彼から見たアレコレ side奏太
大学合格と同時に姉である風歌と付き合い始めたのは、家庭教師としてだけではなく、いわゆる近所のお兄ちゃんとして小さい頃から付き合いのある伊坂陽一だった。
風歌は小さい頃から陽兄に憧れていて、それはいつしか恋に変わっていた。玉砕覚悟での姉の告白に、高校を卒業したら俺から言うつもりだったのにな、なんて返事で始まった二人。
まさか半年もしないうちに、自分には一切触れることのなかった彼氏が、その当時のバイトの教え子の高校生に責任を取らされる事態になるなんて誰が想像しただろう。
これは俺だけが知っている話。
陽兄は確かに風歌のことが好きだった。双子の片割れのそういう事情を把握しているのも微妙な気分だが、大切すぎて手を出すタイミングが分からなくて、陽兄も風歌も蟠りを抱えていたあの頃。その欲求を別の相手にぶつけて孕ませて、結果本当に想っていた相手にはなにも出来ないままに手離した…なんて笑い話にもならない。
一方そんな男の内情を知る由もない風歌にとっては、自分の知らないところで自分にはしないことをかつての自分と同じ立場の女の子には行っていた、と言う事実しか残らない。女性としての自尊心すら粉々に打ち砕いていったのだ。
泣きそうな顔で手をついて謝る陽兄に怒ることもできずに、風歌はしばらく空元気を振り撒いて過ごすほかに自分を守れなかった。
こんな状態で陽兄に会いでもすればギリギリの均衡で保っていた糸が切れてしまう。
だから、あの日。我が家から辞する際に俺は陽兄を追いかけて約束を取り付けた。
今後絶対に風歌の前に姿を現さないように、と。
そうだ、陽兄は風歌が好きだった。だからこそ余計に厄介だったのだ。
相手の高校生は陽兄が好きだったらしい。
誘惑に負けた方も負けた方だが、まんまと奪い取り自分のモノにしたものの、始まりから既にずれていた関係が長く続くはずもなく。結局籍は入れずにただ養育費を払う関係と化していると聞いた。
その頃にはもう風歌は恋愛と言うものを完全に諦めてしまっていた。
だから正直俺は、そんな陽兄と同じ言葉から始まってしまった匠馬さんの想いが通じるとは当初は全く思っていなかった。
レッスンも始まって数回を経験した頃、アニメの現場で一緒になった匠馬さんは思い切り項垂れて俺に声を掛けた。
「お前のお姉さん、俺を一体なんだと思ってるわけ…?」
匠馬さんはアノニムに仕事として関わりのない立場で風歌の正体を初めから知っている唯一の人だ。レッスンの度に一緒に帰宅しているようだけれど、うちの片割れは何をやらかしたんだ。
「風歌のヤツ何かしました?」
「いや何も…むしろ何も無さすぎて困ってる」
匠馬さんにとってはそもそも憧れを抱いていた相手だ。初対面の時点で好意はあっただろうけれど、風歌本人と関わってそれに変化はあるのだろうか。
「まあ…始まり方が不味かったですしね」
「…え、やっぱり如月さんはあの時の事件気にしてる…?確かに最低だったけど…」
「いやそうじゃなくてアイツ昔色々あって責任って言葉嫌いなんで。匠馬さんが何しても『責任があるから』のものだって本気だと思ってないですよ多分」
驚きに見張った目がこちらを刺した。
さすがにその理由までは俺が話せるものじゃない。
「俺はそもそも地雷を踏んで始まってるってことか…」
含みをもたせた俺の発言には気付いただろう。けれど何も追求することなく匠馬さんは更にがくりと肩を落とす。
「……このレッスンだって期限はあります。終わったらどうするつもりなんですか?」
俺も風歌もまだ20代前半だ。自分で言うのも難だが多分二人とも顔だって悪くない。諦観を抱えたまま進む双子の片割れを出来ることならもう一度立ち直らせてやりたい。
匠馬さんの好意は知っていたし、万が一にも粗雑に扱われるようなことはないことは分かっている。けれどもしただただ責任なんだと言うなら放っておいてやってほしい。変な期待を実らせる前に。再び影を落とす前に。
