7 衣食足りて礼節を知るか?
「……ちっ」
週明け、生徒会会長のマイケルは、昼ご飯を食べる時間も与えず無理矢理呼び出しておきながら、生徒会長執務室に入ってきた僕の顔を見るなり、大きな舌打ちをした。
人権を無視した、とんでもない横暴だ。前回の生徒会選挙でこの男に一票入れた全生徒に「お前の目は節穴か!」と説教して回りたい気分だ。……その対象に僕自身も含まれるのだけど。
「僕を何かの腹いせに罵倒したいだけなら、帰らせてもらうけど」
本気で、踵を返して執務室を出ようとしたら、「まあ、待て」と生徒会長は呼び止めてきた。
「横井翔、お前を呼び出した理由はそれだけじゃない」
「本当に罵倒するつもりだったんだな!」
「それは一種の挨拶、通過儀礼みたいなものだからな」
「本当に最低の生徒会長……いや、人間だな」
「君からそんな評価を貰っても、俺の人生には全く影響ないな」
この男には何を言っても無駄だ。マイケルを生徒会長の座から引きずり下ろそうとしたら、軍事クーデターを起こすしかないかもしれない。
「そんなことよりも……」自分を中心に世界が回っているかのように、マイケルは唐突に話題を変えてきた。「先の土曜日の、ショッピングモールの件についてだが」
「何か文句でもあるの? ちゃんと会長を庇ってあげたでしょ」
「ああ、おかげでエリカから逃れることができた。……礼を言おう」
「えっ……」
「どうした? 鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして。何か不思議なことでも起こったか?」
――起こったか? だって! ああ、起こったよ。明日はきっと雪が降る。押し入れにしまったばかりのコートを引っ張り出さないと!
「マイケルからお礼を言われるなんて……」
「当然だ。感謝の意を伝えることは、人として当然の事だろう」
――まさか、暴君マイケルの口からそんな台詞が出てこようとは。明日は猛吹雪に違いない。学校休みになるかな?
「じゃ、じゃあ……、その言葉をありがたく受け取っておくよ。でもあの時、どうして、副会長から逃げてたわけ?」
「休みの日まであいつと顔を合わせたくないからだ」
当然だと言わんばかりに、マイケルは肩を竦めてみせた。
「でも、鴻池さんを副会長に任命したのは君自身って話でしょ。もっと仲が良いのかと思ってたんだけど」
マイケルと鴻池さんは、学校でも有名な美男美女、お似合いの二人だと思っている人は、学校内にたくさんいることだろう。
しかし、マイケルは冷淡な口調で答えた。
「あいつは副会長としては優秀で信用に足る存在だ。が、それと、友人として付き合いたいかは、別の問題さ」
「そうなの? 鴻池さんは良い子だと思うし、マイケルの事を誰よりも思ってくれてるはずだよ。まあ、性格の方は少々思い込みが激しいというか、いろいろあるかもしれないけど」
「そこが問題だ」マイケルは執務室の出入り口の扉を一瞥し、少し声のトーンを落とした。「見ただろ、ショッピングモールでのエリカの様子を。俺は帽子とサングラスで顔を隠してたっていうのに、エリカはずっと遠くから俺に気づいて、猪の如く駆け寄ってきたんだからな。誰だって逃げたくなるだろ」
「まあ、そうだね……」
大体予想と一致していた。
しかし同時に、僕は心に引っかかるものを感じた。
「ところで生徒会長は、あの日、ショッピングモールで何をしていたの?」
この疑問を僕が口にした途端、「ギクリ」という擬音語が聞こえてきそうなほど、マイケルは表情を強張らせた。
「な……なんでも、いいだろ。そんなこと……」
生徒会長は明らかに狼狽していた。夏でもないのに帽子とサングラス、よくよく考えてみれば非常に怪しい。
好奇心が疼いた。
「もしかして……人に知られたくないようなものを買っていた、とか?」あの時マイケルが手に持っていた大きな買い物袋を思い出す。「あの袋、確かアニメグッズのお店のだよね」
「ギクリ、ギクリ!」マイケルの表情がみるみる青ざめていく。
さっきのマイケルの話も嘘ではないだろうが、どうやら、彼が鴻池さんから逃げた本当の理由は別のところにあったようだ。
「いや、でもアニメショップなんて別に普通じゃない。女の子が見たらドン引きするようなエログロな漫画かDVDでも買わないかぎり……」
マイケルを見ると、彼の額にはビッシリと脂汗が浮かんでいた。
――まさか、ビンゴなのか?
