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聖女さまは逃げ出したい  作者: 成瀬 せらる
後:第2聖女と悪神官
8/16

8.悪神官コルトロメイ



(強くならねば)



ビキッ、と大きな屋敷の外壁全体が凍りつく。足元は分厚い氷が敷き詰められている。巨大な氷柱となった豪奢な屋敷を一瞥して、俺は踵を返した。

背後の神官さまに向かって低く告げた。


「終わりました」

「よくやったコルトロメイ。後の処理は私がやっておこう。これでアンゼリカでも連れて遊んで来い」

「ではお言葉に甘えて」


一礼して、差し出された金貨の詰まった袋を受け取る。


アンゼリカと遊べ、か。最近はこればかり。神官達は俺とアンゼリカをくっつけようとする。アンゼリカを唯一にしろという。

どうしたってアンゼリカはただの妹なのに。

アンゼリカなんか好きになれるか。



(もっと強く、守るために、)



神殿に帰って、仕方なくアンゼリカを迎えに部屋まで行った。アンゼリカの部屋は神殿の奥深くにある。大きくて立派な聖女用の部屋だ。いつもここに来ると、懐かしくて泣きそうになる。そんなことはないはずなのに。アンゼリカがここに来るまでは来たことすらなかったのに。


「コルトロメイ、どこにいくの?」


ふわふわの桃色の髪をきゅっと1つにまとめながらアンゼリカは首を傾げた。


「行きたいところは?」

「んん、特には」

「じゃあ酒場にでも行こうか」


アンゼリカを連れて街へ降りると、壮絶な違和感を感じて首を傾げた。酒を飲んでも楽しくない。美味しいとも思わない。だけど飲まずにはいられない。酒が好きだと思う。だけど美味しくないし、酔っても楽しいことなどない。一緒に出された肉も、出されれば食べたくなるけれど、あまり美味しいと思わない。牛の肉も…悪くはないけれど、そう喜べるわけではない。アンゼリカは嬉しそうに食らいついている。


「コルトロメイっていつも変な感情なのね」


アンゼリカに言われて、俺は首を傾げた。


「変?」

「うん、肉も酒も美味しくないって気持ちと、それでも大好きっていう感情が伝わるの」


アンゼリカは人の感情を読み取る。アンゼリカが俺の行動に首を傾げるのをここ何年か見ていた。


「賭けなんかも、楽しくないんだよね。でも好きって思ってる」

「…確かにそうだな」

「それからシスタリナ様にも」

「第2聖女?…俺はあの人が嫌いだ。嘘くさくて。顔も好みじゃない」


つらつらと言葉が出てきて自分で驚いた。


「…変だな、話したこともないのに嘘くさいなんて」


自分で言って、おかしなことだと思った。


第2聖女といえば、強力な洗脳能力者だ。

記憶を奪い取ることすらできると言われている。その能力の希少性、強力さは教皇に勝るとも劣らぬ、とも。


確かに自分は第2聖女のことが嫌いだ。これまでは生理的に無理なんだと思っていた。けれど、なにかおかしい。彼女の容姿は結構好みの部類に入るし、話したことがないのに嘘くさいなんて、わけが分からない。

それからよくよく考えると、神官達への気持ちもおかしい。まるで強制されているようだ。それに気付くとありとあらゆるものがおかしく感じる。突き詰めていくと、やはり原因はあの第2聖女にあるような気がした。


何かあって、聖女に洗脳をかけられたのだとしたら?

不味い酒を飲みながら、漠然と頭の中を整理していった。




その日はアンゼリカを迎えにいく途中で第2聖女を見つけた。アンゼリカと並んで歩いていた。


(やっぱり、嫌いなんだよなあ)


思わず渋い顔になる。でも目で追わずにはいられない。彼女の一挙手一投足から目が離せない。アンゼリカが走ってきて、それを見届けた第2聖女はふらりと方向を変えて歩き去ってしまった。なんだかショックだった。


アンゼリカを部屋に送り、2人で少し話をした。いつものことだった。アンゼリカの部屋は、落ち着く。ずっといたくなる。だけど、悲しくなる。ここで何かあったのだろうか。なにも、思い出せないけれど。


