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2 スマホと王女様

 何言ってるんだかわからねえだろうけど、今起こったことをありのまま話すぜ、と、最初に断りを入れたくなるような展開が待っていた。


 スマホカメラのフラッシュが消えると、さっきまで石階段の上にいた女の子の姿も消えていたのだ。


 ――やっぱりあれは幽霊だったのだろうか?


 背筋に悪寒を感じつつも、スマホ画面を見た。写真のプレビュー画面には、鳥居の笠木、桜の花びら、それに幽霊の女の子がはっきりと映っていた。

 幽霊は目に見えなくともカメラには映る、という話はよく聞くので、驚くには値しない。でも、怖くはあるので、すぐにカメラアプリを閉じた。

 待ち受け画面に切り替わる。黒の背景にたくさんのアプリアイコン、そして、画面の約半分を占める幽霊の女の子の姿……。


 僕は思わず目を凝らした。


 先ほどの写真から抜け出したかのように、待ち受け画面に彼女が存在し続けている。それどころか、幽霊の女の子はきょろきょろと首を左右に動かし始めたではないか。


「なっ、何じゃこりゃーー!!」


 僕は落としかけたスマホを両手でしっかりと掴み、まじまじと女の子の顔を凝視した。


 ――えっ、えっ、えっ? 現代の幽霊って、スマホの中でも動けるの?


 一方、辺りを見渡すように首を動かしていた女の子も、僕の方へ視線を向けると、ぴたりと動きを止めた。そして、不思議なものを見るような表情で、顔をこちらへ近づけてきた。先ほどは遠くてわからなかったけど、濃青の瞳が綺麗だった。

「こ、ここは何処なの?」

 スマホのスピーカーから、聞いたことのない女の子の声がした。

「き、君は誰なの?」

 問い返すと、女の子は更に顔を近づけてきた。最早待ち受け画面は彼女の顔に占領されている。

「そういう貴方は誰? 王族たるあたしから先に名乗らせようなんて、無礼極まりない人ね」

 スピーカーからの声に合わせて、女の子の口が動く。喋っているのは間違いなく、画面の中の彼女だ。

 そして、僕から彼女の姿が見え声が聞けるのと同様、彼女からも僕の姿が見え、声も聞こえるらしい。

 僕の頭の中は、ゲームのベンチマークテストに出てくる大量のパーティクルの如く、?マークで溢れかえっている。しかし、今は取り敢えず素直に答えたほうが良いだろう。

「ええっと。僕の名前は、横井翔。翔がファーストネームで、横井がファミリーネームね」

「ヨコイ……カケル……、聞き慣れない名前ね。まあいいわ、カケル。あたしの名前はモンドール王国の王女、リリアーヌよ」

 いきなり名前で呼び捨てとは、随分と馴れ馴れしい子だ。しかし、こちらは、家族以外で異性を呼び捨てにできるような勇気はない。

「えっと、リ、リリアーヌさん……って呼んでいいのかな?」

「構わないわ」

「その……リリアーヌさん。モンドール王国って何? 聞いたことがない国名だけど」

「そりゃそうでしょうね。だってあたしはこことは違う異世界から来たんですもの」


「………………はい?」


 既に意味不明な状況だが、更に追い打ちをかけるような超展開に、頭の回転が追いつかない。


「驚くことじゃないわ、世界は一つじゃない。無数の平行世界があって、あたしの世界も貴方の世界もその中の一つでしかない、って、昔お父様が教えてくれたわ。難しい話はあたしにもわからないけど、平行世界同士、特殊な方法を使えば行き来することだってできるわけ」

 リリアーヌさんは事も無げに言ってのけた。

「で、さっきまであたしは綺麗なお花が咲いた木々に囲まれたところに立ってたはずなんだけど、気づいたら真っ暗なところに居るのよね。カケルのことも顔しか見えないんだけど。ここは何処なの?」


