11 決戦準備
ファミレスでのPC作業にも限界がある(ノートPCはともかく、さすがにデスクトップPCは持ち込めない)。そこで僕らが作業場に選んだのが学校の部室だった。そこになら十分な機材が揃っている。
しかし今は真夜中、当然学校は開いていない。
しかたないので潜入することになった。正直犯罪な気もするのだけど、リリアーヌさんとこの街の命運がかかっているのだ、細かいことは言っていられない。それに、こういうサスペンスドラマのような、スリリングな体験を一度はやってみたかったという願望が無かったわけでもない。
潜入はあっさり成功した。ソンジュンがうまく先導してくれたのだ。
「おいソンジュン。どうしてお前はそんなに容易く校舎に入れる方法を知っているんだ?」
幸司が疑惑の目を向けてきたが、ソンジュンは何も答えなかった。世の中には知らない方が良いこともある、と解釈することにしよう。
ゲーム研究部の部室に到着し、最低限の照明だけをつけて、各々、自席で作業を開始する。
残り五時間、本当に時間との勝負だ。
ゲーム開発チームの僕とソンジュンと結城さんは、VRチャットを開始する。
『さっき決めた通り、俺がコースの設計図を作るから、翔と結城の二人で手分けしてアプリを実装してくれ』
『わかった』
ソンジュンのロボットアバターの指示に、僕と結城さんのアバターは頷いた。
続いて、お姫様アバターが僕に向かって言った。『先輩、制作の参考にしたいので、今のゲーム制作ツールのプロジェクトファイル一式をわたしに送ってください』
『あっ、俺にも送っといてくれ』
『わかった。リンクを送るよ』
ゲームの開発データをクラウドストレージにアップロードして、チャットにリンク先アドレスを送る。その直後、ゲームコースの設計図の一部がソンジュンから届いた。
「速っ!」
叫びながら、ソンジュンの後姿を一瞥した。まだコースの最初の部分だけとはいえ、あまりのスピードに舌を巻く。
『実は、前にテストプレイしたときに、もっとこうすればいいのにって思ってたのがあったんだよ』
既に腹案があったと、ロボットアバターは種明かしした。
『そういうのがあるんだったら、テストプレイをした時に教えてくれれば良かったじゃない』
『お前のゲームだからな、口出しし過ぎるのも良くねえって、思ったんだよ』
そう言われてしまっては、返す言葉がない。意見をちゃんと聞こうとしなかった僕に問題があったのだ。
『じゃあ、さっさと実装を始めてくれ』
『ちょっと待って』お姫様アバターが会話に加わってきた。『この設計図、意地の悪い部分はあるけど、全体的にそこまで難しい感じがしない』
『まあ、序盤だからな。肩慣らしってやつだ』
『でも、目的が敵を罠に嵌めて倒すことなら、絶対攻略不能な罠を用意する方が確実だと思う』
ゲームならば最後は必ず攻略できなければならないが、今回はあくまでゲーム的要素を利用するだけで、相手に攻略されてしまったら困るのだ。結城さんの指摘はもっともだ。しかしソンジュンは即座に否定した。
『お前ら、例えば、ジャンプしても絶対に届かない、吊り橋もない大きな落とし穴を前にして、その先に進もうと思うか? これも同じだ。絶対攻略不可能な罠だったら、誰もその罠に挑まないだろ。それじゃあいつまでたっても敵を倒せない。だから簡単すぎてもいけねえし、かといって挑戦する気力を失わせるほど難しくても駄目だ』
『そっか……』と、お姫様アバター。
『凄いねソンジュン、そんな事、僕は全く考えもつかなかったよ』
『ゲームを作りたかったら、プレイヤーの気持ちをちゃんと考えるんだな』
『気をつけます……』
まさかこんな時に、ゲーム作りの反省をすることになるとは思わなかった。
ソンジュンの設計図に沿って、結城さんが3Dモデルデータを作成し、僕がプログラミングを担当する。既にベースはできているので、僅かな修正でどんどん出来上がっていった。ソンジュンは、僕だったら数ヶ月かけても攻略できそうにない高難度のコース設計図を次々に送ってきて、結城さんも、僕だったら数年はかかるだろう見事な3Dモデルデータを短時間で仕上げてきた。二人からデータが送られるたびに、彼らの仕事力の高さに驚かされる。僕も二人に負けじと、自然とキーボードを叩く速度が上がる。
高揚感が僕の体を支配していく。
街と一人の少女が危機を迎えているというのに、僕は不謹慎にも、今の時間がとても楽しい、と感じてしまった。
独りでゲームを作っている時ももちろん楽しかった。でも、今こうして皆で力を合わせて作っている状況は、独りでは気づけなかった知見が得られるし、僕自身もソンジュンや結城さんに触発されて、いつも以上の実力が出せているような気がする。