マイケルはおもむろに席から立ち上がると、壁際にあった小型の冷蔵庫(これも生徒会費を横領して買ったものに違いない)から、ペットボトルのミネラルウォーターを取り出して、ぐびぐびっと一気に飲み干した。
「ふーっ。俺の母国は少々、そうした表現の規制が厳しくてな。……だから、そのなんだ、これは文化研究というやつだ。この国ではどの程度まで自由な表現が許されているのか、留学生としてぜひ知っておくべきだと思ったのだ」
それらしい言葉で取り繕ってはいるが、要するに、エロ漫画を思う存分読みたい、ということだ。
「まあ、気持ちはわからないでもないよ。ダメと言われると逆に気になるものだから。それに、その手の物は、男子も女子も多かれ少なかれ興味を持つし」
「そうだよな!」気力を取り戻したように、マイケルの声は大きくなった。「俺は間違っていない。この国では、生徒と先生がXXにふける漫画や、兄と妹が※※するアニメDVDを持っていても、何ら恥じることはないのだ!」
「あっ、いやそれは……」
細かいジャンルまで限定されると話がややこしくなりかねないので、そこは心の中だけに留めておいてほしい。
困惑する僕とは対照的に、マイケルは穴に向かって王様の耳の秘密を叫んだ理髪師の如く、すっきりした表情を浮かべていた。
「折角親元を離れて留学している以上、やはり羽を伸ばさなくてはな」
「……その代わり、ホストファミリーが居るけどね」
「そこは抜かりない……。よし、横井翔。特別にゲーム研究会の予算について、最初の申請通りで認めてやろう」
「えっ! 本当に」
先週却下された予算申請は、何処を削ろうかずっと悩んでいて、まだ修正版が提出できていなかった。それを突然認めるとは、明日は台風襲来か?
「ああっ、俺は今気分が良いからな。細かいことにはこだわらん。その代わり……」マイケルの声が急に低くなった。「今日のここでの話、エリカにはもちろん、ほかの誰にも言うなよ」
口封じ、というやつか。生徒会の予算を生徒会長の私的な都合で決めてしまうなんて、やはりこの男は暴君だ。
しかし渡りに船、僕は二つ返事で頷いた。
「も、もちろん言わないよ。言いふらすつもりもなかったし」
昼休みの終了を知らせるチャイムが鳴った。
「よし、話は以上だ。帰っていいぞ」
ようやく解放されて、僕は早足で執務室を出た。
前室へ続く扉を開けると、やっぱり鴻池さんがすぐ目の前に立っていた。僕は無言でじっとこちらを見つめる鴻池さんから視線を逸らして、テーブルに置いておいたスマホを素早く取り上げ部屋を出ようとした。すると、鴻池さんが呼び止めてきた。
「横井翔」
「な、何でしょう……」
足を止め、彼女の方へ振り返る。
「もしかしてわたしに嘘を教えたのか?」
「えっ、ええ?」
執務室は完全防音、僕とマイケルの会話は聞かれていないはずだ。
部活予算が会長の手に握られている僕は、しらを切り通すことしか選択肢はなかった。
「そ、そんなことないですよ。会長は急ぎ足だったし、あの通路にはたくさん人がいたから。見失っても不思議じゃないよ」
「じゃあ、今日どうして会長はお前を呼んだ?」
鴻池さんの目が吊り上がる。今にも襲いかかってきそうな雰囲気だ。
「部活の予算の話でちょっと……。詳しいことは会長に来てよ。じゃ、僕は午後の授業があるからこれで」
まだ何か言いたげな鴻池さんから逃げるように、僕は部屋を飛び出した。
なんとか生徒会室から逃げ出すと、スマホからリリアーヌさんの声が聞こえた。
「いろいろ大変そうね、カケル」
「全くだよ。どうして僕が会長と鴻池さんのゴタゴタに巻き込まれなきゃならないんだ」
「さっきの女の人、カケルが居ない間に、五寸釘がどうだとか藁人形がどうだとか、髪の毛がどうだとか、ぶつぶつ呟いてたんだけど、それは何?」
「えっ?」
咄嗟に後ろを振り返る。そこには、生徒会室の扉が半分ほど開いて、こちらをじっと見つめる鴻池さんの顔が……。
――どうして無関係の僕が、一方的に恨みを買われないといけないんだ!
