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交流しましょう







「じゃあ今日はこれで終わりましょうか。お疲れ様でした」


「あり、がとう…ございました……」


レッスンを開始して約1時間半。用意して貰ったものの結局メトロノーム代わりにしか使わなかったハーモニーディレクターの電源を落としてそう言うと、息も絶え絶えな挨拶が返ってきた。


「…まじで…っ、ハード…」


奏太は辛うじて息を整え出してはいるものの、肩で息をしている人、意外とピンピンしている人、リノリウムの床にしゃがみこんでいる人と様々だ。

今日のレッスン内容は休憩を挟みつつ主に4つ。


1.全体的に腹筋で支える力が足りないと感じた為、まず腹筋

2.バランスを崩さないために背筋

3.今後ステージに立つことも考えて柔軟

4.最後に肺活量を広げるための呼吸法


あとは軽くダウンのストレッチ。

最後の呼吸法は管楽器を吹いていた頃から実践しているもので立ったまま行うと酸欠でクラっとなりかねないくらいキツいものだ。発声はまた次回。


「今日はこれだけをしましたけど次回からはもうちょっと短縮した形でやりますので、腹筋背筋と柔軟は時間があれば家でもやってくださいね」


小休止は入れたもののほとんどノンストップでやったので、初回から飛ばしすぎたかしら、なんて考えながら片付けを始めていると、復活したらしい一人から声が掛かった。


「如月さん、このあと予定って何かありますか?」


「え…特に、ない…ですが」


めっきり秋めいて気温も下がってきたけれど、首に掛けたタオルで汗を拭いながら近づいてきたのは新堂さんだ。

強いて言うなら奏太の予定次第では晩御飯を作って新しい曲でも考えようかと思ってはいたけれど。


「よかったらこれから食事とかどうですか?」


「あ、ありがとうございます。お邪魔していいなら行きます」


懇親会的な感じだろうか?このメンバーも神田さんと奏太は初対面だったらしいし、交流を深めるなら早いうちが吉だ。と言うことは晩御飯を作る手間が省けた。

何だかんだ、奏太も含めなかなかに顔の整った方ばかりだし、コンテンツ的にも人気が出そうだし、長い付き合いになる4人だと思う。個室居酒屋とかかな?あんまり飲めないけれど、最悪奏太にどうにかさせれば問題ない。勿論外で覚束無くなる気はないけれども。


「お邪魔?…あ、いやその…」


「匠馬さん匠馬さん、多分通じてないからすみませんがハッキリ言ってやってください」


何故か気まずそうに言葉を濁す新堂さんの後ろで、何故か奏太がその背をつついていた。

なんの話だろう。首をかしげていたら、 深呼吸のあとでにっこりと微笑んで。


「俺と、2人でデートしませんか?って言う意味です」


「で………、っえ」


どうしてわざわざそんな言い方を、と思ったけれど、そう言えば付き合っているんだったと思い出した。昨日の今日でなんの実感もなかったので忘れていた。今日は完全にレッスンモードだったし。

何と言うか、律儀だなぁ。レッスンが終わればそのままフェードアウトしてもおかしくないような関係のはずなのに、こんな風に誘ってくれるだなんて真面目と言うか責任感が強いと言うか。

けれど正直、いくら名目上彼氏とは言え昨日初めて会った人と2人きりと言うのは些か緊張する。かと言ってお断りするのは申し訳なさすぎるし。助けを求めて奏太に目線を送ってもどこ吹く風だ。


「如月さんにはいきなりすぎるだろうし、今日のところはみんなで、でいいんじゃないか?」


どうすれば丸く収まるか悩んでいると、助け船は一番遠くから飛んできた。


「中谷さん」


「俺も行きたーい!親睦会ってことでいいじゃないですか。初日から匠馬さんだけで先生一人占めとかナシでしょ」


「そうそう、それに…」


床に座って手を上げた神田さん。その後ろから中谷さんが近付いてきた。普段から鍛えているのか一番余裕があるように見えたから個人レッスンに切り替わったらメニューを変えてもいいかもしれない。

そんなことをぼうっと考えている隙に、何かを耳打ちされた新堂さんが私から目を逸らした。


「……奏太も行けるか?」


「あ、マジでみんなで行くんスか?特に予定はないですけど」


「やった!じゃあ俺、店探しますね!」


意気揚々と検索を始めてるいる神田さんが、こことかどうですか?と他のメンバーにスマホの画面を差し出している。

正直助かったけれど、事実上断ったようなものだしさすがに失礼過ぎる。ただ既にわいわいと店を選び始めている中に謝罪を投げるにはタイミングを逃してしまったし、そもそも謝罪自体却って余計に失礼に当たりそうだし。


「如月さんは酒は飲めますか?」


「えっ、あ、はいあの、ほどほどになら」


まごついているとくるりと振り返った新堂さんがにこやかに声を掛けてくれた。とても大人な対応をいただいてしまった。笑顔からいい人オーラが滲み出ている。最早私に謝らせる気もないのだろう。

