#異世界のカードゲーマー から→白衣の女性研究者。転生。廃棄されたアーティファクト。
遠くから聞こえる鈍く響くそれは、市街地のビルが単純な暴力に負け、自動育成型の生態コンクリートが砕ける音にちがいない。
すでに発電所からの供給が途絶えて、非常電源に切り替わった、薄暗い研究所の廊下を、振動によって多々の落下物が障害物となっているそれを苦労して避けながら、私は、できるだけ早足で進んでいる。
目的の研究室は、この6の獣研究所全体から見ると外れにあった。生物をベースとした主流研究から大きく外れた、完全なる自律歯車機構をベースにした召喚獣をテーマにした、第7研究室、通称番外研。他の嘲りの中に悠然と佇み続けた我が聖域。
白衣を翻し歩く、ボサボサの髪を適当なリボンでまとめた、黒髪黒目の女という属性が、捨てられて久しい、研究者。ヒビが入り、フレームも曲がったメガネを押し上げながら、最後の扉の前に立つ。
白衣の研究者には、夢があった。否、夢を見続けていた。
それは、最後には悲痛な、失意溢れるお終いを迎える、ある趣味人の一生。
けれども、確かにそこには熱狂的な輝きが、存在していた。
その夢の中から、彼女の声が聞こえる、早口に、淡々と、濃淡なく高低なく、ただひたすら息継ぎを忘れたように絶え間なく。今の、皮肉げな笑みの似合う不精な研究員の頭脳へと。
あれの真の名を唱え、起こせ、起動させ、リソースを食わせて、全てを、取り戻せと。
お前にはそれができる。むしろ義務であり。
それがために、今、共振し、記憶の海が、引き波のように揺り戻されているのだと。
瓦礫をどける、手のひらに傷がつく、指さきに細かな棘が刺さる、その痛みにもひるまず、最後の扉を塞ぐ瓦礫をどける。
扉に力をかける、歪んでいる、開かない、一つ息を吐く、深呼吸、裂帛の吐息、渾身の前蹴り、室内へ、並行に吹き飛ぶ扉であったもの。
わずかな廊下の光が、非常灯の淡い赤が、暗い室内へと刺し貫かれる。
奥の”あれ”には届かない。だ、けれども、私には、細部まで思い起こすことができる、どのように横たわっているのか、複数の目が刻まれた、獣の頭、細かく装飾された硬質な肌、金属的な硬質のたてがみ、歯車が覗く力強い四肢、異界の鋼の鱗によって覆われている蛇のような尻尾。
どれだけの時間”あれ”と過ごしたのであろうか。
異形の獣、時間と次元を断絶したところにある発想のフォルム。
未開の大陸からの発掘品。
完全なるオーパーツ。
しかし、”あれ”は、壊れている。
解析もできず、起動もできず、破壊もできず、分解も出来ず、応用もできず、基本理論も不明、技術体系が違いすぎ、まさにそれは、空隙の落とし子。
人間としての本能が、強烈な忌避感を、訴えるほどに。
しかし、その前に立つ研究者はそれを愛おしいと感じた、聖誕祭に両親から贈られたお気入りのぬいぐるみにもにた、感情を抱いた。
ちなみに彼女には前世も通して、そのような経験をしたことはないのだが。
それに魅入られたおかげで、本流から外れたのか。
それと出会うからこそ、外道を歩いてきたのか。
どちらにせよそれとの出会いは、運命であり、必然であり、彼女の願いであったのだった。
研究都市を壊滅させんとの勢いで責め立てるのは、かつての同盟国であった共和国。技術を盗まれ、逆に利用され、先の脅威をあらかじめ削いでおこうという浅はかな考えはすでに、中途半端に呼び込んだ何がしらの力そのもに飲み込まれている。
共和国を名乗っていた、それでも生物学上では同胞であった、生き物は、すでに、何か黒い異形な意思に飲み込まれて、元の人としての形も無くなってしまっている。
そして、奴らの、攻撃は執拗で、暴力的で、圧倒的であり、研究者の6の獣研究所も、その悪意に塗り潰されつつあった。
しかし、研究者である彼女には義憤はなく、国に対する帰属意識も薄い。されど、有象無象とともに、ただひき潰されるのは、少々癪に障った。
さらには、声だ、声が聞こえた、あれを動かす時だと。妄想に素直に乗るくらいには、研究者はノリが良かった、いやむしろ、心の奥底から湧き上がる、衝動に身を任せ、狂的な笑みを上げながら、出番が来たことを知った。
ーーー
彼女はとある世界のゲーマーであった。
夢中になったのは、とあるトレーデイングカードゲーム。
食費を削って、強いカードを買い揃えた。
そして、とうとう手に入れた、そのカードを握りしめて、粗末なアパートで亡くなった。
心筋梗塞だった。
とある大会の前日、デッキを構築完了させた直後の出来事であった。
そんな、趣味に生きて死んだ、残念で素敵な女子大生であった。
ーーー
研究者の彼女は、その亡くなった”女子大生”の記憶を見る。
彼女は、飽きることもなく語りかけてくる。
最強の手札を、最速の戦術を、最高の勝利を、
睥睨せよ、たたきつぶせ、目の前のそれはただの絶望に過ぎない、
喰らい尽くせ、穿ち崩せ、無人の地を行くごとく、
高らかに笑い、いい気になっているクソ野郎の喉笛を、
さあ食いちぎりに行こう!
「出番だ”人喰い”」
周囲の破壊音に対して、研究者は意識を抑えるように、静かに語りかける。
彼女の口から、異形の言語体系を思わせる起動文が奏でられる。
獣の目に光が戻る。
なめらかに体躯が動く。
自律歯車機関が駆動する耳を突く高い唸り。
それは、”人”を終わらせる獣。
世界の主たる生き物に対して、必ず天敵とならんと意図された、ただの破壊者。
そして、彼女の前世からの相棒。
外縁であるがゆえに、屋外への道は近く、程なく、3対の足をなめらかに動かし。搬入出路から””人喰い”は悠々とその巨軀を日のもとに晒していく。
市街を睥睨するように、壊れ変えのビルへと飛び上がる。
黒い異形の、化け物に対して、大きく口を開けた。
その顎から放たれる、高密度熱量砲の絶え間ない連続砲撃が、黒い異形の敵を、穿ち貫き、地に沈める。
この咆哮が、のちに”完全に壊れている獣”と呼ばれる魔獣の、産声となった。