 答えを知っている人がいるなら、僕だって教えてほしい。しかしこんなこと、ネットで調べても見つからないだろう。

 だから代わりに、これまでの短い彼女とのやり取りから、思い浮かんだ一つの推測を口にした。


「多分……、僕のスマホの中だと思う」



 僕はスマホの事、そして神社でリリアーヌさんを目にした時に起こった事をかいつまんで話した。


 それが終わると、頬に手を当てて考え込むように聞いていた彼女は言葉を選ぶように、ゆっくりと言った。

「……なるほど、それであたしは、カメラアプリとやらのせいで、スマホの中に閉じ込められてしまったってわけね」

「うん、多分。理由はさっぱりわからないけど」

 カメラに撮られると魂も取られるなんて迷信はあるが……。スマホに映る彼女の姿を目にしていても、まだ現実とは思えなかった。

 しかし、リリアーヌさんは僕の推理に対して特段衝撃を受けた様子を見せなかった。むしろ、

「異世界なら、あたしが理解できないようなことも起こりうるでしょ」

 と、素直に現状を受け入れているようだった。感服するほどの柔軟性と楽観的な思考だ。

「それで、カケル」リリアーヌさんは続けて言った。「あたしはこの世界でとうしてもやらなければならない事があるから、早くここから出してほしいんだけど」

「えっと、それは……」

 そんな事、もちろん僕にもわからない、と答える。これにはリリアーヌさんも落胆の表情を見せた。

「それは困ったわ。どうしたらいいのかしら……」

「ご、ごめん……」

 本当に僕が悪いのか? と思わないでもないが、現実として彼女が僕のスマホに閉じ込められてしまっているので、責任は感じてしまう。


 その時、石階段の上、神社の方から砂利を踏む音が聞こえてきた。神社の関係者だろうか? とにかく、こんな暗い所でスマホに向かって喋っていたら、怪しい人に思われてしまう。それに、これ以上帰宅が遅れると、流石に茜も心配するだろう。

「場所を変えよう」

 と言って、僕は階段を駆け下りた。


ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー


 猫の額ほどの庭を有する、木造二階建ての我が家に向かって、スマホを掲げる。

 新築でも重要文化財でもない、十七年生まれ育ってきた見慣れた家に向かって、何をしているのかというと、リリアーヌさんに外の世界を見せてあげているのだ。


 リリアーヌさんの話から推測するに、どうやら彼女はスマホカメラに映る外の光景を見ることができるらしい。どういう理由で彼女こっちに来たのかまだ知らないが、折角の異世界、僕の顔だけ見続けるのもつまらないだろう、と思ったのだ。


 人生観を一変しうる異常事態なのに、リリアーヌさん同様、僕も現状を受け入れ始めていた。


 玄関の扉を開け、中に入る。玄関の靴箱、フローリングの床、二階へ続く階段、リビングの扉……、順にスマホの背面カメラを向けていく。

「これがカケルの家? 思ったよりは狭いのね、馬小屋みたい」

 靴を脱ごうとしていた僕は、危うく上がり框におでこをぶつけそうになった。

「悪かったね馬小屋で……。今の日本じゃかなり良い部類に入ると思うんだけど……。えっと、モンドール王国の王女様だっけ? さぞかし立派なお城に住んでたんだろうね」

「ええ、生まれて十五年、ずっとあのお城に住んでるけど、まだ全部の部屋を回りきれていないわ」

「……そりゃ凄い」

「壁だってこんな安っぽい木の板じゃなくて、頑丈な石に漆喰が何重にも塗られてて。庭だって、一周するのに何時間もかかるほど広くて、いろんな草花や動物たちもたくさんいて……」


 饒舌だったリリアーヌさんの声が急に止まってしまった。どうしたのだろうと思って、スマホ画面をのぞき込もうとした時、リビングの扉が勢いよく開き、我が妹、茜が姿を現した。

「お兄ちゃん、帰ってきたの? 女の人の声も聞こえたけど、お客さん?」

「いや、違う。電話で話していただけだ。部活の関係者と」

 僕は妹の前でスマホを二三度振って見せ、素早くズボンのポケットにしまった。

 茜は唇をカラスの嘴のように尖らせた。

「なーんだ、お兄ちゃんがとうとう女の人をお持ち帰りしたのかって、期待したのに」

「そ、そんなわけないだろ」首筋に汗が一筋伝っていくのを感じた。「お前は、この僕に何を期待しているんだ?」

「期待というか、高校三年生にもなって色恋話がまったくないお兄ちゃんを、わたしは家族として心配してるだけだよ。あっ、そんな事より友だちにメッセージ送らなきゃ。わたし先にご飯食べたから、片付けよろしくね」

