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音楽のこと







音楽と数学は似て非なるものだと思う。

曲と言うのは音の連続で成り立っている。その音は例外を除けば12音から成り立つもので、ある程度和音はパターン化されてくるものだ。

ある一つの和音に対しある一音を加えるとすれば、純正律や平均律など専門的なことは割愛するとしてもピタリと馴染む正解の音が確かにある。一つの数学の問いに対し、解き方は複数あれど解は大抵一つなように。けれど数学と違い、音楽は聴き手に訴えかけようと思えばそこから感情やテクニックを乗せて更に広げていく必要がある。それは個人の受け取りかたの問題で、そしてその受け取りかたは無限に存在するものだ。


『音に正解はあっても、音楽に正解は存在しない。』

これが私の持論。


なので、私のレッスンでは音の聞き方や鳴らし方の基本、音楽に関しての技術は伝えても、その先の表現の仕方まで口を出すことはしない。それは個々の個性によるもので、誰かが矯正するものではないからだ。



まず聴きたいのは調和(ハーモニー)

と言うことで。




「まずは全員で一緒にフルコーラス歌ってみて下さい。高低で音にならなければそれはそれで構いません」


「一人ずつじゃなく全員で、ですか?」


「はい、全体のバランスを聴きたいので」


スタジオ内のレッスン場で中谷さんが不思議そうに首を傾げた。音を聴くのであれば一人ずつのほうがいいのだろうけれど、私が確認したいのは全体の音の馴染み方だ。


「あー、コイツめちゃくちゃ耳がいいんですよ。四人くらいなら簡単に聞き分けられるんで」


耳がいい、と言っても聴力と言う意味じゃなく音楽的にと言うこと。奏太の言う通り数人くらいなら問題ないし、加えて奏太の音はすでに耳が覚えている。奏太が基準と言うのは、先輩二人には失礼かもしれないけれど、そこは仕方ないこととしていただきたい。


「そうか、奏太はいつでも個人レッスンしてもらえるんだもんな、贅沢者!」


「あ、そっかずるい!」


「えー、いやでも有料ですよ?」


私と奏太のギブアンドテイクは凄く微妙だ。

始まりは引っ越した時、就職祝いに両親が買ってくれた軽自動車だった。住居が一緒なら二人で一台ね、とプレゼントされたそれ。お互いに免許は持っているものの私はそんなに乗らないし、奏太の方が圧倒的に使用頻度は高い。所有者名義は奏太になり、保険や駐車場代、維持費、車検代などは奏太持ち。ガソリン代はその時々に応じてお互いに。どちらかが引っ越した場合、車は奏太のものとなる。私は奏太と被らなければ自由に乗れる代わりに、奏太の分の必要なときの食事を用意する。食費はこちら持ちだ。そこにラク太のイラストへの使用料と、たまに頼まれていたレッスンは最近回数が増えた。

そんな曖昧なやりとりで成り立っているものを有料と言えるかどうか。


「とりあえず一周、始めさせてください。奏太は少し音量控えめでお願い」


了解、と奏太が軽く片手を上げたのを合図に全員が顔を引き締めた。音源はすでにスタジオミュージシャンの方々によりレコーディング済みだ。私がピアノで弾いてもこのレッスンの意味がないのでそれを使う。今回4人が歌うのは3曲。アップテンポなオープニングテーマに、劇中で流れるMorionとしてのジャズ調の表題曲、そしてエンディングテーマのバラード。

一番厄介なのはバラードだ。アップテンポの曲は勢いでなんとかなるけれど、ゆっくりなものはブレスや表現などが拙ければ顕著に現れる。だからこそ全員のレベルがよくわかるので最初に歌って貰うのはエンディング。

