6 ショッピングモールにて2
ある地点を境に、男性客の割合が激減し、女性用服飾店エリアに到着したことを知った。
「カケル、大丈夫。少し呼吸が荒いようだけど?」
心配そうな様子で声をかけてくるリリアーヌさんに向かって、僕は力強く頷いた。
「だ、大丈夫……。この辺りのお店の良し悪しは僕もわからないから、とりあえず適当に店に入るね」
僕はちょうど目に入ってきた、照明がギラギラと輝く大きな店舗に足を踏み入れる。
心拍数が上がってきた。
店内は無地のブラウスとタイトなスカート着たマネキンが多数飾られていて、大人向けの服を扱っているお店のようだ。周りはほぼ三十代から四十代くらいの女性だった。そのうちの何人かが店に入ってきた僕を一瞥した。
その瞬間、首を絞められたかのように息がつまった。「何場違いなところに来てるんだよ、クソガキが!」なんて思われているんじゃないだろうか。今すぐ回れ右をしてここから逃げ出そうか、と本気で思ったその時、少し離れたところから男性の声が聞こえた。
「おっ、おい、まだ決まらないのか?」
見ると、赤ちゃんを抱っこした三十代中頃の男性が、彼の妻らしき女性の後ろを、金魚のフンのようについて回っていた。
「しようがないでしょ、気になるものがたくさんあるんだから」ハンガーを手に取りながら、妻は言った。
「そんなに悩まなくてもいいだろ……」
彼はやたらおどおどした様子で、しきりに周りを気にしている様子だった。どうやら彼も肩身が狭いと感じているようだ。
しかし、周りのご婦人方は夫婦のことなど全く意に介した様子も示さず、熱心に服を物色していた。
その様子を見て、僕は一つの真理を悟った。
店はいかなる人間にも門戸を開き、そして客は、別の客に関心を示さないのだ。
真理が二つあったような気もするが、どうでもいい。とにかく、肩の力が抜けた。
冷静さを取り戻した僕は、店の奥へと進み、胸ポケットに入れたスマホのカメラに映るよう、ゆっくりと店内を見渡した。
「どう、リリアーヌさん?」
「これがカケルの世界の服なのね。あたしの世界よりもずっと種類が多くて驚きだわ」
「どれが良さそう……」
「お客様、本日はどのようなものをお探しですか?」
背後から、突然声をかけられた。驚いて振り返ると、口角を大きく上げて笑顔を浮かべる女性店員が立っていた。
「えっ、えっと……」
突然の事で声が出ない。すると店員は、ふと僕の傍らへ目を向けた。
「ジャケットをお探しなんですか。誰かへのプレゼントでしょうか?」
「い、いや……、その」
ぐいぐい迫ってくる店員にまったく返事ができない。
「ああなるほど、母の日ですね。まだ一か月くらいありますけど、早めに選ばれる方がご賢明かと。直前になると売れ切れてしまう可能性もありますし」
「いや、母の日……じゃなくて」
店員が更に顔を近づけてきた。香水の強い匂いが鼻を突いた。
「じゃあもしかして、彼女さんですか。良いですね。この店はミドルエイジ向けが多いですけど、十代の若者にもピッタリなアイテムもあちらに多数取り揃えています」
「ちょ、ちょっとすみません」
僕を見えない紐で縛り付け引っ張って行こうとする店員に向かって、ようやく声を発することができた。
「どうかされました、お客様?」
「よ、用事を思い出したので、失礼します」
振り返った店員に向かって早口で言いたてると、そのまま曲がれ右をして、僕は店から飛び出した。
通路の隅に設置されている木製のベンチに腰を下ろし、僕は額を流れる冷や汗を拭った。
「ふーっ、忘れてたよ、店員の接客トークを」
商品をとっかえひっかえ持ち出して試着させ、売ろうとする店員も苦手で、服屋に来たくない理由の一つだった事を思い出した。店員の押し売りが嫌いというより、僕なんかのために貴重な時間を割いてくれることに申し訳ない、と思ってしまうのだ。
「カケル、無理してない?」
「大丈夫、さっきのは不意を突かれただけだから」
「少し休憩した方が、顔も赤いし……」
リリアーヌさんの心配は嬉しかったが、僕は首を振った。
「平気だよ。それよりさっきの店で着てみたいと思ったものはある?」
「そうねえ。カケルが前にくれたTシャツってやつよりは良さそうだけど、これは、と思ったものはないわ」
まあそうだろう、対象年齢が合わないのだから。
「もう少し店を選んだ方が良さそうだね。ショーウィンドウに飾られた服を見て、気になるものがあったら教えて。その店に入ってみよう」
「わかったわ」
再びスマホを胸ポケットに入れて、僕は立ち上がった。そしてリリアーヌさんが店のショーウィンドウを見られるよう、ゆっくりと体を左右に振りながら通路を進んでいく。
「何か、良さそうなのはある?」
「そうねえ、興味深いものはたくさんあるんだけど……。やっぱり、ドレスを売ってるお店って無いのかしら?」
やはり王女様は王女様らしい格好がご希望らしい。
「さすがにそんなお店は、あるかなあ?」
色調が明るい店、落ち着いた雰囲気の店、高級感あふれる店……、僕はリリアーヌさんと一緒にウィンドウショッピングを続ける。
「えっ?」
……リリアーヌさんと一緒に?
