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聖女さまは逃げ出したい  作者: 成瀬 せらる
前:聖女と神官
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4.コルトロメイの罪



「あ、コルトロメイだ!コルトロメイ!」


桃色のウェーブがかった髪を揺らして、シスタリナより少し幼い少女が私に走って寄ってきた。彼女はアンゼリカという、能力者だ。髪よりも濃い桃色の瞳を輝かせて私に飛び付いた。


「どうされましたか」

「今日ね、能力を測定したら安定感が出てきたって!あ、コルトロメイも楽しいことがあったのね?嬉しそうだわ」


彼女の能力は、人の感情を読み取り、増幅させること。ゆくゆくはシスタリナのような聖女に据えられるのだろうけれど、今の段階で彼女の能力がシスタリナほどではないため、訓練中の扱いになっている。人懐っこい彼女は私や神官たちに愛想を振りまいて、可愛がられている。


「アンゼリカには何でも分かってしまいますね」


昨日は神罰下しがあって、罪悪感に苛まれた。だけど今日は、これからシスタリナに会える。神官さまに教皇さまと食事をとっているシスタリナを迎えに行くように頼まれたからだ。


「何があったの?ねえ、教えて!」

「別に何も。今日も神にお仕えできて嬉しいのでしょう」

「アンゼリカには教えてくれないのね、意地悪!」


ぷう、と頬を膨らませてアンゼリカが拗ねる。


「私に話しかけてはいけませんよ」

「なによ、いまさら」

「…神官さまに怒られますよ?」

「どうしてコルトロメイだけ、だめなの?」


どうして、って。罪の力を背負って生まれてしまったからに決まっているのに。罪の力がうっかり発現してしまわぬよう、隔離して育てられたのに。


ひそ、と確かな温度を持った悪意ある言葉が耳についた。周りの修道士たちの言葉だった。


「悪魔だ」

「これ以上罪を犯さぬよう教団で飼っているだけさ」

「なのに神官になったのか?」


人の悪口に敏感になった心は、きしりと痛んだ。何でもない風に接してくれるのは神官たちと、アンゼリカだけ。だけどアンゼリカはただ無知なだけで、神官たちは自分を利用しているだけ。

シスタリナだけが受け入れてくれた。シスタリナだけが、間違いを間違いだと教えてくれた。シスタリナだけが、能力を忌まわしいものと断じてくれた。シスタリナだけが自分の孤独を救った。


「そのうち分かります」


無邪気に首を傾げたアンゼリカの髪を撫でて、私は立ち去った。




教皇のために誂えられた豪勢な部屋の前で控えていると、シスタリナがいつもように静々と出て来た。私は礼をして迎え、シスタリナの右後ろに着く。


「聖女さま」

「はい。どうされましたか、神官さま」


シスタリナがあまりにも余所余所しいので、私は拍子抜けしまった。めげずにまた話しかける。


「食事はいかがでしたか」

「美味しゅうございました」


シスタリナはつれなく答えて、それから2人とも黙り込んだ。シスタリナと話せると思って喜んで来たのに、これはあまりにも、がっかりだった。シスタリナに嫌われてしまったのだろうか。だったら私は、多分当分立ち直れない。


シスタリナの部屋の前で、私はまた一礼して立ち去ろうとした。その瞬間に法衣の袖をシスタリナがそっと掴んで、背伸びをして言った。


「入って」


シスタリナの部屋に入るのは、初めてのことだった。

部屋は広くて、何もかもが上等のものだった。それからシスタリナの清廉な香りがした。どうして招き入れられたのか分からなくて、私は首を傾げる。少なくとも嫌われてはいないようだ。安心、した。

