【三章第二十一話】 Ripple Effect
今日という日は未だに終わることは無い。
いいや、終って貰っては困る、ここからが本番なのだから。
これは自分の身勝手な行いかもしれない。
人にだけそれをやらせて自分は今までと変わらぬまま、人にだけ変化を求めて自分だけは動かぬまま。
押しつけだ。
俺は幾らでも恨まれようが憎まれようが殺されようが構わない。
それでも、それでもだ。
俺自身、真に銀雪や莉乃の望むことは何も出来ない癖して、莉乃にだけは変化を期待し、銀雪に受け入れて貰えるように行動させようとしている。
いつしか思ってしまった。いつの間にか思っていた。気が付いた時にはそれは心の奥底に存在して居た。
例え俺がいなくなったとしても彼女たちの関係は変わって欲しくはない。
俺とこの鬼が消えたとしてもお前はまた一人に戻って欲しくはない。
お前は俺のような人を頼れない人間になってはいけない。もし俺がいなくなっても本当に助けて欲しいときに助けてと言える人間が莉乃の周りに居なくては駄目なのだ。
だから俺は。
彼女は強い、それでも俺は彼女の危うさも知っている。
莉乃は俺とは違う。違うけれども俺と同じ道をたどる可能性は十分にある。
だから、だからこそ俺は……。その先を知っているからこそ、本当の孤独を知ってしまったからこそ、助けてて言えなかったからこそ。
俺は銀雪にホンモノの莉乃を、明智梨奈ではない天童莉乃を分かって理解して、そして受け入れて貰いたいと思っている。
勝手な期待であり、勝手な未来予想図だ。
期待するなと、幻想通りにいかないと自分で否定した癖して……。でもそれでも俺は勝手に信じている。
あの時待っていてくれると言った時のように。
「まだ怒ってるのか?」
乗り気でない銀雪を勢いに任せ無理矢理に頷かせて只今銀雪の家に来ている。
銀雪の家は俺たちの家より少々学校寄りのアパートの一室であった。
勿論家族もいない、そして俺たちの家と比べても部屋数やリビングの大きさは明らかに劣っているのになんだか随分と広く感じだ。
部屋が綺麗に片付けられているせいなのか、そもそも部屋に何もないからなのか……。
絨毯の上にポツリと置かれた何故か少し大きめの四人家族がそこに集えそうな机。そして壁に寄りかかるように配置された本棚、中身は学校で必要な教科書とシェイクスピアの四代悲劇の和訳の本。残るは時計、それ以外は俗に言う女子らしい小物なんてものも一つも置かれていない。
寝室は別にあると聞いたのだがそこにモノが敷き詰められていると仮定したとしてもそれでもまるで空っぽな部屋。
莉乃も銀雪の部屋に来るのは初めてらしくそのことについて指摘していたのだが、部屋に何を置いていいか分からないわ、と困ったように笑うだけであった。
何も置かれていない白い壁紙が剥き出しになった角を見るたびに寂しかった、と昨夜の銀雪の本心から出た何の偽りも飾りも無いその言葉が耳の中に響き渡るのだ。
俺は確かに一人じゃなかった。
大抵朝起きれば誰かそこにいるし、迎えてくれる人も居た。
それをそれとして当たり前として捉えていた。
銀雪にはそれは当たり前じゃないのに。神とは、世とは本当に駄目なものだ、必要としない者には容易く要らぬ物を与え続け、逆に欲する者にはそれを与えない。
こんな俺が必要としてはいけない所なのに。
彼女にとってはどうかは知らない、でもあそこはこんな俺には必要のなかったものだ。
