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9 逃げるか戦うか

 何時までも老人を道端に立たせておくわけにもいかず、何よりも風雲急を告げる展開になってきたので、落ち着いて話ができるようにと、僕はドロテを連れて自宅に戻ってきた。

 玄関に現れた老婆の姿を見て、茜は口をだらしなく開けた。

「ま、まさかお兄ちゃんの彼女さんって……」

「それだけは断じて違う!」僕は強い口調で否定した。「ただの知り合いだ。僕の部屋で少し休んでもらうだけだから」

「そ、そう。なら良いんだけど」

 茜は安堵したようにほっと息を吐いて、リビングに去っていった。


 僕はドロテを連れて、僕の部屋に入った。ドロテは「よっこらしょ」と腰を庇いながら、僕のベッドに座った。

「この世界の住宅というのは、随分狭いものですな」

 人の部屋に入って早々、ドロテはそんなことを口にした。リリアーヌさんの世界の住人って、思ったことをズバズバ言いたがる性格なのだろうか?

「……これが一般的な一人部屋のサイズなんだけど。で、ドロテさん。さっきの話の続きなんだけど。その、リリアーヌさんの国を奪った宰相がこっちにやって来るって、本当?」

「間違いありません。ですがその前に、まずは姫様がこちらの世界に行った後の話をしましょう」

「お願いするわ。お父様とお母様はあれからどうなったの? ずっと心配してたの」

「国王様も王妃様も、オデロン率いる反国王派に捕らえられてしまいましたが、御存命です」

「本当に! 良かった……」リリアーヌさんは大きく息を吐いて、目を閉じた。「お父様……、お母様……」

「でも、ちょっと不思議だね」僕は口を挟んだ。「オデロンって奴は、その国を乗っ取りたいんでしょ。だったら国王は邪魔になるだけなのに」

「ちょっとカケル、貴方、あたしの両親を殺したいの?」

「違う違う。一般論を言ったまでだよ。歴史的にはそういう悲劇が何度も繰り返されてきたし、リリアーヌさんだってそれを心配してたんでしょ」

 僕は慌てて弁明した。と同時に、リリアーヌさんとは喧嘩していたはずなのに、いつの間にか普通にしゃべっていることに気づいた。

「カケル殿の言い分はごもっともです」ドロテが答えた。「オデロンの奴も本当はそうしたかったのでしょうが、国王暗殺となれば、さすがに国民の支持が得られますまい。ですからオデロンは禅譲という形で国を手に入れようとしているのです。そのためにオデロンは、王位継承の資格保有者であるミシェル様とリリアーヌ姫様の身柄を、是が非でも手に入れたがっているのです」

 リリアーヌさんとそのお兄さんがオデロンに捕まり、人質となれば、国王はオデロンへ禅譲せざる得なくなる、というわけだ。

「しかしそれは、親国王派にとってもミシェル様と姫様の存在がオデロンに対抗する切り札になる、ということです。ですから私奴は、姫様の安全とミシェル様の行方を探すために、姫様にこちらの世界に行っていただいたのです」

「その辺りの話は、前にリリアーヌさんからも聞いたよ。で、事態が急変したっていうのは?」

「親国王派はミシェル様の帰還と共に、オデロンを打倒しようと秘密裏に準備を進めていましたが、オデロンに気づかれて、逆に襲撃を受けてしまったのです。これで親国王派は壊滅、指導者だったグウェン将軍も行方知れずとなってしまいました」

「……そんな」リリアーヌさんは茫然とした表情を浮かべる。

「王国内に敵がいなくなったオデロンは、姫様とミシェル様を捕まえようと、本格的に異世界へ侵攻する準備を始めたのです。先発隊は、早ければ明日の朝にもこちらの世界にやってくると思います」

