第25話 月下の舞
夜は一層深くなり、広場の周囲を取り囲むように焚かれた篝火の光も鎮まれとばかり、満天の星々が宇宙の深淵から降り注いでくるかの如くに輝き始めました。月の光も星の原を分け入るように天空を渡っていきます。
ふたりの纏う新たな衣装に目を奪われているうちにも、一つの台が持ち込まれてきました。台自体が白布に覆われ、その上には竹の葉が敷き詰められています。さらにその上に白布をかぶせられた丸い形と思われるものが乗っています。タケルがうやうやしくその布を取ると、そこに掛け台に立てかけられた大皿が現れました。タケルの新たな作品でした。五弁の花びらの形に周囲を切り落とし、
大皿の真ん中には、見るも不思議な絵柄が描かれています。
・・・竹の切り株の中に座る小さな女の子・・・
「これより詠み上げまするは、篠坂タケの新たなる語り物、『竹取の姫の物語』にございまする〜」
タケルが直立して慣れない棒読み状の口上を述べると、タケが閉じた扇で大皿を示しながら口上を続けます。
「ここにい出しましたる大皿は、その冒頭となりまする、竹取の姫の生まれ出ずる時を表すものにてございまする〜」
人々の間から、うぉ〜、というような感嘆の声が湧き上がりました。口上に聞くだけでも世にも不思議な、二つとない物語に思えたからです。
タケが大皿の横に陣取ると、タケルが少し奥に離れて地面に片膝をつきました。そして、
ヒューピーーイーイーーー
笛の音が鋭く空に響き渡りました。人々はまた仰天しました。タケルが見事に横笛を奏しているからです。誰もタケルが横笛を吹けるなど思いもしないことでした。タケルの隠れた趣味だとでもいうのでしょうか。
タケルはタケの前でしか吹きたくないようなことを言っておきながら、絵皿の披露だけでなく自分も祝言の舞台に立つと言い出したのです。本当はタケ一人の語りのはずだったのですが、音で色をつけてみたらどうじゃろう?と。やはり何事も一緒にやらなければ、とでも思ったのでしょうか。おとうとおかあはその時に初めてタケルの何年来の秘密を知ったのでした。大した秘密でのうてよかった、と思ったものです。もっとも、二人して水にはまったその後もタケルはしれっと滝通いを続けていたことになるのですが、おとうもおかあも薄々勘づいていながらもバレていないふりをしていました。滝へ一人で行くことを許される歳になるのも近かったし、そこで何をしているのかだけが不安と言えば不安でしたが、タケルは何であれ悪さができる子ではないと信じていたのです。それが横笛の練習だったとは・・・。長い取り越し苦労だったようです。そして、初めてタケとタケルだけで訪ねたあの丘の上まで一緒に出かけての、おとうとおかあだけを聴衆にした二人の練習を見守りながら、おとうもおかあも我が子ながら見事な音色と語りにうっとりしていました。今、その二人の本番の舞台なのです。おとうとおかあは最前列で見守っていました。
タケが同じ黒地に金粉を散らした扇を広げ、両腕を天に伸ばして星の原を仰ぎ、
「彼方の昔、とある国に『竹取の翁』と呼ばれし古老の者ありて・・・」
物語が始まりました。
竹の中から見つけた女の子を翁は連れ帰って、翁と媼で我が子として育てます。あろうことか三月ほどで世にも美しい娘に成長した姫は、『かぐや姫』と名づけられ・・・
タケは扇を使い、現れた人物をなぞらえた動きを舞いながら物語を詠み進め、その背後をタケルの笛の音が高く低くつき纏っていきます。
それを見ていて、婚礼の儀で音曲を奏でたうちの琵琶と打楽器の男たちが楽器を手に、そろそろとふたりの舞台の脇に近寄ってきました。そこに落ち着くと、タケの語りに合わせ、探るように音を奏で始めました。
「いっぺんこういうの、やってみたかったんじゃ」 琵琶が太鼓に小声で言います。語りながらもそれを聞きつけたタケが扇を閉じて男たちの方を指しながら、なれば奏して見よとばかりに一段と声を張りました。タケルは笛を吹きながらも思わぬ事態の勃発に半ば棒立ちになっていました。男たちは負けじとばかりに物語を聞き逃すまいと集中し、即興で様々な旋律や太鼓や鼓や鐘の響きを合わせていきます。やがて姫が五人もの求婚する男たちにそれぞれ無理難題を吹っかけ、翻弄していく様が語られていくと、男たちはその展開に目を白黒させながらも最高の音を散りばめんとしてきます。音曲の絶えざる響きに、タケ自身も触発され、予定外の文言や景色の表現が加わったりします。タケルの笛がどこかへ行ってしまいましたが・・・。
帝に想われ、姫が自らの正体を明かして一度ははねつけながらも次第に心を通わせていく場になると、音曲も静かに優雅になっていきます。
やがて、月に帰らねばならないとわかり、月からの迎えを阻止するべく帝の軍勢が送り込まれます。音曲は次第に起伏を増していき、