 と言い残し、茜は軽い足取りで階段を駆け上がっていった。


 二階の茜の部屋の扉が閉まる音を聞いて、僕は「はあっ」と息を吐いた。

 スマホに女の子を一人閉じ込めて連れ帰ってきました、なんて、たとえ家族であっても言えるわけがない。

 今更ながら、これからどうすれば良いんだ? と不安になってきた。


 しかし、どんなに不安に苛まれても、高校三年生の男子である以上、腹は減る。

 制服から着替えるのも面倒で、僕は鞄を持ったままリビングの奥にあるダイニングテーブルへ向かった。

 今日の料理当番の茜が作った夕食は、彼女お得意の麻婆豆腐だった。胃をくすぐるような豆板醤の匂いが漂ってくる。

 早速茶碗に白米をよそって、いただきますと手を合わせた時、ポケットに入れたままのスマホからリリアーヌさんの声が聞こえた。

「ちょっと、何時まであたしを暗い所で放っておく気なの!」

「ごめん、忘れてた」

 僕はスマホを箸立てに立てかけた。王女様は口をへの字に曲げて、ご立腹のご様子だ。

「忘れてたって……、あたしをないがしろにするなんて、貴方、何様のつもりよ」

「何様のつもりと訊かれても……、なんだろうね、僕たちって?」

 リリアーヌさんと出会ってまだ一時間も経っていないのだ、僕とリリアーヌさんの関係をうまく表す言葉が見つからない。一瞬、誘拐事件の加害者と被害者という単語が浮かんだが、すぐさま脳裏から振り払った。

「確かに、言われてみれば、何かしら……」

 リリアーヌさんも困ったように首を傾げたが、すぐに何か閃いたかのように手を叩いた。

「そうだわ、カケル! 貴方をあたしの従者にしてあげる」

 耳を疑った。

「……従者? 僕がリリアーヌさんの? どういうこと?」

「そのままの意味よ」リリアーヌさんは実に妙案と言いたげに笑みを浮かべた。「あたしが自由に動けない以上、カケルがあたしの従者となって世話をするわけ。それに異世界に詳しい人が従者に居てくれれば、いろいろ好都合だわ」

「いや、その、あの……。確かに今の状況、僕も責任の一端を感じないわけでもないわけでもないような。でも、だからと言って従者は……」

「何嫌がっているの? 王族直属の従者になれるなんて、この上ない名誉よ」


 リリアーヌさんと生きてた世界が違うんだ、ということをようやく身を以って知った。


 僕は答えた。「少なくともリリアーヌさんがスマホから抜け出せる方法が見つかるまでは、君のことをできる限り面倒を見るし、リリアーヌさんがこの世界でやらなくちゃいけない事っていうのも手伝う。でも従者って呼ばれるのだけは勘弁してよ。命令された訳でも雇われた訳でもないんだから」

 どんな理由や経緯であれ、彼女をここに連れてきたのは僕の意思なのだ、そこは譲れない。

「そこまで言うなら、わかったわ」リリアーヌさんは承知してくれたが、納得はしていないという表情だった。「異世界の人ってやっぱり変わっているのね。じゃあ結局、貴方とあたしの関係は何なのかしら?」

「別に無理に関係を言葉で言い表す必要もないと思うけど。どうしてもって言うなら、協力者……友だちってところで良いんじゃない。友だちってのは困った時に助け合うものだし」

「カケルがそれで良いのなら。……じゃあ、よろしくね、あたしの友だち、カケル」リリアーヌさんは微笑んだ。

「よろしく」

 友だちは握手から始まるという思いから、手を伸ばしかけたところで、スマホの中の彼女には届かないことに気づいて、引っ込めた。

 名称はともかく、確かに奇妙な関係だ。


 ともあれ、先ずは腹ごしらえ。スプーンで麻婆豆腐をすくい上げた時、「ところで」と、再びリリアーヌさんが話しかけてきた。

「さっきの女の子、カケルの妹?」

「そうだけど。何か?」

「随分日焼けして、それに変わった格好だったわね。あたしの国じゃ珍しいなって」


 茜の格好……? 確かいつも通りタンクトップにショートパンツ姿だったような気がする。季節的にはまだ寒くないか? と思わないでもないが、あまりにも見慣れていて珍しいという感覚はなかった。しかし、リリアーヌさんのくるぶしまで届くスカート、手根まで隠れる長袖のドレスを見て、僕は納得した。彼女の国は肌を露出させる文化はないようだ。

「僕と違ってスポーツ大好きっ子だからね。同じ兄妹なのかって思えるほど性格は違うよ」

「カケルの家族は?」

「両親は居るよ。ただ、父親は商社に勤めてて、その関係で海外に長期主張中。母親もデザイナーやってる関係で日本中飛び回ってて、時々しか帰ってこないんだ」

「商社? デザイナー? 何それ?」

 どうやら、彼女の世界には無い概念らしい。

「細かく説明しろって言われると僕も困るけど、まあ、職業の一種だよ。とにかく、二人とも普段家にいないから、基本は僕と茜の二人で暮らしているんだ。家事とかは分担で、今日の夕食は茜が作ったんだ」