着々と行き先が確定する中、奏太に後ろから肘で小突かれた。

言いたいことは痛いほど分かる。

いやもう本当に、申し訳ありません…。























「じゃあ、かんぱーい!」


連れられるがままに辿り着いたのは海鮮系の個室居酒屋だった。靴を脱いで掘りごたつ式のテーブルに着席したら、私以外によって手際よくタッチパネルでメニューが注文されていく。

一足早く届けられたお酒を手にして小気味良くグラスがぶつかる音が響いた。

隣の席には新堂さん。他の三名が向かいに。さすがに気を遣われたらしい。


「それにしても、こんなにちゃんと運動したの久々でしたよ俺。養成所以来じゃないかな…あ、ありがとうございまーす」


店員さんが持ってきてくれた刺身や揚げ物が少しずつテーブルを埋めていく。私とは対角線上の一番入口に近い場所にいるためそれらを受け取りながら向けられたのは、くいっと呷られたビールと何だかとても違和感のある、男の子にしては可愛らしい顔立ち。


「確かに、かなり体育会系な準備運動って感じでしたね。如月さんは音大のご出身でしたよね、こんなこともするものなんですか?」


同意を示したのは私の隣からだった。覗き込むように目線が交差して、距離の近さに少し焦る。


「腹筋背筋なんかは、中学高校と吹奏楽部だったときのものですね…結構な強豪校だったのでその辺も厳しくて。大学は指揮科でしたから音楽理論なんかをメインに勉強してました」


「なるほど…今日のレッスンに納得がいきました」


言いながら、新堂さんが飲んでいるのは烏龍茶だ。お酒はあまり強くないのだろうか?少し意外だ。


「楽器を吹いていた頃によく言われたんです。楽器本体は拡声器でしかなくて、鳴らすべき楽器は自分の身体だって。だからまず筋力とか肺活量とか…最初はホントに運動部に匹敵するレベルの基礎練しかしてないくらいでした」


声を武器にする人達なら尚更だろう。ただ、自分を鳴らすのと、自分を使って更に拡声器を響かせるのでは使い方に差があると思う。だからこそまず最初に印象付けておくための今日のレッスンだった訳だけれど。


「お陰で、俺も走ったりとか付き合わされてましたよ。その分腹式呼吸は叩き込まれたから結構ありがたくはありましたけど」


コンクール前なんかは、部活が終わって帰ってきてから走りに出ていたので夜遅くになってしまう。女の子が一人では危ないからと奏太と一緒じゃないと許可が降りなかったと言う経緯があったりする。始めた当初はまだ朧気にしか声優を志してはいなかったけれど、高校生の頃には自ら呼吸法を教わりに来ていたものだ。


「そういう人が身近にいるといいよなぁ。じゃあ如月さんは本職は指揮者ですか?」


「普段は音大を目指す人向けの音楽教室で楽典を教えてます。あとは近くの高校の吹奏楽部で大会やコンサートの際のコーチ兼常任指揮が不定期にって感じですね」


本来、歌に関しては教えられるような立場じゃない。もちろん、音楽教師の資格は持っているから知識としては伝えられるけれど、声楽を専攻していた訳ではないので奏太にしていた指導なんて殆どが我流だ。


「だから本当に、皆さんに教えるなんて大それたことなんですよ」


アノニムとしての自分がバレてしまうのが困るのも事実だけれど、レッスンを断り続けていた理由はこちらの方が大きい。

作品を背負っている人達の本気に十分に応えられるのか、相応の結果が残せるのか。これまでだって少なからず歌う機会はあったはずだから、私のせいでこれまでとイメージが変わったなんて言われてしまったら。


苦笑を漏らしたことでどんどんと落ちていく目線を戻したのは、不意に誰かの手のひらが頭を掠めたからだ。


「そんなことありません。少なくとも俺達は今日のレッスンを受けてよかったと思ってます」


触れたのは一瞬だけ。

無意識のうちにぎゅっと握りしめていた梅酒のグラスから力を緩めて、見上げた先で穏やかな瞳が微笑んだ。


「そうですよ、今まで考えたこともなかった知識を教えて貰えて、これからそれをどんな風に吸収していけるんだろうって楽しみにしてるんですよ?」


中谷さんもまた悪戯っぽく笑って、右隣の神田さんは腕を組んで大袈裟に頷いてみせた。


「あっでもあんまりスパルタだとへこむんで、適度な飴もよろしくお願いします!」


至極真面目に言い放ったそれに、なんだそれ、と呆れた声が飛んだ。コントのような会話に思わず笑いが漏れた。

本当に、真摯で誠実で…優しい人達なんだと思い知るには十分で。


「さ、折角机埋まってるんだから食いましょうよ。追加の分が届いたら置くとこないっすよ」


「だな。如月さん届かなかったら取りますんで言ってくださいね」




そんな風に、久々に飲んだお酒はとても美味しく感じた。







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