「カ、カケル……」リリアーヌさんはスマホ画面から、懇願するような目を向けてきた。「あたし、どうすれば……」

「どうするって、言われても……」

 想像以上に急激で緊迫した展開に、僕も思考がついて行けなかった。

 リリアーヌさんと少なからぬ時間を共有して、色々聞かされていたにも関わらず、王位を争う戦いなんて、ずっと遠い世界の事だと、心のどこかでは思っていたのだ。


 しばらくの沈黙の後、ようやく僕は言葉を口にできた。

「選択肢は、戦うか、逃げるか……の二つだと思うけど」

「戦うって、どうやって? オデロンが抱える傭兵たちは戦闘のプロなのよ。あたしはとてもそんな能力持ってないし。カケルだって、そういうことできるの?」

 リリアーヌさんの質問に、もちろん僕は答えられなかった。

「せめてミシェル様がいらっしゃれば、すこしは抵抗のしようもあるのですが……。王子様は国王様に次ぐ魔力の持ち主で軍事訓練も受けていますから」

「でも、お兄様は結局見つかっていないわ。あたしがもっと真剣に探していれば。こんなことにならなかったのに……」

 リリアーヌさんが沈痛に表情を歪めた。

「それは僕の台詞だよ、リリアーヌさん。僕がもっと協力していれば良かったんだ」

「カケル……」

「お二人とも、落ち着いてください」ドロテはゆっくりと首を振った。「姫様もカケル様も悪くありません。ばあやが無理を承知で姫様にお願い致したのですから、全ての責任は私奴にあります。それに一番悪いのは、異世界に留学して以来、ほとんど連絡を寄越さなかったミシェル様です。もっと頻繁に連絡をくだされば、いざという時に探す必要なんてなかったのですから」

 さらりと毒を吐く老婆だ。だが確かにドロテの言う通り、リリアーヌさんのお兄さんにも問題の一端があるような気がする。もし会うことができたら、文句の一つでも言ってやりたい。

「とにかく、今は悔んでいる時間ではありません。これからできることを考えましょう」

「その通りだわ、ドロテ」

 リリアーヌさんは表情を引き締めた。ドロテの一言でこれまで弱々しかったリリアーヌさんの雰囲気が一変していた。きっと、リリアーヌさんにとってドロテは心の大きな支えなのだろう。

「戦うが駄目なら、逃げる、ってことになるけど。何処へ?」

 僕が問うと、リリアーヌさんが答えた。

「この世界は広いんでしょ。とりあえずこの近くから離れれば、当面は大丈夫じゃない?」

「そう思います」ドロテが同意した。「こちらの世界と、私奴どもの世界を繋げる転移装置は、この近くの高台にあります。オデロンもそこから現れるはずです。……ところで姫様、先ほど聞きそびれたのですが、どうして姫様はそのような小さな箱の中に閉じ込められているのですか?」

「それが、あたしにもわからないのよね」

「わからない? どういうことですか、カケル殿?」

 両眉を上げたドロテが僕を見た。

 僕は慌てて首を振った。「僕だって何が何だかわからないんですよ。気づけばこうなっていたというしか」

「それに、ドロテは狭い箱っていうけど、これスマホって言って、実際中は結構広くて快適なのよ。カケルが色々取り揃えてくれたから」

「そうですか」ドロテは目を細めじっとスマホを見つめた。「この世界は、私奴どもの世界と違って禍々しい気配に満ちてますが、その箱からは一際怪しい気配が発せられています。強力な呪いのようなものです」

「それ、あたしも感じた」リリアーヌさんはドロテに同意した。「でもそれが、どうかしたの? 今の話と関係があるの?」

「いえ、ふと思ったのですが、姫様がそのスマホとやらの中にいる限り、オデロンも手が出せないのでは、と」

「あっ、なるほど」

 スマホからリリアーヌさんを救出する方法をオデロンが知っているならば、むしろこちらから頭を下げてお願いしたいくらいだ。まさかこの状況で、リリアーヌさんがスマホの中に閉じ込められていることが優位に働くとは思わなかった。人間万事塞翁が馬というわけだ。

