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4 王女様の要望

「で、できた……」

 両手を上に挙げて背伸びをしながら、窓を見ると、レースのカーテンを通して柔らかい光が差し込んでいた。

 結局、徹夜になってしまった。

 欠伸をしながら、パソコンにスマホを接続し、作ったばかりのスマホアプリをインストールする。最後にもう一度、動作確認をして問題ないことを確かめてから、僕は『動物集めゲーム』に切り替える。畳の上でリリアーヌさんは猫のように丸くなって、小さな寝息を立てていた。出会ったばかりだというのに、何故だろう、すっかり見慣れた光景になっていた。


 僕はリリアーヌさんを起こした。「リリアーヌさん、ちょっと起きて」

 リリアーヌさんは目を擦りながら体を起こした。とても不機嫌そうだ。しかし、徹夜して完成させたこのアプリを彼女に一刻も早く見てもらいたかった。

「……なによ、こんな朝っぱらに」

「試しに作ったアプリがあるんだけど、ちょっと使ってみてよ?」

「アプリ……?」

「うん、だから一旦そこから出てくれる?」

「しようがないわね」

 リリアーヌさんはゆっくりと立ち上がると、まだ半分眠っているのだろう、おぼつかない足取りで歩き、画面の端に消えた。

 待ち受け画面に戻すと、リリアーヌさんは僕に背を向けて、アプリアイコンを見上げていた。

「しかし、改めて見ると、たくさん扉があるわね。これ全部アプリってやつなの?」

「まあね、アプリストアからダウンロードしたものもあれば、自分で作ったものもあるよ。いつもリリアーヌさんがいる、『動物集めゲーム』も僕が作ったんだ」

「へえ、カケルって大工さんだったのね?」

 その例えは間違っているようで、正しいとも言える。何故なら、アプリ開発は建築に例えられることもあるし、それに今回作ったアプリはほぼ家みたいなものだからだ。


「リリアーヌさんに見てもらいたいのはこのアプリだよ」

 僕は作ったばかりのアプリアイコンをタップして起動させ、画面を切り替えた。

「……何これ」

 リリアーヌさんの双眸が大きく開かれる。

 そこは、中央に天蓋付きの巨大なベッドが置かれた部屋だった。しかも僕のミミズが這いずったような拙い絵ではない、写真と見間違えんばかりのとてもリアルな映像だ。

 ベッド以外にも、アンティークショップで売られていそうな豪華な装飾が施されたタンスや、テーブルなども置かれて、床は紫色の分厚い絨毯が敷かれている。一流ホテルのスイートルームに匹敵するベッドルームだろう、……僕は宿泊したことはもちろん、実物を見たこともないが。

「凄い……、どうしたのこれ?」

「僕が作ったんだよ」

「信じられない。こんな立派な部屋をたった一日で!」

 リリアーヌさんは興奮した口調で言った。眠気も吹っ飛んだようだ。

「カケル、貴方は天才よ。稀代の名工として、歴史に名が残るわ」

「よ、よしてよ……」

 さすがにここまでべた褒めされると、罪悪感すら芽生えてくる。


 種明かしをすれば、このベッドルームは、結城さんから借りたアートブック(厳密に言えば、この表現には語弊がある。部費で買ったのだから結城さんの所有物ではないのだ)の付録DVDにあった、国王の寝室の3Dモデルデータを流用したに過ぎない。僕がいつも使っているゲーム制作ツールにデータを取り込み、スマホゲームアプリとして完成させたのだ。真に褒められるべきは、僕ではなく、元となる3Dモデルデータを作った人たちや、簡単にアプリへ仕立て上げられるゲーム制作ツールを作った人たちだろう。

 今回、僕が作成したアプリは名付けて『寝室ゲーム』。……若干アダルティーな雰囲気が漂ってきそうだが、中身はいたって健全である。その内容は、キャラクターが室内を移動してベッドで寝るだけ、というものだ。正直言ってゲームになっていない。もしソンジュンにこれを見せたら、ゲームを愚弄しているのか、と徹底的に批判されるに違いない。でも、リリアーヌさんを肩こりと腰痛から守る、という目的を果たすためなら、これで充分だ。


