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聖女さまは逃げ出したい  作者: 成瀬 せらる
前:聖女と神官
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2.神官コルトロメイ



ぴきぴき、と足元の地面が凍りつく。ゆっくり凍りついていき、最後には一本の木に氷が到達する。根元からゆっくり凍っていく、果物がたわわに実った樹木。氷が月明かりを鈍く反射した。


(神の御恵みが)


熱は神の恵み。熱を浴びて育つ植物や人間は、神の奇跡による産物。それを全て壊してしまう冷たさは----神に許されぬ、罰。


「コルトロメイ」

「はい」


完璧に凍りついて朽ちた木を目前に名前を呼ばれて振り返る。その先には父と崇める神官がそこにいた。私の育ての親だ。神殿で生まれた私を育ててくれた恩人。


「神罰はこの程度だろう。今日はもう帰ろう」

「はい、神官さま」


私の仕事は、神に背いた信者に神罰を、神に代わって下す事。私の能力はそのために神から授けられている。人が間違わぬよう、教え導くための道具。それこそが私の存在価値であり、生きる理由だ。そう神官さまに教え込まれた。




(聖女さまだ)


神罰下しの日は明け方に神殿に帰るのが普通だ。帰ると休息が与えられ、能力行使で草臥れた頭をすっきりさせるために眠っていることが多い。夕方に起きて見習いの修道士としての仕事をするために部屋から出て少し歩くと、今日の勤めを終えた聖女さまがしずしずと面会室から出てきたのが見えた。清らかで儚く美しい少女を、道行く神官や修道士たちはうっとりと見つめた。彼女はそこに居るだけでその場の空気を残らず清廉にしてしまうような人。まさに聖女に相応しい人。彼女から祝福を受けるためなら、どれほどの大金を積んでも惜しくないという人間はごまんと居る。銀色の髪を靡かせて、彼女は歩き去った。


「コルトロメイ?」

「は、はい」

「今日はお前に大切な話がある」


うっかり見惚れてしまった。神官さまに呼び戻されて、毅然と前を向く。小部屋に入って向かい合わせに座り、神官さまは私の手を握って告げた。


「お前を神官に任じる」

「し、神官に、ですか?…私はまだ未熟者で、とてもその役割は…」

「お前の真面目な働きぶりと、信仰の厚さを教皇さまはご存知だ。光栄に思うが良い。これからも教団のために勤めを怠らぬように」

「は、かしこまりました」


神官の証である青いバッチを胸に付け、髪につける銀の飾りを受け取る。銀と青は教団を表す聖なる色だ。だからこの2つを身に付けるのは、高貴な身分となった表れだと言われる。神官になるまでは髪を顎まで伸ばすのが習わしで、神官になるとその髪を一房結い、飾りを付けるのが規則だ。神官に任じられた私も規則に従う。神官さまに教えられるまま髪を結い、飾りをつける。


「そしてお前には明日から聖女の補佐を任ずる」

「聖女さまの、補佐?」

「ああ、簡単なことだ。あやつが何かおかしなことをせぬか、見張っておくだけで良い」

「…聖女さまが、おかしなことを」

「生意気な小娘だからな。よくよく気を付けておくように。昔散々殴ったから最近は大人しくしているようだがな。いつまた生意気を言い始めるか。ワシが酒を勧めても碌に飲まぬから、話しても詰まらんわ」

「…は、」


息が止まる。自分が聞いている話の内容が、うまく消化できない。神官さまが、人を、それも聖女さまを、殴る?暴力は忌むべきことと定めた教団で、まだ幼い少女を、生意気だからと殴っていたのか?堕落の源として禁じられている酒を、神官さまは飲んでいるのか?