――これってまるで……。
今更ながら、このシチュエーションを表現する単語……『デート』が脳裏に浮かぶ。
――いやいや待て、相手はスマホの中だぞ。
しかし、一度意識してしまうと、頭の中でぐるぐるとその単語が回り続け、もうなかったことにはできない。
「カケル、ちょっと、あれ……」
リリアーヌさんの声がするが、とても画面に目を向けることができなかった。僕の体温はインフルエンザもかくやな勢いでぐんぐん上昇している。
すっかり気を取られて、すぐ目の前に人が迫っていたことに気づけなかった。
反対側から来た通行人とぶつかってしまった。
「ご、ごめんなさい」
慌てて頭を下げる。
通行人は、黒い帽子にサングラス、更に黒いシャツに黒いズボンを着た背の高い男で、両手に大きな買い物袋を掲げた、少々怪しげな雰囲気を漂わせていた。しかしそのおかげで、頭は一気に冷えた。
通行人は、何も言わず、早足で通り過ぎようとした。僕は道を開けつつ、彼を見た。ぶつかった直後は頰に刀傷がある怖いおじさんかと思ったが、帽子からはみ出した透き通るような金髪と顔立ちから、僕とそれほど年の変わらない留学生だろう……。
「えっ?」
僕は目を凝らした。その顔に見覚えがあったからだ。
「もしかして、マイケル……会長?」
男はぴたりと足を止め、僕の方へ振り返った。そしてサングラスをずらし、僕の顔をまじまじと見つめた。
その冬の青空のような瞳を見て、僕はその男をマイケルだと確信した。
大星高校からも近いショッピングモールだけあって、同じ高校の人たちもたくさん集まっている。だから、休日に生徒会長がいることも不思議ではないのだが、人目を避けるような恰好には驚いた。しかも出会った場所が女性服売り場である。
「会長、こんなところで何してるんですか?」
マイケルは咄嗟に僕の口に手を当ててくると、強引に僕を通路の隅に引っ張りこんだ。
「な、なんですか、急に」
「静かにしろ」マイケルは内緒話をするかのように、僕の耳元で囁いた。「丁度良い、俺を匿え」
「匿えって、どういうことですか?」
「説明している暇はない」マイケルは左右に素早く視線を走らせた。「まずい、来た」
「来たって、何が?」
しかし、マイケルは何も答えず、スタッフオンリーと書かれた通用口に行ってしまった。
「何なんだ、一体?」
「……横井翔」
突然左から名前を呼ばれ、僕は飛びあがった。
「こ、これは、鴻池さん……こんにちは。ど、どうしたの?」
笑顔さえ見せてくれれば芸能プロダクションからスカウト間違いなしの副会長の私服は、茜から貸してもらった雑誌に出てくるような、イケてる女子コーディネートで固められていた。
「どうしたもこうしたも、会長を見なかった?」
「えっ、会長?」
どうやらマイケルは鴻池さんから逃げようとしていたのだ。正確な理由はわからないが……、なんとなく想像はつく。
息は荒く、目は血走り、旅人を襲う山姥の如き形相で、鴻池さんは僕の肩を掴んできた。
「どこよ、会長は。知ってるんでしょ! 教えなさい」
もしここで、知らないと言ったら、肩に置かれた鴻池さんの手が首に近寄ってきそうな雰囲気だ。
さて、恋する乙女鴻池さんに真実を伝えるべきか、忌々しい生徒会長マイケルのために嘘を伝えるべきか……。
「こ、鴻池さん。会長を見かけたよ。……い、言うから、どうか落ち着いて。お願いだから」
鴻池さんの手が僕の肩にますます食い込んできた。「何処よ?」
「あっち……」
僕は人通りの多い通路、マイケルが逃げていったスタッフオンリーと書かれた通路とは反対側を指差した。
――ごめんなさい、鴻池さん。貴女に恨みはないけど、もし真実を伝えたら、僕が後々面倒なことになりかねない。