「リリアーヌさん、折角だから、そのベッド使ってみてよ」

「いいの!」

「もちろん、そのために作ったんだから」

「じゃあ、遠慮なく」

 リリアーヌさんは部屋の中央にある巨大なベッドに腰掛け、マットレスの固さを確かめるように、体を上下に揺すった。

「あたしがずっと使ってたベッドよりもずっと柔らかくて、体が優しく包み込まれる感じがして、とても気持ちいいわ」

 王女様はお気に召して下さったようだ。ベッドの柔らかさの調整は一番苦労したところだ。それが報われて、僕も満足だ。

 リリアーヌさんはぱたりと体を横に倒した。「ふかふか、幸せ……」

「気に入ってくれてよかった。じゃあ、そろそろ朝ごはんにしようか」

 しかし、リリアーヌさんは動かなかった。いつもならごはんと聞けば、すぐに『動物集めゲーム』の餌置き場へ向かうのに。聞こえていないのだろうか?

「……リリアーヌさん?」

 しかし、反応はない。

 代わりに、「スース―」と寝息が聞こえてきた。


ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー


「……おはよう、眠り姫」

 ようやく、むくりと起き上がったリリアーヌさんへあいさつ代わりに言ってやると、彼女は眉をひそめた。

「またそれ? あたし、カケルが思ってるほど寝てないから」

「いや……さすがにそう言いたくもなるよ。何せもう夕方だから」

 リリアーヌさんは飛び上がった。「嘘でしょ!」

 僕は彼女へ事実を伝えようと、暮色に染まる空へカメラを向けた。

「もう部活も終わって、家に帰るところだよ」

 リリアーヌさんは、呆けたように口をぽかんと開けていた。

「そのベッド、よっぽど心地よかったみたいだね」

「ええ。いくらでも寝ていられそう……」と言っている途中で、リリアーヌさんは突然ベッドから立ち上がった。「危ない危ない、座ってるだけで、また眠気が襲ってきたわ」

 僕は、人を駄目にするとんでもないベッドを生み出してしまったのかもしれない。

「でも、本当に凄いわ。カケル。あたし、貴方のことを見直したわ」

 それまでは僕の事をどう見ていたの? という疑問が浮かんだが、それは触れずにおいた。


 ともあれ、褒められて悪い気はしない、作った甲斐があるというものだ。スマホの中という、不思議な空間から出られないリリアーヌさんは不安も多いだろうが、少しでも彼女が快適に過ごせるようにできれば、と思う。

「他に足りないものがあったら言ってよ。できる限りで準備してみせるから」

「いいの!」

 リリアーヌさんは間髪入れず答えた。

 彼女の瞳が、親からおもちゃを買ってあげると言われた時の子どものように、キラキラと輝いている。それを見た瞬間、僕の心臓は跳ね上がった。リリアーヌさんの笑顔がとても可愛かったから……という理由も少しはあるが、それ以上に、得体の知れない不安に襲われたのだ。

 僕は今、とんでもない失言をしてしまったのではないか?

 しかし今更、前言撤回などできない。

「も、もちろん」僕は強く頷いて見せた。「……僕にできることなら」

「えっとまずね……」リリアーヌさんは早速要望を口にした。「姿見が欲しいわ。今、あたしの顔がどうなってるのか、さっぱりわからなくて。本当は今こうしてカケルと顔を合わせてる間も、不安でしようがないの。顔が汚れてたらどうしようかって」