「流石にちょっとは私も怒っていますよ」
頬を膨らませて自分は怒っているぞーと此方に伝えたいのか必死にアピールをする莉乃。
「すいませんねぇ、ウチの大和が無理言って」
リビングと繋がっている小さな台所に向かってペコペコと頭を下げるこの鬼。
「まぁいつも御呼ばれをしているのだからたまには家ででもいいわ」
ザクザク部屋全体にみずみずしい何かが切り刻まれていく音が響く。
音だけでも手際の良さが伝わってくる、そんな感じだ。
「何も無い家だけどこれで満足なんでしょ、草薙君?」
「ああ、助かる」
「幻滅したでしょ、初めての女の子の家のお宅訪問がこんな何もない所で」
自嘲的な口調で銀雪は質問を投げかけて来た。
「おい、一体誰がこれが最初だと言った」
「負け惜しみかしら?」
「ユキ、それが大和君はですねぇ……」
莉乃は目線をガクリと下に、心なしか声のトーンも少し下に落して。
「大和君には幼馴染の女の子がいまして」
「エッ……」
「そしてその女の子は大和君を追って、二月から同じ隊に入ってくると」
「本当に? 何かの間違えじゃなくて」
本当に美優が俺を追って隊に入ってきてくれたらいいのになぁ。
「まぁ、はい」
ハリマは苦笑いを浮かべた。
部屋中が御通夜のように暗くそして静かになる。
「イタッ」
さっきまでの一定のテンポは急に不揃いとなり挙句の果てに台所から悲痛に満ちた呟きが漏れた。
「大丈夫ですか? ユキ」
即座にそして心配そうな顔をして莉乃が銀雪に駆け寄っていった。
「少し手を斬っただけ。大丈夫よ、梨奈さん」
りなさん。
りなさん。
りなさん。
そう、銀雪はまだ何も分かりも知りもしていないのだ。
心配そうな莉乃の顔が少し引き攣った、そうして莉乃は俺の視野の外へ消えていった。
「はい、この話此処まで、飯までもう何も話さないからな」
それから莉乃が銀雪の料理を手伝って当初の見立てよりも随分と速く料理の下準備が終わったみたいだ。
しかし俺がお前の手料理が食べたいと言ったことを本気にしていた銀雪は終始莉乃の手が加わってしまったことに納得いっていないとそんな顔を俺だけに向けて来た。
しかしなぁ、気付いてくれよ、それは建前だと。
それと手料理が食べたいと言ってお好み焼きをチョイスするって……。
まぁウチでもタコパとか鍋パとかそこらの店で買ってきたものを皿に乗せ我が物顔で自分が作りましたぞみたいな雰囲気を醸し出させたりと、そんなもんしかやってないけど。
「では始めましょうか」
銀雪はボールからお玉で生地を一掬い机の上に置かれたホットプレートに向かって静かに落とした。
油が塗られ加熱されたホットプレートは音を上げてタネを焼き始めた。
透かさず銀雪が空いたスペースに肉を落し、その足で生地の形を火の通りやすいように平たく整地。
肉は直ぐに焼けてしまうのでそのままキャベツが剥き出しになっている生地の上に添えられた。
俺は肉は直に置く派なんだがまぁ几帳面な銀雪らしいと言えばらしいが。
そして待つこと数分。
さぁて一番の難所がやって参りました。
「ここは草薙君がやって頂戴」
さっとプレートに油を塗り押し付けるように俺へとヘラを渡してくる。
「はぁチキッたな、まぁいいだろう。YES! 私の実力、見せてあげるネ!」
引っ繰り返せはしたものの、何故だか何の声すらも上がらないそんな状態になっていた。
ええと、潰さない程度にお好み焼きを押してっと。ねぇ普通に上手くくるっと回ったのにこれは酷くないですか?
