やすことなく灯していました。

 この子はタケルと自分たちをなぐさめに来てくれたのか、それとも亡くなった子が別な姿でふたりの元に戻ってきてくれたのか・・・。

 ふたりはこの突然の授かりものをお天道様の采配かと感謝しました。もともと、ここには赤子が二人並ぶはずだったのですから。でも、後から生まれた一人は産声も上げないまま亡くなってしまったのでした。朱野は自分がちゃんと産んでやれなかったと三日三晩泣き暮らしました。そしてただただ残ったタケルに心を注ぎました。ここ最近になってようやく落ち着いてきたところなのです。二人とも男の子でしたが、新しくやってきた赤子は女の子。やはり、どうなっても自分たちは一度に二人の赤子を育てる定めにある・・・。

 ふたりはそう思いました。


 ふたりは翌朝すぐに家の前に捨て子があったことを村に伝えました。置いていった者がどうやってここまで辿り着いたのかが問題でした。この村はおいそれとよそから入って来られる場所ではないはずなのです。そして、村じゅうを大勢で捜索しました。何か痕跡が残っているのではないか、どこかにその当人が潜んでないか、と。

 しかし、何も残されてはいませんでした。

 とにかく赤子に関しては、託されたからには守り育てるのが村の考えでした。当然、子に恵まれないのでうちで育てたいという家も出てきます。村で双子の片割れの弔いを出し、皆で悼んでくれたこともあり、与助夫婦も黙って一人のはずの赤子を二人にするわけにもいきません。

 それでもやはりふたりには手放し難いものがありました。特に朱野は『乳を含ませ命を引き留めた』という思いが強く、片割れにしてやれなかったことがこの子にしてやれたと、それだけでもう断ち難い絆を持ってしまったように感じていたのです。お天道様の采配じゃ、と。

 村の人々も、引き取りを望んだ夫婦(めおと)も、まるで選んだかのようにそういう家に置かれた赤子ならそれが定めか、とそれを了承しました。


 新しい赤子はタケルに合わせて『タケ』と名づけられました。タケルは失われた命の分も雄々しく育つようにと命名されましたが、それに凛と立つ竹のようにしなやかに寄り添い助け合ってほしい、と願いました。いつどこで、どう産まれたのかもわからないタケでしたが、乳をやったあと、タケルより一回りも二回りも小さくなったこともあり、双子にはこだわらずにただタケルを兄、タケを妹として育てることにしたのです。亡くなった赤子の弔いをした中で、同じ家で祝いと弔いを一度に出すわけにはいかぬと、タケルの誕生の祝いはまだ行われないままでした。

 そこでタケが来たのを吉祥に、タケルを見守る神として、人の名前ではなく『タケルノカミ』と名づけられた赤子の墓にタケが来たことを報告し、改めて二人の兄と妹の誕生の祝いが催されました。

 双子の兄と弟が、お天道様の気まぐれか、血のつながらぬ兄と妹に変わってしまったのです。


 そしてその後も、ここまで赤子を捨てに来て戻って行った者がいる、という不測の事態の実態は妖としてつかめませんでした。北は大昔から崖が露わな、人を寄せつけない急峻な山々が行手を阻み、向こう側から頂上まで登ることができたとしても、こちら側へ下りる術はないのです。特に北の麓に程近い与助夫婦の家のことなのですから、その者が別の方角から道なき道を入って来てその家まで行ったとも思えません。ただでさえ夜も何かと松明を手にした人の動きの多い村のこと、不審者を見逃したとも考えにくいのです。

 村と外をつなぐ道はただ一つ。昔に切り開かれた『隠し山道さんどう』があるだけです。それは北の山々の頂上を越えることなく、東側の山の中腹をくねくねと、這うように回り回って北の方へ抜けていくケモノ道のような道ですが、遥かに安全に早く山々を越えることができるのです。もちろん、向こう側からその道を見つけることはできないようにしてあります。

 様々に繰り広げられてきた国取りの騒動。

 そこから隠れ住んできたのが村の歴史なのです。

 その道が偶然にしろ、その者に見つけられてしまったとは到底思いたくないのです。たとえそうだとしても、その道を来たなら誰にも見つからずに与助夫婦の家まで行くこと自体が考えられないのですから。

 そうなると、『北の崖から来た』と考えるしかなく、念のために『隠し山道』も何人かで調べてみましたが・・・不審者が通ったとわかるような仕掛けがしてあるわけでもないので、わかることは何もありませんでした。

 一体、どうやって北の山を越えたのか・・・。

 その者が帰ってからこの村のことを何か話したとしたら、また新たな侵入者が現れるかもしれない・・・。

 そういう漠然とした不安と、何も解決しない疑問を村全体が抱えたままながら、二人の赤子は与助夫婦のもとで、仲の良い兄妹(きょうだい)としてつつがなく育っていきました。

 ふたりがよちよち歩きを卒業し、コロコロと駆け出す頃、『タケルノカミ』の墓石はある出来事をきっかけに、本来の場所からどこともわからぬ草むらの中へと移され、隠されたのでした。そして、ふたりが成長するにつれて、与助と朱野も心苦しいままながら、その墓にお参りすることを控えるようになりました。

 『タケルノカミ』は深くなるばかりの草むらの中に、ひとり取り残されたのです。

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