「だ、大丈夫だよ、綺麗だから」

 しかし、リリアーヌさんはわかってないな、と言いたげに首を振った。

「その台詞は、あたし自身が納得できる身だしなみを見た上で言ってもらわないと、お世辞にしか聞こえないわ」

 お世辞なんかではなく本心なんだけどな、と言ってもリリアーヌさんには通じないのだろう。異性の気持ちはよくわからない。

「あと」リリアーヌさんは次の要望を挙げた。「鏡があれば、洗面所も必要ね。それに忘れちゃいけないのがお風呂。そういえばしばらく入っていないわ。それから……」

「えっ、まだあるの?」

 戸惑う僕に向かって、リリアーヌさんは更に畳みかけてくる。

「さすがにずっと寝てるっいうのもまずいわね。少しは運動しないと太っちゃうわ。だからアスレチック設備も用意して」

「リ、リリアーヌさん……」

「いっけない!」突然、彼女が大声を出した。「一番大切なことを思い出した」

「今度は何?」

 冷や汗が頬をつたっていく。

「服よ、服!」リリアーヌさんは、こっちの世界に来た時からずっと着ている赤いドレスの袖をつまんだ。「いつまでもこれを着ているわけにはいかないわ。そうねえ、散歩用でしょ、昼食用でしょ。晩餐用でしょ、それに就寝用でしょ……、取り敢えず十着ぐらい必要ね」

「え、えっと……」

 人の欲望に際限はない、というのは異世界共通の真理のようだ。

 しかし、できることならリリアーヌさんの希望を叶えてあげたい、と思う。

 ベッドを前にして驚き、そして満面の笑みを浮かべるリリアーヌさんの姿を思い出す。彼女にまた喜んでほしいし……、僕もあの時の顔をまた見たい。かぐや姫から無理難題を申し付けられた時の高貴なる方々の心情も今なら理解できそうだ。


 早速、頭の中で実現方法を模索する。洗面台やお風呂なら、例の3Dモデルデータ集を探せば見つかるかもしれない。問題は服の方だ。DVDの中に服のデータはなかった。となると、一から自分で服データを作る必要がある。

 すると、浮かび上がる一つの疑問は……、


 ――女の子の服ってどんな感じなんだ?


 自分の私服でさえいつも適当に選んでいるのだ、異性の服装なんて気にしたことすらなかった。

 散々学校で見慣れているはずの女生徒の制服ですら、いざ思い出そうとすると、襟の形だとか、スカートのひだの大きさだとか、そもそも裏生地はどうなってるだとか、あやふやな部分だらけだ。

 しかし、悩むばかりでは話が進まない。必要な情報を整理、収集していく必要がある。

 服を作るうえで最も重要な情報はもちろん寸法、つまり着る人の体形だ。

 女子の体形と言えば……。

「リリアーヌさん、じゃあまず、貴女の身長とそれからスリーサイズを……」

 突然画面が真っ暗になった。一瞬、スマホが故障したのか? と思ったが、すぐに『寝室ゲーム』の画面に戻った。画面中央ではリリアーヌさんが顔を真っ赤にして、右手を前に突き出していた。床にさっきまでベッドにあったはずの枕が落ちている。どうやらリリアーヌさんは、僕が見えている窓に向かって、枕を投げつけたようだ。

「なっ、なんてこと聞くのよ! 信じられない。失礼にも程があるわ」

 彼女が激怒するのも無理ないだろう、僕の目分量によれば、彼女は平均を大きく下回っているのだから。しかし、まだ彼女は成長段階、悲観するには早すぎる。

「な、なにさっきからじろじろ見てるの!」

 リリアーヌさんが目を吊り上げて再び叫んでいた。

 おっといけない、男子としての本性が……。

「ごめん、さっきの話は忘れて。服はなんとか用意してみるよ」

 よくよく考えてみれば、服と言っても生地を切って作るわけではなく、あくまでデータの話。寸法は後からいくらでも調整ができる。サイズを直接聞き出さずとも、彼女に試着をしてもらいながら修正すればいい。