「コルトロメイ、また悲しそう」


アンゼリカはそう言って心配そうに擦り寄った。


「気分転換に、庭に行きましょうよ」

「そうだな」


アンゼリカは明るく言って俺の手を引いた。

アンゼリカの部屋のすぐそばにある小さな庭に2人で入る。アーチをくぐると、そこは丁寧に世話をされた庭が広がっていた。


ぐす、と誰かが泣いている音がした。

茂みを覗き込んで見ると、それは第2聖女だった。


「……」

「シスタリナ様?」


アンゼリカがぽかんと第2聖女を見つめ、それから俺に視線を向けた。第2聖女のほうも泣き腫らした目で俺とアンゼリカを交互に見つめ、ぐず、と鼻をすすって立ち上がった。


「失礼しました」


綺麗な礼をして、第2聖女は震えた声でそういった。

発作的に腕にまとわりついていたアンゼリカを振り払い、足早に第2聖女に近付く。驚いて目を見開く第2聖女の肩を両手で掴んだ。


どうしようもなく苦しい。貴女が泣いていると、苦しくて仕方ない。


「泣くな」


もう泣いてほしくないのに。

俺がそう言うと、第2聖女は大きな目を見開いた。


「もう泣かないわ」


第2聖女は落ち着いて、微笑んでみせた。その瞬間に彼女の瞳から涙が頬を伝う。親指で涙を拭って、…自分が何をしているのかわからなくなって手を離した。


「ありがとうございます、神官さま」


聖女らしく浅い礼をされた。…今のは、一体。

やはり自分と彼女の間には何かある。きっと彼女に洗脳されて無理やり忘れさせられている何かが…


「コルトロメイ」


アンゼリカが、震える声で俺を呼んだ。


「なに」


もう少しで何かが分かりそうなのに。確かめたいのに。


「もう行きましょう。その人にはあまり関わるなって、言われたでしょう」

「でも」

「コルトロメイ!」

「…わかったよ」


アンゼリカがヒステリックに叫んだ。諦めて、踵を返してアンゼリカの隣へ。去り際に聖女にひらりと手を振った。


「じゃあな」

「さようなら」


聖女は美しい声でそう言って俺たちを見送った。


第2聖女から離れてまた部屋に戻り、アンゼリカは非難めいた口調で言った。


「どうしてあんなことを」

「…俺の感情、どう思った?」


アンゼリカに尋ねると、彼女は苦しそうにぎゅっと胸を押さえた。


「とても、苦しそうだった。悲しくて、張り裂けそう。でもとても愛おしいの。愛おしくて仕方ないの…」


アンゼリカはそう言って、ぽろりと泣いた。

人の感情に感化されるとアンゼリカは時たま制御が効かなくなる。俺の感情に当てられて泣くほどに揺さぶられたようだった。


----とても愛おしいの。愛おしくて仕方ないの。


自分では、そんな風には感じていなかった。ただ無我夢中だった。どうして自分では、アンゼリカが言ったような感情に気付けないのだろうか。まるで蓋でもされているような感覚だ。

ただ、第2聖女への嫌悪感が消えていることに気付いた。


「お前まで泣くのかよ」

「だって、コルトロメイは…」


アンゼリカはそこまで言って、押し黙った。


「…なんだよ」

「解らないの。アンゼリカには」


アンゼリカはまたぽろりと涙をこぼした。




とにかく1度第2聖女と話してみたくて、次の神罰下しは能力が暴走したふりをして街中を凍らせた。あまりに大袈裟な振る舞いだったが、効果は抜群だった。

夜中の街が大騒ぎになり、朝になると神罰を恐れる信者達が神殿に押し寄せた。


「第2聖女様」


裁きのおかげで神官達が説教に走り回っている。俺は目論見通り、誰の付き添いもない第2聖女が歩いているのを発見した。声をかけると、第2聖女は冷たく言った。


「どうされましたか、神官さま」


硬い声だったが、ここで諦めては努力が無駄になる。


「この広い神殿の中でお一人では迷うでしょう」

「案内してくださるのですか」

「お望みであれば」


浅く礼をすると、彼女は困ったように眉をひそめる。しかし、ため息と共に肯定の答えが吐き出された。


「でしたら、面会の時間まで庭に出たいと思います。連れて行って頂けますか」

「かしこまりました。どうぞこちらへ」


貢物の花を育てている庭に連れていくと、第2聖女は目を輝かせた。あの箱庭よりもずっと広くて、もっとたくさんの花があるからだ。


庭に設置された休憩用のベンチに座る。聖女も素知らぬ顔で座った。俺がどんな気持ちで彼女を探していたのか、まるで気付きもしない。顔を見つめていると、嫌悪感がなくなっていることに気付いた。どうやらある程度は自分で洗脳を解除できているらしい。


「私とは会わないように言いつけられているのでは」

「別に」


いわれているが、その理由を知りたい。聖女は冷たく問いかけた。


「私のことがお嫌いでしょう」

「あんた俺に洗脳かけた?」


そう言うと、聖女の手が震えた。どうやら推測は当たっていたらしい。


「じゃないと説明つかないもんな」


聖女は困ったように視線を地面に向けた。小さく下唇を噛んで、何かに耐えるように眉をひそめている。


「あんた実は洗脳下手くそなんだな。俺がこのまま自力で洗脳を解いていったら、どうなんの?」

「下手くそ…?」

「何もかもがちぐはぐなんだよ。人に対する感想とか。神官さまの言うことには間違いだと解っていても従わずにはいられない。好きでもないのに肉を見たら食べたくなる。酒も別に好みじゃないけど飲まなきゃならない。賭けなんか何が面白いのか分からないのに誘われればまやらずにはいられない。あんたを見ると胸糞悪いのに、泣いてると放っておけないし、目で追ってしまう。なんかあったんだろ、俺たち。だから俺を洗脳したんだろ」

「…左様ですか」

「で、このまま洗脳を自力で解いても良いのだけど、時間がかかるだろ。ここまで気付いたならあとはもうどうだっていい。俺の暗示を解け」

「できません」


聖女は強い口調でそう言った。眉を釣り上げて俺を下から睨みつける。


「忘れておいたほうが良いこともあるでしょう」


もう忘れていたくないから、ここに来たのに?


