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聖女さまは逃げ出したい  作者: 成瀬 せらる
前:聖女と神官
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1.聖女シスタリナ


冷たい石造りの部屋の中。簡素な木の椅子に腰掛け、椅子と揃いのテーブルに手を乗せて、男は項垂れた。私は項垂れる男の顔を、神妙な顔で眺めながら、ぽつりぽつりと零される男の話を聞いていた。


「家が洪水で流され、妻が死んでしまいました…私には何も残されていません、聖女さま、これからどうすればよろしいのでしょう」

「貴方に祝福を授けましょう。神に祈り、救いを待つのです。教団に貢献なされよ」


枯れることのない涙を流す男の額に口付ける。男は口付けを受けると突然涙が止まり、不自然な笑顔を浮かべて毅然と立ち上がった。


「ああ、悲しみが嘘のよう。必ず教団に貢献しましょう」

「貴方に神の導きがありますように」


微笑んで男を見送ると、男は意気揚々と帰って行った。付き添いの神官が揉み手で男に近寄っていく。男は神官の寄付の依頼に喜んで応えた。


私は神の言葉を聞いて、信者を教え導く聖女。 でも私は知っている。神様なんていないということを。たとえいたとしても、この教団にはいないことを。


私は聖女……の枠に無理矢理嵌め込まれた、ただの人。地味な能力者。

私は---ほとんど覚えていないが---どこかの小さな村で生まれ、5歳の時に能力が発現した。能力者は国を守る騎士団か、はたまたアウトローのギャングか、またはこの教団か…三者のいずれかに引き取られるのがこの国では普通のことで、引き渡せば親は大金を受け取れる。言ってしまえば、金と引き換えに子供を売り渡すのだ。おかしいと思うだろうか。まるで奴隷のようだと、思うだろうか?しかしながら、能力者が金銭と取引されるのは、当たり前で、普遍的な価値観だ。寧ろ逆らえば、地の果てまでも追いかけ回される。能力者は貴重だから、どの組織も取り合いをしているのだ。たとえちっぽけな能力でも。特に攻撃性の高い能力者ほど騎士団やギャングから望まれる傾向にあるが、私が目覚めた能力はとても攻撃性の高いものとは言えなかった。


私の能力は----洗脳。


迷っていたり、傷付いている人の心に入り込み、違う方向へ考えを曲げられる能力。無条件に私を信じさせられる能力。これは教団にはとても都合の良い能力だった。

そして私の容姿や、能力行使の方法までもが都合が良かった。

教団を表す聖なる色、薄い銀色の髪に、うす青

い瞳を持ち、鼻は小さくと唇は薄い。眉は下がり気味で、色白。笑っても儚く見える…そこそこ美少女。年齢以上に大人びた演技が得意で、聖女にはぴったりの容姿だった。そして能力を発動するには対象のどこかに口付けを贈る必要がある。その口付けがまさに、この教団にはおいては、高位の神官や聖女が信者に祝福を授ける一連の動作だったのだ。ごく自然に信者を洗脳し、さらなる寄付を募るのに丁度良い能力を持った女……悲しいことに私は聖女にはうってつけの存在だった。

13歳と数ヶ月で聖女に任命され、以降3年間ずっと聖女として民を導く振りをして寄付を強制し続けている。


勿論逆らうことは許されない。

祝福を授ける私の背後には必ず神官が付いている。この神官は、教団の腐敗を是とし、私に洗脳を強いる悪者たち。私が決して裏切らないように見張っているのだ。少しでもおかしな素振りを見せれば即折檻。13歳までに散々その痛みを教え込まれた私は、命じられれば脊椎反射で是と答えてしまう。痛みと苦痛はいつまで経っても慣れないものだった。


「聖女さま、本日のお勤めは以上です」

「そうですか…でしたら私はもう部屋で休んで良いでしょうか。頭痛が」

「最高級のお茶をお持ち致しましょう」

「ありがとう」


背後の神官にそう言われて、立ち上がる。私がこっそり反抗していると知られるとどんな目に合うか分からない。だから従順に、その腐敗を是としている振りをしなければならない。決して気取られてはならない。贅沢を喜んだ振りをしないと。…まあ、頻繁に折檻されていた過去を思うに、信用されてはいないと思うけど。

肥え太った神官に聖女らしい微笑みを浮かべながら歩き始めた。




翌朝、冷たい泉で禊を終えるとまたお勤めの時間になった。今日の見張りの神官は珍しく若い男だった。私の見張りを任されるのは教団の腐敗を熟知した、贅沢ができる上位の神官クラスばかりだから、必然的に高齢になる。それがこんなにも若い男が来るとは。…どうせ彼も同じように贅沢を好む神官らしからぬ男なのだろう。出世が早かっただけだ、たぶん。