「はあ、子どもを放ったらかしにして働いているなんて、酷い親ね」

 予想外の発言に、僕は少したじろいだ。

「し、仕方ないよ。生活していくためだから。確かに僕の家は少々極端かもしれないけど、この国じゃ、両親がずっと働いているなんて珍しいことじゃない」

「それでもあんまりだわ。あたしのお父様だって、お仕事はとても忙しいけど、夕食はいつも家族と一緒よ」

 古き良き時代の匂いがする……。

「まあでも」リリアーヌさんは続けて言った。「カケルも、妹さんも立派だわ。従者……ゴホンッ、友だちとして頼もしいわ」

「リリアーヌさん、友だちの意味わかってる?」

「もちろんよ」

 自信満々に答える王女様を見て、僕の中では逆に疑念が強まった。


「でもまあ、今はそんな事よりも……」

 と、リリアーヌさんは改まった口調で言った。

「……そんな事よりも?」

 何か重大な話があるのだろうか? 彼女は、のっぴきならない理由でこちらの世界に来たらしい。それを教えてくれるのかもしれない。

 僕も姿勢を正し、リリアーヌさんを見返した。

 そして、スマホの中の女の子は、ふーっと大きく息を吐いてから、僕の手元に視線を注いだ。


「あたしもお腹が空いたわ」


 危うくスプーンを落として、制服のズボンを豆板醤まみれにするところだった。今日一日だけで、何度物を落としかけたことか。


「こっちの世界に来る前はあちこち走り回ってたし、カケルの姿を見てたら、その……お腹の虫が鳴いちゃって」

 恥ずかしそうにお腹を擦るリリアーヌさんの姿が映し出されたスマホ画面を、僕は凝視した。

「ええっと……」

 通常であれば、「大したおもてなしは出来ませんが、よければご一緒に」と言って、麻婆豆腐を半分差し出すところだろう。

 しかし彼女はスマホの中。


 ――どうやって食べさせればいい?


 できる限り彼女の面倒を見ると言った直後から、大いなる難題にぶち当たってしまった。

 女の子一人を飲み込んだ超常的能力を有するスマホだ。もしかして麻婆豆腐を近づけたら、提灯お化けよろしく、突然大きな口が現れるかも、と思って、麻婆豆腐を乗せたスプーンを近づけたが、……何も起こらなかった。


 リリアーヌさんが、愛おしそうな目で麻婆豆腐を見つめている。

 スプーンの先で、ツンツンとスマホの画面を叩いてみたが、やはり駄目だった。

「何よ、カケル」リリアーヌさんは恨みがましい声で言った。「そうやってご飯を見せつけて、あたしを虐めたい訳?」

「そんなつもりじゃないよ」

 すぐに否定したが、リリアーヌさんはぷいと後ろを向いてしまった。

 怒らせてしまった。しかし、どうすればいいのか、全く検討がつかない。


 リリアーヌさんは涙声で言った。

「グスン……、いいわよ。もうカケルなんかに頼らない。これだけたくさんの部屋があるんだから、どこかに食料くらいあるでしょ」

「部屋?」僕は訊き返した。「リリアーヌさんがいるところに部屋があるの?」

「ええ。最初は気づかなかったけど、よくよく見たら、あたしの周りにカラフルな扉がたくさんあるの。片っ端から調べれば、食べ物くらい見つかるでしょ」

 リリアーヌさんはぶっきらぼうに答えると、奥へ進み始めた。

「ちょ、ちょっと待ってよ、リリアーヌさん。勝手に歩かないで!」

 しかし彼女は言うことを聞いてくれなかった。その姿はどんどん小さくなっていき、ついに見えなくなってしまった。

「リリアーヌさん!」

 次の瞬間、スマホ画面が切り替わった。

 アプリが勝手に起動したらしい。映し出されたのは、とても絵心があるとは思えない、室内の背景だ。

 これは一昔前に流行っていたアプリを見よう見まねでコピーした、僕の自作ゲームの一つ『動物集めゲーム』だ。家の中に餌を置き、集まってきた犬や鳥やらの動物をひたすら観察する、癒し系ゲームだ。スマホユーザー多しと言えどもインストールした人は十に満たないであろう、超レアアプリなのだが……。


 ――しかしどうして勝手にアプリ? スマホの故障?


