第二話「赤い色には」
その日の私は日常的に聞いているオーディオドラマの新作を聞きながら、退屈な一日を過ごしていた。
「(登場キャラクターが全員猫だなんて! 猫の悩みは気楽でいいなぁ・・・)」
別に猫語をにゃーにゃー言ってるいるのではなく、分かるように日本語で会話が繰り広げられるわけだが、こういった擬人化系コンテンツは絶えず生産されているらしい。
リスニングだけでも英語は少しずつ理解できるそうだし、学びを考えるならそういうものの方が面白いかもしれない。そんなことを考えていると、カーテンの開く音がした。誰かがやってきたらしい。
「郁恵」
私を呼ぶ声だ。ほのかに優しい石鹸の香り、真美が来たようだ。真美の近づく気配は今では声や香りですぐに感じられるようになった。
「今日は花を持って来たわよ。お母さんが郁恵にもって」
今日は元気そうな真美の声を聞いて安心した。
真美のお母さんは私と真美が仲良くしていることを知っていて、こうしてたまにお花を持ってきてくれたりする。実家が花屋さんをしているそうで、その繋がりでもある。
「ありがとう。今日はどんなお花?」
私はヘッドホンを外して、真美の方を向いて聞いた。
「今日はチューリップ。赤と白と黄色の三種類よ」
「三種類も? それは鮮やかね」
言葉とは裏腹に私は頭の中で、チューリップ畑を想像した。相変わらずそこはぼんやりとしたモノクロの世界だった。
私には”色”というものがよくわからない。
「チューリップは色によって花言葉も違うのよ」
「そうなんだ・・・、真美は詳しいね」
私は手渡されたチューリップの花を優しく触れる。とはいえ、それで分かるのは形だけで、色は分からない。
「不思議ね、何種類も色があるなんて」
「品種によって異なるのよ、ポヒュラーなのは赤だけど、他の色も人気あるのよ」
色素の違い? そうして様々な色彩が存在するのも人間のエゴだろうか、欲しいものは持っておきたい、それは一つではなく、沢山あればその分だけ満足度は上がる。
色に意味を組み入れるのも人間自身の意思と感情、そう思うと人は色に魅せられているということなのかもしれない。
真美は引き続きチューリップの花の事を教えてくれたが、私はその事にはあまり興味を持てなかった。
「この前、パプリカにもいろんな色があるって奈美さんが言ってた」
私は思いつくままに次の話題を振った。
「そうね、よく見るのは赤とか黄色だけど、全部で8種類あるみたい」
「不思議だね、血の色はいつも赤なのに、いろんな色があるなんて」
「血の色が赤いのは、ヘモグロビンが酸素と結びついて鮮やかな赤にんあるからだけど、二酸化炭素を多く含んでいる場合は赤黒くなるのよ」
「じゃあ、パプリカが赤いのは?」
「パプリカが赤くなるのは唐辛子などに含まれるカプサイシンをおかげだから」
「辛くないのにカプサイシンが入ってるなんてインチキじゃん」
「そんなこと、私に言われても・・・」
時々、色というものがよく分からなくなる時がある。私にとって色は知識でしかない。
黒と聞くとすぐに夜とか闇とか、そういうものが連想されて、それが無意識に感情に転化される。知識として理解することと感情として理解することとはどう接続されているのか分かりづらいところがある。
だから赤と聞くと、すぐに血の色をイメージする。血が流れるとき、大体身体の痛みも一緒にあって、だから赤には怖いイメージが刷り込まれている。
でも本当はもっと色んなところで赤色はあって、そこにはそれぞれの赤い色の原因があることを知っている。
そうした知識があっても、なかなかうまく冷静に整理して考えられないのも人間なのかもしれない。
どうかしてると言えば、どうかしているのかもしれないけど、私にとって色とはそんな感じなのだ。
「でも、例えば青色には食欲減退の効果があって、ダイエットに効果があったりするのよ」
そう言う真美の話しは、私には全く分からない未知の世界の言語に思えた。
そうして、私の部屋の花瓶には三色のチューリップが飾られた。
それが私の好みかと問われれば、視覚的に評価できない私にとっては難しい問いだった。
そういう意味において、私にとっては花より団子なのかもしれないと、こっそり思った。
*
父から手紙とプレゼントが届いたのは、夏季を迎えたころだった。
手紙の内容は相変わらず素っ気ない内容だったが、私はゆっくりと点字で書かれた父の手紙を一文字一文字確かめる様に読むのが好きだ。