ついに月よりの迎えの使者と共に姫が天上へ帰っていく場に差しかかると、思わぬ鳴り物の乱入に驚いて笛を忘れていたタケルがやがて勘所をつかんだのか、おもしろそうな表情になり、挑むように一気に音曲に向かって躍り出、低く抑えるように笛の音を忍び込ませてきました。タケを間にして琵琶の音と打ち出される拍子に対峙します。帝の大軍が力を出すこともできず姫が天の羽衣を身に纏い、地上の全てを忘れ去って天高く昇っていくに従い、笛の音も寄せては返す波の高さを増していきます。タケはまるで姫のあとを追うかのように現実の月に向かって両手を伸ばし、男たちは互いの視線や頭をうなづかせることで合図し合い、ただでさえ人間離れして朗々と響くタケの声を最前面に押し出しつつ、その背後で熾烈な音の闘いを繰り広げていました。見ている者たちも思わず月の光の中に姫の姿を探します。
そして、姫と月よりの使者の一団は、月の光の中へと姿を溶け込ませていき、ついには見えなくなり・・・音曲は姫の姿を追う者たちの心の揺らぎを激しく掻き鳴らし、
ついにタケが月に向かって伸ばしていた両手を扇と共にがくりと落とし、うなだれました。
同時に計ったように、一拍のもとに音曲も終結しました。
タケの語りは厳かに続きます。姫からの形見の文と不老長寿の薬を、帝は天界に最も近い山の頂上で焼き捨てさせ、全てを終わらせたのです。
この間、音曲は身を潜めていました。一音すら立てず、タケの声だけが天空に響き渡りました。まさに天界からの声のようです。
タケが再び頭を下げ、物語の終了を示すと、その余韻をたどるかのように男たちは思い思いの寂しげな旋律をひと時、その空気の中に溶け込ませました。そして、いつとはなしに、音も一つ一つ消えていきました。
弦庵は遥かな高みから地上に繰り広げられる月下の舞を眺めていました。
村の、摩訶不思議な一面を、何もない心で見下ろしていました。
何をしているのだろう・・・?
ぼんやりとした、そんな『気』が漂うだけです。
見ている村人たちは物語の不可思議な奔放さと、惹きつけて止まないタケの語り舞い踊る姿、そしてそれに彩なす思いもかけない壮絶な音曲合戦にもう声も出ずほとんど放心状態に陥っていました。こんな催しはまさに前代未聞です。あたりがしんとしても、拍手も歓声も掛け声も上がりません。タケも渾身の作を語り切ってただ呆然としていました。予想もしない笛以外の音の乱入に、いっとき心は乱れましたが、押し寄せてくる音に返って身を委ねることで語りはさらなる高みへと昇華されたようです。音はタケの言葉の後を追い、その音で次の言葉の色が千変万化していく・・・。最後にタケルの技巧派の笛が戻ってくることでダメ押しのように体力を奪われてしまったようですが。
今にも笑い出しそうな心地よい呆然の中にタケは立ち尽くしていました。しかし本当に笑い出すような体力は残っておらず・・・同様に、初めて試みることになってしまった戦のあとの男たちもその場にへたり込んでいました。タケルが琵琶や太鼓のそばまで行って互いの健闘を讃え合うのにはまだもう少し時がかかりそうです。タケルは姫の昇天の場面では、それを見送る帝の姿に成り代わって、前に出て月を見上げながら秘めたる想いを奏でるという演出のつもりでした。そのために貴族らしい格好もしたのに、それどころではなくなってしまったのです。
まだまだ人々が余韻に動けずにいる中で、やっと落ち着いて一人だけ平静を取り戻したタケは、まだ座り込んで眩しそうにこちらを見ているタケルの方へ行こうとしました。
「何!?」
突然タケは身にゾワゾワしたものを感じて振り返りました。何かが背中をかすめたような感じがしたのです。
弦庵は思い出していました。なぜか惹かれるような気がして、その娘に近づいて行きました。もしかして・・・
娘に手を伸ばしかけた時
跳ね返すように娘が振り返りました。
弦庵は瞬間に思わず遠のきました。
いかん! これでは陰陽師の言う通りではないか!
危ない・・・自分が取り憑くところだった・・・
『取り憑き』などあり得ないと思っていたのに・・・
おまえさんがそうなのか? あの赤子なのか?
弦庵は遠く漂いながら、最後の疑問を投げかけました。
タケの様子に我に返ったタケルが、立ち上がってタケのそばへ行き、そのまま抱きしめました。もう、何を憚ることもないのです。タケを、どんな些細なものであろうと、絶対に不安な気持ちにさせたくないのですから。
なんと美しい乙女子よ! 今、もっと幸せになろうとしているのだな・・・
弦庵は自分の全てが終わったことを悟り、ふたりの姿を見守りながら、遥かな天空を目指して高く高く昇って行きました。
波に拡散して、『故郷』を目指す旅に出るのです。
タケはタケルの腕の中で、何ものかが消え去った後の虚空を見上げました。何かが視野の端をかすめたような気がするのです。が、もう何もありませんでした。ただ、満点の星が降るばかり。
「疲れたな。もうお開きじゃ」
タケルが優しく声をかけると、ふたりは寄り添いながら華やかな舞の世界をあとにしました。
主役が退場した舞台を残し、静まり返った群衆のまわりで、点々と揺れる篝火の明かりだけがその場の空気を浮遊させ・・・
ただ、星の原を高く昇りつめた月だけが、カラカラと笑っていました。