鴻池さんは僕の指差す方向を凝視すると、何も言わず走り出していった。
「はあっ……やれやれ」
僕は大きく息を吐いて、緊張で固まっていた体中の筋肉を弛緩させた。
ショッピングモールの通路は、何事もなかったかのように賑やかで大勢の人たちが行きかっている。ついさっきまで、生命の危機に晒されていたのが嘘のようだ。
「……」
僕の目の前を、風船を持った子どもたちが元気に駆けていった。
「……あれ、リリアーヌさん?」
いつもだったら、何かが一区切りつくたび話しかけてくるリリアーヌさんの声が聞こえなかったものだから、不審に思ってスマホを持ち上げた。画面に映ったリリアーヌさんは驚いて目をぱちくりさせていた。
「どうしたのカケル、突然でびっくりしたじゃない」
「リリアーヌさんこそ、ずっと黙ってて、どうしたの?」
「えっ、何かあったの?」
リリアーヌさんにとぼけている様子はない。つい先ほど起こったマイケルや鴻池さんとのやり取りにまったく気づいていないようだ。
「まあ、ちょっとした修羅場に近いことがあって……」
「ごめんなさい、全然気づかなかったわ。ちょっとあれが気になってたから、ずっと見てたの」
「あれって?」
僕はリリアーヌさんが気になると言ったモノへ目を向ける。それは店のショーウィンドウに飾られているマネキンだった。
その服装に、僕は目を丸くした。
「本当にあれが気になったの?」
「ええ、あれこそ王女たるあたしに相応しいと思うのよね」
それはフリルがたくさんついた白いレースのジャンパースカートにこれまた複雑な文様が施されたボレロ……、世に言うゴスロリ系だ。こんなものまであるのか、さすがは、クスリとヒト以外は売っている巨大ショッピングモール。
「確かに、ドレスに見えないこともないけど……」
「ちょっと、あの店に行ってみましょうよ。もっと素敵なものがあるかもしれないわよ」
「……マジで?」
「さっ、早く」
リリアーヌさんは求めていた宝物をとうとう発見した探検家のように、急き立てた。
ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー
かくして僕は、女性服売り場の中でも特にディープな雰囲気を醸し出す、ゴスロリ専門店へと足を踏み入れた。
かなり特殊な服だ、そんなに需要があるのか? と思ったら、薄暗い店内には、案外人がいて驚いた。
「あっ、これ。なかなかいいじゃない!」
リリアーヌさんが早速、声を上げる。一気にテンションが上がった感じだ。
「そっちも悪くないわ」
僕は周りに気を配りながら、ハンガーを手に取った。沢山のフリルに刺繍、それに見た目のボリュームを増すための複雑な織り目……。喜ぶリリアーヌさんには申し訳ないが、見れば見るほど、こんなの作れる気がしなくなってくる……。
それからしばらくリリアーヌさんに言われるが店内を探索していたら、ふと、店の奥にいる女子に目が留まった。店の売り物と同じ、ゴスロリファッションで身を固めていたので、最初はマネキンかと思ったが、よく見ると動いている。しかも彼女の横顔、どこかで見たことある気がした。
その時、スマホが震えた。見ると、VRチャットの申請メッセージが届いていた。
「リリアーヌさん、ちょっとごめん」
リリアーヌさんには画面からどいてもらって、チャットアプリを開く。お姫様アバターが表示された。
『もしかして、そこにいるの、先輩?』
顔を上げると、店の奥にいるゴスロリファッションの女の子は、下を向いてスマホをいじっていた。
『えっ、じゃあ僕の前にいる子って、結城さん?』