「……本当でしょうね」

 リリアーヌさんは頬を膨らませ、胡乱な視線を向けてくる。

「も……もちろん、僕を信じて」

 僕はリリアーヌさんの信頼を取り戻すため、是が非でも彼女が喜ぶ服を用意する必要があるようだ。


ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー


 リリアーヌさんと話している間に、家に辿り着いた。

 玄関を開けると、ちょうど茜が二階から降りてくるところだった。

「おかえり。今日は早かったね」

 軽快な足取りで階段を降りる茜は、黒い無地のタンクトップにデニムのショートパンツという、今日も季節を度外視した格好だ。

 階段を降りきったところで、茜が足を止めた。

「お兄ちゃん。どうしたのじろじろこっちを見て? わたし、何か変?」

 彼女の服装を見ていたことが、不審に思われたようだ。

「あっ、いや……。茜って、どうしてそんな格好してるんだ?」

「はあっ?」茜の眉が寄った。「何今更言ってるの? いつもと大して変わらないでしょ」

「いや、よくよく見てみると、女の子にしちゃ随分シンプルだなって。それに露出が高いなあって、と思って」

「家の中で、気張った服なんて着ててもしようがないでしょ。楽な格好が一番。……ってお兄ちゃん、わたしのこと見て、まさか良からぬことを事を考えているんじゃないでしょうね」

「良からぬこと……?」意味がわからず、僕は首を傾げる。

「わたしを見て、……発情したとか」

「はっ……」

「やめてよ、気持ち悪い」茜は僕から数歩遠ざかり、怯えたように腕を交差させ肘を擦った。「妹を性欲の対象として見るなんて、漫画だけにしてよね」

「ま、待て、勝手に想像を膨らませるな。茜のことは家族として大切に思ってはいるけど、間違ってもそんなことは考えていない」

「本当に?」

「もちろん。この身の潔白を示すために、なんなら僕のPCの画像フォルダの中身を見せてやってもいい」

 僕へ向ける茜の眼差しが恐怖から軽蔑に変わったが、あらぬ疑いは晴れたようなので、これで良しとしよう。

 茜は両腕を下へ垂らして、言った。「じゃあ、どうしてわたしを熱心に見てたの?」

「それは、その、なんだ。少々女の子の服装を調査していて」

 その瞬間、茜の眼差しは軽蔑から驚愕へ変わり、それから、どんぐりを見つけた冬眠前の栗鼠のように、僕のところへ駆け寄ってきた。

「自分の服ですらまっとうに買えないお兄ちゃんが……、なになに、それどういうこと? もしかして、彼女さん? 彼女さんにプレゼントするの?」

「ま、まあ……。当たらずも遠からず、と言うか……」

 正確には、スマホの中の居候に提供するためなのだが。

 一方、茜は両手を挙げて、我が事のようにはしゃぎだした。

「凄い。『この』お兄ちゃんをそこまで本気にさせた人を、わたしも早く会ってみたいよ」

「『この』とはどういう意味だ、『この』とは……」

「お兄ちゃんって、あんまり熱くならないタイプだと思ってたから」

 ……さすが家族、よく見ている。

「そういうところがないとは言えないが……、僕だって熱中することはあるぞ。ゲーム作りとか……」

「そんな事よりも」茜は僕のささやかな反論を無視して、張り切った声で言った。「今は、お兄ちゃんの悲願成就に向けて、妹としては全力でサポートしないと。こうしちゃいられない」

「おい、ちょっと待て、茜。何か大きな勘違いをしていないか? 落ち着け」

 しかし、僕の話など茜の耳には全く入っていないようで、茜は猛然と階段を駆け上がっていってしまった。

「面倒なことになりそうだな……」


 この予感はすぐに的中した。夕食を終えて、自室に戻ると、待ってましたと言わんばかりに、すぐさまノックの音が聞こえた。返事をする前に、ずかずかと茜が押し入ってきた。

「おいおい、それじゃあ、ノックの意味がないだろ」

「そんな些細なことよりこれ、是非お兄ちゃんの研究に役立てて」

 もし反対に僕が返事を待たずに部屋に入ったら全力で怒るに違いない茜はそう言うと、持っていた数冊の雑誌を僕に押し付けてきた。中学、高校生くらいの女子を対象にしたファッション雑誌だった。表紙は眩い笑顔を浮かべる随分大人びた女子の写真が大きく載り、更にラメ塗料で本当にキラキラと輝いていて、もちろん普段こんな雑誌を読まない僕にとっては、禁呪が記された魔術書のように感じられた。

