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聖女さまは逃げ出したい  作者: 成瀬 せらる
前:聖女と神官
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5.シスタリナの背信


なんだか教団の様子がおかしい。

というより、高位の神官たちが私を見る目が、完璧にいつもと違う。慇懃に接されている。何かがおかしい。ここ数日の私への扱いは、明らかにいつもと違っていた。


「調子はどうです、シスタリナ」

「いつもと変わりません」


教皇との食事。教皇からの何気ない質問には、普通神に仕える神官や聖女といった身分なら食べることを許されない牛の肉を食べながら答えた。肉は美味しい。食べると生きていることを実感する。


「最近信者離れが激しくてね」

「信者離れ、ですか?」


思わず肉をとり落としそうになったのを何とか堪えて、口の中の物体を嚥下する。美味しいはずの肉なのに、味がしなかった。喉から胸に降りていく物体の、詰まるような感覚がやけに苦しく感じた。

教皇はにこにこと人の良さそうな笑顔を浮かべながら、腕を組む。


「何か知っているかなと思ってね」

「私の能力にも陰りが出始めたのでしょうか?」


どくり、どくり、と心臓が嫌な音を立て始めた。

能力が弱まることは、まあまずない。ほとんどない。だけど稀にそうなることがある。精神的に強い衝撃を受けたり、老化による影響だったり…今の所私には両方当てはまらないけれど、万が一、そういうことがあるかもしれない…ということにしておきたい。


「シスタリナを疑っているわけではないのだよ」

「…左様ですか」

「他に何か理由があるのかもしれないしね」


教皇はそう言って、肉を切り始める。ほっと一息ついて、私もまた肉を口に運び始めた。

教皇は私が食べる様を、まるで心の内を見透かしているように微笑みながら眺めていた。全部分かっているとでも、言いたげな笑顔だった。また心臓が凍りつきそうになる。…ばれていない、はずなのに。


「まあ、今日にでも裏切り者は消しますが」


からん、とナイフが手から滑り落ちた。教皇はいつものように口の端だけで微笑んで言う。


「どうしました、シスタリナ」

「べ、べつに」


まずい。私か、コルトロメイか、どちらかから企みがバレている。揺さぶりをかけられている。平静を装いながら、完全に失せた食欲を前に席をたった。




部屋に帰ると、部屋の中にコルトロメイがいた。ランプもつけずにぼうっと私の寝台に座っていた。


「コルトロメイ」

「シスタリナ…」


コルトロメイは憔悴しているように見えた。ランプを点けると、青白いコルトロメイの顔が浮かび上がる。コルトロメイは私の顔を冷たい手で触った。


「顔が青いですよ」


コルトロメイは私にそう言って、冷たい手を頬に擦り付けた。


「コルトロメイのほうが青いよ」


私の手をコルトロメイの頬に乗せる。コルトロメイは頬まで冷たかった。彼は氷の能力者だから、冷たいのが元々なのかもしれない。無意識の能力解放は、能力者の性だから。特に感情が不安定な時ほど、漏れてしまう。私は口付けが必要だから漏れようがないのだけれど。でもこの心理状態で洗脳しようとすると…程度が、分からなくなる。どのくらいかかってしまうのかわからない。洗脳は強くかけすぎると、かけられた人の人格が崩壊する恐れがある。洗脳が強すぎて、自我が保てなくなるのだ。人によっては二重人格になってしまったり、狂ってしまったりもする。もう完璧に元には戻らないこともある。洗脳解除をしても、だ。特に自分の信念を完全に曲げるようなものや、記憶操作を目的とするもの、人格を変えてしまうようなものはかなりきつい。できれば私もしたくない。意識を失うほど強く能力を使うことになるからだ。


「私に祝福を贈ってくださいと言うと、軽蔑しますか」

「教皇や神官が恐ろしくないように?それとも、私たちの反逆を…忘れるために?」


勇気を奮い立たせるための祝福なら、私だって欲しい。だけど、今までの反逆を無かったことにするような洗脳なら…コルトロメイの、不正を許さぬ強い心を無理に捻じ曲げてしまうときっと、心を壊してしまう。


「皆私を疑っています」

「…どうして?」

「私が見張りの時の信者ばかり、寄付を渋るから」


それは、見つからないはずが、なかった。今更そんなことに気付くなんて、なんて愚かな。私たちはなんて、馬鹿だったのだろう。


「もう辞めよう。企みは…きっと気付かれているわ。まだ証拠がないから罰されていないだけ。今なら引き返せる。最悪私がコルトロメイを洗脳して操ったことにするから、大丈夫よ。もう心配しないで」

「そんなことをすれば貴女は…!それなら私が貴女を脅してそうさせたということにします!私は…貴女の身が心配なのです」

「コルトロメイは嘘なんてつけないでしょ。それに、私よりも貴方が心配なの」


コルトロメイの手を握る。指が触れ合って、自然と恋人たちがそうするように、指を絡め合う。冷たい指先が心地良く感じる。コルトロメイはそうっと私の頭に自分の頭を乗せた。


「私は……」


コルトロメイの冷たい髪が、頬をくすぐる。私は何か言おうとしたけれど、何も続かなかった。私とコルトロメイのこの先は、一体どうなるの。ばれてしまっているなら、生殺しの状態だ。わからない。私たちの浅慮が招いた結果がどうなるのか。でもきっと、1件目を見逃したところでこうなるのは、分かっていたこと。今更怖気付いているだけ。折檻覚悟の行為だったはずなのに。