こんなにもすごい仲間がすぐ近くにいたんだ。もっと早く、皆でゲームを作れば良かった、と強く思った。
二時間後、ソンジュンから最後の設計図が送られてきた。
『制作の残り時間を考えると、まあこんなものか。お前たちはあとどのくらいで完成できそうだ?』
『三分の二は終わったから、あと一時間もあれば終わると思う』と、僕は答えた。
『じゃあ、完成したところまで俺に送ってくれ。テストプレイをする』
『時間もないのに、それ必要?』僕は時計を見る。残り三時間だ。『少しでも長いコースを作って、敵を倒せる確率を上げた方が良いんじゃ?』
『どんなゲームも長けりゃいいってもんじゃねえ。それに、ゲーム作りはここからが大変だって翔もわかってるだろ。テストと調整の繰り返しが、品質を上げるために必要だからな。だからお姫様を少し借りていいか?』
『リリアーヌさん? わかった』
リリアーヌさんは決して物ではないのだが、彼女がいるスマホは今、幸司のところにある。作戦を練る上で、リリアーヌさんやドロテから敵の情報を詳しく聞きたいらしい。
僕は幸司の席に向かった。
「首尾はどう?」
「翔か。聞けば聞くほど異世界というのは興味深いね。王国、魔術、狙われたお姫様……、本当にファンタジーの世界みたいだ」
「今はそんな感想を求めてないよ。良い作戦は浮かんだ?」
「俺の一世一代の名シナリオは着々と進んでいるぞ。ただ不確定要素も少なくないから、ドロテさんの協力も得ながら、いろいろなパターンを検討しているところだ。そっちはどうだ?」
「あと一時間ほどで初期版は完成すると思う。で、スマホを返してもらいたいんだけど、もう大丈夫?」
「ああ、問題ない」
僕はスマホを受け取り、画面を見る。『寝室ゲーム』の豪華ソファーにリリアーヌさんとドロテが並んで座っていた。
「あたしのために、こんな遅くまでありがとう」
「気にしないで、皆だってこの街が襲われるのは困るんだし。それに……」
僕は部室を見渡した。ソンジュンも幸司も結城さんも、皆それぞれ真剣な表情でモニターに向かっているが、ソンジュンはさっきからビートを刻むように体を左右に動かしているし、幸司は鼻歌なんか歌っている。結城さんも口角が上がっていた。
どうやら、他の部員メンバーも僕と同じ気持ちのようだ。
「皆、リリアーヌさんの役に立てることが嬉しいし、こうして皆で目標に向かって力を合わせるのが楽しくてしようがないんだよ」
「カケル……」
リリアーヌさんは微笑んだ。彼女の笑顔を久しぶりに見た気がする、本当はたかが一日程度なのだけど、それでも、今日まで彼女の拗ねたり、怒ったり、喜んだ表情をずっと見てきたのだ。
これで終わりなんかにしたくない。リリアーヌさんの笑顔をもっと見ていたい。
――彼女とずっとこうして……。
「ちょっと、大丈夫?」
リリアーヌさんの声がして、僕は意識をスマホ画面に戻した。
「ごめん、ちょっと考え事してた。それよりも、そろそろリリアーヌさんにも手伝って貰いたいんだけど、いいかな?」
「もちろん、とうとうあたしの出番ね」
リリアーヌさんはソファーから立ち上がった。彼女の気合も充分だ。
スマホを持って、今度はソンジュンの席にやって来た。
「連れてきたよ」
ソンジュンは椅子を回して体をこちらへ向けると、僕が持つスマホの画面を覗いた。
「今から敵を誘い込む罠の迷宮について説明するから、実際にお姫様が試して、簡単か難しいか教えてほしい。それから、何度も練習して、コースを頭に叩き込んでくれ」
どうやら、リリアーヌさん自身がテストプレイヤーになると同時に、本番に向けた練習も行うようだ。敵を誘い込むリリアーヌさん自身が罠に嵌っては元も子もない。
「今はデバッグモードで、底なし穴に落ちようが、槍に刺されようが、死ぬことはもちろん怪我もしねえから、最初は気楽にやってくれ」
「わかったわ。でも、あたしの運動能力をなめないでよ」
「じゃあ、お手並み拝見といこうか」
ソンジュンは悪の組織の総帥のような意地悪い笑みを浮かべた。
今は僕までリリアーヌさんのテストプレイに付き合うわけにはいかない。残りのコースを完成させるため、席に戻って、プログラミングを再開した。
しばらくすると、ソンジュンの席から、「何これ、凄い難しいじゃない」というリリアーヌさんの悔しそうな声や、「ちっ、なんでそれ一発でクリアできるんだよ」とソンジュンのイラついた声が聞こえはじめた。
突然、結城さんからVRチャットのメッセージが届いた。
『先輩、手が停まってませんか?』