「茜も、こんな雑誌読んでいたのか?」

「わたしだって女の子だよ。まっ、半分は雑誌に付いてくる付録が目当てだけど」

 言われてみれば、茜は、家では味気ないタンクトップだが、外出するときは表紙の女の子のようにスタイリッシュな服装だったような気がする……うろ覚えだけど。

「じゃ、彼女さんに似合いそうな服を選ぶ参考にしてよ」

 と言い残して、茜は部屋を出ていってしまった。


 余計なお世話だなと思ったものの、せっかく妹が貸してくれたのだ、僕はPC机の前に座り、雑誌をペラペラとめくり始めた。女子中高生たちのキャッキャウフフな様子をとらえた写真や、とても僕と同じホモ・サピエンスとは思えない、スタイル抜群、顔も申し分無しの男女の写真が、紙面を埋め尽くしていた。そこに広がる輝かしい勝者の世界を前にして、僕は、夜の街を照らすネオンの光を見た時のように目が眩み、神聖なる領域に踏み込んだ悪魔がその身を焼かれるが如く身悶えた。

 ……とても直視できない、あまりに住む世界が違う、……これが本当の異世界だ。

 結局、三分も経たず、僕はそっと雑誌を閉じた。

 心が荒み乱れた時は、猫画像を見て癒されるに限る。僕はSNSで猫画像を検索し、そこに流れるタイムラインを眺め、しばし、心の平穏に勤めた。

 愛らしい猫こそ我が心の支え、尊き存在、絶対神である。


「ちょっと、カケル……」

 スマホから、リリアーヌさんの声がした。僕の大切な礼拝の時間を妨げるとは、王女様といえども許されることではない……が、完全に無視するわけにもいかない。僕は猫写真とその投稿者のアイコンに向かって「ありがとうございます」と言いながら手を合わせた後、スマホの画面へ視線を向けた。

「何?」

「どうしたのカケル、随分不機嫌そうな顔だけど?」

「至福の時間を、誰かさんに邪魔されたんだよ」

「まあ、なんてこと。こっちの世界にも悪い人が居るものね」

 皮肉で返してきたのか、それとも自分の事だとはつゆとも思っていないのか。……後者のような気がする。これが王女様特性ってやつだろうか?

「ところで、今度は何の用?」

「そろそろお腹が空いたんだけど」

 自身の夕食は済ませたが、リリアーヌさんはまだだったことを思い出した。「すぐ準備するよ」と言って、リリアーヌさんに『寝室ゲーム』から、『動物集めゲーム』に移動してもらう。そして毎度おなじみとなった特選猫飯を餌場に置いた。

 猫飯をパクつきながら、リリアーヌさんが尋ねてきた。

「で、部屋の改造と、服の用意は順調?」

「今さっき頼まれたばかりだよ。すぐには無理だよ」

「そう、残念」

 リリアーヌさんははっきりと落胆したような表情を浮かべたので、僕は慌てて付け加えた。

「あくまで善意……ボランティアでやってるだけだから、お望みの物ができるかどうか保証はできないけど、先ずは服の方を何とかできないか考えているところだよ」

「本当!」リリアーヌさんが期待を込めた眼差しを僕に向けてきた。「さすが、あたしの従者……ゴホッゴホッ、友だちだけのことはあるわ、期待してる」

「その言い間違え、何度目? もしかして、わざとやってる?」

 意図的であろうとなかろうと、たちが悪いことには変わりがない。

「……まあ、いいけど。できる限り頑張ってみるよ」


 しかし、翌日の夜、僕の頑張りは、一瞬でリリアーヌさんに拒絶されてしまった。

「何! これをあたしに着ろと? 信じられない!」

 憤怒の表情を浮かべてリリアーヌさんが手にしている服は、白地に「パンがなければケーキを食べればいいじゃない」と書かれたTシャツに、紺のショートパンツだ。


 昨日はあれから、乱れる心拍数を必死に堪えながら、茜が貸してくれた雑誌に再チャレンジした。しかし途中で僕は一つの事実に気づいた。それは、幾ら気に入った服を見つけたとしても、生身の人間にプレゼントする場合なら、お金の問題さえクリアできれば、あとは店で買うなりネットで注文すれば良いのに対して、リリアーヌさんに渡すためには、服を3Dデータ化しなければならないのだ。今の僕の技術では、複雑な服を作ることは不可能だと言ってもいい。つまり、いくら雑誌を眺めていてもしようがないのだ。

