5 ショッピングモールにて1
そんなわけで翌日、やって来ました大星ショッピングモール。
5年ほど前に誕生し、たちまち地元の商店街を壊滅に追いやったこの郊外型総合モールは、食料、衣料もちろん、文房具、園芸用品や家電製品、更には保険や自動車、果てはマンションに一戸建てまでと、法律に反していないものなら何でも買えてしまう充実した品揃えで、それに加えて、巨大フードコート、ゲームセンター、ボウリング場、シネコンなどなど娯楽施設も多数併設されていて、ここだけで一日遊べる。
「こんな広くて賑やかなところがるなんて、驚きね」
チェック柄のカッターシャツの胸ポケットに入れたスマホから、リリアーヌさんの声が聞こえてきた。カメラの部分がちょうどポケットからはみ出していて、そこから彼女はショッピングモールの様子を見ることができる。
「僕も久しぶりに来たけど、相変わらずの凄い人だなあ」
現在時刻は十時過ぎ。まだ開店したばかりだというのに、既に駐車場は満車に近く、ショッピングモール内も老若男女問わずごった返していた。ネットを使えば大抵の品物が買えてしまう時代だというのに、未だどうしてこんなところに人が集まるのか、僕には不思議に思える。
今日、ここへ来た目的は二つ。
一つはリリアーヌさんのお兄さんを探すためだ。この地域一帯で一番人が集まるショッピングモールなら効率的に探せるのではないか? と考えていたが……。
「リリアーヌさん、この中にお兄さんがいたら見つけられそう?」
と、スマホに向かって問うと、
「こんなに人がいて騒々しいと、さすがにちょっと……」
と、自信の無さそうな回答が返ってきた。見通しが甘過ぎたようだ。
「でも」リリアーヌさんは付け加えた。「望み薄と言って諦めるわけにはいかないわ。できるだけ目と耳を配っておく」
ベッドでずっと寝ているように見えるが、自分のやるべきことは忘れていないようだ。そこはさすが王女様。立派だ、と僕は素直に思った。
そして二つ目の理由が、リリアーヌさんの服作りの参考になる情報を収集することだ。
ところで、今日の朝、茜には出かけると伝えただけなのに、動物的直観でも働いたのだろうか、「わたしも行きたい」と言い始めた。もし茜について来られたら面倒だったが、大会が近く部活が休めないということで、結局、名残惜しそうな様子で僕を見送っていた。
ともあれ、第一の目的が雲をつかむような状態なので、基本的に第二の目的の達成を目指す形で行動することになる。
そこで僕がまず向かったのが……、書店だ。
「ちょ、ちょっと、どうしてこんなところに来たの?」
リリアーヌさんからの指摘は無視して、僕は、ゲームや3DCG用データの作り方を解説した本が集まる棚にやってきた。ショッピングモールの書店は、コンピュータ関係の書籍が多数揃っている。
僕は服作りの情報収集に来たのだ、間違ったことはしていない。
棚から、参考になりそうな本を抜き出してページをめくリ始めた。
ネットでも調べたが、やはりそれなりの服を作ろうとすると、かなりの時間がかかるし、高い技術が求められる、ということを改めて痛感させられる。リリアーヌさんが満足する服を作るのに一年以上かかる、なんてことになりそうだ。
しかし指をくわえて待っていても解決しない。千里の道も一歩から、僕は比較的説明がわかりやすそうな本を選んで、値札を見た。
「……やっぱり、高いなあ」
基本的に技術書、専門書は値段が高い。今僕が手に取っている本も、一般高校生には厳しい価格だ。
こういう時、部費が使えたらなあ、と思う。一応ゲーム関係の本だから、購入の大義名分はつく。しかしリリアーヌさんの事は、部活とは関係のない話だし、そもそもまだ部費の申請が承認されていない。なまじ部長なんてやっていて事情を知っているものだから、結城さんのように、空気を読まず買うこともできない。
財布と相談しようと、リュックサックのチャックを開けようとした時、リリアーヌさんの緊迫した声が聞こえてきた。
「カケル、今さっきお兄様の声が聞こえた」
「えっ、本当!」
僕は急いで胸ポケットからスマホを取り出して、リリアーヌさんの姿が映る画面を見つめた。
「ええ、ほんの微かだけど。ちょっと周りを見せて」
スマホカメラを持って、右から左へ、周囲をゆっくりと見渡す。
――まさかこんなに早く見つかるなんて……、僕たちはなんて運が良いのだろう!