なのに、今となってはコルトロメイとの時間が惜しい。こんなにも、この時を永遠にしたいと思ってしまっている。


「私に祝福を」


コルトロメイがそう言って、私の顔をじっと覗き込んだ。息がかかるくらいに近い距離だった。


「今更、一体何の?」


堪らずそう訊ねると、コルトロメイはふと儚く微笑った。


「貴女に好きだと言う勇気を持てるように」


うそ、うそだといって。こんな状況なのに、耳まで熱くなって、ぽうっと目が潤んだ。


「何があっても貴女を忘れぬように、祝福を」


どうして私を忘れるなんて、思うの。

もう殺されるような口ぶりをして。私に好きだと言って、それなのに死ぬつもりなの。私は、死にたくない。1人にされたくもない。


「コルトロメイ、私と一緒に、逃げて」

「シスタリナ」


思わず口から滑り落ちた願いに、コルトロメイはぽかんと口を開けた。

コルトロメイと生きるなら、ここから逃げるしかない。ここには救いがない。私たちの背反が気付かれたならば、どんな手を使ってでも引き離されるだろう。最悪2人とも死ぬ結果になる。そんなのは、嫌だ。


「おねがい、一緒に生きて」

「シスタリナ、シスタリナ…」


コルトロメイは私に縋り付いて、私の名前を呼んだ。コルトロメイにとって神殿から離れることは、則ち罪そのものを意味する。信仰を捨てきれないコルトロメイには最も酷な選択だろう。私と生きるか、ここで朽ちるか。神を信じるか、神に背くか。


「神よ、お許しを…」


コルトロメイは目を閉じて、小さく祈りの言葉を囁いた。私はじっとコルトロメイを抱き締めて、泣きそうなコルトロメイの髪を撫で続けた。手に触れた神官の証のバッジと、髪飾りを取り払って床に投げ捨てる。コルトロメイはそれをちらりと見て----目を背けた。



2人で揃って、こっそり窓から外に出た。私の部屋の窓は高いところにあってとても1人では出られなかったけれど、そこはコルトロメイが肩車をしたり、能力で足場を作ってどうにかしてくれた。


神殿の外まであと少し。裏門から出たくて、茂みに身を隠してきょろきょろと周りを伺う。コルトロメイの周りは冷気が漂っていた。緊張なのか、背徳感からなのか、コルトロメイは能力の制御不能状態に近い。垂れ流しだ。足元が完全に凍っている。かくいう私も心臓がばくばくと激しく動き、まともな思考を保てていない。


「神よ」


コルトロメイはまた小さく祈った。逃げ出すまではやはり私が洗脳をしたほうが良いのだろうか。そのほうがコルトロメイが落ち着くというなら、吝かではないけれど……


今なら見張りもいない。私はコルトロメイの手を引いて、2人で立ち上がった。


その瞬間。


「シスタリナ!」

「きゃあっ!」


コルトロメイが私の背を強く押した。押された私は転んで、足を地面に擦りむいた。痛い。涙目で振り返ると、そこには、矢を受けた肩を押さえるコルトロメイがいた。赤い血が滴り、コルトロメイの白い法衣を染め上げていく。


「あ…イヤ…う、うそ、コルトロメイ、うそよ」


見張りはいなかったのに。

誰も周りにはいなかったのに。


俄かに騒がしくなり、私たちを取り囲むように神官たちが集まる。コルトロメイは脂汗を浮かべながら周りを睨んで、私を庇うように引き寄せた。コルトロメイの血が、私の背中に滴る。地面に滴った血が赤い氷になっていく。


「どこへ行くのです、聖女さま」

「聖女なんかじゃないわ…!」


神官の1人に言われて、反射的に今まで思っていたことを率直にぶつけた。


「私は聖女じゃない、貴女たちに作り上げられた、ただの詐欺師よ!」

「ではその詐欺師がどこへ行くのです」

「貴方達のいないところへ…!」


じり、じりと神官達が近寄ってくる。コルトロメイが、冷たい。背中に伝わる温度が、普通ではない。一歩踏み込むと地面がぱきりと音を立てた。


地面が、凍っている。

まるで真冬の大地のように。コルトロメイから広がった地面の凍結は、コルトロメイが本当に能力の制御ができていない証だ。そしてこうして能力を使っていると…傷は塞がらない。様子が変だ。毒も盛られていたのかもしれない。


「コルトロメイ、抑えて…力を使わないで、血が止まらなくなるわ」


コルトロメイを背中に庇いながら、低くそう言ったけれど、コルトロメイは無言だった。無言のまま、苦しげに荒い息を吐き出す。


「コルトロメイをこちらに」

「嫌よ!」


神官がコルトロメイに一歩近づく。私は喉が張り裂けそうなほどに大きな声で拒否を示した。


「聖女さま、声を小さく。このやり取りが信者や修道士たちに聞こえるとまずい」

「嫌よ、言ってやるわ!私は詐欺師よ!聖女さまじゃないわ!…っ、コルトロメイに近寄らないで!来ないで!」


神官達がまた近寄って、ついに私の腕を掴んだ。それから倒れこむコルトロメイを、私から奪った。コルトロメイ抱えて神官達が歩き始める。私も強く腕を掴まれた。腕を引かれて無理やり歩かされる。また叫ぼうかと息を吸い込んだ瞬間に、神官に首を押され、喉を掴まれた。


息が、できない…っ


苦しくて、痛くて、もがくけれど許されない。意識が落ちる。コルトロメイが連れ去られて行くのを見ながら、視界が真っ暗になっていく。このまま、私は死ぬの?ここで終わってしまうの?何も成せないまま…





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