シスタリナはなぜか不機嫌そうにむくれていた。


「何か知っているなら教えてね」

「なんでしょうか」


シスタリナは不可解そうに首を曲げながら尋ねた。


「…私のこと、誘惑するようにとか、言われてない?」

「何故?」


何のために。思わず聞き返す。


「私のような末端の神官が、シスタリナのような聖女さまに手を出せるわけがないでしょう」

「そ、そうよね」

「私は神に身を捧げていますから、そういった俗世間の行いには…」


誰か1人を愛すことは、信仰が許さない。特に神官や聖女は、信者全てを平等に愛するのが掟だ。


「真面目ねえ…」


シスタリナはそう言って嘆息した。


「シスタリナは恋をしたいと、思うのですか?」

「思うわよ」


シスタリナはけろりと言った。


「意外です」

「…そう?私って、結構俗っぽくて普通よ」

「あまりにも完璧な聖女だったから」

「そ、そうかな」

「清らかで、美しくて、その場の空気を清浄にするような…まさに、絵に描いたような聖女だと」

「あ、ありがと…」


シスタリナは紛れもなく、こうして気楽に話をするまでは絵に描いたような完璧な聖女だった。聖女らしく、清純で無垢で、儚く美しいひとだった。シスタリナは恥ずかしそうに目を逸らす。


「でも、今のような、気さくなシスタリナの方が、私は可愛らしいと思います」

「…………ありがと」


遠い存在だったあの頃より、今の親しみやすいシスタリナのほうがずっと好きだ。

シスタリナは顔を赤くしていた。私は首を傾げてそれを眺める。シスタリナは少し押し黙って、顔の赤みが引いてきたところで話し始めた。


「いつかこんなところ逃げ出して、どこか小さな村で静かに、普通に暮らすのが夢なの」

「…そうなのですか?」

「教団の手の及ばないところで、ひっそり、頼り甲斐のある強くて素敵な旦那さまと暖かい家庭を築くの。筋肉のある人がいいわ。腕っ節が強い方が私のことを守ってくれそうで」


私はその見ず知らずの旦那さまに不快感を覚えた。シスタリナの旦那さまは、筋肉のある強い人になる予定らしい。自分の筋肉などほとんど付いていない薄い身体をちらりと見て、悲しくなった。

シスタリナの描く未来に私はいない。


「それは良い夢ですね」


そこに私がいれば。シスタリナとずっと一緒にいられるなら、もっと良い夢だったのに。


「思っていないでしょ?貴方の夢は?」

「立派な神官になり、教団の教えを広めることです」


嘘偽りのない回答だった。私は立派な神官になりたいし、この素晴らしい教えを広めたい。しかしシスタリナは呆れた顔で私をじとっと見つめた。


「コルトロメイは家族を作りたいとか、思わないの?」

「一緒になりたいと思った人もいませんし…教団が家族だと思っていますから」

「1度恋をすれば変わるかもね。私も恋はしたことないけれど、とても素晴らしい体験だと聞いているわ」


恋、か。誰か1人を、罪深い私が愛しても、良いのだろうか。たとえばシスタリナを…と思うと、急に胸がどきりと脈打った。シスタリナはそんなことに気付かずに話を進めていく。


「神様だって愛は奨励しているじゃない。人を愛せよ、って。なのに聖女や神官は誰か1人を選んではならないなんて、矛盾してるわ」

「神様に近ければ近いほど、もっとより広く沢山の人を愛し、無償の奉仕が出来ると考えられています」

「ばっかばかしい。私はただの人よ。神になんて近くないわ。ただの詐欺師だもの」


違う。シスタリナは、ただの詐欺師ではない。


「シスタリナはただの人ではありませんよ」


思わず強い口調で言ってしまった。シスタリナは訝しげに尋ねる。


「どうして?」

「私の目を覚まさせて、正しい方向へ導いてくれる、聖女です」


シスタリナがいなければ、私は教団の闇に絶望して、信仰を守れなかったかもしれない。シスタリナがいなければ、ここで楽しさを見出せず、死んだように生きていただけかもしれない。シスタリナがいたからこそ、私は生きることに喜びを知り、教団の教えと信仰を守ることができる。シスタリナこそが私の道しるべ。


シスタリナはそう言うと困った顔をして押し黙ってしまった。


どうにかしてシスタリナを笑わせたいけれど、どうすればいいのかわからず、その日はそのまま解散した。





シスタリナが面会を終える頃に果実水を用意して、能力で冷やしておいた。冷たいものは貴重なので、シスタリナはきっと喜ぶ。


「お疲れ様でした。本日はここまでです」

「ありがとう、コルトロメイ」


果実水を手渡すと、シスタリナは嬉しそうに飲み干した。


「美味しい」

「喜んでいただけて何よりです」


よかった、気に入ってもらえて。能力で作ったものなんて気持ち悪がられるかと思ったけれど、安心した。シスタリナは手を伸ばしてわしわしと私の頭を撫でた。心地よくて、このままずっとそうしていてほしくなる。なのにシスタリナは急にその手を止めた。


