【三章第三十五話】 紅蓮の弓矢
敵と相対する、天下の織田家の鬼将と。
息も、声も、周りの音さえも聞こえない。
ああ、そろそろ外でも戦いが始まるころかな。
「さぁ、お前が現代の織田の臣だと言うなら俺を越えて見せろ」
森長可が動くっ。
槍の矛先から地獄の底からの業火が湧き出て、槍の正面のモノを何時しか焼き払っていた。
そのまま槍を振るった敵目掛けて一気に間合いを詰める。
「ハァッ」
敵の怒涛もつん裂く咆哮はメラメラと燃え上がる炎を瞬く間に掻き消した。
ブンっと野太い音を上げ薙ぎ払われた朱色の十文字槍は容易に近づくことさえ許してくれない。
イヤッ、このままじゃ。
自らの感覚に従い後ろに後退する。目の前で大遅刻をした烈火が槍の軌道を辿っていくのだ。
危ないなんて感嘆にさえ浸らせてはくれない。
すぐさま後退した自分に向って槍の先が飛ばされる。
クッ。
大きく踏み込み槍の口金のあたりを叩き軌道を逸らすが、シャツの袖を軽く焦がされてしまった。
「やれ法師」
身を低くした法師が地に降り立った森の後ろから刀を振るう。
「甘い」
この炎をいとも容易く操る鬼は槍を後ろに引き、石突を姿さえ見ぬ敵に当てて見せた。
法師を狙った事によって生じた隙を生かし追撃しようにもこの鬼は槍を大きくブンっと三百六十度回し追撃を阻んでくる。
それどころか少し遅れて森長可の周りには人を寄せ付けぬ火炎が円を描き中心の鬼を守って見せる。
この火を抜ける策はあるが厄介なのはあの槍。
踏み込んだと思ったらいつの間にか目の前に穂先が来ている。
ぎりぎり躱したくらいでは槍の側面に生える鎌を躱しきる事が出来ない。
それを躱したところで槍が火を噴き敵から槍へと意識を逸らされてしまう。
槍だけを意識したら最期、一気に間合いを詰められてっ……。
敵は法師の攻撃を察したのか目標を俺から法師に変え、火を放つ。法師はそのまま地を転がり魔法のように放たれた火の玉を回避する。
「オラァッ‼」
標的を法師に変え転がる法師の先へビリアードのように刃を放つ。
「うおっッ」
視界の隅で斜めに差し迫る敵の槍を一閃を際どい姿勢で何とか法師が防いだのが目に入った。
「取ったぞ」
それは俺に向けての言葉、多分法師は槍の柄を握り敵の武器を封じたんだろう。
「笑止」
振り込んだ刀の先でゴオッと勢いの強い火が燃え上がる音が聞こえる。
「殿、すいません」
その声を声として認識した時にはすでに隅から槍の柄が朱の棒の武器として迫ってきていた。刀を半月に振り下ろす。
切っ先は敵の身の直ぐ傍まで近づくもののそのまま下へと遠くに落下する。
カッツン。
その音と共に両者の武器の勢いは止まる。
止まってしまったモノは仕方ない、普通ならそのまま距離を取りまた再戦、ただ目の前の敵は普通じゃない。
戦乱の時代を槍一本で斬りぬけてきた鬼。
森長可は兜の奥から不敵な笑みを覗かせる。
片方の手が止まってしまった槍から離れる、離れて遠ざかり……。
此方に引っ掻くように振るわれた。
やばい、いや、やばいなんてもんじゃない。
心臓がやけに五月蠅くまるで警告音のようである。
体勢を崩しながらもその手の中から湧き出てきた火炎で出来た尖った爪の一撃を躱す。顔が軽く炙られ熱く火照ってくる。
相手にとって絶好の好機。
そのまま片腕による槍の一閃、続けざまに膝を狙った一撃。
浮足立っている、体勢さえ立て直させてはくれない。
鎧武者は姿勢を低く、そしてその低さに合わせて両手で握り締めた槍を……。
繰り出された足払いを宙に浮き躱す。
着地いっ、がしかしバランスが崩れて……。