「俺は…許されるのであれば終わってからも傍にいたいと思ってるよ」
「それはアノニムだからですか?それとも風歌として?」
「そんなの勿論───」
だから俺は、匠馬さんに協力することを決めた。
「そう言えば聞きましたよ新堂さん!風歌ちゃんと正式に付き合い始めたそうですね!」
紆余曲折あったレッスンがなんとか終わり、アニメの放送も間近となったある日。先日のライブで更に話題性も増して、今日はネットに掲載予定のインタビューの撮影だ。2人ずつに分かれての対談形式で、この場にいるのは俺と匠馬さん、そしてヘアメイクの飯塚さんの3人。
いつの間にか風歌と親交を深めていたようで、しっかり情報は伝わっていたらしい。
「あはは、お陰様で」
俺にメイクを施しながら、隣で既に準備の整った匠馬さんにニコニコと声を掛けた。
「余計な一言のせいで悩む風歌ちゃんを見てきた身としては感慨深いです…如月くんから風歌ちゃんの居場所を知らないかって連絡が来たときにはヒヤッとしましたけど無事にまとまってよかった」
ライブの日の風歌の逃走劇は、今まで生徒としてお世話になっていた俺達4人を大いに動揺させた。仕事のため追いかける訳にも行かず引き留められた匠馬さんは呆然と立ち尽くし、新は青ざめて慌てるし一番冷静に対処していた中谷さんも努めて落ち着こうとしているようだった。
俺は俺で過去を知っている分の焦りも沸き上がり、とりあえず心当たりには手当たり次第連絡を取った。その内の一人が飯塚さんだ。
「その節は突然連絡してお騒がせしてしまってすみませんでした。風歌とも仲良くしてくれてるみたいでありがとうございます」
「えっ、とんでもないですよ!私上京してから仕事ばっかりでプライベートで友達と遊ぶなんて出来なかったので、風歌ちゃんと親しくなれて本当に嬉しいんです」
にこりと微笑むその表情が同い年にしては少し幼くみえる。
「いつぞやの新堂さんとのデートの時の風歌ちゃんの格好とか髪型とかプロデュースしたのも私なんですよ、可愛かったでしょう?あっそうだ、女はデートの行き先で服装を考えて変えなきゃいけないんですから、次からはちゃんと伝えないと駄目ですよ!」
あの日も風歌に連絡したり家を訪ねてみたりと奔走してくれたと聞いた。度々相談相手にもなってくれているようだし、こんな風にハッキリと注意してくれたり、風歌にとって頼もしい友人だろう。
その矛先になった新堂さんはスミマセン…と小さくなっている。
「飯塚さんには風歌共々本当にお世話になってますよね、よかったら今度お礼に一緒に食事とかどうですか?」
顔の化粧を終えて髪型に手を加えようと後ろに回った飯塚さんを振り返る。
途端に「えっ」と言う声と共にヘアスプレーが床に落ちて転がった。乾いた音が鳴り、慌てて拾い上げている。
「あ…すみません、よく考えたら男と2人とか気を遣いますよね。風歌と匠馬さんも一緒に行きません?」
「えぇ、折角ちゃんと恋人同士になったのにデートに弟が着いてくるとか微妙だろ。そっちはそっちで2人で行ってきなよ」
「いやでも…」
お礼をするのに余計に疲れさせる羽目になっては意味がない。かといって新や中谷さんを呼んでも男3人となんて更に駄目だろう。
「いえ嬉しいです、如月くんさえよかったら…!」
悩んでいたら少し大きめに肯定が飛んできた。
俯き気味のその顔が赤く染まっているのが分かって、素直に可愛い。
「…分かりました、店探しておきますね」
ありがとうございます、と告げて頭の中で思い当たる店を検索する。女の子が喜びそうなところを風歌に聞いてみてもいいかもしれない。
手際よくセットされている自分と鏡越しに目が合った。その後ろの飯塚さんが心なしかまだ頬が赤らんでいる気がするのは自惚れだろうか。
俺からのお礼は別の形でさせて貰いますね、との匠馬さんの言葉の真意を知るのはもう少し先の話。
奏太のスピンオフも書けたらいいな。
新堂さんはそういうつもりで2人で行くように勧めてます。