第十四話 ドクタージャパンの島
人に恨まれて良いことなど一つもない、軍事の指揮官ともなれば猶更恨まれては良い事は無い。
戦略爆撃論者カーチスルメイ氏は恨まれていた。己が指揮するB29の搭乗員には特に恨まれていた。彼がサイパン島から突如行方不明となった時、喝采を上げた者は実は少なくない。
熱烈な戦略爆撃論者の彼は、己の理論を実証する為ならば、危険な低空爆撃を強要するくらい屁とも思わない男なのだ。
大西滝次郎中将もまた恨まれていた。特別攻撃の生みの親と言うことになっている彼は、その是非はともかく恨まれている。指揮官はつらい物なのだ。
今、喚き散らしながら空を飛んでいく流星と、黙したまま地上に吸い込まれていく流星は、現代兵器を捨てざるをえない大日本帝国が新たに作り出した、生物学的兵器の実験体である。
ここは旧松代大本営、今ではこの周辺は巨大な実験施設となっている。ここで日本人達は肉体の限界に挑戦していた。
先ほど二つの流星は貴重な実験志願者である。
アセンションより程なく日本人は自分たちの肉体が物理法則を超越している事に気付いた。
小銃弾から重機関銃弾、各種火砲まで自分たちを傷つけない、海に落ちても溺れない、高所からの落下に無傷、状況に合わせその機構を変える肉体。
来訪者達はこの肉体に関して、想像と経験次第であると日本人に説明した。
だからこその実験である。
なお、耐久実験として元部下一同で桜島火口に放り込まれた花谷正中将や、日本海溝の底目指して合同自由潜水を敢行させられた陸海参謀、各種毒ガス一気吸い競争で悶絶した満州朝鮮系官僚も存在した。
意識を共有する以上実験体の体験は自分たちの経験でもある。しかし、恨みと言うものは忘れるためには儀式が必要なのだ。
彼らの尊い犠牲(死んではいないが)で新兵器?は続々開発されつつある。
特に、日本全国に地下要塞網を鋭意建築中である重機作業兵、甲種・蟻人や乙種・土竜人、女子空中警戒兵・翼人等は戦闘兵科以外での傑作と言える。
古来日本人は自然現象や動植物を擬人化してきた。来訪者達によるアセンションはその想像の翼を実現可能なものにした。
圧倒的な科学力を持つアメリカ合衆国に対して、己の肉体と精神で対峙しようとする大日本帝国の戦いは新たな次元に突入しようとしている。
1945年8月10日 長崎 浦上天主堂
神は光あれと世界を作られた。つまり世界は光で作られたのである。
神が作られた世界に最初にあった光とは何か?それは太陽であろう。
で、あるならば太陽の光とは何かを創造するものと言える。
彼は、原子の光で焼かれた教会で、つらつらとその様なことを考えていた。
8月15日の聖母被昇天の祝日を間近に控えての、ゆるしの秘跡(告解)最中にさく裂した原子爆弾は、その日集まった信者一同を襲った。
そして、本来は宇宙に飛び出さねば受けない量の放射線は、彼と信者を一つにした。
一つ?亜空間リンクに繋がる集合意識を持つ今の日本人は、とうに一つのはずではないか?
精神と言う意味ではすでに一つの生命と言える、ここで述べたのは肉体と言う意味である。
肉と骨で出来た脈打つ大伽藍、それが今の浦上天主堂であり、彼と信者の姿であった。
想像と経験、それが肉体の変化に必要な要件である、キリストの血と肉を分け合う人々は、自分たちの信じる神と同じく血と肉を分け合い一つとなっていた。
太陽の光が創造の光であるならば、地上に太陽を作る原子爆弾もまた創造の光と言える。
ならば原子爆弾の使用は神の御業を真似ることである、それは人の身に過ぎる事ではないか?
我々と同じくキリストを世の救い主とする国がその様な所業を行う事を神は許されるのだろうか?
許されないのであれば、一人でも多くの人間に我々の手で悔悛の機会を与えなければならない。
悔い改める事は誰にでもできる事なのだ、それを嫌がるならば、、、
彼はそう思うと身を捩らせた、瞬間、辺り一帯に大きな揺れが起こり波打つ肉塊が地面から顔を覗かせる。
無理矢理にでも連れてくる必要がある。何しろここは教会で迷える子羊には扉は常に開かれているのだから。
生態要塞浦上天主堂はそう思うと神へ祈りを捧げた。




