第一話「無色の世界」
前作「神様のボートの上で」から随分経ちましたが、納得できるものが出来たので、ようやく投稿開始することができました。
今回の小説のテーマは分かりやすいかもしれません。
何か大切なことを伝えるために、出来ることは私にはこれくらいしかないので、ここから何か感じ取れるものがあれば幸いです。
見えるものに惑わされないで・・・
この手から伝わってくる体温で十分繋がっているって分かるから
だから、どうか離さないでください、無くさないでください
今、感じているその想いを
その絆も、思い出も、この先もずっとかけがえのないものだから
もう、大丈夫
私には、本当の君が見えているから
たとえこの目に光が灯らなくても
見えるものがあるの
どうか、それを信じて
私を見ていてください
*
これは私が郁恵と出会った頃の話だ。
病院の中でも見晴らしのいい場所、椅子や机もあるエントランスで、いつも郁恵は窓の外にある遠くの景色を、一人眺めていた。
病院の中でも8階に位置するこの階は見晴らしがよくて、山々もショッピングセンターも見えて、この町の中の栄えた部分も、自然の美しさも味わえる、飽きのこない場所だった。
周りにあまり感情を表すこともなく、しかし顔立ちは私から見ても整っていて、静かにしているとよく出来た人形のような美しさだった。
そんな彼女を、病院生活の退屈さや、私と年が近いこともあって、次第に気にかけるようになった。
「郁恵ちゃんにはされたら嫌な事とか、苦手な事ってある?」
それは私にとって会話を続けるための、ほんの思い付きで繰り出した些細な問いだった。
郁恵は人見知りで、身体の事もあってなかなか人を寄せ付けない存在だった。でも私の病棟で年の近い相手なんて少なかったから、私は出来れば郁恵と仲良くできれば、友達になれたらって思っていた。
「人から愛されないことかな」
郁恵は最初からその答えを準備していたのかなって思うくらいに即答でそう答えた。
「どうして?」
私はたまらずに聞いた。きっとその時私も幼かったのだと思う。そんな風に単純に人の心に踏み込んでいくのは迂闊だった。
「私って一人じゃ何もできないから。だから愛されないと生きていけないんだ」
郁恵は物悲しそうにそう言った。その目が光を失っていることが余計に私の心をざわつかせた。
その時の私は軽い気持ちで、出来るだけ会話を続けられるように、それから励ましの言葉を掛けたけど、そんなことはその言葉の本質を知れば意味のないものだと後で気づかされた、
人づてに聞いた話によれば、郁恵は父親の再婚相手からネグレクトを受けていたらしい。父親は出張で家を空けることが多くて、家で二人でいることが多かった。
それは郁恵にとって不幸な災難だった。
私にはそれがどれほど大変なことだったのか、どれほど郁恵は辛いことに耐えながら生きてきたのか、どれだけ想像しても足りないくらいだった。
そんな重い経験を抱えながらも、、郁恵は私に優しかった。
「真美ちゃんの手は温かいね。私、真美ちゃんがいてくれたら寂しくないよ」
その言葉は毎日を同じ病室で暮らす私にとって、とても温かい言葉だった。
コミュニケーションを取るうちに自然と笑顔が増えていく郁恵の姿を見て、私も温かい気持ちになっていった。
私はこの子を・・・、郁恵のことを大切にしようって思った。きっと郁恵は誰かに見捨てられていいような子じゃない。優しくて思いやりのある子だと思ったから。
この時から、私はこの子を一度くらいこの鳥籠から出して自由に外の世界を歩かせてあげたいって気持ちを抱くようになった。
第一話「無色の世界」
私の趣味はもっぱら音楽と粘土細工だ。
退屈はいけない、退屈は人を狂わせる、人はうまく時間という概念と付き合っていかなければならない。ゆえに一人でいるときほど何か時間を潰せる、退屈を紛らわせる趣味が必要だ。
私は触れたものの形を覚える、音だけでは足りない情報を触れることで補っていく、そしてその形を再現し記憶するために粘土細工を覚えた。
例えば、人は声で年齢や性別は分かるけど、細かい体格までは分からない、特に顔は触れないと、どこに目があって鼻があって口があるのか、耳はどこについててどんなヘアースタイルなのか、触れて確かめるのが重要だ。