僕の周囲には、三大学生や社会人が人ほどいて、静かに棚を見つめていたり、本を開いていたりしていた。
しかし、リリアーヌさんは首を左右に振った。もっと遠くから声がしたのだろう。僕はその場から離れて、書店の入り口に戻った。店の対面はおもちゃ売り場で大勢の家族連れがいたが、僕と同じくらいの年齢の人物は見当たらなかった。
「もしかして、あっちかも?」
おもちゃ売り場の隣にあるお店へ向かった。
「ここは何?」
「漫画とアニメグッズを専門に販売するお店だよ」
リリアーヌさんの質問に答えながら、僕は店の中を歩き回った。白く明るい店内はかなり繁盛していて、高校生くらいの男子もたくさんいた。
「あたしは、こんなところに真面目なお兄様が居るとは思えないけど」
と、言ったリリアーヌさんは、肌色成分の多い漫画表紙の絵を見て、表情を曇らせていた。
「真面目かどうかってあまり関係ないような……。とにかく、この店、留学生も多いよ」
国際色豊かな店内をリリアーヌさんに見せる。
「やっぱりここにはいない……」
リリアーヌさんは再び首を振った。
店を出て、僕はリリアーヌさんに訊いた。
「リリアーヌさん、お兄さんの声は?」
「……駄目、もう聞こえないわ」
別の場所に移動してしまったかもしれない。ショッピングモールの通路は相変わらず人の波が激しく、追跡は困難を極めるだろう。
「折角、お兄様の声が聞こえたのに……」
「で、でも。本当にこの近くにいるってことがわかっただけでも大きな収穫だよ。ショッピングモールを歩いていれば、きっとまた声が聞こえるはずだ」
「……そうね」
リリアーヌさんは俯いたままだった。
ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー
重い空気を払しょくして気分を変えるには、何より腹を満たすのが一番だ。そこで僕はフードコートへ向かった。昼食時間には少し早いが、席はほとんど埋まっており、大盛況だった。
うどん屋で天ぷらうどんを購入し、運よく空いていた二人掛けのテーブルに座った。そして、リリアーヌさんにはいつも通りの特選猫飯を用意する。
「ありがと」
猫飯を受け取ったリリアーヌさんが食べ始めたのを見て、僕もうどんをすする。
フードコートに集まる大勢の人たちを見ながら、冷静に振り返ると、さっきのリリアーヌさんが聞いたという声、あれは本当にお兄さんの声だったのだろうか? と思えてくる。
何せリリアーヌさんはお兄さんと二年近く会っていないのだ。小さな声を少し聞いただけではっきりとお兄さんの声だと認識できるものだろうか? これだけたくさんの人でごった返しているのだ、他人の声と聞き間違えたってことも十分考えられる。
さっきはリリアーヌさんを元気づけようとあんなことを言ったが、やはり、そう簡単には見つからないだろう。もちろん、そんなこと、本人に向かって言えないが……。
「んっ? どうしたの、カケル?」
僕の視線に気づいたリリアーヌさんが、眉を微かに上げた。
「あっ、いや。……このうどん、おいしいなあって」
「それ、うどんっていうの?」
僕は箸でうどんを摘まむと、高く持ち上げて、リリアーヌさんの前に白い麺の壁を作ってみせた。
「種類は違うけど、他にもラーメンとかそばとか、こんな形をした食べ物は世界共通であるよ」
「あたしの国にもあるわ。お肉やお野菜と一緒にトマトベースのソースにからめる細長い食べ物よ」
「それに似たような食べ物が、スパゲッティっていう名前であるよ。確かこのフードコートにも……」
スパゲッティを売る店の前に掲げられた料理写真へカメラを向けた。
「そうそう、正にあんな感じ。味が濃くて、やみつきになっちゃうのよね」
「わかるわかる。……ああ、こんな話してたら、うどんじゃなくてスパゲッティにすれば良かった……」
「……久しぶりに、食べたいな」
と、リリアーヌさんの呟く声が聞こえて、僕の箸を持つ手は止まってしまった。
彼女がこちらの世界に来て間もなく一週間、その間ずっと猫飯ばかりだった、ということに、僕はようやく気づいた。
不満も言わず食べていたから全く気にしていなかったけど、いくら『特選』でもさすがに飽きるだろう。リリアーヌさんは今まで料理について何とも思わなかったのだろうか、それともずっと我慢していたのだろうか?
