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聖女さまは逃げ出したい  作者: 成瀬 せらる
前:聖女と神官
3/16

3.シスタリナの夢



今日の見張り役はコルトロメイではなかった。コルトロメイは他に役目がある…つまり、神罰下しがあるため、ずっと私に張り付いているわけにはいかないらしい。神官たちも私にうっかり洗脳されないよう、ローテーションを組んで毎日同じ神官が付かないようにしていたので、2日とも同じだったコルトロメイのほうが珍しいといえば珍しいのだけど…


「あなたに祝福を授けましょう」


決まった台詞を吐き出して、信者に口付けを落とす。脳に負荷がかかるような感覚がする。信者に貼り付けられたような笑みが浮かび、洗脳が完了したことを悟った。また会いにきますと約束する信者にやんわりと微笑みかけ、神官が信者を見送るのを見届ける。


「…コルトロメイ、元気かなあ」


ひとりきりの部屋でぽつりと呟くと、何故か安心した。

ここで唯一の味方を手に入れたと思うと、なんだか胸が暖かくなる。コルトロメイは流されやすくて意思の薄い、子供みたいな人で頼り甲斐はないけれど、可愛らしくて構ってあげたくなる。


「聖女さま、次の方をお連れしました」

「お通しください」


頭を振ってコルトロメイを振り払い、聖女らしく、綺麗な声を作って次の信者の相手を始めた。


にしても今日の神官は1番嫌いな奴だ。

暴力と酒と女を好む、神官らしからぬ男。私に1番最初に痛みを教えたのは彼だったと思う。もう昔のことだから、記憶は曖昧だけれど…蔓草を操る能力持ちで、逃げようとしたらすぐに蔓草で足を掴まれて動けなくなる。蔓の締め付けを段々きつくしながら殴りかかってくるのが、幼い私にはトラウマだった。だからこいつは苦手。無理やり酒を飲まされたこともある。あまりに沢山飲ませるものだから思わず吐いたら猛烈に殴られた。

信者を洗脳し、帰らせた後で、ちらり、と件の神官を見ると、神官はゴミを見る目で私を見下ろした。


「なにか」


神官が私にそう問うた。あ、やばい。このままだと目つきが悪いだの生意気だのと言われてまた殴られる。


「…次の方をお連れください」

「ふん、言われずともそうするわ」

「失礼しました」


頭を下げると、神官は不快そうに言った。






「コルトロメイは気に入りましたか」

「新しい神官…でしたっけ」


週に1度、聖女の私は必ず教皇と食事をとらねばならない。

教皇に尋ねられ、私は素知らぬ顔で答えた。あまり親しくしているのを知られない方が良いと思ったからだった。柔和な笑みの初老の教皇は、笑みを深める。


「年が近くて話しやすいかと」

「…私は神官とはあまり話しませんから」

「貴女は勤めに熱心だと聞いているよ。だが、息が詰まるだろう?年頃の友人を作っても良いかと思いましてね」

「でしたら世話役に年頃の女の子を配置していただきたいと思います」

「貴女の世話を任せられるような子が居れば良いのですけどねえ」


意味ありげに教皇はそう言った。


「信仰心の強い、心の強い者でないと」


つまり、私の洗脳にかからないような人でないといけない、ということらしい。私が今の状況を良しとしないことを、十二分に理解しているのだろう。なのに、どうしてコルトロメイのような者を選んでしまったのだろうか。