「聖女はただの飾り。アホな信者たちから金を搾り取るだけの道具、上手く転がせよ」


父は、一体、なんと。

私の知る父は神を信じ、弱きを助ける優しいひと。なのに今この瞬間の父は、まさに、教えに背く悪魔のように見えた。



翌朝の聖女の勤めの前。

禊を終えてまだ髪が濡れたままの聖女さまは、溜息が出るほどに神々しかった。しかしこの聖女が、金を搾り取るために信者に洗脳を施している。私はゆっくりと頭を下げた。


「聖女さま。私はコルトロメイ、先日神官に任じられました。未熟者ですがどうぞよろしくお願い致します」

「コルトロメイ、私はシスタリナです。今日から私の補佐をお願いしますね」


聖女さまは、聖女らしく、清廉な笑顔を浮かべた。まるでこれから犯す罪すら正しいことのように。まさか私は既に洗脳をされているのだろうか。


聖女はやってくる信者たちの話を、嫋やかな笑みを浮かべて聞き、最後に額に口付けて返していく。信者たちは満足そうに、作り物のような微笑みで帰っていく。洗脳されればああなるのか。帰り際に寄付金の話を揉み手の神官と話しているのを見届けて、次の信者を中に引き入れる。

その日最後の信者は貴族の男性だった。


「咎を無かったことにしても、壊滅した小隊はもう元に戻りませんよ」


先ほどまでとは違い、聖女は毒突いた。貴族の男はうっと喉を詰まらせる。私は思わず2人をまともに見つめてしまった。


「貴方は息子さんの代わりに賠償なりして責任を負ったのですか?」

「い、いえ…教団の奇跡で事件そのものを元に戻していただけると…」


聖女はちらり、と後ろに控える私を見た。見つめていることがバレたのだろうか。気まずくて目を背ける。聖女はふ、と息を吐き出して男に冷たく言った。


「…神に祈ろうが、いくら寄付金を積もうが、貴方の息子は帰って来ませんし、死んだ人間が生き返ることはありません」

「な、なにを」

「貴方に必要なのは祈りではなく、息子を探し出して対話すること。罪を償わせること。私の祝福は不要です」

「そんな…!聖女さまとの面会に私がいくら出したと!」

「私の知ったことではありません。そのお金で息子を探し出し、金銭的な償いを」


まさか聖女がこんなことを言うなんて。信者を洗脳しない、なんて……


「この、偽物が!」


男はそう言うと怒りながら帰って行った。一応の礼儀として彼を送り出し、寄付金の催促をしておく。


聖女さまを部屋に送り、自分の部屋に帰って自問自答する。聖女の行いとは、神官とは。まよえる信者を救うのが我々の役目なのに、父は信者からは金を巻き上げるのみと言い切った。弱きを助けないなら、私の役目とは…



翌日、また聖女の補佐に向かう。禊を終えた聖女は私を見ると、不安げに儚い色味の瞳を揺らした。


「あの」

「はい、聖女さま」


聖女さまは、不安そうに私を見上げた。


「…昨日のこと、咎めないのですか」


咎めるのが、普通だろう。見張るように父から言われているのだから。だけど私は何も報告しなかった。聖女が施す洗脳という行為そのものの方が余程…気になっていたのだから。父の堕落のことも、気掛かりでならない。