音源を再生させて、各々のパイプ椅子の前で横並びに起立するメンバーの前に楽譜を携えて座った。

前奏が始まり、歌詞が流れる。手元の楽譜にチェックを入れながら聞き終わるまでの5分強。後奏がフェードアウトして顔を上げると緊張した面持ちがこちらを見つめていた。


「ありがとうございます。続けてオープニングもお願いできますか?」


色々と聞きたげな表情をあえて無視して同じように曲を掛けて楽譜を捲りながら目で追っていく。そのままもう一曲も歌ってもらい、なるほど、とりあえず方向性は決まった。


「お疲れ様です、続けてありがとうございました。ちょっと水分補給しましょうか」


音が止んで沈黙が落ちた室内の空気が緩んだ。

時間にしてみれば始まってからまだ30分も経っていないけれど、明らかにホッとした風の3人に少し笑う。奏太は慣れたものなので変わりないけれど。


一息吐いてから、1対4で向かい合っていた椅子を円にして並べ直し、ここからは擦り合わせの時間だ。


「まず…中谷さんは取る音が全体的に少し低いですね。神田さんはちょっと高めでロングトーンが安定しない傾向があるように思えます」


「はい質問!」


ばっと手を翳し神田さんが声を上げた。説明する側としてはこういう風に臆せず疑問を口にしてくれるのはありがたい。


「どうぞ」


「音が高いとか低いとかよく聞きますけど、何に対してなんですか?」


「伴奏のチューニングです」


「伴奏…?」


これは実はよくある質問だ。漠然と高低を指摘されてもどこに合わせればいいのかが分からなければ話にならない。

予め用意していた小さな機械を二つ鞄から取り出して、電源ボタンを押した。


「これは管楽器なんかによく使われるチューナーです。今から音を2つ鳴らすのでよく聴いてみて下さい」


覗き込む3人に軽く説明を入れて、まず片方を鳴らした。


「これと」


一旦音を消してもう一方で音を鳴らす。


「これ。同じ音ですが、微妙に違うのが分かりますか?」


一様に首を傾げるのは想定内。定評のある人を集めたと最初に聞いていた通り3人ともカラオケなら高得点を取れるレベルだと思う。けれどこれは音楽に携わっている人でも初心者なら分からない人が大多数だろう。


「じゃあ、今度は2つ一緒に鳴らします。これで…」


左右のボタンを同時に押すと、さっきと同じ音が鳴り響いた。

私としては非常に居たたまれなくなるものだけれど。


「…なんか、ずれてる……?」


「えっ、気持ち悪い何これ凄い」


「えーっ何なに?分かんないですよ!?」


三者三様。順に中谷さん、新堂さん、神田さん。奏太は慣れているので静観しているけれど、2/3が気付いてくれたのなら大したものだ。

歌を聴いていたときにも思ったけれど、やっぱり新堂さんが一番器用に音を掴んでいる。これならプラスアルファを加えても大丈夫そうだ。


「一般的にピアノのチューニング…要するに調律ですね、ピアノは442Hzで取るとされています。右手に持っていたのは445、左手のは439Hzでドの音を鳴らしていました。同じ音でも周波数の数字が大きいほど高くて、小さいほど低い音になります。分かりやすくするために大きめに差をつけましたけど、新堂さんが気持ち悪いと仰ったのはその差を感じ取ったからですね」


最近はライブを行うコンテンツも多いから、声優さんの歌唱力もそこそこ高い。パッケージ化されたものを観ると意外と修正されていたりするのでほとんど気にならないけれど、職業柄…と言うか習性というか、私はかなりひねくれた見方をしてしまう。

それはメイキング映像。誰かが本番中に舞台裏でインタビューを受けているときに聞こえてくる舞台上の歌声はそのまま使われていることが多い。マイクを通してのエコー等が薄れたそれを聴いていると本来歌っている音の不安定さがありありと分かるのだ。


「まあこんなところを聴いている人はそうそう居ないでしょうけどね」


「ね、分かります?コイツの前で歌うときの俺の恐怖。姉弟だから指摘も容赦ないし」


「なによ、頼んできてのは奏太でしょ。言っておくけど奏太だってさっきの歌はまだきちんと音取れてなかったからね?」


私と奏太の会話の後ろで、引きつった笑顔が繰り広げられていたなんて知ったこっちゃない。私はこのレッスンに関しては断り続けていたのだ。こうして私を起用してしまったのは作品側の責任なのだから、やるからには私のやり方で行かせて貰う。


「と、まあ私には絶対音感はないのでこの音源が幾つでチューニングしているのかまではわかりませんが、そもそも数字はあんまり関係ありません。音源が先にある以上、聞こえる音に合わせることが重要です。かなり遠回りに説明しましたが、この伴奏に対して、中谷さんは低め、神田さんは高め、と言うことです」


「はー…凄いな、そんなこと考えたことなかった」


感心したようにため息を溢したのは中谷さんだ。

その隣で、まだ名前のあがっていない一人がおずおずと手を上げた。


「あの…ちなみに俺は…」


そういえば音の話で逸れてしまったけれどまだほとんど何の説明も進んでいなかった。


「新堂さんは耳がいいんだと思います。恐らく無意識なんでしょうけれど、ご自身で音を調整してバランスを取ってますね」


「え…」


「もちろんまだ危ういところもありますが、プロデューサーさんから出来そうなら、と言われているハモりのパートを試してみましょうか」


「…あ、ありがとうございます…え、うわ、なんかすげぇ嬉しいな」


「匠馬さんズルい!俺だけ分かってなかったし…」


「大丈夫ですよ神田さん。最初から全員が分かっているなら私のレッスンなんてそもそも必要ないです。皆さん…もちろん奏太も含めて少なからず課題点はあります、そのためのレッスンですから。それに分かるから出来る、とも限らないですしね」


レッスンはまだ確認段階で始まってすらいないようなものだ。こんなところでへこたれて貰っては困る。報酬だってそれなりに貰っているのだから相応の結果は全員に残すつもりだ。

見るからにへこんでしまっている神田さんに声を掛けて、座っていた椅子から立ち上がり、にっこりと微笑んで見せた。


「さて、今日はもう楽譜は使いませんのでしまってください」


「えっ?」


誰かが疑問符を飛ばした。その隣で奏太がこれから起こる展開を察して遠い目をしている。


「じゃあ…始めましょうか」


奏太に恐怖と言われる授業を。







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