教皇様は人の心を読むのが上手だから、動揺や疑念を見透かされるのが怖くて、私は話を逸らそうとふらりと視線を皿の上に戻した。


「これ、美味しいですね」


教皇は私の皿に乗った、珍しい果実を興味なさげに見つめた。


「これは貴重な物だよ、シスタリナ。神罰が下り、もう2度と食べられぬものだ」

「…神罰が」

「ええ。信仰心を忘れ、寄付を渋ったため神がお怒りになり、この珍しい果実がなる木を氷で枯らしてお仕舞いになったのです」

「左様ですか。でしたら大切に食べねばなりませんね」


…コルトロメイが下した神罰だ。ずきりと胸が痛む。でもそれを気取られれば、どうなるか…私は何食わぬ顔顔で果物にフォークを突き刺した。


「信者が迷わぬよう、よくよく導いてやってくださいね」

「それが私の使命ですから」


そう言いながら、作り笑いを浮かべた。聖女らしく清純な笑顔を心がける。

ああ、反吐が出そう。




食事を終えると、コルトロメイが迎えに来た。私の移動には大抵神官が見張りとして付きそうから、コルトロメイもその一環なのだろう。私は廊下ではコルトロメイに聖女らしく、つれなく振る舞った。何か話していて教皇や他の神官に見られればきっとまずいことになる。教皇が何か企んでコルトロメイを差し向けたことは、なんとなく理解した。コルトロメイは多分それに気づいていない。コルトロメイはあまりにも生真面目で、素直で、純朴だ。まるで騙されている信者のよう。

部屋に戻り、こっそりコルトロメイを招き入れた。コルトロメイは首を傾げながら入って来た。コルトロメイの綺麗な切れ長の瞳には、むすっと不機嫌そうな私が映る。


「何か知っているなら教えてね」

「なんでしょうか」


コルトロメイはこてんと首を傾げる。


「…私のこと、誘惑するようにとか、言われてない?」

「何故?」


困惑顔のコルトロメイはそう言って逆サイドに首を傾げた。


「私のような末端の神官が、シスタリナのような聖女さまに手を出せるわけがないでしょう」

「そ、そうよね」


そう、私は聖女。聖女とは清らかな乙女。誰か1人を愛すことは許されない。許されるのは誰にでも平等に愛を与えること。そして神官はそんな聖女を支えるためにいる。恋愛対象になるなんて、掟破りもいいところだ。でも今日の教皇の口振りは…


「私は神に身を捧げていますから、そういった俗世間の行いには…」

「真面目ねえ…」


コルトロメイは生真面目に教えを守り、一生恋愛などしないつもりのようだった。そんなことを言っても、他の神官たちは俗世間が大好きだから飲酒もすれば女も買うような男たちばかりなのに。コルトロメイも私の背後に立つということは、そういう俗世のまやかしに飲み込まれるのを是とするしか、ないのに。どうしてこんなに真っ当に綺麗な人がここに来てしまったのだろう。可哀想に。能力なんかがあるせいで。


「シスタリナは恋をしたいと、思うのですか?」

「思うわよ」


だって私は、普通の女の子なのだもの。聖女らしく振る舞うのは自分の命が惜しいから、ただそれだけ。だから下級の修道女が自由に恋愛だのなんだのと騒いでいるのを見ると羨ましくて仕方ない。能力さえなければ、私もただの村娘で、ゆくゆくは素敵な旦那さまと幸せな家庭を築く予定だったのに。


「意外です」

「…そう?私って、結構俗っぽくて普通よ」

「あまりにも完璧な聖女だったから」

「そ、そうかな」

「清らかで、美しくて、その場の空気を清浄にするような」


カッと頬が熱くなった。面と向かってそう褒められるとは思っていなかった。コルトロメイの曇りのない目でそう言われると余計に恥ずかしかった。それから、聖女の擬態が完璧なのは理解した。


「まさに、絵に描いたような聖女だと」

「あ、ありがと…」


コルトロメイは私の反応を見て、こてんと首を傾げた。


「でも、今のような、気さくなシスタリナの方が、私は可愛らしいと思います」

「…………ありがと」


悪かったわね、本性はガサツで。恥ずかしくなって目を逸らす。


「いつかこんなところ逃げ出して、どこか小さな村で静かに、普通に暮らすのが夢なの」

「…そうなのですか?」

「教団の手の及ばないところで、ひっそり、頼り甲斐のある強くて素敵な旦那さまと暖かい家庭を築くの。筋肉のある人がいいわ。腕っ節が強い方が私のことを守ってくれそうで」

「それは良い夢ですね」

「思っていないでしょ?貴方の夢は?」


コルトロメイは困ったように笑った。


「立派な神官になり、教団の教えを広めることです」


真面目か。

教団に見切りをつけた私と違って、コルトロメイは神を、教えを信じている。教団を逃げ出したい私と違って、コルトロメイは教団をより盛り上げるのが目的。ただコルトロメイは純粋すぎて、教団の汚いところを見逃せなかっただけ。私は神なんてここにはいないと思っているけれど、コルトロメイはここにこそ神がいると思っている。聖女の役割は最早信じていないだろうが、教皇の教えは信じているだろう。天罰の役割には疑問を抱いたようだけれど、結局それも私が反抗しているから疑問に思っただけで、本心から間違っているとは思っていない。