僕は一目散に逃げだした。
ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー
放課後、部室へ行くと、ソンジュンと幸司、結城さんがすでに居た。
自分の席に座ると、すぐさま結城さんからチャット申請が届いた。僕はイラストアプリが表示されたモニタをじっと見つめる結城さんの背中を一瞥して、VRチャットアプリを立ち上げた。
画面中央に、お姫様アバターが現れる。
『どうしたの?』
『先輩、頼まれてたやつ、できました』
「マジで!」
思わず声に出して叫んでしまった。ソンジュンと幸司が、同時に僕の方を振り返った。
「どうした、翔?」
「あっ、別に……。邪魔してごめん」
ソンジュンは何も言わずに、モニタに視線を戻した。
一方、幸司は僕の方を見たまま言った。「翔、最近疲れてない?」
「疲れてる? 僕が?」
「顔色があまり良くないように見えたから」
「あーっ、そういう意味なら、最近寝るのが遅くて……」
「もしかして、受験勉強か?」
嫌な単語を聞いてしまった。やらなければならないとわかっているのに、全く体が動こうとしない代物だ。
「違うよ、ちょっと、夜遅くまで、ゲームを作ってて」
「無理はするなよ」
と、幸司は言うと、じっとモニタを見たまま動かない結城さんをちらりと見てから、僕に背中を向けた。
『えっと、ごめん』ようやく僕はチャットにメッセージを送る。『もうできたの、早いね』
『昔に作ってたやつを、少し手直ししただけだから。リンク送ります』
続くメッセージに、クラウドストレージの共有リンクが書かれていた。クリックすると、十個以上のモデルデータのファイルがあった。試しに、一つダウンロードして3Dデータを作成するソフトウェアで開いてみる。
「おおっ、凄い」
アメリカのCGアニメ映画に出てくるお姫様が着ていてもおかしくない、見事なドレスだった。僕はスマホカメラをドレスが表示されているモニタ画面へ向ける。
「リリアーヌさん、これどう?」
「何これ! 凄……」
リリアーヌさんの大音声に、僕はすぐさまマナーモードに切り替えた。しかし、部員たちの注意をひくには十分だったようで、今度は結城さんも含めて、こちらへ振り返ってきた。
「おい、今さっき、女の声が?」
僕はすぐさまソンジュンの言葉を否定した。
「僕の声だよ。ちょっと上擦っただけで」
「にしちゃあ、随分トーンが高くなかったか?」
「僕も結構高い声が出せるんだよ。キャー、スゴーイ」
実際、リリアーヌさんの声とは似ても似つかぬ掠れた裏声だったが、ソンジュンはそれ以上追求してこなかった。幸司も、
「やっぱり、少し休んだ方が良いんじゃないか?」
と言っただけで、自分のモニタに戻っていった。
結城さんは何考えているのか読めない表情で、最後までじっと僕のことを見ていたが、結局無言でモニタに視線を戻した。
僕はほっと息を吐いた。危うく面倒な事になるところだった。
僕は改めてチャットで、結城さんにメッセージを送る。
『ありがとう、完璧だよ』
少しの間があって、お姫様から返事があった。
『もし気に入らないところがあったら、好きに修正して使って下さい』