そのまま一度蓋をしてそしてまた五分程度待って、今度は私がやると言わんばがりに俺からヘラを取り上げ焼けているかの確認のためにもう一度お好み焼きを引っ繰り返した。
焼けていた、焼けていた。
そしてそのまま、ソースを塗って、マヨをかけて鰹節と青のりが加えられた。
このお嬢様、タコパは高校生時代にやった事があるからたこ焼きの作り方は知っていたのだが、どうやらお好み焼きは無いらしい。そしてまぁ家で一度もやった事無いんだからこの鬼も知らないだろうなぁ。
終始真剣な目線で言葉一つも漏らさずに二人は俺たちの作業を見つめていた。
そしてお好み焼きは四等分され、おかわりもあるからどんどん食べてってという言葉を聞き流したたところで……。
「さぁ本題に入ろうか」
お好み焼きをハムハムと食べている莉乃は疑問を浮かべていた。
「本題とは?」
直ぐに飲み込んだ法師やまだ口すら付けていなかった銀雪は疑問を言葉に表した。
「んなもん。銀雪の手料理が食べたいなんて家から外出する口実だろ、察しろよ」
「言い出したのは貴方なのに酷い言い方ね、心が痛むわ」
まあさすがにそれにはごめんなさいとしか言えないが、言わないけど。
「これだ」
出るときにあの式典用の軍服のポケットから鞄に移し替えて置いた手紙を取り出した。
白く何も書かれていないそして封だけは蝋で厳重にされている手紙。
「これは何かしら?」
二人は大体察しがついたのであろう。
「瀬戸家当主様からの手紙だ。家は盗聴やらなんやらでどんな監視されてるか分からないから一番気軽なそして土岐家からはまだ目を付けられていないだろうお前の家で空けることにした」
まぁ最悪カメラは流石に無いだろうから声だけ気を付ければ家で見られんだろうけど、これからやることは誰か知らん人間に聞かれていると思うと不愉快極まる。
だから俺は銀雪の家を選んだのだ。
「瀬戸家? 土岐家が監視? 全くもって意味が分からないのだけど」
訳が分からなさそうに銀雪は頭を押さえた。
「まぁそれはこれを開けてからだ」
そのままま、その手紙をびりっと開けると……。
えー何々。
食事そっちのけで皆手紙の内容を見ようと顔を寄せて覗きこんできた。
まぁ簡単に言えばその手紙の内容は瀬戸家主催のパーティーの招待状であった、俺と莉乃の。 勿論パーティーと言っても秘密裏に、土岐家に悟られぬように行うパーティーという名の密談の場なのであろう。
遂に瀬戸家は動き出したのだ。
ただハリマの招待状も付けてくれません。護衛一人っていうのもねぇ。もしこれが罠だとしたら。
「私への招待状」
「ああ、俺は留守番ですか」
「莉奈さんへの招待状? えっ、草薙君と天童莉乃としか居ていないのだけど。天童莉乃って誰?」
まぁ手紙の内容は予想通りと言ったところ、そしてもちろん此奴の反応も。
銀雪はふとした点に疑問を持って首を傾げた。
その言葉を聞くと同時に莉乃の表情が固まった。
「天童莉乃って、誰? もしかして梨奈さんの事」
遂にその一言は放たれた。矢を遮るものはない、ただの無邪気な疑問という名の鋭い矢先はいとも簡単に莉乃を崩してしまった。
莉乃は唇を噛み締めたままで口を開く気配がない、いいやよく見たら震えている。
喋りたくても何をいえばいいか分からない、喋りたくても言葉が出てこない。
いいや違う。
自分は友である銀雪に嘘を付き続けていた。もし次の言葉で銀雪が怒ったらもし次の言葉で銀雪に失望されてしまったら、もし銀雪が裏切られていたということを知りそして呆れ自分と関わるのを止めたら。
数々の不安が莉乃の中で渦巻いているであろう。
まぁまずはお好み焼きを一口。
すまん、俺もお前を騙していた―――。 そんな言葉が喉のギリギリで急ブレーキをかけた。
「……めん……さい。ごめんなさい……」
