嵐の予兆
「はぁ?何言って…」
六実が間抜けな声を漏らす隣で、直樹は愁眉を集めた。
「おい。夜。」
「本当に。何も、しないで。」
「夜」
「桃は私一人で生き返らせる。何にも、しなくていい」
夜は毅然とした態度で二人にそう言ったが、手は少し震えている。
直樹はそんな夜を見て、大きな溜息をついた。
「ん。明日の放課後、屋上で会おう」
そう言って六実の腕を無理矢理に引くと、出口へと歩き出す。おどおどする六実と、直樹の後ろ姿をぼーっと見ていた夜の肩が、最後の直樹がポツリと呟いた一言を受けて、大きく跳ねた。
「やぁ。君はあの二人を跳ね除けて良かったのかい?」
「!?」
二人が去った後で、見計らった様に突如頭の中に響く、中性的な声。
ついさっき聞いた声だ。夜はそれを受けて、きょろきょろとあたりを見回すが、声の主である天使の姿はどこにもない。
「どこから話しかけてるの」
夜は冷静を装って、天使に話しかけた。
「ジブンの声は君の頭に直接響かせてるんだよ、だから君にしか聞こえないね」
「何しにきたの?」
「君にルールの詳細を教えようと思って。」
そう言うと、天使は唐突に声を響かせるのをやめた。まるで、夜を焦らしているように。
ここで聞き返しては負けな気がする。そう思い彼女は天使の次の言葉を待った。
「やっぱやーめた。」
「おい」
「なんだい?ジブンの話が聞きたいのかい?」
こいつ、楽しんでんな。
でもここで、何も言わずにみすみす機会を逃す訳には行かない。夜は物凄く言いたくなかったが、仕方なく
「ぎ…聞きたい」
と言った。
「まあ紙にまとめておいたから、帰ったら読むといいよ」
なら最初からそう言えよ!
けろっとそう言う天使に、夜は心の中で盛大にツッコミを入れる。
「じゃーね」
天使の声は、それから聞こえなくなった。
ただ、きっとまた人形じみた笑みを浮かべているのだろうと言うのは、夜にも想像がついたので、彼女は首を降ってその顔を頭の中から追い払う。なぜか、その顔は想像するだけでもすごく腹が立ったからだ。
「紙…ん?え、紙なんてもらってない…」
夜はそう呟くと、ため息をついて歩き出す。
まあ、いいや。とりあえず、今日は帰ろう。
色々なことがあって、少し疲れた。
屋上の柵に止まっていたカラスが、その黄金色の瞳で夜をじっと見ていた。
それに気づかない夜が、屋上を後にするのを見てから、バサバサとカラスは飛び立つ。
そうして、空高く飛び上がったそれは、一直線に何処かへと飛んでいった。しばらくすると、古びた神社の鳥居が見えて来る。烏は急に速度を緩め、そこの鳥居を潜って行った。
「あにさま、紅が帰ってきた」
神社の井戸の前に座っていた幼い少女が、烏の姿を見ると、両手を大きく広げた。
日本人形の様な少女だ。年は見た所九つくらいであろうか。濡れた様に美しい黒髪は、肩につかない位でまっすぐに切り揃えてある。大きな、どこを見ているかよく分からない赤い瞳と、薄い唇に、能面の様に真っ白い肌が、どことない得体の知れなさと空恐ろしい印象を見るものに与えていた。着物は血の様に赤く、首から大きな鈴を下げていたのが、それに彩りを添えている。
「新しい子が、きたみたい。」
その少女は、烏の瞳をじっと見つめてから、そうポツリと呟いた。
「祟、それはどんな子?」
鞠をついて遊んでいた少年が、その言葉を聞いて祟に駆け寄って来た。双子だろうか、スイ…祟と呼ばれた少女の体格を、少し男子寄りにして、髪の毛を切れば、彼が出来上がる。それほどに彼女と瓜二つの容姿をしている少年であった。
「わからない。でも、すごくおもしろそうな、子だよ」
そう言って、祟は婉然と微笑む。
「祟、この子気に入った。あにさまも、きっと気にいる。次は、この子にしようよ」
「累も、その子を見て見たい。主様に相談、してみよう」
「そうだね。それで…」
「「この子の心臓も、食べちゃおうっか」」
二人は、声を揃えてそう言った。
鉛色の空だけが、町を見守っていた。
湿った風が、夜の頬を、直樹の髪を、六実のカーディガンを、祟と累の着物の裾を、撫でていく。
今晩は、きっと嵐になるな。
お化けの様に大きく揺れる木と、重い空気を肌で感じながら、夜はそんなことを考えていた。