『わかった。本当ありがとう。今度お礼をしないと』
『先輩のお役に立てたのなら、それで十分です』お姫様アバターは微かに俯いた。
随分謙虚な事を言う。だったら今度、ジュースとお菓子をプレゼントしよう、と思った。
ともあれ、これで、服の問題は解決に向かいそうだ。週が明けて、いろんな事が好転しつつある。良い傾向だ。
ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー
家に帰ると、茜の「ご飯は?」という問いかけを適当にあしらって、部屋に戻った。
リリアーヌさんが早くしてと、せがむからだ。
PCのゲーム制作ツールを立ち上げて、結城さんがくれたドレスの素材を『寝室ゲーム』プロジェクトファイルに加える。それからスマホをPCにつないで、アプリをアップデートすれば完了だ。
「もうできたの?」と、待ちきれない様子のリリアーヌさん。
「うん。いくつかクローゼットの中に入れておいたから、開けてみてよ」
リリアーヌさんは待ち受け画面から、『寝室ゲーム』へ移動すると、クローゼットに駆け寄り、勢いよく扉を開けた。
中から色とりどりのドレスが現れた瞬間、リリアーヌさんは大きな歓声を上げた。
「凄いわ、まるで夢のよう! ねえ、早速着替えてみても良いかしら?」
「どうぞ、どうぞ」
リリアーヌさんはクローゼットから、肩から袖にかけてラメのついた薄緑色のドレスを取り出した、と思ったら、すぐに元の位置に戻して、今度は白いスカート部分に沢山のひだひだがあるドレスを取り出した。しかし、そのドレスも戻してしまった。
「どうしたの? 気に入らないの?」
リリアーヌさんは大きく首を振った。「違う、その逆。みんな気に入って、どれから試そうか悩んじゃって」
「そんなの順に試せば良いじゃない」
「まあ、それもそうなんだけど……。最初の一着目は特に重要だから」
買い物が苦手な僕にとってはよくわからない理由だ。
散々迷ったのち、リリアーヌさんは最初に取り出した、緑色のドレスを手に取った。
しかしどういうわけか、リリアーヌさんはこちらを見つめたまま、動こうとしなかった。
「まだ何かあるの?」
「カケルじっとこっちを見てたら、着替えられないでなきでしょ」
――ああ、そうか。
僕はスマホから目を逸らした。
すぐに、スマホから衣擦れする音が聞こえはじめた。
急に緊張してきた。スマホの中とはいえ、女の子が僕の部屋で着替えをしているのだから。これはとてつもない異常事態だ。それをいうなら、僕のスマホの中に女の子が閉じ込められて、一週間以上ずっと身近にいること自体がそもそも異常なのだけど……。
とにかく、緊張……興奮は収まらない。
――少しだけ、ほんの少しだけ、覗いてみるのはどうだろうか?
僕はすぐさまその邪念を振り払った。なんという外道の思考。相手は王女様、いや王女様でなくとも、見つかればギロチン行きの重罪だ。それに、彼女の信頼を裏切るようなことなど、できるわけがない。
――でも、ちょっとだけなら……。
再び悪魔が囁いてくる。ダメだとわかっているのに、ここまでオトコの性というのは強力なのか!