「聖女さま。私はコルトロメイ、先日神官に任じられました。未熟者ですがどうぞよろしくお願い致します」

「コルトロメイ、私はシスタリナです。今日から私の補佐をお願いしますね」


補佐というか、見張りだけど。コルトロメイはさらさらと顎まで伸びた薄紫の髪を揺らして礼をした。一房だけ結われ、きらきら光る銀色の飾りを付けた、神官らしい髪型だった。飾りに傷がないのは新品だからだろう。瞳の色は綺麗な紫色。髪と目が人外じみた色味ということは、彼も何らかの能力持ちなのだろう。私も能力が発現した段階で髪も目の色も薄く変わっていった。


私がやって来る信者たちに洗脳を施していくと、彼の目はその度に冷たく私を見下ろした。そんな目をされても、私がいなければあなたの贅沢は誰が支えるというのよ。好きでやっているわけではないのよ。


その日の最後の信者は、そこそこ名の知れた貴族だった。神殿から一歩も出たことがない私ですらその存在を知っていた。向かい合わせに座り、貴族の男をじいっと観察する。

貴族の男の顔には苦労の滲む深い皺。年よりも老けた顔。ほとんど白髪になった髪。

さてどんな悩みがあるのだろう。これだけ老け込むということは並々ならぬ悩みがあるはず。そういう相手には私の洗脳はよく効く。効きすぎて一生教団から逃れられないほどに。


「息子が能力者なのです」

「はい」

「騎士団に預けていたのですが、そこで能力を暴走させて小隊を壊滅させ……その咎から逃れてギャングに」


あー、あるある。王国に仕える生真面目な騎士団が嫌になったらアウトローのギャングに消える流れ。有りがち。さらに拗らせると教団に来るのよね。


「以降息子とは連絡が取れません」

「左様ですか」

「私には子供は息子しかいないのです!どうにかして息子の咎を無かったことにし、貴族社会に復帰させたいのです」


教団と騎士団はズブズブだから、教団から寄付を流して事件をもみ消し、そこから貴族社会に復帰…という流れは、確かに可能だ。だけどその息子を探すのが先決だろう。ギャングに流れたということは、そもそも貴族社会に馴染めていなかった可能性も否めない。


「咎を無かったことにしても、壊滅した小隊はもう元に戻りませんよ」


ぼそりと言うと、貴族の男はうっと喉を詰まらせた。


「貴方は息子さんの代わりに賠償なりして責任を負ったのですか?」

「い、いえ…教団の奇跡で事件そのものを元に戻していただけると…」


死んだ人間がそんなことで元に戻るか。ちらり、と後ろの神官に目をやる。私に彼を洗脳することは…できない。罪から目を背けたいだけの男に何を授ければ良いのか。洗脳しても、彼の息子は帰ってこない。死んだ人間が蘇ることも。


「…神に祈ろうが、いくら寄付金を積もうが、貴方の息子は帰って来ませんし、死んだ人間が生き返ることはありません」

「な、なにを」

「貴方に必要なのは祈りではなく、息子を探し出して対話すること。罪を償わせること。私の祝福は不要です」

「そんな…!聖女さまとの面会に私がいくら出したと!」

「私の知ったことではありません。そのお金で息子を探し出し、金銭的な償いを」


これ以上詐欺の片棒を担いでなるものか。折檻覚悟で拒否を示すと、男は顔を真っ赤にした。


「この、偽物が!」


よくご存知で。

私は聖女らしからぬ冷たい視線で男を追い払った。控えていた神官は慌てて男を追いかけて行った。




面会を終えても神官は何も言わなかった。後でみんなを引き連れて折檻コースか、受けてたってやる。…とは思ったが、やっぱり痛いのも苦しいのも嫌だから、こっそり後悔した。彼が聖女から祝福を授けられなかったと吹聴すれば教団の威信は地に落ちて真っ先にその罪をなすりつけられて殺される、かもしれない。ああ、私の生涯ときたら碌でもない上に短いものだった…