「コルトロメイは家族を作りたいとか、思わないの?」

「一緒になりたいと思った人もいませんし…教団が家族だと思っていますから」

「1度恋をすれば変わるかもね。私も恋はしたことないけれど、とても素晴らしい体験だと聞いているわ。神様だって愛は奨励しているじゃない。人を愛せよ、って。なのに聖女や神官は誰か1人を選んではならないなんて、矛盾してるわ」


恋すら知らず、ここで死ぬまでこき使われるなんて真っ平御免被る。


「神様に近ければ近いほど、もっとより広く沢山の人を愛し、無償の奉仕が出来ると考えられています」

「ばっかばかしい。私はただの人よ。神になんて近くないわ。ただの詐欺師だもの」


私はただ、洗脳するための道具。ただの詐欺師。聖女のせの字もないただの能力者。それに神に最も近いとされる教皇ですら、堕落しきっているというのに。何もせず寄付を募って贅沢することしか考えていないのに。


「シスタリナはただの人ではありませんよ」

「どうして?」

「私の目を覚まさせて、正しい方向へ導いてくれる、聖女です」


コルトロメイは一点の曇りもない笑顔でそう言った。


(違うわ、貴方は目を覚まさない方が幸せだったのよ。私は貴方を巻き込んでしまっただけ)


聖女らしさのかけらもない理由で巻き込んだ、可哀想なひと。申し訳なさを感じて、私は黙り込んだ。





禊で濡れた髪を布で拭きながら、いつもの面会に行く。今日の見張りはコルトロメイだ。ほっと安心して、思わず表情が緩んだ。コルトロメイは釣られて微笑んだ。今日も今日とて信者の洗脳を解くべく説教する。もっと有意義なお金の使い方を。商売は神頼みしてもいいことないから。なんて言っていると今日の面会は終了した。


「お疲れ様でした。本日はここまでです」

「ありがとう、コルトロメイ」


よく冷えた果実水を手渡され、素直に美味しく頂いた。冷たい。喉が凍りそう。きっとこれは彼が気を利かせて能力で冷やしたのだろう。いかに教団とはいえ、冷たいものは贅沢品でなかなか手に入らない。


「美味しい」

「喜んでいただけて何よりです」


にっこり笑うと、コルトロメイは照れ臭そうに微笑む。思わずわしわしと彼の頭を撫でた。彼は不思議そうに、でも嬉しそうにされるがまま撫でられる。


「年下の女にこんなことされたら嫌よね」


ぱっと手を引っ込めると、コルトロメイは不満そうに唇を尖らせた。私はたった16歳の少女で、コルトロメイは20を超えた大人。こんな風に気楽に話しかけられているのも、教団の厳しい上下関係からはあり得ないことだ。


「シスタリナになら、嫌ではありません」


コルトロメイは私の隣に座って、そうっと私の頭を撫でた。そして私の顔を覗き込んで、こてんと首を傾げる。


「嫌ですか」

「コルトロメイになら…悪くないかな」


触れられた頭が、熱い。能力を使っていないのに、脳に負荷がかかる。コルトロメイは嬉しそうに破顔した。間近でその綺麗な顔で笑われると、流石にどきりと胸が鼓動した。


「私、こうして普通に話せる相手はコルトロメイしかいないの」

「私もです」

「そうなの?神官なら、他にも同期の修道士がいるでしょ?」

「私は変わった能力者ですから、別に育てられましたので」


…そうか。神罰のことを、誰かに漏らすわけにはいかなかったのだろう。私が完全に隔離されているのと同じように、彼も孤独だったのだろう。つくづく似ている2人。この教団で、たった1人の味方。たった1人の…


「だからシスタリナと話していると、楽しい…」


コルトロメイはまた笑った。嘘偽りのない、綺麗な笑顔だった。


(私も、とても、楽しい…)


こんな気持ちは、生まれて初めて。朝起きるのが、楽しい。コルトロメイと朝起きればまた話せると思うと、夜が長く感じる。早く起きて禊を済ませて、コルトロメイに会いたいと、思う。


かあっと熱くなる頬を押さえて、コルトロメイには平気な顔で微笑みを返した。





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