「あっ」

 アプリ画面の中にリリアーヌさんの姿が見えた。

「リリアーヌさん!」

 スマホに向かって呼びかけると、彼女はこちらへ振り返った。

「あれっ、カケル。さっきまでこんな窓なかったのに?」

 どうやらリリアーヌさんからは僕の事(スマホカメラに映る風景)は、空間の一部を切り取られた窓のように見えるらしい。

「さっき、何をしたの?」

「ただ扉を開けて中に入っただけだけど?」

 ここで僕はピンときた。待ち受け画面のアプリアイコンが、リリアーヌさんには扉のように見えるのだ。そして彼女が扉を開ける、ということはアプリを立ち上げることに等しい。

「さっきの場所と比べて、随分賑やかね」

 と言いながら、リリアーヌさんは辺りを見渡した。餌におびき寄せられた動物たちが集まっている。僕自身で描いた拙い絵だが、彼女にとっては本物に見えるのだろうか?

 リリアーヌさんの視線が、部屋中央の餌場に向けられる。

「あるじゃない、ご飯!」

 リリアーヌさんは小走りで餌場に駆け寄っていく。

「ちょ、ちょっと待ってよ、リリアーヌさん」

「何よ?」餌場に辿り着いたリリアーヌさんが、飼い主から「おあずけ」と言われた子犬のような目を向けてきた。

「それを食べるのはちょっと止めた方が……」

 何せ、そこに置いてあるのはドッグフードだ。さすがに人が食べるものではない。

 それにそもそも、リリアーヌさんはゲームのオブジェクトに過ぎない餌を食べられるのか?

 しかし、リリアーヌさんは非難めいた口調で言った。

「どこからどう見ても、食べ物でしょ。見た目はちょっとあれだけど、背に腹は代えられないわ」

 ――無人島でサバイバル中のような台詞。見た目によらず、随分とワイルドな王女様だな!

 でも、もしかしてリリアーヌさんは本当に、ゲーム中のご飯を食べられるのかもしれない。

「ちょっと待って、もう少しまともな物を用意するから」

 僕はゲームのアイテムウィンドウを開いて、『特選猫飯』を選択、餌場に置いた。超極レア猫をおびき寄せるアイテムで、温かい白米にみそ汁、更にかつお節まで大量に乗っている、という設定だ。

「あら、さっきのよりはおいしそう」

 早速、『特選猫飯』におびき寄せられた大量の猫たちが、画面の隅に現れた。ご飯めがけて猫まっしぐらだ。

 しかし、駆け寄る猫たちよりも速くリリアーヌさんは、猫飯が乗ったお盆を持ち上げると、背景画像にあったスプーンを手に取り、猫飯を喰らった。

「どっ、どう?」

 僕は恐る恐る訊ねると、リリアーヌさんは口をもぐもぐさせながら答えた。

「うーんっ、まあ、食べられなくもないかなって、味ね」

「そっ、そう……」

 本当に食べることができたようだ。これでどうやら、リリアーヌさんを飢え死にから救うという問題は解決できそうで一安心だ。


 しかし、いろいろ気になることがある。

 そこで僕は、もう少し確かめてみようと、アイテムウィンドウから今度は、動物とじゃれ合うためのアイテム『ゴムボール』を選択した。そしてリリアーヌさんめがけて放った。山なりの軌道を描いてゴムボールが飛んでいき、リリアーヌのおでこに当たった。

「ちょっと、何するのよ、カケル!」

 スプーンを口にくわえ、ボールの当たったおでこを擦りながら、リリアーヌさんが睨み付けてきた。

「痛かった?」

「痛いに決まってるでしょ!」

「ご、ごめん。これで許して」

 僕はもう一個、『特選猫飯』を餌場に設置した。猫たちよりも速く、リリアーヌさんはそれを持ち上げると、黙って食べ始めた。

 やはり、アプリの中での出来事がリリアーヌさんにとっては現実になる、という推測は正しいようだ。

 不思議なことこの上ないが、これが事実である以上、受け入れるべきだろう。


 その時、ガチャリと音がしてリビングの扉が開き、茜が顔を覗かせた。

「お兄ちゃん、さっきからうるさいんだけど?」

「あっ、ごめん。また電話してたんだ」

 茜は胡乱な表情を向けてきた。

「誰が何しようと本人の自由だけどさ、食事中まで電話を強要する人とは男でも女でも関わらない方が良いよ。付き合う相手はちゃんと選んでね」

 と言い残して、茜はリビングを後にした。

「……しかし妹よ、相手が選べるとは限らないんだ」

 と呟きながら、足元でミャーミャーと鳴く猫たちを余所に、猫飯を喰らうリリアーヌさんの姿が映し出られたスマホ画面を見つめた。

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