耳の奥にまでも届く謝罪の声。それは予想を超えた、それは莉乃の声などではない。それは切なくてか細くて切れてしまいそうな。
「私は知っていたよ、莉乃」
梨奈さんではなく、確実に莉乃と銀雪は口に出した。
「ごめんなさい、私無神経で人の気持ちを今まであまり考えなずに生きてきた人だから……。本当はもっと別の形で、もっとちゃんとした形で、しっかりと気持ちに整理を付けた上で言ってくれる心算だったのでしょう」
顔を落した莉乃に銀雪の優しい視線が、包み込むような柔らかい言葉が発せられた。
「本当に台無しにしてしまってごめん……」
「それ以上言わないで、謝りたいのは私の方なんだから。貴方を騙し続けて来たのは私、会ったその時から友達になっても私は銀雪を裏切り続けて来たのよ」
声にならなくても、掠れても、潰れても、言葉が出て来なくても。
それでも、そうなってまででも莉乃は自分の気持ちを訴えた。
本当は責めて欲しいんだと、裏切っていた自分に罰を与えてと。
「でも莉乃は終始その苦悩を抱えていたのでしょう、私が貴方を梨奈と呼ぶ度に心が痛んで、その度に傷付いて……」
その痛みこそが貴方への罰だと、もう莉乃を責める気なんてさらさらないとそんな風に銀雪の声は響く。
素直だけど素直になれない莉乃。分る、俺はその気持ちは分かる。でもこれはあくまで自分ではないから冷静に、そして真実を見れているだけで俺が莉乃ならやはり莉乃と同じ道を行っているだろう。
離れて欲しくはない、離れて欲しくないから言葉に迷った。でもそれ以上に対等で、罪を背負い続けてきた自分を断罪して欲しいのだ。
そうでなければ、進めないから。
そうでなければ、自分が離れていってしまうから。
許してくれるのは分かっている、けれど欲しいのはその許しじゃない、少なくともあの時の俺はそうだった。
そうだったから、俺は紫水から離れていった。自らに罰を与える為に。
「確かに苦しかったよ、けど仲良くなるにつれてだんだんとそのことを言い出すのも苦しくなってきたの……。それで私は結局銀雪に本当の事を言うのを諦めてた、そのことを排除して苦しみから逃れていた。私は今日まで実質なんとも思っていなかった」
自分の中ではその罰からすらも逃れてしまっていた。自分はまだ罰を受けていないんだと、莉乃は自分の気持ちには素直なのだ。
固執している訳でも意固地になっている訳でもない。
ただ対等でありたいのだ。お嬢様である天童莉乃と美浜銀雪とが。
負い目も救う救ってやったも何もない同じ目線でいて欲しいのだ。
「銀雪、聞いて」
静かに決意したように莉乃は顔を上げた。
目には涙を浮かべながら。
静かに莉乃の雰囲気は影と同化した。
「私は最低な人間よ。かなゆのことユキって呼んでいたでしょ。あれは私と同じ立場に、私と同じ自分の名前じゃない名前で呼ばれている人が欲しかったからあんな呼び方してたんだよ」
黒々として眼からは光が消えて、蔑みや罵倒、軽蔑、侮蔑その全てを引き出そうと莉乃は自らの秘めていた本心を明かしたのだ。
「私が貴方と何故友達になったか知ってる? それは貴方が一人だったからだよ、私がただただ必要とされたかったが為に私は貴方に近づいたの」
もう誰もお好み焼きに手を付けている者はいなかった。ああ、飯食ってからにした方が良かったかな。
「私は私の事しか考えていないんだよ、満たされたいが為に誰かに必要とされたかった為に、誰かと自分を比較して悦に浸りたかった為に……」
銀雪は静かに立ち上がり、莉乃の下に行くと。
パチーン。
とても優しく緩く弱く、けれども思いの籠った一撃は莉乃の頬を弾いた。
そうして……。
「これでもう貴方は私に負い目を感じることは無いわ。罰は下した、もういいのよその重みを下して、その罪を背負わなくて、もういいの一人で抱え込まなくて」
ぎゅーっと莉乃を抱きしめる銀雪。