僕が返事を送ると、お姫様アバターと店の奥にいる結城さんの首がほぼ同時に、こくりと上下に動いた。どうやら、結城さんのアバターは今の彼女の格好を模したもののようだ。彼女は性格的に普段地味な服を着ていると、勝手に思い込んでいたから、意外だった。
……しかし、気まずい。人の意外な私生活を知ってしまうと、どう反応していいのか困る。「じゃあ、引き続き買い物を楽しんで」と言って別れるのが一番無難だろう、と思った次の瞬間、突然お姫様アバターが早口でまくし立ててきた。
『わたしの今日のコスチュームのポイントは、スカートの端についている、桜模様のリボン。ピンク色でもなく赤色でもなく、ちょっと変わった生地を手芸店で見つけて、作ってみた。季節的にもピッタリ。それとお花の中心にあるビーズ、とてもおもしろい形をしてて、しかも光を当てると微妙に色が変わる。こんな風に……』
結城さんはスカートの端を掴んで揺らして見せたが、僕のところからはそんな細かいものまで見えないので、全く良さが伝わってこない。
――しかし、相変わらず、結城さんは好きなことになると人が変わる子だ。
『あのう、結城さん』今度はヘッドドレスの造形について語り始めたお姫様アバターに僕はストップをかけた。『せ、説明いただくのは嬉しいんだけど……。結城さんの服って、その口ぶりからして、もしかして自分で作ったの?』
再び、頷くアバターと結城さん。『手芸店で材料揃えて、型紙作りから裁縫まで自分で。買うと高いから』
僕は近くにあったジャンパースカートの値札を見た。確かに高校生が買うには清水の舞台から三回ほど飛び降りる覚悟が必要だ。
『凄い、よく作れるね』
『コツはいるけど、先輩が思ってるほど難しくない。どういう服を作るか考える方がよっぽど大変。でも楽しい』
『じゃあ今日は、新しい服を作るために調べに来たの?』
頷く、結城さんとお姫様アバター。『でも基本的には、ゲームで出てくるキャラクターを参考に作ってる。このアバターの服も、ゲームキャラクターを参考に、型紙を作る前の検討用に作ったもの』
結城さんの言葉を聞いた瞬間、僕の脳裏に雷鳴が轟いた。
――王女様の服。すぐ目の前にあるじゃないか!
チャットをするのももどかしい、僕は店の奥にいる結城さんのもとへ小走りで近づいた。すると、彼女はさっと顔を伏せてしまった。
「結城さん、一つお願いがあるんだけど」
「な……何ですか?」声が微かに震えていた。
「僕、実は今作ってるゲームのキャラクターに、結城さんのアバターのような服を着せたいと思ってて。その参考にならないかと、今日はここへ来たんだけど……」
結城さんへあらぬ誤解を抱かせないよう、さりげなく弁解を加えつつ、僕は結城さんにお願いを伝えた。
「結城さん、キャラクター用の服を作ってくれない、もしくはもう作ったデータを貸してくれないかな?」
結城さんは驚いたように、一瞬ぽかんと口を開けたが、やがてこくりと頷いた。
「べ、別に良いですけど」
「本当に、ありがとう! 助かる」
「い、いえ。先輩のためなら……」結城さんは俯いた。「じゃあ、準備できたら部活へ持っていきます。わたしはこれで……」
「おっと、引き留めてごめん。じゃあお願いします」
結城さんは逃げるように店から出ていってしまった。
もしかして、本当は彼女にとって迷惑なお願いをしてしまっただろうか? でも、リリアーヌさんに一刻も早く服をあげるには、今は結城さんにすがるしかない。
その時、周囲からチクチクとする視線を感じた。もしかしてまた知り合いか? と思って辺りを見渡すと、店の中の客たちがじっと僕の方を見ているではないか。
「何あの人、こんなところで女の子に興奮しながら声かけて」「何考えているのかしら……」
と、ひそひそ声が漏れ聞こえてくる。
僕も慌てて店から飛び出した。