手の大きさ、筋肉と脂肪のバランス、服装や身長、触れてやっと分かることはたくさんある、そうした意味でいれば、私にとって新しい発見は、日々の中に転がっていると言えるかもしれない。
実際デリケートな問題があるからそこまで出来るのは親しい人だけなのだが、私は今でもそうして父のことを覚えている。
誰よりも頼りがいのある大きな身体、力を込めると固くゴツゴツとしていて丈夫な身体をしているのがよく分かった。
大人の男性の身体に直接触ったことがあるのが父だけなので、他の人が同じような体格であるかは分からないのだけど。
*
「郁恵っ、郁恵ってば!」
よく知った声が聞こえた。
「真美?」
私は隣に真美がいることに気付いた。
「寝てたでしょ?、せっかく本を読んであげてたのに」
そうだった、真美ちゃんは隣でずっと本を読んでくれていたのだ。ちょっと申し訳ないことをした。
「考え事してたら、ちょっと寝ちゃってたかも」
「相変わらず、手を動かしてないと、気づいたら寝てるんだから」
真美は最近できた友達だ、歳が近いせいもあって私の事をよく構ってくれている。病室が同じということもあるけれど、実際のところ病院にいる多くは高齢者だから真美のような相手は貴重だ。
真美の病状はよく知らないが、もうすぐ手術を受けるという事だけは知っている、つまり長くは一緒にいられない関係である。
でもそういうことを真美はまるで気にしない、それがどういう心情なのか、私にはよくわからなかった。
いや、ただ私が考え過ぎで真美の言葉を信じないだけのなのかもしれないけど、納得できる答えに辿り着けていないので、これ以上どうしようもなかった。
私は一体何がしたいんだろう。
未だによく分からないが、それでも気づけば一日が終わっているような毎日だった。不満も欲求もない、それが正しいことでないと分かっていても、自分が何かをしようとすることで迷惑を掛けてしまうことは、どこか自分の中の自信を失くしていた。
本当は行き場所を求めていても、それに答えられない自分自身の弱さを感じていた。
でも、ずっとこのままでいることが楽であることも、また事実で、だから踏み出す勇気を持てないでいるのかもしれない。
*
私、前田郁恵には色が判別できません、光も見えません。
産まれてから一歳を迎える前に全盲になった私は色も光もない目隠しの世界で生きてきました。
私にとっての色とは知識として言語的に伝えられたものであり、光とは私にとって皮膚を通して伝わる太陽や蛍光灯からの熱の温かさでしかありません。
それが私にとっての自然であり、ずっと通って来た世界です。
「心も身体もそばにあるのに遠くに感じる。目が見えないということはそういうことだと思うの」
目が見えないということはどういうことかと問われれば私はそう答えるでしょう。五感の一つが失われているということは、確かに私の中で世界を把握するのに何かが足りないという認識を起草させている。
それは視覚で捉えるよりも遠い認識であるかもしれないけれど、それを補うために他の器官を敏感に働かせて生きているとも言えます。
他者とは異なること、決定的な違いを持つこと、しかしそれは単純な不便さだけを表すものではない。
人が自然とみているそれを、私なりに理解しようとすればするほど、私は異常な人間だということを突きつけられる。
想像と現実が合致しない世界で生きている、そういう自分を自覚させられること、それが最も恐ろしいことなのだ。
いかがだったでしょうか。
私としては、やっと見せられることが出来たなぁという気持ちでいっぱいなのですが。
補足としては、今回は全盲の視覚障がいを題材としましたが、実際に全盲の方は、視覚障がいの中でも二割ほどしかいなくて、他の方は弱視やロービジョンの方で占められていて、ぼんやりと見えるといった方が多くて、盲学校でも、全盲は少数派なのです。
光のない世界、そのことをイメージしながら、この物語を追っていただけると幸いです。
それでは次回の更新をお待ちください!!
Twitterやってます、感想など、読んだよ!と連絡頂けると励みになります。
https://twitter.com/shiori112