「もっと強引にしたほうが好みか?」

「どういう意味でしょう…っ、あ!」


無防備な聖女の顎を掴んで、顔をぐいと近付けた。息がかかるほど近く、聖女の髪からは清廉な香りがした。聖女の焦った顔は見ていて楽しかった。


「キスしたら洗脳かけられるんだろう?俺に思い出してほしくはない?」

「ちょ、」


ほんの脅しのつもりで、意地悪く微笑む。聖女は恥じらうように目をそらした。


「……ぁ」


聖女から漏れた声が、妙に胸を逆撫でする。


「や、…やめ」


か細い声で拒否されると、これ以上の無体はできなかった。頭を冷やそうと立ち上がり、聖女から離れて深呼吸する。…こんなつもりじゃ、なかった。振り返ると聖女が大きな瞳から涙を零していた。溢れる涙を袖で拭き、止まらないことに焦って強く袖で目をこすった。そんな彼女を見ると押さえていたものが、押さえきれなくなった。

泣かないでほしい、これ以上。悲しませたくない。


「泣くな」

「…ん、…ふっ」


必死で押さえていた気持ちが、溢れるようだった。近付いて彼女の手に触れると、我慢だとか自制心という最も基本的な神官の資質が零れ落ちていく。彼女の唇に触れるとどうなるか、分かっていた。また洗脳を受けて、また違う人間になるかもしれない。完璧に壊されるかもしれない。なのに、触れずにはいられなかった。彼女の唇に触れると、外れていたパーツがぴたりと嵌ったような感覚があった。確かな手応えだった。


----とても愛おしいの。愛おしくて仕方ないの。


今更アンゼリカの言葉の意味が分かったような気がした。ずっと押し込めていたものだと、理解した。


彼女が逃れようと弱々しい抵抗をしたのを、頭を押さえて封じる。


(いつか私を…思い出してね)


ふいに彼女の言葉が脳裏に過って、正気に返る。唇を離すと、彼女は上気した顔で俺を見つめた。


「あ…」


あまりに可愛くて、愛おしくて、胸がぐりぐり締め付けられるようだった。


「やば…」


このままではまずい。止まらなくなる。シスタリナは扇情的すぎる。

何かを思い出せそうで、あと少し…とはさすがにいかない。自制心を取り戻して、落ち着いて自分の唇を拭う。シスタリナに触れたと思うと変な気持ちになる。呆然としている彼女の唇を拭うと、彼女は自分の唇を自分の袖でもう一度拭った。何故か傷付いた。…突然よく知らない男にキスされれば、当然嫌だろうな。酷いことをしてしまった。過去に何か関係があったかもしれないけれど、今の俺とは全くの他人で、その他人に唇を奪われれば呆然とするのも仕方ないだろう。…最低なことをしてしまった。


「その、ごめん。勢いで…」


勢いというか、なんと言うか…でも他に説明が、できない。


「部屋に戻ります」

「お、送る」

「見張りなら結構です。逆らったりしません。面会は…今日は具合が悪いということにしておいてください。明日は頑張りますから」

「ま、」


待ってくれ、と言いかけた言葉は、続かなかった。彼女が俺の手を振り払い、足早に去って行ったからだった。


(貴女を愛していました)


やけに丁寧な口ぶりの自分の言葉が、脳裏に蘇る。誰に向けたのか、いつ言ったのかもわからない言葉だった。頭痛がして、その場に蹲る。


あの聖女に向けての言葉なのか、それとも別の誰かか…もう、解らない。わかりそうで、いつも解らなくなる。もう少しなのに。あと少し…


「シスタリナ…?」


聖女の名前を無意識に呟いて、目を閉じた。


少しすると頭痛が治って、彼女に謝って、許しを請いたいと思った。だから聖女の居住区に行って、シスタリナの部屋の前まで辿り着いて、扉をノックしようとしたが、手が止まった。


「…っ、ひっ、ふ」


啜り泣くようなか細い声が漏れていた。シスタリナが、泣いている。他でもない俺のせいで。

それがどうしようもなく苦しくて、あまりにも切なくて、扉の前にずるずると座り込む。聖女に拒絶されたことが何故か心を痛めた。どうして、とすら思った。頭では、よく知らない男にいきなり迫られて恐れてしまうのは、わかっていた。でもシスタリナに拒まれると、まともな思考が動かなくなる。


「ごめん…」


扉の前でそう呟いて、呆然と開くことのない扉を見つめた。




色んな意味で悪。自覚のない感情が暴走しがちなコルトロメイでした。

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