「……ねえ、カケル」
リリアーヌさんの声が聞こえてきた。
「何一人でそわそわしてるの、こっちはもう着替え終わったんだけど」
「あっ、あっそう……」
――まあ、そんなもんですよねぇ。
気を取り直して、僕はスマホの画面へ目を向ける。そして、昨日『寝室ゲーム』をアップデートして追加した大きな姿見の横に佇むリリアーヌさんの姿を見て、僕は息を呑んだ。
落ち着いた色のドレスに身を包んだリリアーヌさんは、赤いドレスを着ていた時よりもずっと大人びて見えた。
服一つで、人の雰囲気はここまで変わってしまうのか。
「どう?」
リリアーヌさんはその場でくるりと一回転してみせた。スカートの裾がふわりと広がる。
「う、うん」ようやく僕は声が出せた。「とても似合ってると思うよ。見違えたよ」
「あたしもそう思う」
リリアーヌさんがにっこりと微笑む。強力なスポットライトに照らされた大女優のように、彼女は輝いていた。
「このドレスを作ってくれた人、ユウキさんと言ったかしら。ぜひお礼が言いたいわ」
「えっ! お礼?」
「驚くことでもないでしょ。こんなに素晴らしいものをくれたんだから、お礼くらい言いたくなるわよ」
「いや、それはまあ、そうだけど……」
リリアーヌさんは微かに首を傾げ、僕の顔を覗き込むように顎を上げた。
「あたしがお礼を言うのが困るって、顔してるわね?」
「困るって言うか……」
うまく言葉にできず、まごついていたら、リリアーヌさんは眉根を寄せた。
「そういえば、カケルってずっとあたしを、カケル以外の人と話させてくれないよね。何か問題でもあるの?」
ぎゅっと、誰かに心臓を掴まれたかのような胸の痛みが走った。
大きく息を吸ってから、僕は答えた。「それは、リリアーヌさんの事を他人が知ったら騒ぎが大きくなって、色々面倒なことが起こるからだよ」
リリアーヌさんは王国を乗っ取った宰相に追われている身でもある。他人を巻き込むわけにもいくまい。この考えは間違ってないのだけど、なんだろう、心の中に残るモヤモヤ感は……。
「そう。だったらしかたないわね」
と、リリアーヌさんは言ったものの、彼女も釈然としない様子だった。
折角の楽しい時間のはずなのに空気が重くなってきた。僕は話を変えようと、大きな声をあげた。
「そうだ。もう一つ、まだ試作中だけど、リリアーヌさんに試してほしいアプリがあるんだ」
「えっ、何?」
リリアーヌさんはすぐに笑顔を見せてくれた。
僕は再びPCを操作して、休日中にいつものゲーム作成ツールで作ったアプリをスマホにインストールした。そして、リリアーヌさんに新しいアプリに入るように促した。
「ここは何? いつもお食事しているところにそっくりだけど」
リリアーヌさんの言う通り、『動物集めゲーム』の餌場の部分だけを切り出したような雰囲気だった。
僕はおもむろにアプリを操作して、リリアーヌさんの目の前にコーンスープを出現させた。
リリアーヌさんは皿のように目を丸くした。
「何、これ?」
「食事だよ。これだけじゃないよ」
僕はさらにアプリを操作して、サラダ、魚のムニエル、そして、デザートのアイスクリームまで置いた。
突如目の前に出現した猫飯以外の料理に目を奪われているリリアーヌさんの姿が映る、スマホ画面に向かって、言った。
「これはキャラクターににご飯を食べさせるゲームなんだ。ずっと猫飯だけでも飽きちゃうでしょ。味付けパラメータも用意してあるから、みんな違う味がするはずだよ」
「食べていいの?」
リリアーヌさんの目はクローゼットを開けた時以上に爛々と輝き、口からはかすかに涎を垂らしていた。
「もちろん」
僕が頷くと同時に、リリアーヌさんはスープを口にした。
「美味しい! こんな美味しいもの食べたの、初めてだわ。こっちはどんな味かしら」
今度は、サラダに手を伸ばす。