どちらにせよ、僕は無神経にも、彼女の前で毎回違う料理を食べていたのだ。穴があったら入りたくなるほど恥ずかしくなってきた。
リリアーヌさんに猫飯以外のご飯を食べてもらう。
服の問題がまだ解決していない状況で、また一つ問題が増えてしまった。
しかし、何よりも重要な問題かもしれない。
ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー
食事を終え、再びショッピングモールの中を歩き始めた。
沢山のバラエティ豊かな店もさることながら、通路ではショッピングモールのマスコットらしき着ぐるみが、小さな子どもたちに風船を配っていたり、ちょっとした広場ではお笑い芸人のコンビ(名前はわからなかった)がショーをやっていたりと、とても賑やかで、ただ歩いているだけでも飽きることがない。
「って、カケル? 貴方、今何処へ向かっているの?」
芸人コンビのショーが終わって、再び通路を歩き出した直後、我慢できなくなった様子でリリアーヌさんが訊いてきた。
「何処って? ショッピングモールをなんとなくぶらついてるだけだけど? 見てるだけでも面白いでしょ」
「まあ、そうだけど……って、カケル、あたしたちの目的忘れたの?」
「もちろん忘れてないよ。こうやってショッピングモールをぶらついていれば、またお兄さんの声が聞こえるかもしれないでしょ」
「それは有難いけど……、いや、もう一つあるじゃない」
「もう一つ……?」
「だから、あたしの服を作るために、参考になる情報を集めに来たんでしょ?」
「ああっ、それね。もう終わったけど」
「終わった!」
リリアーヌさんは、くじ引きの列に並んでいたら直前で特賞を引き当てられてしまったかのように、目を丸くした。
「うん、最初に書店に行ったでしょ。それで服作りに必要な本も買ったし」
僕は持っていた手提げ袋をスマホのカメラの前にちらつかせた。中には『三日でマスター、格好いい3DCGキャラクターの作り方』というタイトルの参考書が入っている。大きな出費だが、今後ゲーム作りの参考になるだろうし、なによりリリアーヌさんのためだ。喜んで投資した。
しかし、リリアーヌさんはなおも食いついてきた。
「服を作るための勉強から始めるってことは理解したわ。でもちょっと待って、肝心のどういう服を作るかの具体的なイメージは持っているの?」
「ドレスがご要望ってことだけど、それは追々考えるってことで……」
するとリリアーヌさんは、落胆したように「はあっ」と大きくため息をついた。
「目的も曖昧なまま、漫然と勉強していてもしようがないでしょ。勉強には具体的な目標が必要だって、あたしも昔よくばあやに言われたわ」
「ばあや?」
おとぎ話ぐらいでしか聞かないような単語を耳にして、思わず訊き返した。
「ドロテって言って、あたしが生まれた時からずっと面倒見てくれた人がいるの。少々口うるさいところはあるけど、あたしのことを誰よりも可愛がってくれたの。あたしをこっちの世界に逃がしてくれた人でもあるわ」
「リリアーヌさんにとって大恩人みたいな人なんだね」
「違うわ、もう家族みたいなものよ。そのばあやが時々あたしに勉強も教えてくれたんだけど、一番大切なことはどうして勉強をするのか、目的をはっきりさせることだと、言ってたわ。つまり、ただ漫然と服の作り方を勉強するんじゃなくて最終的に作る服のイメージを持っておいた方が、効率的ってことよ」
まさか、リリアーヌさんから勉強の心得を教えられるとは思いもよらなかった。
「僕の高校の生徒会長も言いそうな台詞だね。……耳が痛い」
「生徒会長? この前学校で、あたしを置いて会いに行った人のこと?」
リリアーヌさんの言い方に少しトゲがあった。まだ根に持っているのか、この子は……?