瞳は輝き肌は濡れて力のないが莉乃を取り戻す力を持った歪みなく真っすぐで全てを受け容れてしまいそうな、相手の考えていたことを一瞬で真っ白に染め上げることのできる彼女はしっかりと莉乃を包み込んだ。
白く白く透き通った肌に銀雪のように輝く瞳の少女は優しく茶色の髪を撫であげた。
「目を背けるのを辞めよ、天童莉乃。限界だったでしょ、耐えるのは辛かったでしょ。もういいのよ、苦しまなくて」
雪は溶けて沁み込んで決して防ごうとしても心の弱さから、心にある穴ぼこからどんどんと中へと沁み渡ってくる。
その優しさから逃れることは出来ない。
莉乃の堰が切れる。
雪解け水が彼女の心の堰を決壊させた。
莉乃は銀雪を受け容れた、受け入れそして天童莉乃を晒した。自らの弱さも、力のなさも、いつもは見せないようにしている奥底の悲しみも見せないようにしている気持ちを銀雪に打ち明けた。
自らの家の事も、自らのお嬢様だった頃も……。
でもそれでも、俺の事や土岐家にされたということ、全てが全てを打ち明けられた訳では無い。
やはり彼女は俺とは違う。
俺は話せないのだから、こんなんになっても、今の銀雪のようなことをやられたとしても俺は話さないし話せない。
弱くなるのが、弱さを見せるのが怖いから。
莉乃は強さを失っても違うものがまだ有る、でも俺は強さを失った時点で空っぽだ。
――能のない人間なんていらないわ。どうして貴方はそこまで無能なの。貴方なんて生まれて来なければ、いや生まなければ良かったわ。
そうだ、そうだ。能無しは捨てられる、莉乃は俺の最後の能に惹かれただけであって俺が能を失ったその瞬間に背を向けるであろう。
俺には何もない。
今の俺には一つしかない。
それを失ったら。
それを失った時点で。
俺は……。
俺はもう……。
ただこうなっても殺されても良かった。ただ一つそうなってよいとする道があるとするならば。
俺はあの時美優に今のように優しくして貰いたかった。
それだけだ、ただそれだけだ。何を失おうが、蘆屋道満に殺されようがそれから例えどんなものを得ようが俺は全部を捨ててまでもあの時あの場所で美優に受け入れて欲しかった。
必要としない者には容易く要らぬ物を与え続け、逆に欲する者にはそれを与えない。
本当に必要にしていた時には誰も、誰一人として周りに居なかったのに、諦めたところで周りに人が現れる。
本当に欲した物は手に張らない。
ホンモノは。
俺の中のホンモノは。
確かにあった、理想でも期待でもない紛う事無きホンモノは確かにあったというのに。
でももうそれは手に入らない。捨てたのも俺だ。
あれだけ縋っていたあの関係はどう足掻いても戻って来ない。
紛い物でも似た物でもいい、所詮俺の欲する物全てがそれの妥協だから。
でもそんな物でもいいと言うだけでそれを欲したりも望んだりも必要としたりもしない。
だから俺は。もうこんな俺は、あの時からの俺には莉乃が望んでいたように罰が必要なのだ。罰を与えられたところで俺はやっとそっちの世界で真にお前と対等になれる。
待っていてくれ、直ぐだ。あと数年をしないうちに俺はお前の所に行く。
それまでに俺は俺なりのケジメを、俺なりの復讐をするつもりだ。
この醜い俺に。
「莉乃さん、ごめんな……」
莉乃の手が銀雪の唇の上に置かれる。
「これ以上言ったら許さないからね、これ以上言ったら親友辞める」
まるでどこかの銀雪の口から聞いた事有るような台詞が銀雪から飛び出した。
「分かったわ、莉乃さん」
「莉乃さんじゃなくて莉乃って呼んで下さい、銀雪」
銀雪はキュッと自分の腕を握り、唇を振るさせながら。
「私も今まで通りユキがいいです」
顔を赤くしながらも銀雪は最後までそう言い切った。
莉乃は莉乃でさっきの私の話聞いてた? って顔をしている。
「そもそも私昔からかなゆって名前を、ぎんゆき、ぎんゆきと間違えられてばっかりだったから何とも思わなかったよ」