 結局僕は雑誌を閉じて、ネット上で公開されている3DCG用アバターの服の作り方を紹介するサイトなどを参考に、今の僕の技量で手が届く服を作ったのだった。それがこのTシャツとショートパンツだ。


「見てくれは……悪いかもしれないけど、その分、着た時は楽だと思うよ」

 と、弁解してみたものの、リリアーヌさんは首を振るばかりだ。

「こんな、肌が露出する服を着て人前に立つなんて、できるわけないでしょ」

 リリアーヌさんの国では、年中涼しい環境という理由もあるが、女性は可能な限り服やドレスで肌を隠すというのが習わしらしい。しかし、郷に入らば郷に従ってもらいたいところだ。

「僕の妹の姿を前に見たでしょ。そういう服を女の子が着るのは僕の世界ではいたって普通なんだよ」

 しかし、リリアーヌさんは再びイヤイヤと首を振った。

「じゃあ、腕と足の部分をもっと延ばせば、それでいい?」

 しかし、リリアーヌさんは再三首を振った。

「今はこんな身でも、あたしは王女よ。それにふさわしい格好をする義務があるわ」

「義務って……大げさな」

 リリアーヌさんは大真面目な表情で言い返してきた。

「そんなことないわよ。幾ら国民に慕われる王家を目指しますって言っても、それらしい格好をしないと、国の威信が保てないわ。他の国からも見下されるし」

 ――ああっ、面倒くさいな!

「じゃあ、どういう服がご希望なの?」

 半ば、投げやり気味に聞くと、リリアーヌさんは、よくぞ聞いてくれましたと言わんばかりに、自身が今着ているドレスを指差した。

「あたしが今着ているドレス、とってもお気に入りなのよね。新しい服もこんな感じなものが良いわ」

 僕はじっと、リリアーヌさんの赤いドレスを見つめた。腕やスカート部分にたくさんのヒダ状のものがたくさんついていて、胴体の部分もロココ調のような複雑な刺繍が立体的に施されている。とてもじゃないが僕の3Dデータ制作技術では再現不可能だ。

「無茶言わないでよ。お願いだから今はそれで我慢してくれないかな。今の状況で、君の事見てるのは僕だけなんだから、格好なんて気にしなくても良いじゃない」

「気にするなって、言われても……」

 リリアーヌさんは手に持つ服と僕の顔を交互に見つめた。

 僕の見間違いだろうか、一瞬、彼女の顔が少し赤くなったような気がする。

 ともあれ、駄々をこねられても、今はこの服で精一杯だ。だから僕は子どもを諭すような口調でリリアーヌさんに言った。

「だからと言って、同じ服をずっと着続けている方が、王女様としてどうか? って、僕は思うよ。辛いだろうけどもう少し我慢してくれないかな」

「……わかったわ。そこまで言うのなら」

 とうとう、リリアーヌさんが折れてくれて、僕はほっと息を吐いた。

「ありがとう。今度はもう少しまともな服が作れるように、僕も頑張るから。……その代わりと言っちゃあなんだけど、明日は土曜で高校も休みだからさ。外に出かけようと思うんだ」

「外? 学校以外に行くって事?」

「そう、リリアーヌさんもどうせならこっちの世界を色々見てみたいかなって思って。それに、リリアーヌさんのお兄さんの手がかりが見つかるかもしれない」

 今のところ、お兄さんの手がかりはゼロに等しい。この一週間、高校に通う何人かの留学生を、陰からリリアーヌさんに見てもらったが、該当者はいなかった。高校以外にも手を広げたほうが良いかもしれない、と考えていたところだ。

「本当に? そうしてくれると助かるわ」

「それでついでに、リリアーヌさんの服作りの参考になりそうなものも探してみようよ」

 と付け加えると、リリアーヌさんの表情が和らいだ。

「ありがとう、カケル。嬉しい!」

 多少は機嫌がよくなってくれたようだ。

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