「年下の女にこんなことされたら嫌よね」

「シスタリナになら、嫌ではありません」


それどころか、もっと触れて欲しいと思う。シスタリナの隣に座って、今度は私が彼女の頭にそっと触れた。彼女のさらさらの髪に指を通す。この手に触れられると神の罰が下るとか、そういった類いの抵抗はなかった。 変な感じだ。修道士たちは自分が触れたものにすら恐怖を感じていたのに。


「嫌ですか」

「コルトロメイになら…悪くないかな」


良かった…。嫌ではないなら、このまま触れていたい。シスタリナは恥ずかしそうに笑いながら言った。


「私、こうして普通に話せる相手はコルトロメイしかいないの」

「私もです」

「そうなの?神官なら、他にも同期の修道士がいるでしょ?」

「私は変わった能力者ですから、別に育てられましたので」


アンゼリカはいるけれど、気軽に話しているかというとそうでもない。それよりもよっぽどシスタリナといるほうが、心が弾む。


「だからシスタリナと話していると、楽しい…」


そういうとシスタリナは頬を赤く染めて、にっこりと微笑み返してくれた。


シスタリナは、知らないのだ。自分が他からどう思われて、嫌悪されているかを。穢れのないシスタリナに自分の罪が移ってしまいそうで怖くて、これ以上触れることはできなかった。ゆっくり手を離して、一歩距離を置く。シスタリナは不思議そうに首を傾げたけれど、それ以上追及はしなかった。


ああ、私は、シスタリナのことが、きっと好きなのだ。神官として、神に仕える身として相応しくない感情を抱いてしまった。

だからこそ自分の罪を、シスタリナに移したくはない。




数日後のことだった。


「おい」


シスタリナを教皇との食事に送り出してから神官の居住区に戻ると、後ろから父が乱暴に声を掛けてきた。


「どうされましたか」


できるだけ落ち着き払って答えるが、父は眉を釣り上げたまま私に詰め寄った。


「お前、聖女と何か企んでいるだろう」

「…聖女さまと、ですか?」


どくりと心臓が跳ね、声が裏返った。


「惚けるな。お前が見張りをしていた日にやってきた信者ばかり寄付を渋る。…何をした」

「な、なにも」


どくり、どくり、と心臓が嫌な音を立てていく。


「ふん、証拠を掴んだら確実に捕まえてやる。覚えていろよ」


乱暴に肩を押され、よろめきながら何歩か後ろに退がる。


ばれている。

シスタリナと私の企みは、神官たちに気付かれている。証拠がないから捕まらなかっただけだ。捕まってしまえば、私は、シスタリナは…


恐ろしさのあまり、そのままふらふらとシスタリナの部屋まで無用心に歩いて行った。無人の部屋の扉を開けて、シスタリナの寝台に座り込む。ランプも付けずにそのまま、シスタリナが帰ってくるまでぼうっと虚空を眺めていた。


このまま、目論見が露見すれば、私は殺されるだろう。悪くすればシスタリナも、だ。

良くても2人は引き離され、私は2度と神殿に立ち入ることも許されなくなるだろう。シスタリナを忘れるように洗脳をかけられるかもしれない。


シスタリナに何も告げることすらできず、離れ離れになってしまうのだろうか。

勇気がないばかりに、好意を伝えることすらできず、感謝の気持ちもろくに言えず、2度と会えなくなってしまうのだろうか。

シスタリナの柔い肌や、さらさらの髪に2度と触れられなくなるのだろうか。


そう思うと、堪らなく怖くなった。命を失うことや信仰を捨てることよりも、シスタリナがいなくなったり、シスタリナ自体を忘れることが恐ろしい。


シスタリナがいなくなれば私はまた、孤独になる。1人になる。


シスタリナを知る前なら、耐えられただろう。信仰のためにならどんなことでもしただろう。でも今の私には、できない。

シスタリナのいない未来なんてもう考えられない。



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