「これは……、ちょっと辛いかしら」
まだ調整は必要そうだ。それでも、リリアーヌさんは満足してくれたようで僕も嬉しい。
「今は別アプリだけど、もう少し調整したら、『寝室ゲーム』と一つにまとめるつもりだから」
「ありがとう、カケル。貴方本当に凄いわね」
「そんな、大したことはないよ」
「いいえ、大したことあるわ。どんなお礼をすればいいのかしら。……そうだわ」
リリアーヌさんは何かを閃いたのか、突然両手を強く叩いた。
「立派なお屋敷に、素晴らしいドレス、それに豪勢なお料理! これはもうパーティーをするしかないわ!」
「パーティー?」
「そう、パーティー。お部屋を盛大に飾って、たくさんの料理を並べて、その中でダンスをするの。素晴らしいと思わない?」
「誰がそのパーティーに?」
「本当は、沢山人が居た方が楽しんでしょうけど……、今回はあたしとカケルの二人ね」
と言って、リリアーヌさんは屈託のない笑みを浮かべた。
ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー
改めて思う。人の欲望は留まることを知らない、と。
新しいドレスが手に入った。おいしいご飯が食べられるようになった。落ち着いて住める部屋が用意できた。だから今度はパーティーをしたいときたものだ。あの、わがまま王女様は。
もっとも、部屋を飾り立てることも、豪華な料理を作ることも、これまでの経験を活かせば、実現はそれほど難しくない。
問題は、僕が彼女とパーティーをする、ということ自体にある。原因は、僕がコミュ障だとか女の子と手を握るなんて小学校の運動会以来だとか、そんな精神論的なものではない。もっと即物的な話だ。
つまり、豪華な部屋も、おいしい料理も、そして彼女も、スマホの中にある。
どうやって、リリアーヌさんと一緒に食事をする?
どうやって、ダンスを踊る?
リリアーヌさんの動きに合わせて僕もスマホの前で踊れば良いのか?
恐ろしくシュールな絵面になること間違いなしだ。一部の人間にはウケるかもしれないが、それで彼女は満足するのか?
今回ばかりは彼女の希望を叶えられそうにない。そう次の日の部活の時間までは思っていたのだけど、ソンジュンからのチャット申請が届いた時、解決策が閃いた。
いつも部活メンバーで使っているVRチャット、これを応用すればいいのだ。
世界中で人気を博しているこのVRチャットはAPIが公開されていて、利用者が自由にVRチャットアプリの機能を拡張できたり、全く別のアプリにVRチャットの一部の機能を組み込める仕組みを持っている。『寝室ゲーム』にこのVRチャットを組み合わせることで、僕自身は無理でも、僕が操作するVRチャットのアバターをゲームに登場させ、疑似的に彼女と食事をすることや踊ることができるかもしれない。
『ソンジュン、ありがとう!』
興奮のあまり、チャット開始早々にそんなメッセージを送ったものだから、ソンジュンのロボットアバターは仰け反った。
『な、なんだ藪から棒に……』
『あっ、いや。深い意味はないんだよ。ただどうしてもお礼が言いたくて』
『気持ち悪い奴だな……。そんな事より、翔が作ってた『魔界迷宮』のゲーム、進捗はあったのか?』
以前部活メンバーにテストプレイしてもらったゲームだ。ここ最近、ずっとリリアーヌさんのためのアプリ作りに奔走していたから、そっちの方は全く手がついていなかった。
『ちょっと忙しくて、全然進んでいないんだ。何か気になることでもあったの?』
『別に』ロボットアバターはぶっきらぼうな口調で言った。『あれからどうなったかと、ふと思い出しただけだ。忙しいのか?』
『まあね、部長の仕事とか部長の仕事とか部長の仕事とか……』
『……』ロボットアバターはばつが悪そうに視線を逸らした。