それは私も父に手紙を書いたことがあるからで、その苦労を知っているからともいえる。まったく鉛筆で文字が書けないわけではないか、型もなしに綺麗に文字や数字を書くのは難しいし頭を使う。ちゃんと訓練をしないと歪になるのが普通なのだ。
そういう事もあって、点字の方が正確かつ早く書けてしまうのが現実で、父は私に合わせてくれていて、その気持ちは嬉しくあるのだった。
昔から仕事柄、転勤の多い父は今はオーストラリアにいる。例え一緒に住んだとしても私は一人で家事が出来るわけでもないし、外国語が出来るわけでもないので、ずっと日本にいて、シェアハウスと病院を行ったり来たりしている。
「これは、何かしら」
私は一緒に送付されていたプレゼントを開いた。
「それは、《《砂絵》》ね」
荷物を持ってきてくれた看護師の佐々倉奈美さんがそう教えてくれた。
「絵なの?」
なかなかの重量があって、それがごつい額縁に入っているからであることは分かった。
「あら、綺麗な絵ね、まるで砂漠に咲く向日葵ね」
こう重量感があると高級なものという意識にとらわれる。しかし実際のところは私にはわかりようがなかった。
私の取り出した絵に興味を惹かれてか、真美が隣に寄って来た。
「どういうこと?」
見えない私には”綺麗かどうかなんて”まるでよく分からなかった。
「砂地の砂浜と、滑らかな海の背景に向日葵の絵が描かれているのよ、とっても綺麗よ」
「そうなんだ・・・」
絵画だから興味が削がれるというわけではないけど、《《目の見えない私に父はどうしてこんな物をと率直に思った》》。
「触ってみて?」
「絵にですか?」
奈美さんに言われた通り、私は初めて見た砂絵というものに手を触れた。
ザラザラとした手触りが触れる指先から伝わってきた。一粒一粒が微妙に大きさの違う砂粒に触れていると微かにぬくもりを感じた。
砂であれ小石であれ、長い間、陽の光を浴びてきて例え息をしていなくても、自然界の中で立派に生きてきた。それは私なんかよりずっと立派に生きてきたんだと感じた。
私はせっかくの父からのプレゼントだったのでしばらく化粧台に置いておくことに決めた。
*
消灯時間を過ぎると一段と病院内は静かになる。電源のオン、オフの音で何となく気づいてはいるが、病室の中はどこの電気も消えているらしい。
私にとって空調の効いている病院内では朝も昼も夜もあまり差はない。しかし人の流れは異なるし、飲まなければいけない錠剤も朝昼夜、寝る前と分かれている。そういう一日の時間の流れを再認識させるものがたくさんあるから、一日のルーティーンを見誤ったりはほとんどしない。
私は二匹のぬいぐるみと一緒に寄り添ってベッドで眠る。家から連れてきた二匹のぬいぐるみ、名前はカロッソとフェチェローチェ。
カロッソは男の子でチェロは女の子、二匹は昔からの友達で、そばにいなくても意識を共有することが出来る、私にとっては大切な二匹だ。
*
次の日、私はずっと砂絵が送られてきた意味を考えていた。父から送ってきた理由はありきたりなものに飽きたからだって個人的には思うのだけど。
手紙によると砂絵に使われている砂はオーストラリアの砂浜で取られたものだそうだ。オーストラリアは日本の反対側にあると聞いている。つまりは日本が夏ならオーストラリアは冬、暖かい気候の中で開かれるクリスマスなんて変だなんて話を真美とはしたことがあった。
実際のところは行ったことないのであやふやな知識なのだけど、そんな風な知識を私は持っていた。
砂に触れながら海岸線の波の音を思い浮かべる。実際に海に行ったことはないから潮の香りというものは分からないけど、海岸の音は映画などで聞いたことがあった。
「郁恵、その砂絵、気に入った?」
「うーん、なんだか不思議な感じ」
私は話しかけてきた真美にそう答えた。
「郁恵は知ってる? 砂浜は足が取られるくらい砂がいっぱい積もってるのよ」
「公園よりずっとすごい?」
「当然よ、広大に広がる砂浜は公園よりずっとスケールが大きいのよ」
「そうなんだ・・・、真美は詳しいね」
「郁恵は行ってみたいと思わない? その砂浜へ」
「え、でも私は・・・、真美は行ったことあるの?」
真美の言葉に私の気持ちは揺れた。真美が冗談で言っているなら、凄い意地悪だ。
「うん、あるよ、海で泳いだこともね、まだ小さかった頃だけどね」
歳は近いのに、真美の方が経験豊富だなって改めて思った。
でもどうなのだろう・・・、私は海に行くのが怖いのだろうか? どっちかと言えば興味の方が大きい、だが、興味はあってもどうにも積極的になれないのはそれだけ私が病院に長く居すぎたという事かもしれないと思った。