声をも無く、音もなく、体に向って槍が恐ろしい速度で飛んでくる。
「まだだ」
刀身を使って敵の身を滑らせ最終的に鍔を当てて槍の軌道を無理やりに変える。
「ああ、俺もまだだ」
朱色の槍がオレンジ色に発光し、火の粉を散らす。
ふっふっふ。
俺も、まだだ。
「法師」
道満は隅から剣戟を飛ばす。
「そんなものは読めている」
森の手から法師の向ってくる先に向って三日月状の火炎が打ち出される。
「うっ」
敵は俺に紅蓮の一閃をお見舞いしてくる事は無かった。何故なら敵は槍も身も後ろに後退させているから。
「あらら、当てられると思ったのになぁ」
向こうの槍も此方を向いていた、ただ此方の剣も向こうを向いている。
刀身の間合いでは此方は負けてはいるが、剣の力を開放さえすれば槍なんて優に超える間合いを此方は得ることが出来る。
そして道摩法師による一瞬の引付け。
俺は敵に向けて思いっきりに影を放出した。
「舐めるな、英雄。これでも俺は寝ているときも、起きているときもいつ戦が起こるか分からない世界で暮らしてきた男だぞ。お前らの様な平和な世界で生まれ育ったような奴にそうもやすやすとやられるものか」
結果的に俺の山城の刀の影は敵の鎧に新しい傷を付けたに過ぎなかった。
初めて訪れる休息の時間。
戦っているときは何も感じる事は無かったのに今更手が敵の槍の威力の強さをビリビリと訴えてくる。
全身を甲冑に包まれた鬼は額から立派な二本の角が現れ出てくる。
「そう言えば紫水は元気か、鬼武蔵」
「ああ、ほおっておけば誰も彼も無差別に助けに行っちまうくらいには元気だ」
「紫水はこの事を知っているのか」
鬼は首を横に振った。
「お前のことなど耳にも目にも入れぬように細心の注意を払っておるわ。お前がこんなんになっていると知ったら殿は一目散に助けに行きかねんからな」
「俺を殺したら彼奴はお前らの事恨むんじゃないか?」
「別に恨まれても構わん、それで殿が救われるというなら」
「そうか」
法師は闇を飛ばし鬼神へと奇襲を掛ける。
呆気に取られた敵は回避が間に合わずにまた鎧に傷を刻みこまれた。
「話し中に襲ってくるとは無粋な真似を」
「粋も無粋も勝負には関係なし、勝負は勝った者だけが正しい」
敵は力強く手を振るった。
地獄の底の鎌を煮ている炎がこの世に現れ、空間を捻じ曲げた。
「ああ、確かにそうだ。強い者が正しい、勝った者が善悪の全てを決める。確かにそれが正しい、間違えではない。だから俺はお前たちを倒す、俺は、オレハ、オレハ、おれは」
空間の裂け目から烈火の武将、いや業火の魔王が顕現する。
「殺す、焼く、焼き殺す。上様はあの寺を焼かせてはくれなかった、あの父を殺した悪しき寺の坊主共を焼き殺させてはくれなかった」
炎の魔王は烈火の槍を握る。
「父上のように、信長様のように、あの武蔵坊弁慶のように。皆焼く、皆殺す、焼き殺す。焼き討ちだ、根切だ」
メラメラと森の鎧も紅く燃え上がった。焔の赤備え……。
「父上を殺した三万の連合軍も、延暦寺の僧兵も兄上を殺した朝倉も一向宗も上杉も裏切りやがった信濃の国人も、木曽も徳川も井伊も、そしてあの井伊の坊主も皆俺達が纏めてぶっ殺して焼いてやる。征くぞ、第六天魔王」
その言葉と共にその場て佇んでいた武人の形をした炎は主である森長可と共に一気に此方に攻め込んで来た。
「来い、古き織田の家臣。来い、紫水の忠臣。織田の臣下として、紫水の親友として叩きのめしてやるよ。さぁ来いよ、今はその憎んでいたはずの信仰の対象となっちまった鬼神様よ」
魔人の烈火となった槍が繰り出された。