このまま父に逆らうのか、教えに逆らうか…


「私も迷っているのです。迷わぬよう祝福を授けてくださいますか」


彼女に洗脳されれば、苦悩は消える。そう言うと聖女さまは不快そうに言った。


「私が信者たちに何をしているか、貴方は誰よりも知っているでしょう」

「私にも、辛くならぬよう同じようにしていただきたい」

「…何が辛いと言うの」


聖女さまは汚いものを見るように、そう言った。どうして洗脳をしている貴女がそんな顔をするのか。悪の手先の貴女が。私は胸の内を明かすように、ぽつりと言った。


「教えに背いて弱きにつけ込み、公平性を欠いた教団が」


聖女さまは、まるで神の奇跡を目の当たりにしたかのように面食らった顔をした。


「これが正しいことなのだと、私に思わせてください。聖女さま」


縋るようにそう言うと、聖女さまは慈愛に満ちた微笑みを浮かべた。ああ、これで苦しみから解放される。


「貴方に祝福を」


私は腰を曲げて私が口付けしやすいように頭の下げる。聖女さまの細い手が、ゆっくり私の額に…と思ったら、思い切り殴られた。べちん、と音が響く。


「痛っ!」


思わずそう言うと、聖女さまは清らかな微笑みをきれいさっぱり消して、強い口調で言った。


「だったら私に協力して。少しでもこの腐敗を正せるよう、私を見逃し続けて」

「な、なにを…そんなことをすれば貴方も私もただでは」

「昨日一件見逃したのだから、もう同罪よ。このまま教えに背く?それとも少しでも教えを守る?貴方の信仰心は神にあるか、それとも腐った教皇にあるか、どっちよ」


あ、あれ…聖女さまの口調が、聖女さまらしくない。儚い容姿からは全く想像できない強い口調で言われると、弱い私は直ぐに悩んでしまう。生唾を飲み込んで聖女さまに視線を向ける。剣呑な眼差しで聖女さまに見られると、自分の行いがとても罪深く思えた。これ以上神に背くのか、父を取るのか…


「神に」


結局信仰を取り、私は聖女さまにこうべを垂れた。聖女さまはそっと右手を差し出す。私はその手を取った。聖女さまは少年のように快活に笑った。


「殴ってごめんね」


にこ、と陽気に笑って、聖女さまは首を曲げた。



聖女さまのお支度に時間がかかっている、という名目で一旦2人で話し合いを始めた。聖女さまは私が黙りこくってしまったので、自分の話をし始めた。


「私が能力に目覚めたのは5歳の時。教団に回収されて、能力トレーニングを受けて、聖女になるように言われて…今に至る。こんなの良くないって分かっているけれど、逃げるに逃げられないでしょ?私は、この通り常に監視されているし…」

「そうですね」

「もっと上手く能力が使えれば良いのだけど…あまり使うのは上手ではないの。私だってこんな詐欺の片棒を担ぎたいわけではないのよ?」


彼女は聖女らしく、儚げにため息を吐いた。

それから私の身の上話を少し。自分がしていたことが、悪いことだと気付いたのは話しながらのことだった。


「私と同じね」


聖女さまはそう言って微笑む。


「この忌まわしい能力が無くなれば、話は早いのだけど…そう都合良く能力を捨てることもできないし」

「そうですね」

「まずは私の洗脳をストップして、信者たちの目を覚まさせることから始めましょう。いずれ信者たちが暴動を起こしたら、その混乱に乗じて逃げ出すの。あなたはどうする?」

「その時に考えます、聖女さま」


聖女さまは、ここから逃げ出したいらしい。私には、それは受け入れ難いものだった。神官の不正を暴くというなら、それで構わないけれど、ここから逃げて神から身を切り離すことは…考えたくなかった。

聖女さまはちらりと私を見上げた。不愉快そうに眉を寄せて、私に言う。


「ね、その聖女さまって呼ぶの止めて。私が聖女じゃないの、分かっているでしょう?シスタリナって呼んで」

「はい、聖女さ…シスタリナさま」

「様は要らない。どう見たって貴方の方が年上だもの」

「はい、シスタリナ」

「ありがとう」


シスタリナはそう言うと花が綻ぶように笑った。あまりにも綺麗な笑顔で、聖女らしい淑やかさはなかったけれど、こちらをどきりと動揺させるような、明るい笑顔だった。年相応の笑顔だった。



勤めに戻り、シスタリナは何人かの信者に説教して教団を離脱させる方向に導いた。


「娘の病気が治らず…」

「教団ではなくすぐに病院へ行くように」

「ですが病院は穢れの住処だと」

「神に頼んで病が治るなら、この世に病気は存在しないでしょう」


シスタリナが冷たく言うと、信者は困ったように肩を落として帰って行った。シスタリナはいたって真面目だった。そんな顔を見ていると、この行いは正しいのだと、何となく思った。

最後の信者を送り出して、シスタリナに礼をする。


「本日は以上です。お疲れ様でした」

「ありがとう、コルトロメイ」


シスタリナは晴れやかな顔でそう言った。




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