皮肉で返してやったけど、ソンジュンの気遣いは嬉しかった。周りに関心がないように見えて、実はよく見てくれている。
『まっ、何だ』ロボットアバターは視線を横に向けたまま言った。『本当に忙しくてどうにもならなかったら、少しは俺や幸司を頼ってくれてもいいからな。俺もあいつもいつも翔には助けてもらってるから』
『わかった。ありがとう、ソンジュン』
ロボットは顎を引いた。『……こ、今度は何だよ』
『だから、お礼だって』
『止めろ恥ずかしい。……そんな事よりも翔。ここからが本題なんだが』
『ほ、本題?』
『動画配信用に新しいキャプチャーボードを買ったから、領収書を送るぞ』
そんなこんなで、僕は早速『寝室ゲーム』の改造に取りかかった。試作した料理作成アプリの機能を移植し、ダイニングルームを拡張し、そしてVRチャットアプリのAPIを利用して、普段チャットで使っているアバターを登場できるようにした。VRチャットと『寝室ゲーム』の接続には、ゲームアプリ本体だけでなく、端末間の通信を制御するためのサーバをネット上に用意する必要があり、最初は大変だと思った。しかし、ネット上には解説資料が豊富にあり、更に、VRチャット自体にゲーム開発ツールで作るゲームと簡単に連携できる機能が用意されていたおかげで、時間はかかったものの、それほど大きな壁に直面することなく開発は完了した。
そして週末、王女様がご所望なされたパーティーが開催されることと相成った。
結城さんから貰った中でも一際豪奢な薄赤色のドレスに身をつつんだリリアーヌさんは、『寝室ゲーム』中に増設したダイニングルームへ足を踏み入れた瞬間、大きな感嘆の声を上げた。
「まあ、素敵!」
ダイニングルームの壁という壁には色とりどりの花々が飾られ、左右に置かれた長テーブルには、サラダ、唐揚げ、スパゲッティ、握り寿司、フライドポテト、ローストビーフ……、そしてデザートのケーキまで、様々な料理が並んでいる。さすがのリリアーヌさんでも食べきれる量ではなく、もし本当の料理だったら、食材がもったいないとSNSで炎上必至だが、これはあくまで3Dデータ、全く良心の呵責には襲われない。
「よくこれだけのものを準備できたわね。凄いわ」
「大変ではあったけど、何とかなったよ」
驚きと喜び、そしてこれから、更に何が起こるんだろうという期待を込めた視線を送ってくるリリアーヌさんの顔を見て、僕も気分が高揚してきた。
「じゃあ今から、僕もそっちへ行くから」
一度スマホから離れ、自室のPCの操作を始める。『寝室ゲーム』とVRチャットの接続用に用意したサーバへアクセスする。そして、普段VRチャットアプリで使用している僕のアバターを『寝室ゲーム』へ送り込んだ。PCモニターに僕のアバターから見た『寝室ゲーム』の映像が表示される。成功だ。
アバターをリリアーヌさんへ近づけ、PCのマイクを使って声をかけた。
『こんにちは、リリアーヌさん』
突然現れた不思議な存在に、彼女は目を見開いて一歩後ろへ下がった。『だ、誰?』
『僕だよ、翔。正確には僕のアバターで、外から操作しているだけなんだけど』
リリアーヌさんは恐る恐ると言った感じで、アバターに近づいてきた。
『本当にカケルなの?』
『そうだよ』
アバターを頷かせる。
『確かに声はカケルだけど。いつも窓から見ている姿とは随分違うのね』
『それがアバターだからね。さっ、折角だから一緒にご飯を食べよう』
それからリリアーヌさんとアバターは、テーブルに向かい合いで座り、バラエティー豊富な料理を食べ始めた。僕のアバターはさすがに食べる真似しかできなかったが、リリアーヌさんがあまりにもおいしそうに食べているものだから、夕食を食べた後にも関わらずまたお腹が空いてきた。