「私が手伝ってあげる、それならいいでしょ?」
真美の言葉に反射的に私は無茶だと感じた。
「でも、大変だよ。病院の人にも怒られちゃうよ」
私の腕を握る様子を鑑みて、真美が本気であることが分かって私は動揺した。きっと大変なことになる、そういう気持ちが私に否定の言葉を言わせた。
「でも、本当は行きたいんでしょ? ずっと病院の中にいるだけなんて退屈じゃない」
そう言われて、私の気持ちは少しずつ揺らぎ始めていた。
真美の気持ちは素直に嬉しい、でも、それだけで即答できるほど、簡単な話ではなかった。
*
暗闇の中でどんな想像をすればいいのだろう。
私は迷っていた。
私にとって夜は長い。私にとって朝も昼も夜も変わらないのに、静かにただ時は流れている。それは毎日毎日昼寝ばかりしているわけではないので、眠くなったら寝るのだが、この退屈さ、この孤独さとどう向き合えばいいのか、ただ私は消えされりそうな気配の中で、息を潜めて長い夜を過ごした。
真美は本気だろう、それだけは昼間の会話で分かった。
冗談ではあるけれど、真美に騙されて一人置いて行かれる私を思い浮かべた。
嘲笑する笑い声、怯える私を笑うその声は、悪意に満ちた悪魔そのものだ。
「さよなら、頑張って一人で帰ってちょうだい」
「酷いよ、いかないで」
「足手まといなのよ、自分でもわかるでしょう?」
そう言って遠ざかっていく足音、一人取り残された私は、ただその場に座りこんで泣きじゃくるばかりで、誰かが見かねて助けに来てくれるのを願っている。
これはもしもの話しだけど、恐ろしく悲観的な妄想だった。もはや幻聴に等しい、ここまで本気で考えてしまったら心の病だろう。
この静かすぎる夜の闇がこんな歪な妄想を思い浮かばせるんだろう、真美はそんな人でなしではない、本当に優しくて、思いやりのある子だ、決して人を騙すような人ではない。
そこまで考えた後で、私は最初からもう一度考えた。
気持ちがザワザワとしたまま眠れなかった。
私は果たしてどうなのだろう。
本当に外の世界に行きたいのだろうか。
痛いのも苦しいのも怖いのも嫌だ、リスクのある行動をとるべきではない、安全であるとは言えない不確定要素に関わるべきではない、こんなに賭けに等しいことに手を出すべきではないと理性では私の中でそう告げている。
でも、私の本心は?
どこかでワクワクしている。
真美と二人きりの外出、二人だけの秘密の外出。
遠い地へと向かう、二人の旅路。
誰に頼るわけでもなく、誰が保証するわけでもない、未知の冒険。
そんな幻想に恋焦がれることは誰にでも一度や二度あることだ。それゆえに簡単に理性で否定できない、諦めきれない。
私はまだ・・・、リフレインする過去の記憶の振動。巻き戻っていく時間の中で、確かに私は沢山の事を経験してきた。
たくさん聞いて、たくさん触れて、少しでも人並みになれるように追い付こうとして、涙を堪えて頑張ってきた。嫌われないように、見捨てられないように、怒られないように、そんな日々を自分から”ない”ことにしようとしていた。
今の自分が当たり前であると、それが当然の権利であると。
そうして、どこかで、その痛みや苦しみを、どこかで忘れようとしていた。
私にとっての暗闇は暗闇じゃない。
その向こうにいつも誰かがいてくれる、そう信じている。そう信じなければどこにも行けないんだ。
私は次の日、砂浜への憧れを忘れないうちに真美に向けて、砂絵に描かれているような海に一緒に行こうと告げた。
色や光をこの作品ではテーマの一つとして取り入れていますが、プリズムの実験が有名ですが色や光の科学を調べるのも面白いと思います。
人間の五感というのはよく考えれば考えるほど多くの人が必要不可欠と感じるほど便利なものと考えられるもので、それを基準に世界というものを捉えるのが人類の歴史でもあり、そうすることが自然なほど五感の重要性は誰もが知るところだと思います。
持っている人、持っていない人、どちらにとっても世界は一つではありますが、その見え方が違うということ。
そして、それを理解しあう手法は、これまでの歴史の中で培われたものとして様々にあること、それらを知り、その知識を通じて私たちは互いに理解しあい、個々の能力の大小を問わず共存することが求められているのだと思います。
第三話からはいよいよ二人が旅に出ます。
その勇気を一緒に見守っていただければ幸いです。