が、翌日になっても誰からも咎められない。禊を済ませて翌日の勤めに行くと、また昨日の若い神官がいた。


「あの」

「はい、聖女さま」

「…昨日のこと、咎めないのですか」


そう言うと、彼は目線を床に落とした。苦悩するように眉が顰められ、思わずその顔を覗き込む。彼は綺麗な顔を悩ましげに歪めて、言った。


「私も迷っているのです。迷わぬよう祝福を授けてくださいますか」


なにを、言っているのだろう。私腹を肥やし続ける神官のくせに。


「私が信者たちに何をしているか、貴方は誰よりも知っているでしょう」

「私にも、辛くならぬよう同じようにしていただきたい」

「…何が辛いと言うの」


馬鹿で哀れな信者たちを騙して金を搾り取る。そのためにいるくせに。


「教えに背いて弱きにつけ込み、公平性を欠いた教団が」


待て。どうしてそんなまともな思考で私の背後の神官なんてやっているのだ。私の背後に立っていいのは汚職上等、俗世大好き、な連中だけなのに。


「これが正しいことなのだと、私に思わせてください。聖女さま」


苦しげに吐き出した言葉と共に、神官は真剣な顔で私を見つめた。私は聖女らしく慈愛に満ちた微笑みを浮かべる。


「貴方に祝福を」


そう言うと、神官は腰を曲げて私が口付けしやすいように頭の位置を私の頭の位置に持って来た。私はゆっくりと額に手を当てるフリをして…拳をぐっと握って思い切り殴ってやった。ごちん、と鈍い音がした。誰が祝福…もとい、間違いを正しいと思い込むような洗脳をしてやるか。そんな楽な道を選ばせてやるほど私は優しくない。


「痛っ!」

「だったら私に協力して。少しでもこの腐敗を正せるよう、私を見逃し続けて」

「な、なにを…そんなことをすれば貴方も私もただでは」

「昨日一件見逃したのだから、もう同罪よ。このまま教えに背く?それとも少しでも教えを守る?貴方の信仰心は神にあるか、それとも腐った教皇にあるか、どっちよ」


コルトロメイはごくりと生唾を飲み込んだ。一瞬助けを求めるように私に視線を合わせ、そして、苦しげに頷く。


「神に」


私は右手を差し出し、彼も同じように差し出した手を握った。同志よ。


「殴ってごめんね」


とりあえずあやまったから、これで許してほしい。



「私はこの教団で生まれ、信仰を守り、神官としての訓練を受けておりました」

「…うん」


落ち着くと、彼は少しずつ自分について語り始めた。私が先に簡単な自己紹介を済ませている。決してこんな洗脳を進んで行っているわけではないと分かって欲しかったからだ。彼は苦悩顔のまま、ぽつりぽつりと語る。


「能力者として、神官さまの命令通りに神罰を下し」

「ちょっと待った!神罰?」


彼はさも当然のようにいった。


「はい。教えに背く信者に教えを思い出させることです」

「具体的には」

「能力で家や畑を凍らせるのです」


彼の能力は、氷結らしい。この教団の教義において、神は人々に太陽の暖かさを与える。その熱で人は植物を育て、生命を育み、健康に生きることができる。逆に氷や寒さは神からの恵みを失うことを意味する。なるほど、生真面目な彼が私の背後に立つことになったのはそういうことか。神罰として利用され、私と同じように強制的に腐敗に取り込まれていたようだ。


「それ、悪いことだって自覚はあるの?」

「やはり、悪い、のですね。これまでは…多少は疑問を持っていましたが、それが普通だと思っていたもので」

「…そっか」


善悪の区別が付かない赤ん坊の頃からここで育てられていたなら、仕方ないか。そういう神罰下しを平然と行っていたから同類と思われちゃったのね。なんだか気の毒。変な能力を持ってしまったばかりにこんな風に使われて。


「私と同じね」


そう言って微笑むと、コルトロメイはまた困ったように眉を下げた。


「この忌まわしい能力が無くなれば、話は早いのだけど…そう都合良く能力を捨てることもできないし」

「そうですね」

「まずは私の洗脳をストップして、信者たちの目を覚まさせることから始めましょう。いずれ信者たちが暴動を起こしたら、その混乱に乗じて逃げ出すの。あなたはどうする?」

「その時に考えます、聖女さま」


私はちらりとコルトロメイを見た。コルトロメイは小さく微笑んでいる。綺麗な顔してるなあ。


「ね、その聖女さまって呼ぶの止めて。私が聖女じゃないの、分かっているでしょう?シスタリナって呼んで」

「はい、聖女さ…シスタリナさま」

「様は要らない。どう見たって貴方の方が年上だもの」

「はい、シスタリナ」

「ありがとう」


コルトロメイはどう見ても私より何歳か年上だ。話をしている限りでは、知能レベルは同じくらいだろうけど…なんというか、犬っぽい。無条件に従うところが。



勤めに戻り、何人かの信者に説教して教団を離脱させる方向に導いた。


「娘の病気が治らず…」

「教団ではなくすぐに病院へ行くように」

「ですが病院は穢れの住処だと」

「神に頼んで病が治るなら、この世に病気は存在しないでしょう」


私が冷たく言うと、信者は困ったように肩を落として帰って行った。神なんていない。少なくとも、ここには。神に頼むより自分で動いたほうが圧倒的に良いのに。どこにいるのか分からない誰かに自分の願いを託すなんて、無駄だ。


「本日は以上です。お疲れ様でした」

「ありがとう、コルトロメイ」


能力を使わなければ、さほど疲れない。能力を使えば使うほど頭が重くなって頭痛がするが、今日は全然、ない。

草臥れさえしなければ、明日より先のことを考える元気が生まれる。


明日を生きればいつか外に出られると、その時の私は無邪気に信じていた。





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