「ドロテさん。ちょっと訊きたいんですけど、リリアーヌさんをスマホから助け出す方法ってあるんですか?」

 ドロテは「どれどれ」と言いながら、横や上からスマホを観察した。「あるはずですが、これだけ禍々しい気配を発する呪いを解くのは相当厄介でしょう。すぐには無理です」

「強い魔力を持ったドロテでも難しいのね」リリアーヌさんは項垂れた。

「申し訳ありません。姫様。ですが、スマホに閉じ込められた時の状況がわかれば、呪いを解く鍵が見つかるかもしれません」

「状況って言われても……」

 僕はスマホを持ち上げ、カメラアプリを起動し、背面カメラをドロテへ向けた。

「ただこうやって、リリアーヌさんに向けて写真を取っただけ……」


 パシャリ


 スマホからシャッター音とフラッシュ光が発せられる。

 次の瞬間、僕は我が目を疑った。

「えっ!」

 今の今まで、僕のベッドに座っていたドロテが忽然と姿を消したのだ。

「ド、ドロテさん!」

 僕は室内を見渡した。しかし何処にもドロテはいない。

 すると、スマホから、リリアーヌさんの切羽詰まったような声がした。

「カ、カケル……、大変!」

 画面を見るとそこには、顔を強張らせお互いを見つめるリリアーヌさんとドロテの姿があったのだ。



「お兄ちゃん」

 という声と共に、ノックもなく部屋の扉が開いて、茜が入ってきた。僕は咄嗟にスマホを背後に隠した。

「な、なんだよ、ノックもしないで急に」

 すると妹は湯飲みが二つ載ったお盆を軽く持ち上げてみせた。

「折角お茶持ってきてあげたのに、……って、あれ? さっきのお婆さんは?」

 僕しかいない部屋を茜は不思議そうに見渡した。

 額から一斉に汗が噴き出した。「……あっ、うん。もう帰った」

「もう帰ったの? 物音は全然聞こえなかったけど?」

「き、気配りのできる人だから、きっと茜の勉強を邪魔しないように、静かに帰ったんだよ。……だからお茶はもういいから、茜はお婆さんの優しさを無下にしないよう、部屋に戻って勉強してな」

「何それ、……ちょ、ちょっとお兄ちゃん?」

 僕は頭上に?マークを浮かべる茜を強引に部屋から追い出すと、勉強机の椅子に腰を下ろし、腕で額の汗を拭った。

「ねえ、カケル」スマホからリリアーヌさんの声がする。「これ、どうなっちゃってるの?」

「それは僕が聞きたいよ。……でもどうやら、ドロテさんも、スマホの中に閉じ込められてしまったみたいだ」

「どどど、どうするのよカケル。ばあやまで閉じ込めちゃって。折角ここから出られるチャンスだったのかもしれないのよ! 貴方のせいよ、カケル。不用意に写真なんか取るから!」

「そんなこと言われても……」

 まさか、一度ならず二度までも人をスマホに閉じ込めてしまうなんて、想像できるわけがない。

「まあまあお二人とも」とても落ち着いた声でドロテが言った。「慌ててもしようがない、と先ほども申し上げましたでしょう。ここは異世界、ばあやには想像もできない不思議なことも起こりましょうとも」

「まあ、そうだけど。でも……」

「むしろばあやは嬉しいくらいです。姫様のすぐお傍までくることができたのですから」

 ドロテはリリアーヌさんを優しく抱擁した。

「ばあや……」リリアーヌさんの声が震える。

「姫様、ずっとお一人でお辛かったでしょう。でもご安心ください。今はばあやがここにおりますから」

「ばあや、ばあや……」

 リリアーヌさんの目尻からぽろぽろと涙が零れていく。

 じっと抱き合う二人から僕はそっと目を離した。

 僕は本当にリリアーヌさんの役に立てていたのだろうか? そんな思いが、胸を去来した。


ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー


 リリアーヌさんとドロテの折角の再会を邪魔するのも悪いと思い、一人一階に降りて夕食と風呂を軽く済ませた。

 自室に戻ってくると、リリアーヌさんは、落ち着いて、かつ力のこもった声で言ってきた。

「ねえ、カケル。聞いてほしいことがあるの」

「どうしたの、改まって」

 椅子に座り、スマホの画面を覗き込む。唇を固く結んだリリアーヌさんが真っ直ぐこちらを見つめていた。自然と僕の背筋も伸びた。

「さっきの、オデロンの件についてだけど」

「その話が途中だったね。結局、今はそのスマホの中に居る限り、敵もリリアーヌさんに手が出せないんだから、逃げて期を待つって事で良いんだよね? だとすると、取り敢えず僕がスマホを持ってこの街を離れれば良いんでしょ」

「それで良いの、カケルは?」

 リリアーヌさんが張り詰めた口調で問うてきた。

「それで良い? って言われても、それしか選択肢が無いって状況でしょ」

 話の筋が見えず、僕は戸惑いを覚える。

「いや、そうじゃなくて」リリアーヌさんはふるふると首を振った。「あたしと逃げるってことは、カケルの今の生活を捨てなきゃいけないってことよ。カケルはそこまでしてあたしに力を貸してくれるの?」

