狐 其の六
昔々、人々に悪さをして楽しむ一匹の狐がいました。ある日には恐ろしい化け物に姿をかえ、道行く人から身ぐるみを剥ぎました。またある日には人に化け、民家に転がり込むと、その家主を騙した挙句、殺したりと、悪事の限りを尽くしていました。
そんな悪事を繰り返していると、その周辺では全くと言っていいほど人が寄り付かなくなりました。「あそこは化け狐が出る」だとか「人食い狐が出る」などと言った噂が流れたからです。
そんな化け狐と呼ばれるうちに、その狐は完全な妖怪になってしまいました。所謂、妖狐というものです。それまでは半分妖怪、半分狐としてやってきましたが、いつの間にか妖怪の仲間入りを果たしたのです。
妖怪となってからも、その狐は以前と変わらぬ生活を送りました。稀に通る通行人を襲っては食べたり、妖怪退治に来た僧侶を殺したりと相も変わらず悪事を繰り返しました。
しかし、その生活は長く続きませんでした。それは妖怪になってから五年ほど経った冬の日に起こりました。
雪がちらつく山道に大層綺麗な着物を着たそれは、それは美しい女性が二人で歩いてくるではありませんか。
それを見た妖狐は喜びました。何故なら男の肉よりも女の肉の方が柔らかく、とても美味なのです。
妖狐はどうやって女たちを食ってやろうかと考えました。化け物に化けるか、それとも人間に化けて油断隙に食ってやろうかと考えました。考えた末に人間に化けて食うことにしました。しかし、この選択が妖狐にとって間違った選択でもあり、正しい選択でもあったのです。
少女の姿に化けた妖狐は怪我をしたふりをして二人の前に出ました。すると、女たちはこちらに駆け寄ってきました。
「大丈夫ですか?」
二人の内の一人はそう言って妖狐に手を差し伸べてきました。妖狐はその手を取ってやっとの思いで立ち上がる演技をしました。
「すみません。足を挫いてしまって。
旅の方ですか?」
妖狐が尋ねると二人は頷いた。
「あぁ、それならお願いがあります。山の麓に私の家があります。どうか、そこまで連れて行ってはくれませんか?」
妖狐がそう聞くと二人は二つ返事で「いいですよ」と言った。妖狐は礼を言って、おぶってもらいました。
それから山を下る時に色々な話を女たちとしました。どうやら二人は姉妹らしく、女二人で日本中を旅してまわっているようです。道を先導して歩いているのが妹で妖狐をおぶっている方が姉だと言います。
どうして旅をしているのかと尋ねると、今までいた場所に少しばかり飽きたので色々なところを自分達の足で歩き、見て回りたかったという答えが返ってきました。
そうこうしているうちに妖狐が言っていた山の麓にある家まで着きました。妖狐はお礼がしたいのでと言って姉妹を家の中に招き入れました。
すると、家の中に入った途端、妖狐をおぶっていた姉から驚きの言葉が発せられました。
「おい、妖怪。ここまでは計算通りか? 私達を食えると思うなよ」
「…いつから気が付いていた?」
妖狐が問うと妹の方がその問いに答えました。
「初めからだよ。妖気を隠そうともしないあたり、三流以下か妖怪に成り立てと言ったところか?
まぁ、成り立てだろうなぁ。そうじゃなきゃ神である私たちを食おうなんて思わないからな」
己らを神と名乗る姉妹を前に正体を見破られた妖狐は一体どうしてこの場を切り抜けようかと考えました。
「ふんっ、神様だというならば証拠を見せてみろ」
妖狐は強気に出ます。姉妹の言うことがハッタリだと思ったからです」
「証拠? いいだろう。そんなものいくらでも見せてやるよ」
姉の方がそう言うと妖狐が今まで犯してきた罪の全てを語り始めました。妖狐になる前からのことの全てをまるで隣で見てきたかのように事細かに話しました。
「お、お前たちは一体何者なんだ」
「だから、さっき言っただろ? 神だよ」
姉がそう言うと妖狐の方にゆっくりと近付いてきました。妖狐は逃げ出そうとしましたが体が動きません。姿を変える事も出来ないし、神通力も効きません。抵抗が出来ない妖狐に姉は人差し指をそっと妖狐の眉間に当てました。
妖狐はその時「殺される」と思いました。そして、同時に今まで自らがしてきたことを後悔して目をきつく瞑りました。しかし、一向に痛みはやってくることはありません。神様だから痛みなく消すことが出来るのだろうかと考えながらゆっくりと目を開けると先程と何ら変わらない風景が広がっていました。
妖狐は狐につままれたような表情を浮かべていると姉が口を開きました。
「お前は今から能力を使うことも死ぬことも出来ない体にしてやった。感謝しろよ。特別に人間の姿にしてやった。
反省の色が見えて、気が向いたらその呪い解いてやるよ」
「…恨んでやる!」
妖狐はそう言って姉妹に飛びつこうとしましたが体は動きませんでした。それに今まで念じれば力を発揮出来ましたが今はどうやっても出来る気配はありません。どうやら彼女が言っていたことは本当のようでした。
「おっと、その感情も邪魔だな。最小限にしといてやるよ。
そして、もう一つ私達からお前に名前をくれてやる。これから、狐坂 莉狐と名乗るがいい。私たちが下界に下りてきてから名乗っている名字から一文字取っている。光栄に思えよ」
姉がそう言うと二人は家から出ていきました。その瞬間、体が自由になった妖狐改め、狐坂は急いで家から飛び出し、辺りを見渡しましたが、姉妹の姿はどこにもありませんでした。
それから、五百年程生きた狐坂は現代に合わせて莉狐から莉子に改名し、普通の人間として今も生きているそうです。
めでたし、めでたし。
めでたしと表記がありますが続きます。