「ちょっと待ってて」とリリアーヌさんに伝えて、キッチンに向かう。戸棚に置いてあるスナック菓子と、冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを持って、部屋へ戻った。そして、リリアーヌさんの食事する姿を見ながら、スナック菓子を食べ始めた。
「でもなんか、もう少し足りないなあ……」
スナック菓子の量ではなく、雰囲気が、だ。リリアーヌさんは宴会に出てくるバラエティ豊かな料理に対して、こっちは二袋百円のセールで買った安菓子だ。非対称にもほどがある。折角だからもう少しリリアーヌさんと食事をしている感覚を楽しみたい。
「ああ、そうだ」
僕は収納タンスを開けて、中から埃をかぶっていたヘッドマウントディスプレイを取り出した。昔買ったはいいが眼鏡属性を拒絶する窮屈な構造で、ずっとタンスに眠らせていたガジェットだ。
PCと繋げたヘッドマウントディスプレイを顔に装着する。視界一杯にダイニングルームの光景が広がった。花で飾られた壁、たくさんの料理が置かれたテーブル、そしてすぐ目の前にリリアーヌさんが居た。
「何きょろきょろしてるの、カケル? 探し物?」
「あっ、いや……」
想像以上のリアルさに僕はどぎまぎしてしまっていた。昔ゲームするためにヘッドマウントディスプレイを買って使った時は、画面が大きくなっただけ程度にしか感じられなかったのに、それが今は本当に、目の前に人がいるかのようだ。コンピュータの演算能力が向上した賜物か、それとも……。
「さあカケル。食事も終わったことだし、今度は踊りましょうか?」
「えっ……えっ!?」
一つ目の「えっ」は、テーブルの上の料理が全てリリアーヌさんによって平らげられていたという驚きから、二つ目の「えっ」は、リリアーヌさんがアバターの手を掴んだからだ。
所詮はただのアバター、なのにほんの一瞬だけ、誰かに僕の手を本当に掴まれたような錯覚に襲われた。
呆然とする僕の事などお構いなしに、リリアーヌさんは僕のアバターを引っ張って、テーブルが置いていないルームの中央へ移動する。
「カケルは何が踊れるの?」
「えっ? ……えっと、マイムマイムくらい?」
「何それ? まあいいわ。あたしに動きを合わせて」
それから、リリアーヌさんはアバターと一緒に、優雅な動きで踊り始めた。僕のアバターも、本人の運動性能を無視した巧みな動きでリリアーヌさんの動きについていく。しかし映像が激しく動き、酔いそうになった僕は、たまらずヘッドマウントディスプレイを外した。
ミネラルウォーターを口に含み、PCのモニタに映るリリアーヌさんの踊る様子を見つめた。
こうしてみれば、リリアーヌさんと人形が踊っているようにしか見えない。だけどさっき、ほんの一瞬、彼女の微かな動き、息遣いすら聞こえてきそうなほど、すぐ近くにリリアーヌさんが居るようだった。
心臓はまだ激しく脈打っている。
かなり長い時間リリアーヌさんは踊り続けた後、ようやく満足した様子で、椅子に座りグラスに入った水を飲み干した。
「こんなの久しぶり。あー楽しかった」
「ダンスをしたのが?」
彼女の話によると、王宮ではよくダンスパーティーが開かれていたらしい。僕のように運動が苦手な人たちにとっては、大変な日々だろう。
「それもあるけれども」リリアーヌさんは、シャンデリアからの明かりが映り込んだ瞳を遠くへ向けた。「身近に人がいて、こうやって触れることができるんだから」
リリアーヌさんは僕のアバターの腕に手を添えた。
この時、僕は理解した。どれだけリリアーヌさんのスマホの中の生活環境を整えてあげても、彼女の不安と寂しさを完全に取り除くことはできない、ということを。
そして同時に、僕は自身の腕を見て思った。
――本当に彼女と手を握れれば良いのに。
ここまでお読みいただいて、本当にありがとうございます。
内容的には残り半分弱、といったところです。