「そういうことか。……まあ、乗りかかった船だしね。目の前に困っている人がいたら、やっぱり放っておけないよ」

 本当にリリアーヌさんの役に立てるのか? 食事と風呂の間もずっとそんなことを考えていた。でもやっぱり、彼女の力になれるよう努力したい、と思うのだ。

「だからリリアーヌさん。そんなことは心配しなくても良いよ。善は急げだ。すぐ準備に取りかかろう」

 椅子から立ち上がろうとした時、リリアーヌさんは呼び止めてきた。

「ちょっと待って、カケル。……じゃあ、もし、あたしがオデロンと戦うと言ったら?」

「えっ?」

 尻が数センチ浮いた状態のまま、僕はリリアーヌさんを見返した。真っ直ぐに僕へ向けられる青い瞳……、冗談を言っているようには見えなかった。

「それ、どういうこと?」

「カケルが席を外している間に、あたし考えたの。もしあたしたちが逃げられたとしても、オデロンが来たら、この世界は大きな被害を被るんじゃないかって」

「そ、それは、まあ、確かに……」

 先ほどのドロテの話では、敵は軍勢を差し向ける、と言っていた。時には大怪獣とも戦う我が国の警察や自衛隊が、そう簡単に異世界の軍勢に屈するとは思わないが、この街を中心に、少なからぬ被害は発生するだろう。学校の友だち、部活の仲間たち、それに茜も被害者になってしまう可能性はある。

「でしょ」僕の口が固まるのを見て、リリアーヌさんは言った。「でもこれはやっぱりあくまであたしの国の問題。王女の責任として、異世界の人たちを巻き込むわけにはいかないわ。あたしが戦わなくちゃ」

「この世界の住人として、リリアーヌさんの気持ちは素直に嬉しいよ。でも、奴らと戦うなんて無理だって話でしょ。戦力もなければ、そもそもスマホの中にいるリリアーヌさんがどうやって外にいる敵と戦う……あっ!」

 リリアーヌさんがこれから僕に伝えようとしている、無謀な考えが読めてしまった。


 僕がそれを言葉にするよりも早く、リリアーヌさんは口を開いた。

「さっきドロテと話して、一つの仮説が浮かんだの。あたしたち異世界の住人は、こっちの世界のスマホで写真を撮られると、その中に閉じ込められちゃうんじゃないかって」

 それは僕も先ほど風呂に入っている時に浮かんだ仮説だ。僕のスマホカメラ限定なのか、それとも全てのスマホカメラで言えることなのかまではわからないが、二度あることは三度あるとは、充分考えられる。

「私奴どもの世界の住人が多かれ少なかれ持っている魔術の力と、こちらの世界のスマホが発する禍々しい気配が干渉を起こして、このような不思議な事態になっているのではないか、とドロテは想像いたします」

 と、ドロテが補足した。

「だから、オデロンたちをこのスマホで撮れば、奴らをここに閉じ込められるんじゃないかって思うの。成功すればこっちの世界に被害を出さずに済むわ」

「確かに、上手くいけばリリアーヌさんの言う通りだけど……。でもそれじゃあ、逆にリリアーヌさんが危ない」

 折角安全地帯にいるリリアーヌさんの所へ、敵を送り込むことになる。自殺行為だ。

「そんなの、駄目だよ」

 僕は強く反対したが、リリアーヌさんは静かに首を振った。

「でもこっちの世界を護るにはこれぐらいしか方法がないのよ。でもカケル、あたしだって、黙ってやられるつもりはないわ。そこで貴方の力を貸してほしいの」

「えっ、どういうこと?」

「カケルに、オデロンと戦うためのアプリを作ってほしいの」

 リリアーヌさんからのお願いは、僕の予想の斜め上を行くもので、返事にしばらく時間がかかってしまった。

「えっ、えっと……つまり。どういうこと?」

「まともにあたしたちがオデロンの軍勢と戦っても勝てるわけない。でも、スマホの中に、料理やベッドを自在に生み出せるカケルの力があれば、勝機はあると思うのよ。敵と戦う武器を生み出すとか、あたしがオデロンと有利に戦える状況を作ってほしいの」

 なるほど、スマホの中で戦うのであれば、少なくとも地の利は圧倒的にこちら側にある。

「でも、リリアーヌさんが危険なことには変わりはない」

「それは、覚悟の上よ」

「私奴も、無謀だと申し上げたのですが。姫様は聞いてくださらなくて……」ドロテは諦めた風な口調で言った。

「ねえ、カケル。それでもあたしに手を貸してくれる?」

 と、強い決意の中に微かな不安も覗かせる表情で、少女は言った。


 僕は目を閉じ、大きく息を吸った。

 ――答えなんて、最初から決まっている。

「もちろん、僕が君を護ってみせるよ」

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