「おっと……」
指摘通り、キーボードに添えられたまま両手は動いてなかった。
『大丈夫、ちょっとプログラムの書き方を考えていただけ』
と返事をする。二、三秒ほどして、お姫様アバターは言った。
『……あちらが気になりますか?』
僕は息が詰まりそうになった。
更に、お姫様アバターは続けた。
『先輩、リリアーヌちゃんの事、好きなんですか?』
――普段はあまり喋らず大人しいのに、一番ストレートに訊いてきやがる……。
今更誤魔化しても詮無きことだし、こんな深夜まで手を貸してくれた、結城さんたちにも不誠実だ。
僕は自身のアバターの首を縦に振らせた。
『でも、向こうは一国の王女様。こっちは、ゲーム作りが趣味の、しがない平民高校生だから』
そして文字通り、住む世界が違うのだ。
『先輩……』
『それでも、もし願いが叶うなら、僕は一度でいいから彼女と握手したい。……それで充分だよ』
ずっと、リリアーヌさんと居たのに、それだけでは決して叶わない。
少しの間のあと、お姫様アバターは言った。『……リリアーヌちゃんも、きっと同じ気持ちだと思います』
『そうかな……。僕は彼女にとっての特別になれたのかな?』
リリアーヌさんにとって僕は、これしか選択肢のなかった存在なのかもしれない。ソンジュンだって幸司だって他の誰かだって、きっと彼女の手助けができたはずだ。
すると、お姫様アバターがふるふると首を振った。
『そんなことないです。先輩は特別な存在です。……少なくとも、わたしにとっては……』
『えっ、どういうこと?』
話が繋がらない。そう思って、訊き返したら、いきなりお姫様アバターは、ジャングル奥地に住まう少数部族の踊りのように、首と両腕両足を激しく動かしだした。
『な、な、なんでもありません! あっ、手が滑った』
チャット画面の隅に表示されていたチャットログが、全て削除された。
『結城さん? 手が滑った程度でログは消せないよね。どうしたの突然!』
『そ、そんなことより、作業の続きをしましょう。時間がありません。作った残りの3Dモデルデータをそっちに送ります』
データへのリンクを送って、結城さんは一方的にチャットを終了してしまった。
さっきのはなんだったのだろう……? 強引に誤魔化されたような気がする。
しかし、結城さんの言う通りだ。残された時間は多くない。僕も作業を再開した。
それからしばらく、ソンジュンとリリアーヌさんがテストプレイをして問題点を洗い出し、それに従って僕と結城さんがコースの修正をする、という作業が続いた。地味な行為ではあったけど、プログラムの修正をする度に、どんどんゲームの出来が向上していくのが実感できた(つまり、敵を罠の餌食にする極悪度が上がった、ということだ)。
そして、開始から五時間後。
「まだまだ気になるところはあるが、こんなもんだろ」
と、ソンジュンが宣言し、新生『魔界迷宮』の開発は終了した。
最初は僕だけで作り始めたアプリだったが、これはみんなで力を合わせて作った、皆の作品だ。
「手は尽くした。あとは野となれ山となれってやつだ」
「ずいぶん投げやりだな、ソンジュン。皆これだけ頑張ったんだ、きっと上手くいくさ」
幸司が僕の気持ちを代弁してくれた。
「努力だけで結果が出れば、世の中にクソゲーなんて存在しねえよ」
と、ソンジュンは随分冷めた事を言う。しかし、彼の言う通り、作って満足していてはいけない。本番はこれからなのだ。
「リリアーヌさんも、お疲れさま」
僕は、タオルで汗を拭くリリアーヌに向かって声をかけ、料理機能を使い、スポーツドリンクを用意した。
「思ったよりも過酷ね。油断してるとあたしが、罠に嵌ってやられちゃうかも」
「ごめんね、こんな過酷なことをリリアーヌさんにやらせちゃって」
「あたしがお願いしたことだから、むしろ望むところよ。これで上手くいけば、オデロンを倒せるんだから」
「最後まで、全力でサポートするよ。で、一個伝えておきたいことがあるんだ。もし、迷宮の中でリリアーヌさんが罠に引っかかりそうな時は、大声で、『エマージェンシー・ストップ』って、叫んで」
「なにそれ?」リリアーヌさんは眉をひそめた。
「全ての罠を無効化する、緊急解除コードだよ。アプリに仕込んでおいたから」
「でも、そんなの使ったら、オデロンを倒せないでしょ」
「それよりも僕は、リリアーヌさんの安全の方が重要だよ」
「……優しいのねカケルは」リリアーヌさんは微かに微笑んだ。「出来るだけ使わないように、善処するわ。……ばあや、着替えるから手伝って」
リリアーヌさんは、脇に控えていたドロテを連れて寝室の奥へ去っていった。