「ま、まあね……。で、結局、僕は、これからどうすれば良いの?」
するとリリアーヌさんは、聞きわけの良い生徒を前にした先生のように、得意げな表情を浮かべた。
「最終的に作る服のイメージを膨らませるために、実際の服を見に行くのが一番よ。この建物には服を売っているお店がたくさんあるらしいわね。朝、カケルと妹さんが話しているのを聞いたわ」
立派な御託を並べていたが、やはりそれが目的か……。脱力のあまり、僕はその場で足を崩しかけた。
「えっと、リリアーヌさん。それこそ本来の目的を忘れていません? お兄さんを探すっていう」
さすがに彼女のお兄さんが、女性向けの服売り場に近づくとは思えない。
「それはそれ、これはこれよ」リリアーヌさんは事も無げに言ってのけた。「やみくもに歩いててもしようがないでしょ。だったら今できることをすべきよ」
――詭弁だなあ。
しかし、さっきまで焦ってたリリアーヌさんだったのに、気持ちの切り替えの早さは素直に感心した。
僕は服の専門店が多く集まる階へ移動する。
エスカレーターを登り切った先で目に飛び込んできたのは、ペットショップだった。
店のウィンドウには、可愛らしい子犬や子猫たちがいた。その愛らしい瞳の魔力に抗える人間などいるだろうか!
気づけば僕は店の前に立っていた。
同じく店前で足を止める家族連れに交じって目尻を垂らしていたら、リリアーヌさんの声がした。
「何やってるの、カケル?」
「猫を愛でてるに決まってるでしょ」
「決まってるでしょって……。まあ確かに子犬は可愛いけど」
なんてことだ、リリアーヌさんは犬派らしい。異教徒め!
「そんな事より、今は他の目的があるでしょ」
「わかってるって……」僕はミルクをなめる子猫を見つめながら答えた。
「カケル……もしかして」リリアーヌさんは、真実を告げる名探偵のような硬い口調で言った。「服売り場に行きたくないの?」
「うっ……」
僕は言葉を詰まらせた。
王女様探偵の指摘の通り、僕は服売り場が苦手なのだ。数が多すぎて何を選んでいいのかわからないし、その中から自分に似合う服を選びだすことはかなりの無理ゲーで、そもそも似合う服などこの世に存在するのか? とすら思っている。周りから自分のセンスが試されているような感覚がして、正直怖い。男性の服売り場ですら自分が場違いなところに居るのではないかと思ってしまうのに、ましてや女の子の服売り場などに足を向けた日には、窒息死してしまうのではないだろうか。
さっき、本だけ買って目的は果たしたと言い、今、ペットショップの前で現実逃避を図っている理由がこれだ。笑いたければ笑うがいい。しかし僕にとっては死活問題である。
そんなことを断崖絶壁に追い詰められた犯人よろしく白状すると、リリアーヌさんの呆れたような声が返ってきた。
「何それ? じゃあ、カケルは普段どうやって服を手に入れてるのよ?」
「母親が、服飾関係の仕事もしているから、時々余りものを貰ってくるんだ。本当に大助かりだよ、お金もかからないし服屋に行く必要もないし」
「本当に服屋が嫌いなのね……」リリアーヌさんの声のトーンが下がった。「だったらしかたないわ、服の調査は諦めましょう。貴方に無理強いさせるようなことを言って、ごめんなさい」
「それは助か……」
と、言いかけたところで、スマホの画面に映るリリアーヌさんの悲しそうな顔が目に入ってきた。
――いいのか、これで?
リリアーヌさんのためにできることをすると言っておきながら、服屋が少し苦手なんて理由で、彼女を悲しませることが、本当に正しいことなのか? いくら何でも情けなさ過ぎやしないか。
「いや、待った。リリアーヌさん」僕は決意を込めて彼女に向かって言った。「君を服屋に連れて行ってあげるよ」
「えっ、でもさっき……」
「あれは忘れてくれ。僕はリリアーヌさんのためにできることをするって決めたんだ。僕の限界がこの程度だなんて君に思われるのは我慢できない。それに、こんなところで諦めたら、きっと将来僕は後悔する。だから行こう、服屋へ」
「別にあたしはカケルの限界なんてまったく考えてないけど……、でも、カケルが良いっていうのなら、嬉しいわ」
リリアーヌさんはショーケースの中に居る子犬のような瞳で僕を見返した。
「よしっ、じゃあ行こうか」
とうとう僕はペットショップから離れ、未開の地、女性服売り場へと足を向ける……。
傍から見れば、たかが服の店へ行くだけなのに、どれだけ葛藤しているんだ? と思われるだろうが、小さな勇気と決断の積み重ねが己の人生の行く末を決めるのだ、と自分に言い聞かせ、魔王の城へ赴く勇者のように、ショッピングモールの通路を進んだ。