思い出すように、そして懐かしい過去の自分でも見ているかのように銀雪は天井を仰いだ。
「莉乃にはユキでいい、莉乃はそれがいいの、分かった?」
「分りました、ユキ。これからもよろしくお願いします」
「そうね、それと……」
銀雪の眼が突如絶対零度の一撃必殺の眼に切り替わった。
「どうしてそんな眼をして私達を見ているの? ハリマ、そして大和」
その言葉を聞いた瞬間に法師と俺の顔が向きった。
法師のにやけ切った顔、もしや俺もか。
これはあれだ、温かい目って奴だ。
「いいわよ? 私が莉乃を奪ってあげようか?なんてね、嘘だわ。そもそも付き合っている二人の仲を引き裂くようなことはしないわ」
そういって今までの態度を一変させて銀雪はしてやったりと笑うのであった。
ん? 待てよ。
「俺付き合ってないから」
「えっ? 今学校で話題よ、英雄と莉乃が付き合っているって」
それ前はハリマと莉乃が付き合っているとか流れてたよなぁ。
「何処情報だ、ソース出せやソース」
首を捻っつた銀雪は思い出したかのように顔を明るくさせると。
「確か貴方と同じ隊の人が広め元だとか?」
あーあー、彼奴らよくもだな。何故か佐々木桔梗もこの話を知っていたし。
「まぁいいわ。莉乃と草薙君が付き合っていないと言うならそれはそれで。さぁさぁ、冷めてしまったけど食べましょうか。私はもう一つ作るから」
自分の席に戻った銀雪はさっきから焦らしに焦らされていたホットプレートに油を塗り直す。
「それに私一つ気付いた事があるんだけど」
ふっと短めの溜息をついた。
そして置かれていた手紙を持ち。
「態々私の前で機密文書を開いたりとこれ全部貴方が仕組んだことね、大和」
「チョットナニイッテルカワカンナイナ」
「でもありがと」
此方の様子を見て今までにない微笑みを見せた銀雪は……。
「それとこのノリに合わせて貴方の事も喋って見たら、今なら何でも受け入れそうだわ」
銀雪が胸に飛び込んで来いとガバッと手を広げてそして勢いよく自分の胸を叩いた。
「トイレに行ってくる」
俺は逃げ出していた。
深い深い光から、そしてどうしようもない期待から疾風みたいに俺は逃げ出した。
慌てた勢いで鞄ごと持って抜け出していた。
特にトイレに用はない、いいやあった。
お入れの鍵と締めて鞄の中から二枚の手紙を取り出し開封する。
一枚は土岐家。そしてもう一枚はアポカリプス apocalypse今若者の軍人が此処の傘下に入りまくっているという、とある学校で形成された集団からの手紙が入っていた。
どちらも内容は同じ、会って話したいというものであった。
ただアポカリプスapocalypseと言えば瀬戸家旗下の集団だ、何故俺に手紙なんかを。
二枚の手紙をそっと終い、俺は部屋に戻った。
「いいのよ、今日じゃなくても。約束さえ覚えておいてくれれば」
戻ってきた俺に銀雪は微笑んだ。
「今日はとことん飲みますよー、おいハリマ酒買ってこい」
どうしますかという目を向ける法師に勝ってきてやれと指示して。
「まぁ行きますか、大和のご命令とあらば」
「さぁてどんどん焼いていくわ」
今日という一日はまだ終わらない。
未だに終らせてはくれないようだ。
それでも、それでもこんな関係に、この付き合いに、こんな紛い物たちにちょっとでもいいなぁと思ってしまった自分がいる。
こんな日常に愛着を覚えてしまっている。
まぁたかが愛着程度だ。それ以下でもそれ以上でもない。
今日はまだ終わらない。
こんな今日はまだ終わらせる気などない。
土岐家や瀬戸家そしてアポカリプスapocalypseのリーダーのなんたらさんの事さえも忘れて楽しんでもいいだろう。
今日くらいは。
皿の上に置かれたお好み焼きの欠片は冷め切っていても美味かった。




