地獄へようこそ (2)
手には箸と皿。コンロの上には肉。そして焼き上がったばかりの肉をモシャモシャと嚙みながら、こちらに顔を向ける老婆がいた。
「ん?肉ならやらんぞ」
「紛らわしいな!こんな所で何してんだよ!」
老婆の隣にいるのは爺さんだ。夫なのか。背を向けたままで動かない。
「河原と言ったらBBQに決まっとるじゃろ!」
「ババアの割に行動が若ぇな」
「幾つになっても心は乙女よ、って…お前さん、人間か?」
「あぁ。もう死んでるんだとは思うが、一応人間だ」
「そりゃ死んでて当たり前じゃ。ここは地獄じゃからの。しかしスマンかったな。ほれ肉食うか?」
自分の箸をベロリと舐め回すとコンロから丁度良い焼け具合の肉を1枚つまんで向けてくる婆。しかし“地獄”といったか…?
「勧める前に箸を舐めるな汚ぇな。ってかその肉ってまさか人のに…」
「オーストラリア産牛カルビじゃ」
「ホントに地獄なんだよな?」
「文句言うならやらんぞ?」
「いらねぇよ」
「喰いたければ自分の肉は買ってこい」
「そういう問題じゃねぇんだよ」
「肉を喰わないなら何しに来たんじゃ!」
「それを俺が聞きたいんだよ!」
「はっ!…もしかして仕事の話か?あたしゃてっきり肉泥棒かと思うたわ」
「いい加減肉から離れようか?婆さん」
「あたしゃタダの婆さんじゃないよ。あたしの名前はゃ奪衣婆。死者の衣服を交換する役人じゃ」
「奪衣婆…やっぱり地獄なのか…」
「正確には地獄の手前じゃ。ディズニーランドで言ったら入場門前の広場じゃ」
「ディズニーみたいに楽しい所ならいいんだけどな」
「そしたアタシはチケットブースのキャストのおねえさんじゃ」
「もしかして憧れてんのか?年甲斐もなくディズニーのキャストに憧れてんのか?」
「ワシもあんな可愛い服を着てみたい(ポッ」
「頬を染めるな。そしてディズニーのキャストは仕事場でBBQなんかしねぇ」
「ほれ、とにかくその服を脱ぎな。着替えを渡すでの」
「死者の衣を剥ぎ取るってのは本当だったのか…」
「いや、服に焼肉の匂い移ってるし申し訳ないなって」
「だったらお前等BBQすんなって話だよな?」
「ほらそこタレ飛んでるし。食べるならもっときれいに食べんさいよ」
「アンタが飛ばしたんだろうが!というか俺は食ってねぇ」
「河原でBBQして流されて死んだ奴が食わなかった肉がわんさか送られてくるんじゃから仕方なかろう!儂らだってみかんとか餅とか食いたいんじゃ!」
「気持ちは分かるけど餅は危ないから止めとけ?」
すると婆さんは「全く最近の若い亡者は…」などと年寄りお得意のボヤきを口にしながら、俺の服にフ○ブリーズを吹きかけ始めた。
「イイモン持ってんじゃねぇか」
「そう言えば今は服の剥ぎ取りやってなかったから着替えは無いんじゃったわ」
「よくそれで仕事できるな?」
「今からするわい。ほれこれが入滅証と案内のチラシじゃ」
婆さんからカードのようなものを手渡された。
『令和○年○月○日 23:31分 入滅』と死亡時刻が記載されており、その下にはバーコードが記されていた。もう一枚の紙は案内図のようだ。現在位置――三途の川とその向こうにある『閻魔庁舎』への道順が掲載されていた。しかもご丁寧に道中の――針の山や血の池などといった場所も“名スポット”として掲載されている。
というかこういう場所って刑罰の場所じゃないのか…眉を顰めたままチラシを眺めていると、婆さんが話しかけてきた。
「言ったじゃろう?アタシゃチケットブースのキャストのおねえさんだと」
「あぁ。たしかにチケットブースだったわ。けどあっちの爺さんは仕事しねぇのか?」
「あぁ。爺さんはとっくにくたばっちまっとる。あれは剥製じゃ」
「は…剥製…」
近付いてそっと覗き込む。確かに胸は上下していないし、目玉もガラス玉だった。
「ガワだけでも置けば気分が紛れるでの」
いくら旦那だとはいえ、死んだ人を剥製に…やっぱり地獄ってのは倫理感もブッ飛んでいるのか。気味が悪いと思いながらも顔に出さぬよう“旦那”の側を離れる。
「生前は働き者じゃったわ」
「いい加減眠らせてやりゃよかったのに」
「眠ったところで地獄で目が覚めるわい」
…どうもこの娑婆と違うノリに付いていけない。さっさと離れよう。
それじゃあなと声をかけ歩き出すと、後ろから婆さんに声をかけられた。
「ついでに焼肉屋のおかみさんにお礼を言っといてくれんかの」
「どこの焼肉屋だよ」
「バアさん、ちゃんと説明せんと、この若いのもわからんだろ。なんせここは地獄じゃ。焼肉などどこにでも転がっておる」
「絶対に牛でも豚でもねぇだろその焼肉!ってか焼肉言うな!」
ツッコミを入れた後で気が付いた。さっきの声は――老爺の声だった。
「その前に焼肉と焼肉屋の区別もつかんじゃろうな!」
「それもそうじゃ!Hahaha!ナイス地獄ジョークじゃ!!」
さっき見た時は確かに剥製だった。だがこうして話している――
俺はそれ以上考えるのを止め、その場を離れることにした。